Topicalityのburden of proofに関する議論

 
 

Date: Mon, 24 Jun 96 15:42:59 JST Subject: [JDA :1290] Q&A;(Contextuality)

 それでは、前のメールでお知らせしたように、ディベートに関する質問を
この場をお借りしてさせていただきます。
 
 タイトルに示したように、質問はcontextualityについてです。これは
いわゆるtopicalityのstandardの一つとしてのcontextualityのことです。
 
 以下は私の勝手な思いなのですが、
 
 ディベートの試合において、どうかんがえても不自然な解釈と思われる
topicalityが出ていることが多いように思います。おそらく使う側もtime
wasterとして使っているのでしょう。しかし、これらの返しとなると、
これまた不完全で、そのせいでやむなく相手のTが成立してしまうことも
あります。ちなみに私はダムのプロポの頃、constructionはexperimentだ、
というTに負けてしまったことがありました。私のTに対する勉強不足の
せいでしょう。
 
 そこで、今後このような悲劇を繰り返さないためにも、皆さんにTに
対する意見をお聞きしたいのです。しかし、単に「Tについて」といっても
かなり広い議論になってしまうと思うので、今回は特にcontextuality
についてうかがいたいと思います。
 
 いわゆるreasonableなstandardとして、grammarとcontextualityはほとんど
議論をはさむ余地がないと思われます。ですが、ここで私が疑問に思って
いること、つまり、今回の議論の焦点としたいことは、「何をもって
contextualityに即した解釈をしたといえるか」ということであります。
 
 たとえば、今回のプロポで、organという単語が用いられています。
これは文脈から考えれば、どう考えても臓器という意味でしょう。
ですが、もしNegがstandardにcontextualityを持ってきた上でorganを
いわゆる楽器でいうところの「オルガン」と解釈したTを持ってきたときに、
Affは「Negはcontextualityというstandardによってorganという語が
楽器のオルガンだという解釈ができるという理由を述べていない」の
一言で返せるのでしょうか。それが疑問なのです。
 
 質問をより具体化するために、もし今回のプロポでstandardが
contextualityで、definitionがorganを楽器としてのオルガン、と
とらえ、Affはorganを臓器と解釈しているのでnon-topicalである、
というTがだされたと仮定して、2ACでどういう返しをするか、
という形で質問にお答えいただけたらありがたく思います。
 
 それでは、よろしくお願いします。時間のある方、ぜひお答えください。
 

 

Date: Tue, 25 Jun 96 23:07:00 JST

Subject: [JDA :1305] Re: Q&A;(Contextuality)

A.Hです。
 
H.O君の [JDA :1290] の質問に答えます。
 
ただし、「contextuality とは何か」ということ以前に、「そもそもコンテク
ストとは何なのか」について説明したいと思います。
 
 
 
[コンテクストとは?]
 
コンテクストとは、一言でいえば「ある語句と他の語句との関係」です。ここ
ではそれを具体的に説明するために、日本語の動詞「かかる」を例にとって、
「かかる」とその前の語句によって「かかる」の意味がどのように変わるかに
ついて考えてみます。(日本語の例の方が分かりやすいでしょう?)
 
 
# なぜ「かかる」なのかというと、以下のことを計算機でやる方法について
# 卒論で研究したからです。そのときに使った文が「かかる」を含むものだ
# ったのです。
 
 
「かかる」はいろんな意味になり得ますが、ここでは簡単のため、次の2つの
意味しかないとします。
 
 a) 「宿題にかかる」「仕事にかかる」などの場合、
 「〜に かかる」 =「動作を始める」
 
 b) 「インフルエンザにかかる」「狂牛病にかかる」などの場合、
 「〜に かかる」 =「病気になる」
 
当然のことながら、どちらの意味になるかは場合によって変わります。
 
では、
 
	「エビ訳にかかる」
 
という場合の「かかる」はどちらでしょうか?  この場合、ほとんどの人は 
a) を選ぶことでしょう。
 
ここからが重要です。ではなぜ、b) ではなく a) を選んだのでしょうか?
その理由を丁寧に書けば以下のようになるのではないでしょうか。
 
 
1. 「かかる」は、「動作を表す語句+に+かかる」という場合には「動作を
 始める」という意味になり、「病気を表す語句+に+かかる」という場合
 には「病気になる」という意味になる。
 
2. 「エビ訳にかかる」という文の「エビ訳」は、動作を表す語句である。だ
 からこの文は「動作を表す語句+に+かかる」という形をしている。一方、
 「エビ訳」は病気を表す語句ではないから、この文は「病気を表す語句+
 に+かかる」という形はしていない。
 
3. したがって、a) はこの文に当てはまるが、b) は当てはまらない。
 
 
 
ここでは「〜という場合」や「〜という形」という表現を使いましたが、これ
ら「場合」「形」を別の言葉でいうと「コンテクスト」になるのです。だから
上記の 1. 〜 3. を言い替えると以下のようになります。つまり、「エビ訳に
かかる」の「かかる」が「動作を始める」であることを主張したければ、以下
のように説明すれば良いわけです。
 
1. 「かかる」は、
 a) 「動作+に+かかる」というコンテクストでは「動作を始める」に、
 b) 「病気+に+かかる」というコンテクストでは「病気になる」という
 意味になる。
 
2. 「エビ訳にかかる」という文は、「動作+に+かかる」というコンテクス
 トを持っている。
 
3. したがって、a) は「エビ訳にかかる」のコンテクストに当てはまるが、
 b) は当てはまらない。
 
 
要するに、「『かかる』はこんな意味になる」というだけでは不十分で、「ど
のような場合(=コンテクスト)にこの意味になる」ということも示さなけれ
ばなりません。
 
 
# 「一見して明らか」なことを文章で説明するのは意外と難しい。
# ここらへんが T への適性を決定するのかも。
 
 
[コンテクストに合った解釈とは?]
 
