JDA推薦論題策定
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第二次大戦後のディベート大会の歴史と論題の選定 [井上奈良彦]
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事前に論題を公表し、資料調査やスピーチ原稿など事前準備を十分に行うディベート大会においては論題の選定は、特に重要である。JDAはその発足当時から現在にいたるまで、「推薦論題」の策定を主要な任務としてきた。本稿では、第二次大戦後のディベート大会の歴史と論題の選定を簡単に振り返ってみたい。なお、限られた文献資料と記憶によるものなので誤解があればご指摘いただきたい。また、「プロポジション」・「命題」・「論題」の用語は特に区別せず用いる。 1.朝日討論会など 第二次大戦における敗戦とその後のアメリカを中心とする占領軍の政策は日本の言論状況を大きく変えた。西欧型の民主主義の基盤としての討論指導が注目を集め、各地でディベート大会が開催された。当時の名称は「討論会」であるが、形式はアメリカの競技ディベートに基づくものである。特に朝日新聞社が主催する大学・高校・専門学校(新制・旧制)の学生討論会は1946年から4年間全国大会が開かれ、毎年100校以上(最大規模の1948年第3回大会では208校)が参加した。 この朝日の討論会(1949年要綱)では、地方予選・本大会それぞれにおいて、1ヶ月前に朝日新聞紙上で7論題を発表し、参加チームは内5題に対して予め肯定否定の立場を決めて申し込み、主催者が試合組み合わせを決める。残り2題は組み合わせができない場合の「抽選課題」とされている。論題は多岐に渡り、政策論題も価値論題も取り上げられている。当初、命題の形式でない論題がかなり用いられたが、徐々に命題の形式を基本とするように改善された。いくつか例を挙げると、「死刑廃止の可否」、「宗教で人類は救われるか?」、「日本は外国の侵略に対して再軍備すべし」、「人口過剰抑圧のため産児制限を立法化すべし」、「刑の本質は応報か、教育か?」、「中国の固有名詞をカナ書きにすることの是非」、等等。 1950年の大会は中止となり、この種の討論会は急速に衰退していく。全国規模のディベート大会は1980年代に数年開催された「東西学生ディベート・コンテスト」(サンケイ新聞社と水野スポーツ振興会主催)である。この大会では、スポンサーの意向と推測されるスポーツ関係の論題が毎回採用された。論題にスポンサーの意向が反映するのは、1940年代の大会でも問題視されていたようであるし、1990年代以降の電力会社が大口スポンサーとなる大会でも指摘できる。 2.ESSディベート大会(1980年頃まで) 英語の大会は1950年代以降に開催されるようになる。1950年に発足したとされる「関東地区大学英語討論会」が後IEC(国際教育振興会・日米会話学院)の大会として継続したと考えられる。論題は主催者が選定していた。その後、1970年代の学生英語大会の状況を大まかに捉えると、前期(春期)は、4月のKUEL、5・6月にTIDL/KIDLの大会が主要ある。後期(秋期)には上智杯・各地区大会から東西日本の大会そして全日本大会(後にJUEL主催)となる大会が主要である。1980年代からNAFA系の大会が加わる。これらの大会は、当初主催団体が加盟校の意見を参考に独自に論題を策定していた。全国規模の大会でも団体内部の意思決定は東京近辺の大学の意見が強く反映されていたことは否めない。1970年代後半から主要大会の間で論題や論題領域の共通化が協議されるようになる。たとえば、1978年には上智杯と全日本系の論題領域はともに原子力発電所廃止であった。1979年の春にはKUELもTIDL/KIDLも防衛力増強を扱っている。 3.JDC/JDAによる統一論題 その後、学生団体の弱体化などに伴って、統一論題協議・策定の場はJDAに移る。当初、「日本ディベート協議会(JDC)」という名称が示すように、各種ディベート団体の協議の場とする意向もあったが、設立時には「統一プロポジションの設定」が目的の一つとされている。1986年後期の論題が最初仕事となり、中澤美依氏を委員長とするプロポジション委員会は、4月から10回開催された。学生の調査員の協力や大会主催団体からの意見も聞き、6月30日に海外援助とエネルギーの分野の2論題が最終候補となった。会員の投票により7月14日にエネルギー問題の推薦プロポジションを発表した。同時に、初心者や地域大会を対象として問題領域を限定して「小プロポジション」2題を同時に発表した。 1987年には、議論の質向上などのために通年プロポジションの採用が検討されたが、英語学習のために異なる問題領域を学習できることなどの理由から学生団体・理事ともに反対が多く見送られた。その後、1988年後期(秋期)論題では、会員による投票の是非が問題となり、結局、委員会から単一候補(環境保護問題)のみを提示し、会員の信任投票が行われた。