2004年度日米交歓ディベート活動報告

 

是澤克哉

(Debater, 2004 Japan /US debate exchange)




JDA日米交歓ディベート委員会はアメリカのNational Communication Association, Committee on International Debate and Discussionと共同で3月4日から4月1日までの日程で、日本代表ディベーターによる全米ツアーをが行われました。

以下に、今回の日本代表の一人である、是澤克哉からの報告を掲載します。
報告内容

はじめに

 

2004228日から44日の日程で米国コミュニケーション学会 National Communication Association (NCA)と日本ディベート協会 Japan Debate Association (JDA)共催で2004年度日米交歓ディベートツアーが行われました。このツアーは、米国コミュニケーション学会と日本ディベート協会が主催する交歓プログラムの一環として隔年に開催され、日本におけるディベートの普及とディベートを通して日米の草の根レベルでの交流に多大なる実績を残しています。今回のツアーでは西海岸から東海岸まで全米約15の機関を周遊し、各地でディベートその他行事に参加するという内容でした。行く先々で歓待を受け、一生に一度経験できるかできないかという貴重な、そして大いに勉強になる体験をさせていただきました。このツアーに参加するという素晴らしい機会を提供していただいた日本ディベート協会、とくに日米交歓ディベート執行委員長の臼井直人先生への感謝を兼ね、このツアーでの体験と感想をここに報告したいと思います。

 

 

1. 論題とディベートの形式

 

Resolution

今回のツアーでは以下2つの論題が提案されており、主に各ホスト側が好きな論題を選択してディベートを行いました。括弧内はディベートを行ったサイドと回数。基本的にホスト側がサイドとチームの組み方を決定。

 

1. Resolved: That explicit contents in video games should be banned. (Affirmative: 5, Negative: 2)

Parliamentary Debateを中心に活動している大学が主に選択)

 

2. Resolved: That military interventions without the authorization of the UN Security Council should be justified. (Affirmative: 0, Negative: 4)

Policy Debateを中心に活動している大学が主に選択)

 

論題2.に関して肯定側でディベートしたかったですが、ホスト側がアメリカの単独行動主義(Unilateralism)を説明することは僕らの国の責任でもあるという強い理由もあり、結局一度も肯定側には立ちませんでした。


Format

アメリカでは主に2種類の形式を用いてディベートを行いました。

一つはPolicy Debateの形式でスピーチ時間は多少場所によって異なるものの、肯定・否定それぞれ2つの立論と反駁が設けられている形式。準備時間は聴衆ディベートということもあり、なしか短く設定。

 

そしてもう一つはU.S. Parliamentary Debateの形式。以下簡単に記述すると

Prime Minister Constructive- 7minutesFirst Affirmative

Leader of Opposition Constructive- 8minutesFirst Negative

Member of Government Constructive- 8minutes Second Affirmative

Member of Opposition Constructive- 8minutes Second Negative

Leader of Opposition Rebuttal- 4minutesFirst Negative

Prime Minister Rebuttal- 5minutesFirst Affirmative

 

という形式。立論の最初の1分と最後の1分を除き、途中質問があればスピーチ中にPoint of Information(質疑)が可能。準備時間はなし。

 

試合の結果に関しては、挙手で決定したり、肯定・否定どちらかの側に移動してその人数を数えたり、または結果そのものを求めなかったりとそれぞれで、勝つこともあれば、負けることもありました。しかし、ホスト側の共通していた部分は試合の結果ではなく、ディベートの内容や日本のディベート教育に関してなどの質問と応答の時間に重点が置かれていたことです。そして聴衆は常に私たちの味方であったと思います。遠い日本からきて、なおかつ母国語ではない英語を駆使してアメリカ人と議論をするので、その点を好意的に見てくれました。

 


2. Tour itinerary

 

西海岸のカリフォルニア州ロサンゼルスからはじまり、アラバマ、ワシントンDC、ジョージア、そしてロサンゼルスに戻り、南部、中西部、最後にまたロサンゼルスに戻るという行程でした。詳細とディベートの内容は以下の通りです。

 

1. California State University, Los Angeles (February 29th-March 4th)

授業で学生3040名の前でPublic Debateを行う。論題はVideo game、形式はParliamentary debate

 

2. California State University, Long Beach (March 4th-7th)

Cal State Long Beachで開かれた高校生のPolicy Debateの大会をジャッジする。

 

3. Samford University in Birmingham, Alabama (March 7th-10th)

聴衆100~150名の前でPublic Debateを行う。論題はVideo Game、形式はPolicy debate

 

4. The Catholic University of America in Washington, D.C. (March 10th-12th)

学生100~150名の前でPublic Debateを行う。論題はVideo Game、形式はPolicy debate

 

5. Towson State Universityで開かれたJunior VarsityNoviceの大会を見学。(March 12th ?14th)

 

6. University of Georgia in Athens, GA (March 14th-17th)

聴衆200~250名の前でPublic Debateを行う。論題はUnited Nations、形式はPolicy debate

7. State Prison, Lee Arrendale Correctional Facility in Alto GAを慰問。(March 15th)

囚人30名の前でPublic Debateを行う。論題はUnited Nations、形式はPolicy debate

 