ここからはディベートに即した説明です。自分達が出した解釈がプロポのコン
テクストに合っていることを示すには、次のようにすれば良いわけです。
 
1. 解釈を出すだけでなく、「どのようなコンテクストでその解釈が可能か」
 についても述べる。
 
2. プロポがそのようなコンテクストを持っていることを示す。
 
 
では「organ=オルガン」に対してどう反論すればよいか……については、長く
なった(長くなる)ので次回のメールにします。
 

 

Date: Mon, 24 Jun 96 17:40:18 JST

Subject: [JDA :1292] Re: Q&A;(Contextuality)

 
J.Hです。H.O君のTについての質問とそれに対するK.K君の答えについて,
一言だけ。
 
 そもそも、reasonabilityの下では、NEGはAFFの解釈が
妥当でない(この場合はcontextに反する)ということを論証
しなければならないはずですから、AFFが文脈に合う解釈を
提出すれば、NEGの解釈の妥当性は関係なくなると思います。
それは、NEGが妥当な解釈をしたかどうか、ではなくて、AFFの
解釈が妥当であるかどうか、が問題のはずだからです。
J.H
 
 


 

Date: Tue, 25 Jun 96 14:04:56 JST

Subject: [JDA :1297] Reasonability

 
 
K.Mです。
明日の1限に提出するレポートを作成する前に、reasonabilityについて。
 
そもそも reasonability の meta-standard というのは妥当な解釈かどうかという
判定をするものなのです。
 
>  でもやはり、AFFが文脈に合う解釈を提出するのに失敗した、もしくは
>できなかった場合を想定して、NEGの解釈も妥当ではないという事(NEGと
>してはNEGの解釈は妥当だという事)を証明するのは大事な事ではないの
>でしょうか?
 
それは、多分時と場合により重要になると思います。というのは…
 
>4.AFFの解釈が妥当ではなく、NEGの解釈が妥当ではない
 
この場合、Aff は Topical か?
これは、私の記憶が正しければ、ジャッジによって差が出てくるはずです。
 
 Neg が Topicality を提出した時点で、Aff が Topicality に meet する Burden
 が生じると考えているジャッジさんならば、この4番のケースは non topical に
 なってしまうことがあるのです。(100%ではありませんが……)
 
 しかし、Topicality の Burden of proof は100% Neg であると考えている場合は
 Neg が妥当な解釈を示しきれていないということで、Presumption でAff は
 Topical となってしまう(らしい)のです。
 
 また、ラウンドを通して妥当な解釈がないので、presumption で Aff にいくという
 こともあるらしいです。
 
ですから、Aff は resonability の下では、なにが何でも Aff は reasonable だと
示しさえすればいいのですが、本来ならば、Neg の解釈の不備を指摘することも重要
なことです。しかし、いろんなラウンドを見ていると両方 reasonable になることが
多いようです。
 
また、このような theory を勉強するには、judging philosophy を読むのがてっと
り速いです。
 
PS  ダムのプロポの頃の "construction == experiment" は
 "Construction == explanation" ではないですか? 多分、MATESSが出していた
 と思うのですが、これは Time waster のつもりではなく、本気で reasonable
 だと思って出していました。実をいうと、自分が出されたら返すのが難しかった
 のを覚えています。(その証拠に AFF で同じTで負けました。ね、J.H君)
 


 

Date: Tue, 25 Jun 96 18:18:07 JST

Subject: [JDA :1304] Re:Reasonability

 
H.Iです。
Tの議論についてひとことと思い、定時後にこのメールを打っている間に、こ
の話題に関するメールが嵐のように舞い込んできました。発信のタイミングが
やや遅れた感もありますが、他の人とかならずしも同じではないので、発信す
ることとします。
 
 
>>4.AFFの解釈が妥当ではなく、NEGの解釈が妥当ではない
>
>この場合、Aff は Topical か?
>これは、私の記憶が正しければ、ジャッジによって差が出てくるはずです。
>
>Neg が Topicality を提出した時点で、Aff が Topicality に meet する
>Burdenが生じると考えているジャッジさんならば、この4番のケースは non
>topical になってしまうことがあるのです。(100%ではありませんが…
>…)
 
 これはよく分からない議論ですね。Affはそもそも1ACの段階では自己の
プランがTopicalという証明をしなくてよいのですよね。それなのに、なぜNeg
から「立っていないT」を出されたからといって、自己のプランがTopicalだ
という証明をしなければならないのでしょうか。
 
 
>しかし、Topicality の Burden of proof は100% Neg であると考えている場
>合はNeg が妥当な解釈を示しきれていないということで、Presumption でAff
>はTopical となってしまう(らしい)のです。
>
>また、ラウンドを通して妥当な解釈がないので、presumption で Aff にいく
>ということもあるらしいです。
 
 通常、Affは自己のプランがTopicalであることを証明する責任はなく、よっ
てTの証明責任はNegにあると考えられますが、AffがNon−Topicalであるとい
う証明はなされなかったので、TはVoterにならない、それだけでしょう。
 Tの証明責任が「100%」Negにあるという議論自体よくわかりませんし、あ
まり本件には関係ないと思いますけど。
 
 
>ですから、Aff は resonability の下では、なにが何でも Aff は
>reasonableだと示しさえすればいいのですが、本来ならば、Neg の解釈の不
>備を指摘することも重要なことです。しかし、いろんなラウンドを見ている
>と両方 reasonable になることが多いようです。
 