この論題は、引き続き1989年度前期(春期)の推薦論題として使用され、実質的には通年論題となった。以後、1993年前期まで通年論題が続いた。 1993年後期論題は、次年度から同一年度前期後期にまたがる通年論題への移行のために半期論題とされたが、その後検討を経て半期論題が再び定着した。また、会員による投票も1994年前期論題から再び複数候補を提示して行われるようになった。さらに、論題の日本語版発表(後に日本語文が主となり英語は従となる)、いわゆる「小プロポ」の発表がなくなる(推薦論題自体が小さな領域を扱うものが増えた)、などの変化が生じている。 この間、縮小傾向にあったIECの大会はさまざまな大会形式を模索するなかで、「プロタゴラス方式」(主催者が論題資料を提供する)による複数論題の使用も試みられたようである。 4.論題作成にかかわる要素 まとめに代えて、JDAのディベート大会の論題策定過程に関係する主要素を考える。一番大きなものは、もともとESSの英語ディベートという「英語学習」の一環として位置づけられていたディベートが「議論法の訓練」というある意味で本来の目的に目覚め、その目的を追求するかどうかの葛藤があったと言える。議論法の訓練としてのディベートは独立して存在しうるほどには定着せず、ディベートは常に英語訓練・時事問題学習・広くコミュニケーション技能の訓練などを目的として実践されているのであるから、論題の策定にもさまざまな要請が加わってくる。一方、ESS系のディベート大会主催者は、主体的に論題策定を行う立場から、推薦論題の使用者・消費者としての受身の立場に立つように変化した。ESS全体の弱体化の問題とともに、論題は「JDAから与えられる」という意識が定着してしまった問題がある。プロポジション委員会を中心とする専門家主導での適切な論題推薦という考え方と、複数論題案による会員投票という大衆参加型の決定過程という対立軸も、策定過程の変化の重要要素であった。 このような問題は、ここ30年来の日本の競技ディベートの変化と密接に関係している。英語重視から議論重視への転換、アメリカNDT系ディベートの影響、政策論題を扱う準備型ディベートにおける議論法の複雑化、NAFAの設立、議論重視の行き過ぎによる特殊化と人口減少、日本語ディベート・英語パーラメンタリー・ディベートの増加、等等。 (いのうえ ならひこ JDA九州支部長・九州大学教授) |
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Some Reflections on Proposition Selection in Japan [Fr. Scott Howell] |
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The homepage of JDA includes a list of most of the policy debate propositions used in student tournaments since 1950. Behind each of these propositions, areas, and wordings lies a story. Some group of Japanese, perhaps assisted by a few native speakers of English, worked under considerable stress to produce a good proposition. Usually they succeeded. For at least twenty-five years after the first post-war policy debates in Japan (1950), each tournament in Japan used a proposition that was created for that tournament by the language school or student league that was managing the tournament. This was part of the responsibility of the persons in charge of the tournament. They received valuable help from the persons who had run the tournament the year before, but excessive influence from older debaters was considered interference. A few judges, perhaps those who had judged the final rounds in previous years, might be asked for some