8. Los Angeles Valley College (March 17th-21st)

学生100名の前でPublic Debateを行う。論題はVideo Game、形式はParliamentary debate

 

9. California State University, Long Beach (March 21st-23rd)

学生10~15名の前でDebateを行う。論題はVideo Game、形式はParliamentary debate

 

10. University of Arkansas in Fayetteville (March 23rd-25th)

聴衆100~150名の前でPublic Debateを行う。論題はVideo Game、形式はParliamentary debate

 

11. Weber State University in Ogden, Utah (March 25th-28th)

聴衆100~150名の前でPublic Debateを行う。論題はUnited Nations、形式はPolicy debate


12. University of Central Oklahoma in Edmond, OK (March 28th-30th)

聴衆200~250名の前でPublic Debateを行う。論題はVideo Game、形式は立論、反駁それぞれ1回ずつで後は観衆の質疑に答える。

 

13. Emporia State University in Emporia, KS (March 30th-1st)

聴衆250~300名の前でPublic Debateを行う。論題はUnited Nations、形式はPolicy Debate

 

14. University of Southern California (April 1st-4th)

 

 

15. The Catholic University of America in Washington, D.C. (April 4th?7th)

The 58th National Debate Tournamentを観戦 (April 4th?5th)

Urban Debate Leagueの授業を見学 (April 6th)


3. Exchange Tourに参加しての感想

 

アメリカにきて最も強く感じたことは、アメリカは日本と比べディベートが教育の一環として社会にしっかり根付いていることです。ここではSpeech Communication (Debate, Public Speaking, Argumentation etc.)の授業が中学・高校・大学で幅広く提供されています。ジョージア州立大学で対戦した政策ディベートを行っている学生は、中学生の頃からディベートを始めて今年で8年目だといっていました。彼以外でも多くのディベーターが教育機関から奨学金をもらい、大学に通っています。それだけディベートが社会的に幅広く認知され、教育の一環として取り入れられています。(まるで高校野球の特待生のようです。)

 

囚人とのディベート

ディベート教育は高校や大学だけに収まらず、刑務所などの囚人を更生する場でも用いられていました。たとえば、314日から17日までジョージア州のAthensにあるUniversity of Georgiaを訪れていたのですが、そこで刑務所(Lee Arrendale State Prison)を慰問し、囚人たちとディベートをしました。ここアメリカでは刑務所にいてもディベートを学べることに驚きました。ここでの体験を少し書きたいと思います。

 

University of GeorgiaState Prisonが交流を持ったきっかけは、囚人の一人が牢獄で読んだMalcolm Xの本(特にthe civil rights movementの章)に強く影響されてディベートを勉強したいと動機付けられたからだそうです。そこでUniv. of GeorgiaEdward Panetta教授(Director of Forensics)とコンタクトを取り、ディベートを通じた交流が1年半くらい前から始まりました。その交流の一環として、僕らは刑務所を訪れることができたのです。

おおよそ30名くらいの囚人たちが集まってくれました。彼らとは「国連の承認なしの軍事介入は是か非か」でディベートをしました。訪れる前は囚人たちに対して多少偏見がありましたが、ディベートをしてみるとこちらで対戦する大学生とまったく変わらないパフォーマンスを展開していました。

 

途中、対戦相手の一人がフォーマットを勘違いして、憤る場面があったのですが、刑務官にうまく諭され、彼に謝られたときに「No problem! 」と笑顔で返したら、みんなに笑ってもらえました。こちらも混乱して議論がかみ合わないところはありましたが、最後はうまくまとまり、実りの多いディベートになりました。(僕にとって南部のアクセントは聞き取りにくかったです。)

 

終わったあとは質疑応答の時間をとり、今回の議論について、一般的なディベートの質問についてなど様々なことに答えました。こちらも答えるばかりではなく、逆に聞き返したりもしました。たとえば、「ディベートをして良かったことは何か」と質問したら、「今までは一方通行だったけれど、ディベートを通じて相手の意見が聞けるようになった」という話を聞くことができ、ディベートに関する価値観については囚人も日本人も共有できるのだと強く感じました。別れ際に、囚人たちと抱き合い、握手し、お互いの苦労をねぎらいました。この時には最初に抱いていた偏見はなくなっていました。彼らは心から僕たちを歓迎してくれたのです。

 

 

Policy DebaterParliamentary Debater

このツアーで対戦したディベーターの多くが高校・大学で政策ディベートや議会ディベートを行っていました。彼・彼女たちのスピーチは驚くほど洗練されています。緊張しているディベーターも中にはいましたが、私たちとのスピーチ力の差は歴然としていました。そしておそらく日本人が母国語でディベートをしても、アメリカのディベーターのように的確に議論を描写・説明できないだろうと思います。それはパブリック・スピーキングについて中学・高校からしっかりと教育され、議論することに慣れているということが大きいです。

 