 
 どうも、ここで前提とされているReasonabilityの考え方は、私の理解とは
異なるようです。
 Reasonabilityとは、AffのプランがTopicalであるためには、その定義が妥
当であれば足り、Negの定義よりBetterであることを要しないという議論です
よね。決してNegが妥当でない解釈のTを出しているときに、Affが妥当な解釈
を提示しなければ、AffはNon−Topicalとなるという議論ではないはずです。
 
 別の言い方をすれば、Affの定義が妥当でないからNon−Topicalとなるので
はなく、AffのプランがResolutionの妥当な解釈の範囲外にあると認められる
ときにNon−Topicalとなる、というべきでしょうか。
 
 とすると「立っていないT」については、まずその解釈が妥当でないことを
指摘すべきであり、自分の定義を出してそれが妥当であることを示すのは、順
序からいうと、その次だと思いますがいかがでしょう。
 
 


 

Date: Wed, 26 Jun 96 16:43:14 JST

Subject: [JDA :1318] Re: Reasonability

 
T.Hです。
 
■ H.Iさんに質問があります。
 
>    とすると「立っていないT」については、まずその解釈が妥当でないことを
>   指摘すべきであり、自分の定義を出してそれが妥当であることを示すのは、順
>   序からいうと、その次だと思いますがいかがでしょう。
 
とのご意見ですが、「立ってないT」については、まずその解釈が妥当でないこと
を指摘すべきである、というのは、どういう御趣旨ですか?
 
■ H.Iさんはその直前に、ご自分のreasonabilityの理解を示しておられます。(
下記引用)
 
>    どうも、ここで前提とされているReasonabilityの考え方は、私の理解とは
>   異なるようです。
>    Reasonabilityとは、AffのプランがTopicalであるためには、その定義が妥
>   当であれば足り、Negの定義よりBetterであることを要しないという議論です
>   よね。決してNegが妥当でない解釈のTを出しているときに、Affが妥当な解釈
>   を提示しなければ、AffはNon−Topicalとなるという議論ではないはずです。
>
>    別の言い方をすれば、Affの定義が妥当でないからNon−Topicalとなるので
>   はなく、AffのプランがResolutionの妥当な解釈の範囲外にあると認められる
>   ときにNon−Topicalとなる、というべきでしょうか。
 
 このreasonabilityの理解を前提とすれば、否定側が仮に肯定側のplanをnon-
topicalにする解釈を出したとしても、そのような解釈が成立ち得るか、
あるいはそのような解釈が妥当であるかどうか、は、肯定側のplanが
resolutionの妥当な解釈の範囲内にあると認められるかどうかには無関係では
ないでしょうか?(肯定側のplanがresolutionの妥当な解釈の範囲内にあるかは、
肯定側のplan をtopicalにするresolutionの妥当な解釈が存在するかどうかに依
存し、それは、他に肯定側のplan をnon-topicalにする妥当な解釈が存在するか
どうかとはirrelevantと思われるからです)。
 
■ そんなわけで、H.Iさんが、否定側の解釈の妥当性に関する議論を「まず第1」
に肯定側がす「べき」だという理由がよく理解できませんでした(もちろん、否定
側の解釈の妥当性を否定できなければ肯定側は負ける、という御趣旨でないのは当
然だと思いますが)。この点に付いてもう少し説明して頂けたら、と思います。
 
 


 

Date: Wed, 26 Jun 96 18:38:17 JST

Subject: [JDA :1323] Re: Reasonability

 
H.Iです。
T.H君の質問について。
 
 
>■ H.Iさんはその直前に、ご自分のreasonabilityの理解を示しておられます。
>(下記引用)
>
>>    どうも、ここで前提とされているReasonabilityの考え方は、私の理解とは
>>   異なるようです。
>>    Reasonabilityとは、AffのプランがTopicalであるためには、その定義が妥
>>   当であれば足り、Negの定義よりBetterであることを要しないという議論です
>>   よね。決してNegが妥当でない解釈のTを出しているときに、Affが妥当な解釈
>>   を提示しなければ、AffはNon−Topicalとなるという議論ではないはずです。
>>
>>    別の言い方をすれば、Affの定義が妥当でないからNon−Topicalとなるので
>>   はなく、AffのプランがResolutionの妥当な解釈の範囲外にあると認められる
>>   ときにNon−Topicalとなる、というべきでしょうか。
>
> このreasonabilityの理解を前提とすれば、否定側が仮に肯定側のplanをnon-
>topicalにする解釈を出したとしても、そのような解釈が成立ち得るか、
>あるいはそのような解釈が妥当であるかどうか、は、肯定側のplanがresolutionの
>妥当な解釈の範囲内にあると認められるかどうかには無関係では
>ないでしょうか?(肯定側のplanがresolutionの妥当な解釈の範囲内にあるかは、
>肯定側のplan をtopicalにするresolutionの妥当な解釈が存在するかどうかに依存
>し、それは、他に肯定側のplan をnon-topicalにする妥当な解釈が存在するかどう
>かとはirrelevantと思われるからです)。
 
 AffのプランがTopicalとなるかどうかは、AffのプランをTopicalとする妥当な解
釈があるかどうかであって、AffのプランをNon−Topicalとする解釈が成り立つか/
妥当であるかとは関係ないのではないか、そういう趣旨ですね。
 
 しかしTのBurden of proofはNegですので、「肯定側のplanがresolutionの妥当
な解釈の範囲内にあると認められるか」、すなわちAffのプランがTopicalとなるか
という問題の立て方をするのではなく、むしろ「AffのプランがNon−Topicalである
という証明はできているか」という見方をすべきだと思います。
 
 すなわち、「AffのプランがNon−Topicalであることの妥当な解釈」を提示するこ
とにNegが失敗すれば、たとえAffは自己のプランがtopicalであるという妥当な解釈
を示せなくてもTにvoteされることはないわけです。
 