feedback. The student committee members were especially uncomfortable with the tasks involved in creating a suitable proposition in English for policy debates. They themselves were not yet champion debaters. Each idea that came to them had the name of an individual or a university attached, so it was impossible to evaluate the area or the wording impartially. Everyone knew that a good policy proposition was worded so that both sides had access to more or less equal amounts of reliable evidence. But very few students were willing to do serious research on an area until AFTER the proposition was announced. So there was no stock of good areas for debate, except for the always reliable right to strike of JNR workers. Into this unhappy situation came several trios of American debaters plus a coach. The early trios were very influential in improving the debate traditions in Japan. They switched us out of summaries and into rebuttals. They gave us plan attacks and prep time. These Americans were effective because they were powerless. They suggested and explained what they had been doing in America. It was up to young debate leaders in Japan to change or not. Thus in the 1980s the debate community in Japan was ready for semester-long propositions that would be used by most tournaments. JEFA board members were in agreement, but we did not have the background in the current affairs of Japan that was needed to do research on areas that MIGHT be suitable for policy debate. Into this crisis stepped the Proposition Committee of the Japan Debate Association. The strengths of the current propositon selection process include fairness, sensitivity to possible negative attack strategies while the wording is being decided, and openness to suggestions about wording and about areas, for the near-term future of policy debate in both languages. Two or three of the JDA members are always on this committee, but such older coaches are similar to the visiting Americans: we all love debate and we have no axes to grind. The wisdom and experience are complemented by the energy of the volunteer young researchers and tournament managers. We have been doing our best for a long time and we will continue! (スコット・ハウエル神父 JDA副会長・上智大学教授) |