ツアーではこの両者とディベートをする機会に恵まれ、大いに勉強してきました。試合を通して実感したのですが、それぞれのスピーチスタイルはかなり異なっています。

Policy Debaterは聴衆ディベートにおいても証拠資料を読み、無駄なく議論を構築してきます。そしてこちらの論点一つ一つに対し落とさずに客観的な資料に基づいて反論してきます。他方、Parliamentary Debaterは自分の議論の描写や説明に長けていて、多少こちらの議論を落としても、観客を引き込むようなジョークや次々とよどみなく出てくる具体例を用いて説得する術に優れていました。自分の議論の論理や相手への反論の点でいうと、Policy Debaterが断然優れていましたが、観客を引き込むスピーチという点ではParliamentary Debaterの方に一日の長がありました。

 

 

Debate Coachの存在

アメリカではディベート活動を行っているほとんどの大学でDebate Coach (Director of Forensics)と呼ばれるポストがあります。彼・彼女たちは主に大学でコミュニケーション学を講義する教育者でもあり、教育の一環としてプロフェッショナルな形でディベート活動に取り組んでいます。さらに大学院生がアシスタントコーチとして、ディベーターの活動を全面的に支えています。アシスタントコーチの役割は様々で、リサーチを専門とする者、スピーチを専門とする者などに分かれ効率的にディベーターを指導する場合もあれば、悩めるディベーターのカウンセリングにあたる場合もあるそうです。そしてこのような指導者たちがトーナメントでジャッジをし、試合の判定とディベーターの教育に継続的にあたっています。以上のようにアメリカではディベートは単なる4年間のサークル活動やゲームではなく、人を育てる教育活動の一環としてコミュニティ全体に浸透していました。

 

さらに、日本と比べものにならないくらい施設も充実しています。今回のツアーでホスト校のディベートの部室(Squad room)を利用する機会が何度もあったのですが、その広さにまず驚き、パソコンを常時インターネットに接続できる環境に感動し、机に積み上げられたEvidenceの量に圧倒されてきました。そしてなによりもディベーターの情報処理能力の高さに感服しました。

 

このようにアメリカのディベーターは人的にも金銭的にも恵まれた環境の中でディベートができるのです。そして彼・彼女たちは大学・その他機関から奨学金を受け、ディベート活動に集中できる環境にあります。大学におけるディベーターの人数は日本と大差ないですが、このような環境の違いに幾度となく驚かされました。これは教育におけるディベート活動の必要性が幅広く社会的に認知されているからに他ありません。私は向こうのディベーターに「日本では奨学金をもらってディベートをする学生はまずいない」ということを話したら、ほとんどの学生が一様に信じられないという表情を浮かべていました。

 

 

Public Debateの魅力

このツアーでは、普段行っているような競技ディベートではなく、Public Debate(聴衆ディベート)を体験してきました。両者の違いはジャッジを対象としてディベートをするか、聴衆を対象とするかの点で異なります。日米交歓ディベートの意義は、ディベートを通じアメリカ人のディベーター、コーチ、観客と歓びを分かち合うことだと思うので、勝ち負けにこだわらず、ディベート・議論の内容にこだわり、そして多くのアメリカ人をEntertainすることを目的としました。

 

これらの目的を達成するためにいくつか事前に準備したことがあります。まず、ディベートの議論・内容にこだわった点でいうと、証拠資料の質の部分です。事前に青沼先生、臼井先生のいる神田外語大学にお邪魔して、Lexis-Nexis AcademicというDatabaseを利用させてもらいリサーチをすすめました。さらにアメリカにきても、各大学の図書館またはディベートチームの部屋のコンピューターを使わせてもらい検索し、多くの証拠資料を集めることに成功しました。そして政策ディベーターの一人として、Parliamentary Debate形式でもちゃんとした証拠資料に基づいて議論したかったという小さなこだわりもありました。もちろんParliamentary Debateをする場合は、その形式に合わせ、ただ証拠資料を読むのではなく、要約や言い換えをしてデータを示し、客観的な見解に基づいた上でディベートしていることをアピールしました。こういった努力が実ったかどうかは分かりませんが、何人かの政策ディベーターやコーチからは「あのEvidenceは良かった」と誉められたのは嬉しかったです。たとえば国連の論題では否定側に立ち、以下の証拠資料を用いて、武力行使はテロリストの被害を増長するということを立証しました。

 

Military interventions escalate the cycle of violence. Violence breeds more violence.

King, Nonviolence for the Third Millennium: Its Legacy and Future; 2000 [Sallie] Mercer University Press ed. G. Simon Harak p.84

 

When individuals or groups are in conflict, each is afraid of something-and, most often, afraid of the other. So every act of violence is almost certain to elicit countervailing violence. Every story the historian tells is likely to be a story of a cycle of violence. This is the basic pattern of causation in human life that is central to nearly all nonviolence theories. As King put it: “Hate multiplies hate, violence multiplies violence, and toughness multiplies toughness in a descending spiral of destruction. ”

 

 

他には国連の軍事承認の必要性を以下の証拠資料を用いて証明しました。

 

The U.N. network is key to establish healthy nations especially after settling the conflicts.

Ghali, the former secretary-general of the United Nations, talks about the benefit of multilateral Fold in 2003.

 

Certainly US action outside the UN would provoke real damage to the international system as such and UN credibility. What is important for a leader, whether an individual or a nation, is to think about the long term. In the short term, a unilateral American operation in Iraq might be a success, but in the long term would be at the expense of international order. There would be more problems without the UN, not fewer. … Furthermore, a unilateralist approach now by the US actually undermines the democracy it seeks to promote around the world. If we don’t promote democratization of globalization, it will demolish democracy at the national level because globalization undermines the legitimacy of governments that can’t cope with problems beyond their scope-whether as a result of capital flows, illegal migration, pollution or terrorism.