 とすれば、立っていないTについては、AffはNegがBurden of proofを満たして
いないことを指摘すれば足り、わざわざ自分の解釈を提示する必要はない、という
ことになります。そういう意味で、前のメールで「立っていないTについては、ま
ずその解釈が妥当でないことを指摘すべき」と述べました。
 
 もちろん「このTは立っていない」とAffが勝手に思い込んでいた場合に、立っ
ていないことだけ指摘して他には何も反論しなかった場合は致命傷になるおそれが
ありますので、「念のために」自己の定義を提示することにはそれなりに意味があ
ることは否定しません。
 ただ、ジャッジの立場からは、立っていない相手のargumentには、まず相手の
argumentのおかしい点を指摘して欲しいと思っています。それをスキップして反論
しはじめると、「このdebaterは、相手のargumentが立っていないことに気付いて
いないのか」と首をかしげてしまいます。
 
 
 これでよろしいでしょうか。
 前回の私のメールではそれほどたいしたことを言っているのではなく、単にあた
り前のことを述べたに過ぎません。しかし、T.H君に理解されたかったところをみ
ると、どうやら舌足らずだったようですね。
 
 


 

Date: Thu, 27 Jun 96 11:09:09 JST

Subject: [JDA :1331] Re: Q&A;(Contextuality)

 
折角首を突っ込んだので、はまって行きたいと思います。
T.Hです。
 
H.Iさんへ
再び質問です。
 
>   H.Iです。
>   Y.Kさんのメールについて質問があります。
>
>   Y.Kさんのメールは、
>
>   1.affの事例がtopicalか否かは、その事例が命題の妥当な解釈の下でその一
>   例とみなし得るかどうかにかかっており、別様な命題の妥当な解釈の存在は、
>   原理的には関係がない。
>
>   2.organのTに対し、affは自己のdefinitionを出して解釈を説明することは
>   不要である。元々planにより、そのようなaffの命題解釈の詳細(個々の語句
>   の定義)は明白にimplicitである以上、わざわざ繰り返す必要はない。
>
>   3.したがって、organのTには、affの解釈の妥当性が微塵も否定されていな
>   いことを指摘するべきであり、それで十分である。
>
>   という趣旨だと思います。
>
>    1.については全く異論はありませんが、2.については、私としては疑問
>   があります。
>
>    確かに、affの解釈がorganを「臓器」と解釈していることは、プランから自
>   明でしょう。しかし、この解釈が妥当であることは自明ではないと思います。
>   少なくともそのラウンドにおいては、Negはorgan=オルガンというのが唯一妥
>   当な解釈と主張しているのですから。
>
>    affの解釈の妥当性が自明のものでないのであれば、affは自己の解釈の妥当
>   性を証明するためには、辞書から引用した定義を提示する必要があるのではな
>   いでしょうか。
 
とのことですが、1.について異論が全くない、ということは、前回のお立場(JDA
 mail の番号は忘れてしまいましたが、肯定側は否定側の解釈の非妥当性を指摘す
「べき」というお立場です)は変更されたということでしょうか?
 
それから、2.について。肯定側が一定の解釈を示している、というのが自明の前提
であるならば、H.Iさんの前回のお立場(肯定側のplanがreasonableにtopicalかど
うかはnegのburdenというお立場だったと思います)からすれば、否定側が積極的に
肯定側の解釈の非妥当性を証明しなければ、肯定側の解釈は妥当と判断されることに
ならないのですか?
 
 なお、「否定側はorgan=オルガンというのが唯一妥当な解釈だと主張している」と
のことですが、何がそう判断する根拠になるのですか? それから、negはその様に
「主張」しさえすればよいのですか? あと、これはY.Kさんへの質問にもなります
が、否定側が肯定側のplanをnon-topicalにする解釈が1つ存在することを示すことに
より、それが唯一妥当な解釈だと証明できる場合というのは、具体的にはどの様な場
合が念頭におかれているかおわかりでしたら教えて下さい。
 
 
また質問に応えさせる側に回してしまい、申し訳ありません。
しつこい奴と思われるかも知れませんが、お答え頂ければ、幸いです。
 なお、すでにY.Kさんから、ご自分のお立場にたった上での反論(?)が提示され
ていますが、私の質問はH.I説の内在的理解にかかわるものとしてのUNIQUENESSをも
つものとしてご寛容頂ければと思います。
 
 


 

Date: Thu, 27 Jun 96 18:23:49 JST

Subject: [JDA :1337] Re: Q&A;(Contextuality)

H.Iです。
だんだん話が見えてきました。
 
 議論の前提となる点について、私とT.H君は異なる理解をしていたようで
す。そこで私なりに考え方を整理してから、T.H君の質問に答えることとしま
す。
 以前のメールは論点が完全に把握できていない時点で書いたものということ
もあり、本メールと以前のメールとは論旨が一致しない部分もあるかもしれま
せんが、ご容赦を。本メールで述べているのが現在の私の考え方です。
 
 
論点:
1.NegからTが出されているとき、Tに対する反論として、Affは自己の解釈
を提示する必要があるか。
2.1で必要あるとする場合、Affは自己の解釈の妥当性を、辞書からの定義
の引用を示すことにより、証明する必要があるか。
 
 12の両方の点につき、私は「必要がある」という立場を取ります。
 
 そして、もしNegのTに対して、Affから自己の解釈が提示されない場合、又
は自己の解釈の妥当性が証明されない場合は、Affのプランをtopicalとする妥
当な解釈が提示されていないものと考え、Negの解釈が妥当であれば、その解
釈にしたがってTを判断し、Affのプランがresolutionの範囲外であればTが
成立したものと考えます。
 ただし、TについてのNegの解釈が妥当でなければ、Affのプランが妥当な解
釈に反しているという証明がなされていないものとして、たとえAffが自己の
解釈を提示できなくても、Tは成立していないものと考えます。
 