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ディベート界の「公共財」としての統一推薦論題 ――その作成過程の変遷と今後の課題 [矢野善郎] |
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日本ディベート協会(JDA)では,その旧名である日本ディベート協議会が創設された頃より,各大会運営者が一定の期間,統一した良質な論題(プロポジション)を使ってディベートが行えるために,大学英語ディベート団体等や有志との協力の下,推薦論題を公表するという活動を行ってきた。この小論では,この統一推薦論題を作成する過程がどのように変遷してきたかを,最近10年間に焦点を当てて検討し,今後あるべき姿を考えるための一助としたい。 私見では統一推薦論題の意義はほとんど疑いないのだが,現実には推薦論題を作成・発表するという活動は,多大な人的コストを払っているのに対し,ほとんど全く物質的・精神的な報償のえられない,報われないボランティア活動となっている。この制度の維持に腐心してきた一人の当事者の本音としては,いつ作り手がいなくなってもおかしくなかったのに,よく持ちこたえてきたなと言うのが正直な感想である。そこでまず,そもそも統一推薦論題を維持すること自体にどれだけの意味があるのかを考察するところからはじめたい。 1. 統一推薦論題の四つの機能 競技形式をとる教育ディベートにとっては,事前に慎重に吟味され公開された論題が不可欠である。しかし,統一論題がなかった時代には,こうした論題は各大会や各学校などが各自作成して発表していたのであり,論題作成に一つの団体が関わることも,それがJDAであることも実は必然性はない。もっとも,各ディベート団体・大会運営者が協力し,特定の期間同じ論題を採用することには,明らかなメリットがあり,統一論題には「公共財」と呼ぶべき性質がある。一つの団体が作成の核として統一論題を推薦することが,ディベート界に果たしている公共的な役割(機能)は,以下の4つに整理されよう。 @作成コストを削減する**経済的機能**:各団体・大会運営者が使用する論題を一から作成することは大変であり,使用論題をある期間統一できれば,各団体の作成コストを軽減することができ,ディベート界総体としてはかなりの労力を省くことができる。 A反復学習を可能にする**教育的機能**:各大会がバラバラの論題を採用し,一つの論題を一大会の数試合行うだけだと,実際にはテーマに振り回される形で,表面的な議論に終わる。ある期間を通じて同一のテーマでディベートを行うことにより,前の大会・試合の反省が容易となってトレーニング効果が高まるとともに,討論テーマの本質に近づき理解を深めやすくなる。 B論題自体の**質の維持・向上機能**:ディベート学習上,使用論題の選定にあたっては主に三つの要素について熟慮する必要がある。a)肯定否定のバランス,b)十分に客観的な根拠に基づいたディベートが可能かどうか,c)学習上の有用性(その問題域について議論することの社会的有用性)。論題作成に,一部のメンバーが継続的に関わることは,こうした熟慮を容易にする。つまり知識の継承により欠陥の発見可能性が高まるとともに,長期的視野にたって統一論題を発表しやすくなる。とりわけ経験の少ない学生だけで決めていた場合に比べ,例えばテーマの多様性が確保と,短絡的な判断の回避がしやすくなる(ただしメンバーの緩やかな交代は必要である。長期的に不承不承特定のメンバーが関わるならば,マンネリ化やモーティベーション低下に陥る)。 Cディベート界の交流を活性化するを**統合的機能**:諸団体が力を合わせて論題を統一することにより,参加者は様々な大会に出場しやすくなるとともに,特定のサークルや特定の(思想的・宗教的等の)偏った活動に有利になるような論題が採用されているのではないという大会開催上の公平性・正当性がアピールしやすい。また資料準備等のポータビリティが高まり,例えば日本語・英語団体の垣根を越えるなど,諸分野がお互いのディベート形式を参照しあうことで,局所的に悪弊が伝統化する「タコツボ化」現象を打破する可能性なども高められる。統一論題は,ディベート界全体の活性化にも寄与しうる統合的なメディアとしての可能性を秘めているのである。 2. 論題作成過程の歴史的経緯 統一推薦論題の以上のような機能は,必ずしも明確にではないにせよ,多かれ少なかれJDA理事には共有されてきた。そしてJDAが音頭取りとなり,20年近くにわたって統一論題が発表されてきた。しかし,言うまでもなく,これはJDA単独で作成されてきた訳ではない。 当初は,JDAはむしろ調整役であり,NAFA・KUEL・TIDL・KEL・KJDLなどの英語ディベート・ESS団体(現在では消滅してしまった団体もあるが)からそれぞれ派遣された代表と,一部のボランティアが分業して調査などにあたっていた。