In this age of globalization, you can’t have democracy at a lower level, but be undemocratic at the upper level. The UN is one of the chief mechanisms of democratization.

 

以上のように、証拠資料の質にこだわり、それを有効に見せるようなディベートを心がけました。スピーチ力ではまず敵わないと思ったので議論の内容やEvidenceの質で勝負しました。そして日本語の証拠資料は英訳が稚拙な文章になってしまうことをおそれ1枚も使用しませんでした。

 

 

次に目的とした観客をEntertainすることに関しては、場を読むこと、雰囲気をつかむことに細心の注意を払いました。言うまでもなく聴衆ディベートの目的は観客を説得することにあるので、そのためにどのような方法が観客にとって説得的なのかを事前に知る必要があります。証拠資料を読むことが効果的だったり、また身近な例が効いたり、そしてジョークが有効な場合もあります。会場の雰囲気を読むことができれば観客を惹きつけるスピーチができ、優位に議論を展開することが可能なのです。そして以上のことを実行するために具体的にとった行動がいくつかあります。

 

最初に状況を客観的に想像することから始めました。各ホスト校に電子メールで人数やどのような観客が集まるのかを尋ね、教室でディベートするのか、それとも大きなホールでするのかを聞きました。聴衆は主にSpeech Communicationを専攻している学生が授業として来る場合が多かったのですが、時には高校の先生や大学の学長・その他教員、ディベーターの家族や地元の住民などが見学に訪れてくれました。このような聴衆の立場を常に考えながら、スピーチを構成しなければなりません。

 

次に訪れた場所の土地柄を把握しました。この土地柄を理解することは観客をEntertainするには重要な要素だと思います。なぜなら、同じスピーチの内容を発言するのでも、リベラルな考えが強いロサンゼルスで言うのと、保守的な考え方が強い南部のアラバマやジョージアで言うのでは、反応がまるで異なるからです。私は渡米前のオリエンテーションで、元交歓ディベーターの矢野先生から、地方新聞や大学新聞などに目を通したほうが良いというアドバイスを受けました。そして、このことがその土地柄を理解するのに大変役立ちます。つまり、地方新聞や大学新聞は観客の多くの人々が共有している情報なのです。だから、ホテルや大学にある新聞等には必ずといってよいほど目を通し、話の種になるような事件を探しました。見つけた場合は試合でジョークの一つとして使ったり、事件を取り上げて論点を支持する資料に使ったりしました。観客を惹きつけるスピーチをするためには、笑いというのも非常に大切な要素で、笑いが起こったあとは観客もディベートに集中し、こちらのスピーチにより耳を傾けてくれます。

 

たとえば、ある大学でディベートした時は、試合で使えそうな証拠資料が地方新聞に載っていたので、その地域をあえて強調しながら引用しました。さらにその地方新聞を絶賛し、感謝を伝えるなどして観客を笑わせたりしました。また他の大学の授業でディベートしたときは、途中までの議論の展開があまりに平淡で学生の反応がほとんどなかったので、「これはまずい」と思い、途中から関心を惹くために下ネタを飛ばしたりもしました。そのときは、相手側が「性的な内容のビデオゲームは女性が差別されるから販売を禁止するべきだ」という議論を出していて、全くその通りで反論が思いつかなかったので、反対に開き直ることができ、「性的な内容のビデオゲームが廃止されると私が困る!You, Gentlemenもそうでしょ?知っているよ!」といった感情論をぶつけたりしました。男性陣からは大爆笑でしたが、何人かの女性からはShame! Shame! とヤジを受けました。しかし、その後のディベートの展開は大いに盛り上がり、ジョークに訴えた作戦は大成功でした。

 

パートナーの佐藤君も囚人から、「ディベートをはじめた理由は何ですか?」と質問されたときに、「そこに女性が多かったから」と答え、囚人たちの爆笑を誘っていました。このようにディベートを通して観客に楽しんでもらうことこそ、このツアーの真の目的だと思います。もちろん下ネタは外すこともあるので、その場の流れをつかむことが何より大切であることを最後に付け加えておきます。

 

他には、衣装も工夫しました。スーツでディベートをするのが一般的でしたが、日本風の衣装も用意したので、時々それを着てディベートしました。佐藤君は祭りの時に着る法被と鉢巻、僕は作務衣と桐下駄を履きました。評判は上々で、Public Debateに慣れてきた後半には、「これからSAMURAI style of debateを見せます」といい、日本手ぬぐいをバンダナの替わりに頭に巻いて、ディベートしたりもしました。全く侍ではなかったのですが、相手のディベーターからは”SAMURAI happens!”といわれ喜ばれました。観客からもあのSAMURAIは良かったと賞賛され、なんでもチャレンジしてみるものだと実感しました。

 

 