 では、次に上記12の論点について、「必要ある」と判断した理由を説明し
ます。
 
論点1
NegからTが出されているとき、Tに対する反論として、Affは自己の解釈を提
示する必要があるか。
 
 この点について私は「必要ある」という考えですが、Affの解釈は提示不要
とする立場からは、「Affはプランを出すにあたってreolutionの解釈をしてい
るのだから、NegにTのBurden of proofがある以上、Negが積極的にAffの解釈
の妥当性を否定すべきであって、それをしないのであれば、Affは自己の定
義・解釈を提示する義務はない」という主張がなされるでしょう。
 
 しかしこの立場については、AffがC-definitionも出していない段階で、何
をもってAffの解釈とすべきかという問題が残ります。Affがまともなプランを
出していれば、resolutionをどう解釈したのか推測することは比較的容易です
が、Affがとんでもないプラン、例えば「脳死者からの臓器移植」のプロポで
原発廃止のプランを出していたとすると、Negとしては、一体Affはresolution
をどのように解釈しているのか、理解に苦しむことになります。とすると、
resolutionから外れたプランに対してほど、Tが出しにくいという結果になり
かねません。
 
 まあこれは極端にしても、Tが問題となるようなケースについては、Affが
resolutionをどのように解釈しているのか、聞いてみるまで分からないという
ケースが多いのではないでしょうか。また、F君が書いていたように、
「Affはこのようにresolutionを解釈しているはずである」としてTを出して
も、Affは「いや我々はresolutionをそのように解釈していない」といくらで
も逃げることができます。
 
 とすると、Affがプランを出した段階では、いまだAffのresolution
の解釈は提示されておらず、Tに対するC-definitionを出して始め
て、Affのresolutionの解釈が提示されると考える方が妥当ではないで
しょうか。
 
論点2
 1で必要あるとする場合、Affは自己の解釈の妥当性を、辞書からの定義の
引用を示すことにより、証明する必要があるか。
 
 私は「必要ある」という考えですが、これに対しては「Affの解釈を明確に
するという趣旨であれば、Affは自己の解釈を提示すれば足りるのであって、
その解釈が妥当なことを証明する(定義を辞書から引用する)必要はないので
はないか」という疑問を持つ方もいると思います。
 
 理屈からいえばそうかもしれません。しかし、実際問題として、辞書から引
用された定義に基づかないAffの解釈を妥当でないことを証明するのというの
は、非常に難しい作業です。
 例えば、アジア諸国への経済援助というresolutionの下で、Affがメキシコ
への経済援助というプランを出して「我々はメキシコもアジアの一部であると
解釈した」と主張した場合、この解釈が妥当でないことを証明するために、
Negは何をすればよいのでしょうか。「アジア」についての妥当な定義全てを
読み上げて、その中にメキシコを含む定義が一つもないことを証明することに
なると思いますが、これは実質上不可能でしょう。
 
 したがって、Affは自己の解釈を提示するときは、定義を辞書から引用して
自己の解釈の妥当性を証明すべきだと思います。
 理屈としては、Negが妥当な定義・解釈に基づくTを出した場合、これと異
なるAffの定義は妥当でないという推定が働き、それを覆すためには、Affは
自らの定義の妥当性を証明しなければならない、というあたりでどうでしょ
うか。定義に関するBurden of rebuttalを、Affに負わせるという考え方で
す。
 
 
というところで、T.H君の質問に答えたいと思います。
 
> 1.について異論が全くない、ということは、前回のお立場(JDA
>  mail の番号は忘れてしまいましたが、肯定側は否定側の解釈の
> 非妥当性を指摘す「べき」というお立場です)は変更されたとい
> うことでしょうか?
(H.I注)1.というのは、「affの事例がtopicalか否かは、その事例が命題
の妥当な解釈の下でその一例とみなし得るかどうかにかかっており、別様な命
題の妥当な解釈の存在は、原理的には関係がない。」ということです。
 
 上記発言は、前回の立場を変更するものではありません。Affの解釈が妥当
であれば、Negの妥当な解釈はAffの解釈を否定するものではないことは、当初
から私が述べている通りです。ただし、「Affの解釈」はTに対する反論とし
て提示しなければならないということについて、説明が不足していたのかもし
れませんね。
 ちなみに、肯定側は「まず」否定側の解釈の非妥当性を指摘すべき(上記引
用では「まず」が抜けていますが。)というのは、多くの場合、Negの解釈の
非妥当性を指摘する方が、Tに対する反論としてAffの解釈を提示するよりも
簡単であるからそう述べたまでであって、Affの解釈を提示して反論すること
が、Tの返しとして有効なのは当然の前提です。
 
 
> それから、2.について。肯定側が一定の解釈を示している、とい
> うのが自明の前提であるならば、H.Iさんの前回のお立場(肯定側
> のplanがreasonableにtopicalかどうかはnegのburdenというお立場
> だったと思います)からすれば、否定側が積極的に肯定側の解釈の
> 非妥当性を証明しなければ、肯定側の解釈は妥当と判断されること
> にならないのですか?
 
 う〜ん。鋭い指摘ですね。「肯定側が一定の解釈を示しているというのが自
明の前提」であるならば、まさにT.H君のおっしゃる通りでしょう。
 
 この点については、考え方を変更させていただきます。上で述べた理由によ
り、やはり肯定側がプランにより一定の解釈を示しているというのは、一般的
には自明とはいえないでしょう。
 organ transplantのプロポにおける臓器移植のプランを提示する場合は、
Affの解釈は自明かもしれませんが、一般論としては、Affの解釈は自明とはい
えないと考えています。Y.Kさんの質問のメールでは、個別事情と一般論を区
別せずに書いてしまった、ということでご容赦ください。
 
>  なお、「否定側はorgan=オルガンというのが唯一妥当な解釈だと
> 主張している」とのことですが、何がそう判断する根拠になるので
> すか? それから、negはその様に「主張」しさえすればよいのです
> か?
 