JDAは,団体間の協議を円滑に進めさせ,文言上の助言を与え,公表する部分を担っていたに過ぎないとも言える。ところが統一論題の作成過程は,この20年間に以下の五つに要約される変化をたどった。そのうちの一部は意図的な制度的変更の結果だが,やむを得ない現状の追認も多い。 第一の変化は,会員投票の実施である。94年秋よりJDAは推薦論題の最終選定に会員投票を取り入れた。2つないし4つの論題案候補を毎期作成し,最も信任票を集めた候補を推薦するという形で,多少の変更があるにせよ,現在に至っている(厳密には,87年頃に一般投票が取り入れられたことがあるが,その時点では定着していない)。投票では実際に使用する団体票がより大きく選定を左右するような制度になっている。これはJDA会員への便益提供の他,会員の賛同を背景においた推薦上の正当性確保,会員における当事者意識の涵養などを狙ったものである。建前上は毎回数個新しい論題候補をあげることを目指してきたが,複数候補をあげる分どうしても作成コストがかかり,現実には作成人員・時間不足のため,前の期に落選した2個をやむをえず候補とするというシーズンまであった。 第二の変化は,問題分野を指す「エリア」的な論題から,一義的な政策を指す「プラン」的な論題へと,つまりディベート内容がより具体的に特定できるような論題が推薦されるようになったことである。前者のエリア論題というのは,例えば「日本政府は,環境を保護するために企業を規制すべきである」などの曖昧な政策方向性を示すものである。実際のシーズン中は,例えばフロン規制・環境税・原発廃止のようなメジャーなものから,尾瀬沼保護,ひいてはチェーンタイヤ規制まで,環境規制に関わるという名目で,個別のプランが,それこそ使い捨てのものも含めば数百に及ぶほどに提出されていた。こうしたエリア論題は,米国の大学リーグとりわけNDT的な論題に倣ったものである。NDTでは一年を通して同一の論題を使用するので,シーズン末に議論が煮詰らず飽きないような工夫として解釈幅のある論題を採用し続けている。 日本でもおよそ80年代から93年までは,エリア論題を採用していた。その時期,粗悪な肯定側ケースが乱発と,否定側も汎用性のある粗雑な議論(ジェネリック・アーギュメント)で対応するという悪循環が見られた。つまりトピカリティだのGrowth DAだの肯定側議論の実質的な中身をほぼ無視して試合が進み,粗悪な議論が淘汰されず,教育的機能が阻害される傾向が見られた。また,過度に膨大なディベート領域を前にして,初心者や人数の少ないサークルなどが萎縮してしまう傾向もあった。そのためJDAでは,この時期,一般向けの論題とともに,初心者大会(例えばKJDLの大会)向けに領域を狭くした「小プロポ」を発表することもあった(一般向けの推薦論題は「大プロポ」と俗称されていた。人によっては93年までの論題を「大プロポ」,それ以降を「小プロポ」と呼ぶ人もいる。歴史的経緯を無視した呼び方であることに注意)。 エリア論題が弊害をもたらしうるという批判をふまえ,94年頃からは(多少の例外はあるものの)例えば「遺伝子組み換え食品の輸入・製造の禁止」など,場合によってはプランの大枠がほぼ特定されるようなプラン論題が主流になってきた。なお作成上の観点からすると,プラン論題は,文言上の曖昧性が生じにくいので,一般的にはエリア論題よりは作成コストは低く,そうした観点からもほぼプラン的な論題を推薦することが定着している。 第三の変化は,論題の通用期間が半年になったということである。米国のNDT等では一学年を通して同じ論題で大会を開催するが,日本では,現行は半年ごとに推薦論題を作成し発表している。は日本でも,88年後期から93年前期までは,論題をNDTに倣い通年(秋から春までの一年)用いていた(細かいことを言えば,88年後期の「環境」論題発表当初は,通年使用は予告されていなかった。また93年後期論題「法的責任年齢の引き下げ」も,当初は半年の論題として発表されたわけではない)。通年論題の狙いは,議論の淘汰が半年では進まないので,一年続ければより洗練されたディベートが体験できるはずだというものであった。また論題作成コストの軽減も図れた。しかし,所定の効果はあまりあがらない反面,しかも後の半年はマンネリ化が進んだ。結局半年ごとに切り替える方が,学生が体験できる問題領域の数をほどよく増やせるという側面や,プラン論題に推薦論題の主流が移ったことによる「煮詰まりやすさ」を軽減する側面を重視し,半年ごとに推薦する制度が定着している。 第四の変化は,日本語論題の作成である。95年よりJDA主催で日本語ディベート大会が開かれるようになった。また全国教室ディベート連盟の「ディベート甲子園」の開催にともない,従来までの大学英語ディベートだけでなく,広く社会人・大学生による日本語ディベート需要が目立つようになった。そこで推薦論題の日本語版を,公表するようになった。