Public Debateは本当に楽しかった。観客はほとんどフローを取っていないのですが、私たちに対し非常に好意的で、それがジョークだと分かると素直に笑ってもらえます。時に外す場面もあるのですが、その時は残念賞ということで、気持ちを切り換えてまた新しいジョークを考えました。そして、なにより対戦相手のディベーターも勝ち負けより観客の反応を気にしているものです。いかに観客に聴衆ディベートを楽しんでもらうかの部分は共通しているので、事前に議論の打ち合わせをするほかに、ジョークの打ち合わせをしても良かったかもしれません。

 

良いディベートをした後は、観客が次々握手しに舞台まで来てくれて、そのとき11人に感謝するのがもっとも嬉しい時間でした。ディベートの緊張感から解き放たれた瞬間でもあり、この5分から10分くらいの短い間は至福のときを過ごしました。なかには目の肥えた観客もいて、証拠資料をあまり使わずにディベートしたときは、もっと資料を読むべきだとの助言を受けたりしましたが、このようなFeedbackは非常にありがたいことで、アメリカ人の積極性に心底感謝しました。

 

 

宣伝効果

ディベートの試合後は学校新聞の記者にインタビューをされたり、地方のテレビ局がディベートの様子を撮影しに来たりしました。Emporia州立大学においては地方のラジオ局で今回のディベートの宣伝までしてもらうほど熱が入っていました。以下にそのとき放送した内容の原稿があるので添付します。

 

Japanese National Debate Team Hosted by Emporia State University

 

The evening of Wednesday, March 31st, the Department of Communication/ Theatre will be hosting the touring Japanese National Debate Team for an audience debate against an Emporia State University debate team. The topic for debate will be: RESOLVED: That military interventions without the authorization of the UN Security Council should be justified. The ESU team of David Register and Kelly Winfrey will uphold the affirmative side of the resolution against Katsuya Koresawa and Yoshikuni Sato of the Japanese team. The debate begins promptly at 7pm in Bruder Auditorium in King Hall. The public is invited and the admission is free.

 

以上のような宣伝効果もあり、聴衆ディベートでは200名以上の観客に足を運んでもらいました。この他にも100名以上の観客が集まることが多く、ホスト校の尽力をうかがうことができました。私たちはその協力に感謝する意味を込めて、試合前は多くの関係者(学長や学部長など)に挨拶しに伺いました。日本でもし交歓ディベートを招待する機会があれば、このように大学側に積極的に宣伝・協力を促しても良いかもしれません。

 

 

Social Activities

ディベート以外には授業に参加したり、観光したりしました。授業はほとんどディベートか比較文化系の授業で、日本とアメリカの文化の違いを話したり、日本について全般にわたった質問を受けたりしました。アメリカ(の大学)との違いについて聞かれたときに、「日本にはビールの自動販売機があること」、「学生のほとんどが車で通学しないこと」、「大学のスポーツよりも高校のスポーツの方が断然盛り上がること」などを話したら驚かれました。反対に日本との違いについてこちらが驚かされたところは、「授業に関して学生が積極的で、教授の進め方も一方通行でなく、学生と対話しながら進めていること」、「大学に7万人以上収容できるスタジアム(電光掲示板付)があること」、「別れ際によく抱き合うこと!」などを挙げ、興味津々で聞いてもらえました。

 

今回、ロサンゼルスに滞在する期間が長かったので、観光はユニバーサルスタジオやハリウッドに行ったり、ドジャースタジアムに野球を観戦したりしました。ワシントンD.C.以外では電車には乗らず、コーチかディベーターの車で移動しました。ロサンゼルスは日本車が多く、ホンダやトヨタ製の車が良く目につきました。私たちをホストしてくれた先生も日本車に乗っていたのでその理由を尋ねると、メンテナンスや故障した際の対応が良いとのこと。こういったところに日本企業の長所を見ることができました。

 

日本といえば、日本のテレビ番組もいくつか放送されていて、ホテルで見ることができました。たとえば、もう何年も前に終了した「風雲!タケシ城」がアメリカで放映されていました。“Most Extreme Elimination Challenge”というタイトルで、Cable channelが火曜日の深夜11時から1時間放送しています。特別に14時間マラソンと題して、14時間連続たけし城を放映するというCMも何度か流されていました。

 

向こうでも面白いと評判は上々で、あるディベーターから「Takeshi Castle知っているか?」と聞かれ、「あれは面白い」と絶賛されたので、そこで初めてタケシ城の存在を知りました。彼に「もう10年位前に終わったよ」と事実を伝えたら、ショックを受けていました。映像からはだいぶ時代を感じましたが、アメリカ人にはその変化の差が分からなかったみたいです。それと他のディベーターからは、“Don't get eliminated!”は日本語でなんて言うんだと聞かれたので、日本独特の掛け声で「エイ・エイ・オー! 」と発音すると教えました。すると音が気に入ったらしく何度か繰り返していました。

 

でもまさか、アメリカでタケシ城を見るとは思いませんでした。声がすべて翻訳されていて、大木凡人の「街角テレビ」のカラオケは完全にアメリカバージョンになっていましたが、暫しディベートの準備も忘れ、ともに旅をしている佐藤君と一緒に見てしまいました。懐かしさもあり結構楽しめました。他にも“The Iron chef”(料理の鉄人)が有名でした。アニメは結構やっていて「ポケモン」他いろいろ見ることができます。