 Negの合理的意思解釈を根拠とします。T.O君も書いているように、そうで
なければ、Negの議論は、Tとして成り立たないおよそ無意味な議論となるで
しょう。
 後段の質問は意味がよくつかめませんが、Negがそう主張すれば当然、ス
ピーチで特にその旨述べなかったとしても同じように考えていいと思います。
 
 
あ、それから後のT.H君のメールにあった
 
>>(1) 否定側の standard は妥当である
>>(2) 否定側の定義は、否定側の standard 下で妥当である
>>(3) 肯定側の定義は、否定側の standard 下で妥当でない
>(略)
>上記の(1)(2)((3))が証明されても、「肯定側のplanをtopicalにする
>resolutionの妥当な解釈が存在する」ということは否定されていない、とい
>うのが僕の考えです。(つまり肯定側がなんらかの解釈を提示しているとい
>う前提は不要。)
 
については、疑問があります。
 この考え方によると、T.H君自身が述べているように、Negは「肯定側の
planをtopicalにするresolutionの妥当な解釈は存在しない」ことを証明せね
ばならず、Tを証明することが事実上不可能になります。このような結果をも
たらす考え方は妥当とはいえないでしょう。
 上で述べたように、affがresolutionの解釈を提示していないのであれば、
その試合においては、「Affのプランをtopicalとする妥当な解釈はない」もの
と考えるのが素直だと思います。
 
 T.H君は「H.I説の内在的理解」などと大袈裟に書いていますが、私自身も
皆さんの議論を聞きながら考察を深めて、考えを述べているところです。今後
も、この問題に関する皆さんの意見をお聞かせいただければ幸いです。
 
 
 


 

Date: Wed, 26 Jun 96 18:27:09 JST

Subject: [JDA :1322] Re: Q&A;(Contextuality)

 
>  前のメールのTに対し、次のような返しを2ACでおこなったとき、十分な
>ものといえるかどうか意見をうかがいたいと思います。...
>  以下の議論を2ACのスピーチと仮定してください。
>
>1.contextualityのstandardに対してはgrantする。
>2.しかし、Negの解釈は文脈に即した解釈ではないと主張する。
>3.counter definitionとして「organ=臓器」と述べたものを出す。
>4.文脈によると、Affとしては「日本政府は脳死したドナーからの臓器移
>    植を合法化すべきである」と解釈されると主張する。
>5.よって、Affのプランはcounter definitionにmeetすると主張する。
>
>  以上のような返しでAffはNegの主張を否定したと言い切れるでしょう
>か。
 
一連のメッセージにも関わらず、このような形での問いを再び出されるのは少々理解
に苦しむところがあり、基本的な事項を再確認しておきます。
 
Reasonabilityを基準とした場合の、Topicalityについての最も基本的な点は、[jda:
1292]でJ.H君が書いたことです。又、[jda:1318]でそれに関係することをT.H氏が
触れています。
 
affの事例がtopicalか否かは、その事例が命題の妥当な解釈の下でその一例とみなし
得るかどうかにかかっており、別様な命題の妥当な解釈の存在は、原理的には関係が
ない、ということです。
それでは、negがなぜ別の解釈を出すかというと、その解釈を受け入れることが、aff
の解釈の妥当性を否定し得る場合があるからです。例えば、negの解釈のような仕方
でしか命題は解釈されないと示される場合などです。
というよりも、negによる別様の解釈は、そのような場合にのみrelevanceを持つと言
った方が正しいでしょう。
この基本的な点は、非常にしばしば忘れられがちなものです。
 
上記の議論は、本末転倒しています。
先ず、2.では、affの解釈の妥当性が微塵も否定されていないことを指摘するべきです。
 
本質的には、それだけでAffは、affの解釈の妥当性を問題にしていない類のtopicali
ty argumentを返すことができるはずです。この場合negの解釈が文脈に即していよう
がいまいが関係ありません。妥当な解釈でも、affの解釈とは独立に妥当であれば、a
ffの解釈を揺るがすことにはなりません。
 
ところで、3-5は、ほとんど意味がありません。元々planにより、そのようなaffの命
題解釈の詳細(個々の語句の定義)は、明白にimplicitである以上、わざわざこうい
うことを繰り返すのは、滑稽でしかない。また、ここで出されるのはcounter defini
tionと呼ぶべきものではない。それは、元々のaffによるdefinitionでしょうから。
 
 
それから、蛇足ながら、ディベートでの歴史的経緯を説明すると、contexualityとい
うのは、元々は、今回言われているような意味で言われてはいませんでした。
今回言われているのは、語の意味は文の真理値への寄与によってのみ決まるという文
脈原理に基づくようなcontexualityです。勿論、これがcontexualityという場合の妥
当な理解だと思います。
しかし、アメリカでは、当初は少しずれた意味でこの語が使用されていました。つま
り、ある一定の集団に於いての一般的な用法を区別するために使用されていました。
例えば、法律の分野ではある語はこのような意味で使用される、といった議論をcont
extualityは含意していていました。それ故に、これはgrammarと区別されていたのです。
今回使われているような正しい意味でのcontextualityは、grammarと区別する必要は
ありません。むしろ、contexualityもgrammarの一部と言えるでしょう。(いわゆるg
rammarという規準は、統語論的規準のことで、contextualityという規準は意味論的
規準のことだという風に区別はできるでしょうが。)
 