当初は英語論題から付随的に日本語論題を発表していただけだったが,現行ではむしろ日本語で論題候補を作成し,それらで投票・決定を行い,最後に英語論題化作業を行っている。これは英語論題作成のコストの軽減に繋がっている。なお次に見るような英語ディベート団体の作成関与低下を考慮し,一部理事からは,そもそもJDA推薦論題はJDA主催の日本語大会のために作成しているのだから,英語論題の作成からは手を引くべきであるという見解も示された。だが,それは必ずしもJDAとしての共通見解とはならず,結局JDAは英語論題の作成にも責任を持って関与し続けている。 第五の変化は,作成にあたるメンバー組織が,当初のディベート団体代表の集合でなく,純然たるボランティアに近くなったという変化である。これは意図的な制度上の変更では全くなく,やむを得ずそうなってしまった変化である。ディベート団体によって義務的に派遣されてきた代表は(徴兵制軍隊と同様に)必ずしも意欲も関心も能力もないこと,そしてもう一つはNAFAを除く英語ディベート団体が消滅・弱体化して代表を派遣できなくなったことが原因である。一番ひどい時期にはJDA理事以外は全て無断欠席という有様であった。現在に至るまで学生団体の一部には,論題作成は閉鎖的に行われていると非難めいたことを口にする場合があるが,これは自己の責任回避のための(当事者からみると卑怯で見苦しい)方便に過ぎず,実態からは遠くかけ離れている。全ての委員会日程は,完全に公開されJDAでは常に参加を呼びかけてきたし,呼びかけに集まった一部の高い志をもった少数の学生ボランティアの協力によってかろうじて作成活動が維持されてきた。 もっともJDA理事以外には恒常的・安定的なマンパワーの供給源は保証されていないのが実情である(NAFAと,日本語ディベート団体であるCoDAには代表派遣の「義務」がゆるやかに科されているが)。しかもJDA論題委も「誰かがやらないとつぶれてしまう」という責任感だけで長年継続的に作業してきたのも現実である。マンパワーの確保の問題は,統一推薦論題制度の維持にとって最も根本的な課題となっている。 3. 現行の論題検討過程と将来の展望 こうしたマンパワー上の現実をふまえ,私が委員長を務めた03年前期に,JDAでは論題作成体制の変更を試みた。次のように三つの問題群を受け持つ大まかなジャンル班に分業し,それぞれの班が一つずつ投票候補を提案するという体制である。 a) 国内マクロ問題班 ― 行政・司法・経済などの制度的(国家体制的)問題群 b) 国内ミクロ問題班 ― 文化・教育・科学・環境・医療・労働問題などより生活に関わる問題群 c) 対外・外交問題班 ― 外交・軍事・通商・援助など国際的問題群 これは分業と論題の多様性を確保するための工夫である(もちろん,こうしたジャンル訳は便宜的なものであり,どの問題はどの班と厳密に決まるものではなく,適宜調整する)。 三つの班の班長には,20才代後半くらいの若く責任感のある元ディベーターの社会人の方になっていただき,JDA理事とNAFAや学生の有志の方との橋渡しを行ってもらった。そして,それぞれ担当班でメール等で議論を進める形で,最小回数の会議で済むようにし時間コストの軽減に努めた。 まだ数年しか続いていないので,結論をだすことは早急だが,一部の学生とJDA理事に過大な負担となっていた以前の状況に比べ,新鮮なアイディアに基づく良質の候補が,より活気のある雰囲気の中で活発に審議されるようになってきたと個人的には考えている。 こうした方向性は,師岡理事を委員長とする昨期からの論題作成委でも精力的に引き継がれている。今期からは,さらに過去の論題作成で不適当とされた論題案などについての知識の電子データベース化も始まっている等,より過去の経験が生かされやすくなるような工夫も始まっている。ただし作成メンバーが入れ替わりが行き過ぎたことにより継続性のメリットが失われていると言う指摘も受けている。また相変わらず,限られた有志のマンパワーで作業が行われているという構造は根本的には変わらず,そこは今後の課題となるであろう。 最後に,この点について付言しておきたいことがある。論題作成は基本的に手間もかかる割に報われない作業であり,その「報われない」という理由のために継続的な担い手が現れにくくなっている点は否めない。一般的に無償のボランティア活動の活力源は,唯一賞賛の言葉だけである。だが推薦論題のできが良くても,問題がなくても誰も作り手を褒めない。ただし協力もしないのにさして根拠もない文句だけを言う矮小な輩は存在しているので作成活動を継続する動機付けが得にくい。ボランティア的に論題の作り手を確保するためには,こうしたマイナスのモーティベーションが付与されることは厳に抑制すべきであろう。 そのためには基本的に二つの原則を共有することが肝要である。第一に,汗をかかないなら文句は言わないということを全員がもっと自覚すること。仮に,現行の作成過程に問題が仮にあるなら自らが継続的に参加することで問題解決を図っていくこと。