 

宿泊場所は様々で、ホテルを予約してくれるところもあれば、コーチやディベーターの家に泊めてもらうこともありました。政策ディベーター、コーチとはよくディベートの理論や実践について話をして楽しい時間を過ごしました。NDT/ CEDAではKritikはすでに定着しつつあり、それに虜になっているコーチもいました。彼に日本ではあまりKritikは知られていないことを話したら、「じゃあ俺が日本に行って、Kritikを導入してやる!」と意気込まれました。NDT/ CEDAでは最近、Hip hop Debateに代表されるようなPerformative turnが流行しているとのこと。私も何試合か観ることができました。

 

夜の活動はお酒を飲むことが多く、バーでビール片手にビリヤード(Pool)やボーリングをしました。イエガーマイスターというウイスキーが流行していて、それをよくshotで飲みました(飲まされました)。夜が深まるにつれ、ディベーターとの親睦も深まりました。

 

 

アクシデント

6週間も旅を続けていると、多かれ少なかれアクシデントはつきものです。今回のツアーでもっとも大きなアクシデントは飛行機に乗り遅れたこと。最初に申し上げておくと、これは私たちが寝坊したからではなく、時間通りに迎えに来てもらえなかったのが原因です。前日の別れ際に、明日は朝815分にこの駐車場で待っていると何度も確認され、携帯番号も教えられ、万全の態勢で待ち合わせをしたにも関わらず、当日になって迎えに来てくれるはずのディベーターが現れなかったのです。携帯電話に何度かけても繋がらず、途方に暮れました。仕方なくホテルのフロントでタクシーを呼んだのですが、そのタクシーがホテルに到着するまでに20分かかり、さらに空港まで約30分かかると言われたときにすでに半ば諦めていました。運転手にはだいぶ急いでもらったのですが、チェック・インを済ませていなかったため、結局945分のフライトには間に合いませんでした。しかし幸運にも次の便に無料で乗せてもらえたので、2時間遅れて次の目的地にたどり着くことができました。大事に至らず良かったですが、一歩間違えたら次の日の予定を全てキャンセルしなければならない最悪の事態につながる可能性がありました。

 

他にはL.A.gayに体を触られたり、Georgiaで間違って他人の荷物を運んだり、佐藤君が迷子になったりと小さなアクシデントはいろいろありましたが、ホスト校の迅速な対応のおかげで大きな問題にならず無事に旅を終えることができました。

 

 

It’s a small world!

このツアーでは数え切れない人と出会い、そして再会の連続でした。人と人との出会いやつながりは人が生きていく中でもっとも大切で価値があると私は考えています。今回出会った人たちと何かしらの形で関係を持ち続けていくことが、なによりこのツアーの成功の証ではないでしょうか。その考えを裏付けるように、人との交流の大切さを痛感する出来事がいくつかありました。

 

314日から17日までホストしてもらったUniversity of Georgiaでのことです。そこでお世話になったEdward Panetta教授はJDA専務理事の松本茂先生と同じ時期に修士号をとったことを私たちに話してくれました。そして、彼の奥さんがExchange Debaterで来日したとき、松本先生にCoachしてもらったことを感謝とともに伝えてくれて、自分のことではないのですが、嬉しく誇らしく思いました。さらにSamford大学でお世話になったMichael Janus博士はアイオワで修士号をとり、青沼先生と同期だったとのこと。しかも、Edward Panetta教授とMike Janus博士、松本先生と青沼先生はともにコーチとディベーターという関係なので、驚くと同時になにか不思議な縁を感じました。

 

Weber 州立大学に招待してくれたOmar Guevara先生は僕らに会うなり、「日本から来たということだが、Satoru Aonumaという名前を知っているか?」と突然尋ねてきました。青沼先生からGuevara先生の話は聞いていたのですが、いきなり質問されるとは思いませんでした。「Satoru Aonumaさんは僕のコーチです。もしかしたらGuevara先生の故郷はデトロイトですか?」と話し、「Nice!」と即答され、その場は大いに盛り上がったのを思い出します。そしてディベートの試合前、自分を紹介するときに「Mr. Koresawaと私は同じディベートコーチを共有している」と話し、青沼先生を介した縁があるという紹介をしてくれました。試合後、Weber StateのディベーターからはOmarと私は「Same Dudeだ」と言われたのがなんだか嬉しかったです。

 

 

松本先生や青沼先生以外にも、臼井先生や鈴木健先生の話を伺いました。おそらくこういった先輩たちの草の根レベルでの交流が、今回僕らを招待してくれる一つの理由になったのではないかと思います。遠いアメリカに来てもそういった影響を感じていました。

 

 

再会はTowson State Universityで開かれたJunior Varsity(中級者)とNovice(初心者)の大会でのことです。去年Vermont大学のDebate workshopに参加した際、お世話になったAlfred Tuna Snider教授を筆頭にVermontのコーチ陣、1999年のExchange DebaterだったMaxwell Schnurer博士とも再会しました。TunaMaxも覚えていてくれて、なんだか嬉しく、懐かしくていろいろと会話が弾みました。

 