 

Date: Wed, 26 Jun 96 19:33:17 JST

Subject: [JDA :1325] Re: Q&A;(Contextuality)

 
H.Iです。
Y.Kさんのメールについて質問があります。
 
Y.Kさんのメールは、
 
1.affの事例がtopicalか否かは、その事例が命題の妥当な解釈の下でその一
例とみなし得るかどうかにかかっており、別様な命題の妥当な解釈の存在は、
原理的には関係がない。
 
2.organのTに対し、affは自己のdefinitionを出して解釈を説明することは
不要である。元々planにより、そのようなaffの命題解釈の詳細(個々の語句
の定義)は明白にimplicitである以上、わざわざ繰り返す必要はない。
 
3.したがって、organのTには、affの解釈の妥当性が微塵も否定されていな
いことを指摘するべきであり、それで十分である。
 
という趣旨だと思います。
 
 1.については全く異論はありませんが、2.については、私としては疑問
があります。
 
 確かに、affの解釈がorganを「臓器」と解釈していることは、プランから自
明でしょう。しかし、この解釈が妥当であることは自明ではないと思います。
少なくともそのラウンドにおいては、Negはorgan=オルガンというのが唯一妥
当な解釈と主張しているのですから。
 
 affの解釈の妥当性が自明のものでないのであれば、affは自己の解釈の妥当
性を証明するためには、辞書から引用した定義を提示する必要があるのではな
いでしょうか。
 


 

Date: Wed, 26 Jun 96 20:07:37 JST

Subject: [JDA :1328] Re: Q&A;(Contextuality)

 
>H.Iです。
>Y.Kさんのメールについて質問があります。
>     
>Y.Kさんのメールは、
>     
>1.affの事例がtopicalか否かは、その事例が命題の妥当な解釈の下でその一
>例とみなし得るかどうかにかかっており、別様な命題の妥当な解釈の存在は、
>原理的には関係がない。
>     
>2.organのTに対し、affは自己のdefinitionを出して解釈を説明することは
>不要である。元々planにより、そのようなaffの命題解釈の詳細(個々の語句
>の定義)は明白にimplicitである以上、わざわざ繰り返す必要はない。
>     
>3.したがって、organのTには、affの解釈の妥当性が微塵も否定されていな
>いことを指摘するべきであり、それで十分である。
>     
>という趣旨だと思います。
>     
> 1.については全く異論はありませんが、2.については、私としては疑問
>があります。
>
> 確かに、affの解釈がorganを「臓器」と解釈していることは、プランから自
>明でしょう。しかし、この解釈が妥当であることは自明ではないと思います。
>少なくともそのラウンドにおいては、Negはorgan=オルガンというのが唯一妥
>当な解釈と主張しているのですから。
> affの解釈の妥当性が自明のものでないのであれば、affは自己の解釈の妥当
>性を証明するためには、辞書から引用した定義を提示する必要があるのではな
>いでしょうか。
 
affの解釈が妥当であるかどうかは、解釈者の言語使用能力に基づいて、直観的に判
断されると思いますが、この事例のような場合には、それは明白に妥当とprima faci
eには推定されるでしょう。organを「臓器」の意味で使用するのは、自明に妥当だと
prima facieには言ってよいと思います。命題の解釈の妥当性は、そもそも言語使用
者により証明されるのではなく、言語使用者により見て取られるものです。
 
それでは、negの議論をどう扱うかが問題になります。
 
(ところで、そもそもこのラウンドでnegが「organ=オルガンというのが唯一妥当な
解釈と主張している」のかどうか私は疑問です。少なくとも文字通りそのようにはデ
ィベータは言っていないと思います。
さて、仮に文字通りそう言われているとして、果たしてそれに根拠が与えられている
かというと、全然そうではない。唯一性など示されたのはみたことはないし、affが
普通に妥当と思われる解釈に従っている場合、ほとんどの場合それを示すのは不可能
でしょう。)
 
Negの議論は、affの解釈が自明に妥当とするprima facie judgment(これ自体は
defeasibleである)に対する反証となるのでしょうが、それがそもそも反証とはなり
得ないということが分かった時点で、上記の推定を与えられた判断の妥当性は、その
まま動かない訳ですから、それを改めて検証し直す必要はない、ということです。
 
 
 
もっとも、命題が未知の言語で書かれている場合には、最初から何らかの論証的議論
により解釈の妥当性が示される必要はあるでしょう。しかし、その場合は、その言語
の使用例を組み尽くして、その真理条件を確定するという作業が必要でしょうが。
しかし、我々が英語でディベートする場合、ディベータ及びジャッジは、英語のcomp
etent speakerであることを一応は前提していると私は思いますが。
(とはいえ、この前提はひょっとしたら共有されていないのかも。かなりのディベー
タにとっては、ディベートのコンテクストを離れての場で、命題の意味は、一見して
明白ではないのかも。だとすると、つまり、ディベータの中には、radical translat
ionを行うような立場で命題に対している人もいるとすると、一見するとどうしよう
もない彼らのtopicality議論の動機も理解されなくもない。)
それに、現実には、一応英語をしゃべっている以上、命題が全く未知の言語で書かれ
ているとする立場には難があると思います。
 


 

Date: Sat, 29 Jun 96 13:10:54 JST

Subject: [JDA :1344] Re: Q&A;(Contextuality)

 
Y.K様
 
S.Yです。
 
>planが提出される以上、「最後までディベーターから解釈が提示されない」というこ
>とはあり得ません。一旦planが提出されれば、ジャッジは、最初のplan及びそれに伴
>う諸発話から、planのtopicalityについてprima facieに判断できるはずである、と
>いうのが私の主張です。
>そこで人為的にそのように定めることは、実際の言語理解に反することで意味がない
>と思います。
 