既に述べたように論題作成は,全くオープンであり,やる気さえあれば誰でも大歓迎される。 第二に,より重要なことだが,推薦論題だけを過度にスケープゴートにしないこと。推薦論題は,ディベートの方向性を決めるのに影響はするが,ディベートの質を決めるのは,決して論題だけでなく,どちらかというと使っているコミュニティ自身であること。例えば,論題のせいで「炭素税」に関するディベートが,禁煙ディベートになっていたと言う文句を大学英語ディベートでは聞いた(喫煙も二酸化炭素をだしているという詭弁でそうなったらしい)。経験上言えることは,こうした,いわば「病理的」なディベートを排除するために,どれだけ論題の限定句を増やしたりしても,コミュニティがしっかりしていないなら別の病理を呼ぶだけである(例えば別種の粗悪なケースや,粗悪なトピカリティが乱発されやすくなる等)。 もし論題そのものが実際に(想像上だけでなく)弊害を確実に生み出しているなら,大会主催者は,シーズン中にでも使用論題を変更するよう自主的に動くべきであるが,それより重要なのは,珍奇な言語解釈に基づく詭弁を排除するように,ジャッジが批判能力(とりわけ英語批判力)を鍛え,粗悪な議論の淘汰圧を高めることであろう。そして個別の学生ジャッジが期待できないなら,大会主催者が,強い態度で,「以下のような肯定側立論は,大会の趣旨にふさわしくないのでルール上禁止する…」などと大会要項に書き加え,ジャッジにもディベーターにも禁止事項を徹底するなどの措置をとるべきなのである。 統一推薦論題は,ディベート界が健全に機能するために役に立つ重要な公共財だが万能ではない。それは,綺麗な空気・水や治安等と同様に,使用者を排除しないと言う意味でもまさに公共財だし,維持コストを払わないフリーライダーや悪用者が生起しうるという点で,他の公共財と同様のジレンマを抱えている。ただし皆がフリーライダーになっては,公共財は決して維持されないこと。このことは,ディベート界の誰もが肝に銘ずべき事柄であろう。 (やの よしろう JDA会長・中央大学助教授 1992年より論題作成委員会に関わる) |
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論題作成に参加して [久保健治] |
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今回でJDA論題作成に関わって二回目になる。私が関与してきたのは日本語ディベートである。大学日本語ディベートそのものの歴史ははっきりいって浅いと思う。もしかしたら、知らない方も多いかもしれない。それを反映するかのように、論題作成に参加する日本語ディベートコミュニティも少ない。それならば、日本語ディベート関係者として何かしらの感想を述べる責任があるのかもしれないと感じ、恥ずかしながらも執筆させていただく次第である。 論題作成に参加する意義は、矢野JDA会長の「論題はディベート界の公共物である」との言葉に凝縮されていると思う。そこで、私は少し視点を変えて論題作成に参加するメリットを考えてみたい。 ディベートが論題を議論するという性質を強く持っている以上、論題の作成というのも実はディベートの力をつけることになるだろう。安直な発想ではあるが、例えばトピカリティの議論等は論題の言葉に関してするどい感性を持つことが必要である。ディベートにおいて論題について語られる言葉の厳密さは、非常に厳しいものであることは周知の事実であるが、それですら与えられた論題が存在している。しかしながら、論題作成における言葉の定義の厳密さは無からの創造であり、公平を期すため一層厳しいものになると思われる。実際に私が参加した、論題作成の時も言葉の定義に関しては本当に注意したし、よりよいものを目指して何度も言葉の変更があった。特に、英語で論題を作成する際のハウエル副会長によるアドバイスはネイティブならではの細かな言葉の違いが感じられ、たいへんに勉強になった。このような体験は、日本語ディベートでは特に、トピカリティの議論はまだ盛んではないので日本語ディベートコミュニティにとっては、いい勉強の場になるだろう。 また、トピカリティというだけでなく論題の作成に関与することで多くの人たちとの出会いがあることも忘れてはならない。英語、日本語ディベートの関係者もいれば、現役ディベーターやOB・OGもいる。そして、その人たちと論題作成について語っていく中で論題作成の事柄だけではなく、自分自身が思いもよらないアプローチやディベートの技術を習得できるかもしれない。すくなくとも、各班の発表を聞いているだけでもその人たちのリサーチの仕方や論題分析のパースペクティブを知ることが出来ると思う。異なるディベート団体や、普段ジャッジでしかしらない人たちとの出会いは普段の活動ではなかなかないものであるから実に刺激的である。私自身もこの論題作成を通じて新たな人たちとの出会いがあり、多くの刺激を受けた。 このように、論題作成に参加することは単にディベート界への「ボランティア」ではなく、自分自身のディベート能力のさらなる向上に役立つことにもつながることなのである。 