そして極めつけは2001年のExchange Debater アメリカ代表のAndy Petersonさんとの感動の再会です。今年のNDT準々決勝Louisville vs. Berkley試合を観戦する一時間前にAndyと会うことができました。とは今でも時々メールのやり取りをしていて、そこでは、授業がかなり忙しいと書いていたので、まさか再会できるとは思いませんでした。しかも会った日が授業のある月曜日だったので、さらに驚きました。2001年の頃と比べるとAndyはすっかり痩せていて、New York CityWashington D.C.などの都会で洗練された印象を受けました。はじめは誰だか分からなかったのですが、あの「流し目」は健在ですぐに思い出しました。彼は今、New York Cityに住んでいて、そこのLaw Schoolに通っています。今回のNDTの会場であるCatholic University of AmericaAndyは一年間debate coachを勤めていました。その関係もあり今回会うことができたのです。

 

Andyにはディベートのことを聞いたり、リサーチもしてくれたり、いろいろと手助けしてもらったので、後輩に頼みT-shirtを作ってもらい、それを彼にプレゼントしました。そのT-shirtには彼の伝説のOverviewをプリントしてあげ、「かなり印象的な言葉をプリントしといたよ」とだけ伝えました。すぐに自分のOverviewだと気がつき、結構喜んでいました。ちなみに以下の部分です。相手の強い部分まで言及しているところがさすがNDTのチャンピオンですね。

 

We are winning that Koizumi is crucial to economic reform, they will win there is some risk the SDF might be better at going in and preventing 10 people from being kidnapped or that if there is a war they can send Japanese troops in. But we will win Japan is safe in the status quo. Plus, the plan increases two risks; one a Korean preventative war against Japan will be used. ...

 

 


4. The 58th NDT観戦記

 

44日で終了するツアーを延長し、ワシントンD.C.にあるThe Catholic University of America主催のThe 58th National Debate Tournamentを観戦しに行きました。4日の朝一番の飛行機でL.A.からWashingtonに向かい、夕方のW-Octa Finalから見学し、翌日のFinalまで合計5試合観ることができました。このNDT観戦は今回のUS-exchange debate tourに含まれていなかったので、ツアー終了後に個人的に観戦に行きました。その際、途中で知り合ったホストの一人、Aaron Fishboneさんとコンタクトを取り、無料でこのNDTを観戦することができたのです。しかも今回のホスト校であるThe Catholic University of AmericaDebate Squadの皆さんと同行させてもらい、パンフレットや予選のバロットなど色々お土産を頂きました。この場をお借りして、The Catholic Universityに感謝したいと思います。ありがとうCatholic!! ありがとうAaron!!

 

History of the NDT

このThe 58th NDTはアメリカで毎年行われている最高峰のディベート・トーナメントで、観戦するだけでもなんと180ドルの費用がかかるそうです。この大会には以下のような長い歴史があります。(Pamphletから一部抜粋)

 

The National Debate Tournament began at the United States Military Academy in 1947. It was organized and conducted by the Academy at West Point for its first twenty years. Initial tournament rules were determined by the West Point Administration in consultation with debate coaches such as A. Claig Baird of the University of Iowa, G.M. Musgrave of Des Moines, Alan Nichols of the University of Southern California, E.R. Nichols of the University of Redlands, and Joseph O’Brien of Penn State University.

 

スポンサーにはあのPepsi-Colaがついていました。

With to express our most sincere appreciation to Pepsi-Cola for donating the luncheon beverages and water for the Saturday and Sunday debates.

 

 

アメリカは本当に広いので、大会に参加する学校はすべて近くのホテルに泊まります。さらに、NDTのように大きな大会だとホテルを一部貸し切り、そこでディベートの運営をします。各大学はパソコンを繋ぐことができる部屋を確保し、そこで膨大なリサーチを行います。その中で今回のNDTでは、すでに予選を敗退したオクラホマ大学の部屋に一緒に泊めてもらいました。

 

 

Seven resolutions

今年のNDTの論題はディベーターやコーチから、7つもの関連性のない論題が一つになっているということで不評でした。以下参考までに添付します。

 

Resolved: that the United States Federal Government should enact one or more of the following:

 

Withdrawal of its World Trade Organization complaint against the European Union’s restrictions on genetically modified foods;
A substantial increase in its government-to-government economic and/or conflict prevention assistance to Turkey and/or Greece;
Full withdrawal from the North Atlantic Treaty Organization;
Removal of its barriers to and encouragement of substantial European Union and/or North Atlantic Treaty Organization participation in peacekeeping in Iraq and reconstruction in Iraq;
Removal of its tactical nuclear weapons from Europe;
Harmonization of its intellectual property law with the European Union in the area of human DNA sequences;
Rescission of all or nearly all agriculture subsidy increases in the 2002 Farm Bill.