1. 肯定側は、プランによって肯定側の解釈を間接的に立証していると考えるべきか。
 
 おっしゃるとおり、肯定側がプランを提示することによって自らの解釈を間接的に
立証している、との立場をとり、肯定側がどのような解釈を行っているかをジャッジ
が推定することは可能でしょう。
 
 問題は、このような立場をとるべきかどうかでしょう。
 
 もし、ジャッジがプランから肯定側の解釈を推定し、それがprima facieか否かで
あることを自ら判断してしまうことになると、以下のような問題を生じるでしょう。
 
 例えば肯定側がびっくりケースを出し、ジャッジがプランから肯定側の解釈を推定
し、それがprima facieで無いとジャッジが判断した場合、否定側がtopicalityの議
論を提出していなくても、肯定側のプランはtopicalでないと判断され、肯定側は、
負けることになるでしょう。
 
 これはいきすぎたジャッジの介入といわざるを得ないでしょう。
 
2. もし1.のように考えるならば、ジャッジが推定した解釈をディベーターに明
示する必要がある
 
 もし、ジャッジが積極的にディベーターの意図を推定する場合は、ジャッジはディ
ベーターに対する不意打ちを防ぐため、ラウンド中に自らがそのような推定を行って
いることをディベーターに認識させ、その推定された解釈に対して防御の機会を与え
る必要があるでしょう。
 しかしながら、これは、現行のフォーマットでは不可能でしょう。
 


 

Date: Thu, 4 Jul 96 23:41:03 JST

Subject: [JDA :1371] Re: Q&A;(Contextuality)

 
>>planが提出される以上、「最後までディベーターから解釈が提示されない」というこ
>>とはあり得ません。一旦planが提出されれば、ジャッジは、最初のplan及びそれに伴
>>う諸発話から、planのtopicalityについてprima facieに判断できるはずである、と
>>いうのが私の主張です。
>>そこで人為的にそのように定めることは、実際の言語理解に反することで意味がない
>>と思います。
>
>1. 肯定側は、プランによって肯定側の解釈を間接的に立証していると考えるべきか。
>
> おっしゃるとおり、肯定側がプランを提示することによって自らの解釈を間接的に
>立証している、との立場をとり、肯定側がどのような解釈を行っているかをジャッジ
>が推定することは可能でしょう。
>
> 問題は、このような立場をとるべきかどうかでしょう。
>
> もし、ジャッジがプランから肯定側の解釈を推定し、それがprima facieか否かで
>あることを自ら判断してしまうことになると、以下のような問題を生じるでしょう。
>
> 例えば肯定側がびっくりケースを出し、ジャッジがプランから肯定側の解釈を推定
>し、それがprima facieで無いとジャッジが判断した場合、否定側がtopicalityの議
>論を提出していなくても、肯定側のプランはtopicalでないと判断され、肯定側は、
>負けることになるでしょう。
>
> これはいきすぎたジャッジの介入といわざるを得ないでしょう。
>
 
先ず、私が上記のことを書いたときのコンテクストを確認しておきます。
そもそも、この一連の話では、通常の理解に於いて妥当な解釈例を肯定側が出してい
る場合について考えていました(「臓器」を「人体内部の器官」として解釈している
場合)。こういう場合には、judgeは、planから肯定側の解釈の妥当性を推定でき(p
rima facieな判断を下すことができ)、irrelevantな定義をnegが出して、それがそ
のprima facie judgmentを阻却しないとaffがしめせば、それ以上affがすることはな
い。こういう話でした。
(それから、細かいことですが、私は、'prima facie'という語を本来の意味で使用
しています。「解釈がprima facieに妥当かどうか」というときの意味です。「解釈
がprima facieである」とディベート関係者により言われるときの意味でではありま
せん。)
 
さて、おっしゃるような場合は、二通りあります。
 
1)planにより示される解釈が明らかに妥当でないと思われる場合
2)planにより示される解釈が妥当かどうか分からない場合
 
1)の場合、judgeは解釈が妥当でないという推定を持つことになります。しかし、否
定側が何の議論も提出しなければ、そもそもその議論は判断材料にならないわけです
から、自動的に「命題解釈が妥当でない」という理由で否定側が負けることにはなり
ません。
 
2)の場合、judgeは、解釈が妥当だという推定を控えることになりますが、妥当でな
いという推定も立てません。このとき否定側が議論を出さない場合、命題解釈が妥当
かどうかについては不明であるという結論をjudgeは最終的には持つことになり、そ
の試合の判断には命題性は考慮しないことになるでしょう。
 
これらの場合には、議論されないことは考慮しないという、議論を行う手続きやディ
ベートの判定に関するルールがそもそも、発動されるでしょうから、問題は出ません
。(肯定側の解釈が一見して妥当であると判断される場合でも、否定側から議論が出
されないときには、当然その推定は立てられても使われないでしょう。)
推定を立てることと、最終的にその通りに判断するかどうかは、別です。
 
因みに、否定側が少しでも議論を出せば、それぞれの場合に推定は発動されるでしょう。
1)、2)の場合には、否定側は、通常とは逆に、肯定側に自らの解釈の妥当性を説明す
ることを求めることができるでしょう。
そして、肯定側の説明の詳しさの程度への要求は、1)の方が高くなるでしょう。
これは、これとしてpresumptionとburden of proofとの一般的関係に従うもので、問
題ではないでしょう。
 
私が引用された議論で言っていたのは、一見してある命題解釈が妥当と見なし得る場
合に、人為的な手続き規則によりそれを控えることは手続き規則の濫用である、とい
うことです。
当事者主義等の議論上の手続きに関する原理は、最小限にのみ使用されるべきでしょう。
 
 
Y.K
 

 

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