論題作成の場ではディベーター達との新たな出会い、そしていつもの出会いがあるだろう。そして、彼らとの議論を通じ新たな発見があるかもしれない。実は、その魅力こそが私を論題作成の場に誘うのかもしれない。そして参加するなかで、論題作成という仕事の大変さと今まで自分が現役だったころ作成してくれていた人たちに感謝の念が沸くのである。新たな出会いへの期待と先輩たちへの恩返し。私にとって論題作成の場は、この二つの感情が入り混じった時間なのである。そして、この文章を読んでくれた人たちとその場を共有できることを楽しみにしている。 (くぼ けんじ 創価大学大学院 CoDA理事・JDA理事) |
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Nより良い論題作成のために [安藤温敏] |
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論題作成委員会の活動は、JDAの活動の中でも比較的地味なものに分類されると思います。しかし、他の活動と異なり、論題作成は、ディベートに関する知識・能力が最も要求される活動だと思います。良い論題を作成するためには、論題候補となったトピックに関するリサーチが不可欠ですし、さらにリサーチによって得た資料から、どのような議論が考えられるか、予想する能力や、肯定・否定のバランスがうまく取れるようなワーディングを考える能力も要求されます。このような作業をさまざまなトピックに対して行っていくため、人手も必要です。 私は春期大会のマネジメントにも関わっていますが、大会マネジメントをいくらやっても私のディベート能力が上達するわけではありませんし、全くディベートのことを知らない人でも、大会のマネジメントはできると思います(とはいえ、大会のマネジメントには、また別の面白さもあるのですが、それはここでの本題ではないので、言及しません)。 この文章を読んでいらっしゃる方は、かなりの確率でディベートをある程度経験された方でしょうから、そうした経験が最も生かせて、ディベート界に最も貢献できる活動の一つが論題作成である、ともいえるでしょう。 そんなことを言っても、自分は論題作成委員会に参加する時間もないし、遠隔地に住んでいるから…と、お考えの方も多いと思います。しかしながら、必ずしも最初から最後までどっぷりと論題作成委員会の活動に参加しなくても、貢献の道はたくさんあると思います。 例えば、論題作成のプロセスは、トピックのエリアとして、どのようなものが考えられるか、というアイデア出しに始まって、候補となったエリアのリサーチ、論点の抽出、ワーディングの作成、と続くわけですが、このうちの一部だけ、例えば、論題候補のエリアをいくつか提案する、とか、1つか2つのエリアについてのリサーチを行う、といった協力だけでも、非常に助かります。 また、今は直接会合に参加できなくても、ネット上でリサーチも議論もできるので、遠隔地に住んでいることが、必ずしも障害とはならない時代になってきていると思います。そして、投票が行われ、トピックが決定した後の、細かいワーディングを詰める作業においては、より多くの人が厳しい目で論題を吟味する必要があると思います。これに関しても、開票当日(近年は、休日に設定されていることが多い)だけでもSJハウスにちょっと顔を出して…というのが無理であれば、あらかじめ論題候補が発表された段階で少し意見をいただけるだけでも、だいぶ状況が変わるのではないかと思います(現に、そうしていただいた意見をもとに論題の文言が変わった例もあります)。 無論、論題作成委員会の側でも、こうしたスポット的・遠隔地からの参加を促すような施策は必要でしょう。例えば、論題のエリアに関するアイデアは、一年中いつでもHPから受け付けられるようにしておくとか、こまめに情報公開するとか、開票結果が出た後に、オンライン上でワーディングを吟味できるような機会を提供するといったことが考えられ、一部は既に実行に移されつつあります。また、一部では、現役ディベーターの間で論題のワーディングに関して、ネット上で話し合う場が設けられたりしているようです。このような動きがもっと大きくなり、論題作成委員会の活動に反映されるようになれば、より良い論題ができ、実りあるディベート活動につながり、それがさらに論題に関する議論を活発にする、という、良い循環を作っていくのではないかと思います。 かくいう私も、まだ論題作成委員会に参加したのは2シーズンだけ、しかも最初のシーズンは途中からの参加、次のシーズンは途中逃亡という、なんとも中途半端な関わり方しかしていません。次回以降もきちんと参加できるかどうかは分かりませんが、少しでも良い論題を作る事に貢献できれば、と思っています。 (あんどう あつとし JDA理事・キヤノン(株)勤務) |
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