 

 

The 58th NDT Tournament

W-Octa FinalからFinalまで観戦したのですが、僕が見た中でもっとも印象深かった議論Louisvilleprojectをここで紹介したいと思います。

 

The 58th NDT Quarter Final: Louisville GJ vs. Berkeley SS

このGJSSというのはDebaterInitialです。アメリカでは(A)(B)というように分類はしません。Louisvilledebaterの名前はMs. Tonia Green & Ms. Elizabeth Jonesなので彼女たち二人のInitialをとってGJと表記されます。対するBerkeleyMr. Dan Shalmon & Mr. Tejinder Singhなので、SSと表記されます。

 

手元にある資料では

1. Tejinder Singh (Berkeley SS)

2. Naveen Ramachandrappa (Georgia RW)

5. Tonia Green (Louisville GJ)

6. Dan Shalmon (Berkeley SS)

8. Elizabeth Jones (Louisville GJ)

 

この4人すべてが今年のndttop ten speakersに入っています。とてもレベルの高い試合を観戦することができました。ちなみに1位と2位はインド系のdebaterです。

 

まず、驚いたのがdebaterの服装。この試合では誰もいわゆるスーツを着ていなかったのです。Louisvilledebaterはキューバの革命家であるチェ・ゲバラの顔が大きくプリントしてある赤とグレーの色違いのTシャツをそれぞれ着ていました。BerkeleyTejinder君に至ってはインド系ということもあり、黒ターバンを巻き、黒シャツに20センチ以上の立派な髭を蓄えていました。

 

「とても年下には思えない…」

 

Judgedebatersを一通り紹介し終わったあとすぐに試合が始まりました。

 

 

音楽を使ったdebate<Project of Louisville>

ACから僕の想像を遥かに超えるpresentationが展開されます。LouisvilleDebaterは突然、大音量で音楽(hip-hop)を流したのです。時間にして30秒から1分くらいでしょうか、その後にElizabethさんがAfrican Americanの置かれている現状を語り始め、White-ism(白人至上主義)を批判しました。NYでは50%のAfrican Americanが職に就けず、90%の少年犯罪が黒人によるものだとspeechの中で証明し、私たち2人のAfrican Americanはこういった現状に光を当て、少しでも多くの人の目をそこに向けさせること(開かせること)が大切だと訴えたのです。

 

そして、NATO-THE NORTH ATLANTIC TREATY ORGANIZATION-こそ白人至上主義の典型であり、彼らにdominateされた軍事組織だと主張します。実際、多くのAfrican Americanの人々がハイチやアフガニスタンやイラクに兵隊として送られている現状があることを考えると説得力がありました。彼女のspeechにはPlanAdvantagesub-pointなどの言葉はありません。Speedtraditional debateと比べると大分ゆっくりでした。

 

Louisvilleの議論は軍事組織のNATOからUSが撤退するという内容ですが、その主張を支持するprocesstraditional debateと根本的に違っていることに気がつきます。そのprocessは、まずNATOthe exclusionary practices that the United States uses to justify militarizationだと定義します。そして

 

We consider that NATO is the traditional debate practices we withdraw from because we consider the United States as us and that’s why we fully withdraw from traditional debate practices.

 

と自分たちをUnited Statesに、traditional debate practicesNATOに当てはめ、NATOtraditional debate practicesのやり方を重ねて合わせて批判することで、「比喩的に」NATOからの撤退の意義を主張したのです。

 

 

そして2ACの冒頭でTonia Greenさんは自分の経験を通じ、traditional debateの限界を語り始めます。

When I first started debating, we read cards as novice debaters without really knowing what we were saying, we talked about race and its impact on foreign policy but it didn’t quite settle with me because here I was a young African American woman reading cards from experts telling me about race, who studied its flaws, when I had personal experiences who knew more about the subject because of my social location. I begin to look around these tournaments and I noticed there is not a lot of debaters around here that look like me, and I begin to wonder why that was.

 

 

なぜ「比喩的に」議論する必要があるのか、その正当性を彼女は以下のように説明します。

We think a metaphorical interpretation is more educational because it allows us to relate the issues we discuss on an international level to our daily lives. When we draw connections and parallels between NATO and the debate community it allows us to put our ideas into action. Our framework grants argumentative agency and allows for the ballot to endorse our words and create change. All of the negatives claims are grounded in literal interpretation which isn’t relevant to us since our method is based on a metaphorical interpretation that can lead to true social change rather than a fantasy change wherein in the end has no value.

 

加えて2ACではこの議論(withdraw)implicationを以下のように語っています。

This full withdrawal has helped us to achieve our purpose of increasing diverse arguments, diverse research and increasing black participation on our squad. It helps to level the playing field, because many people do not have the privilege to have access to the funds appropriated to receive the training that this debate enforces to be successful.

 

 

NATO(traditional debate practices)からの撤退こそが、Political system(debate community)をよりinclusiveなものにし、それがdiverse argumentsresearch、そしてCommunityの向上に繋がるのだと自分たちの経験と重ね合わせて主張しています。おそらくincreasing black participationを通じたcommunityの向上、それを訴えることが彼女たちのdebateをする真の目的ではないかと思います。

 

 

なぜdebateに音楽が必要なのか。そこに関する疑問が残ります。しかしこの試合では大きな議論にはなりませんでした。Hip hopを流す理由は以下のTonia Greenさんの文章で十分説明されています。

Hip Hop is a culture that is used around the world and is able to fight flaws in society without coming from those who are in power or who always get catered to.

 

evidenceを読む代わりにHip Hoplyricsを語り、それが彼女たちの主張を強く支持し、さらにはdiversity of argumentsにも繋がっています。彼女たちは自分たちの議論を“project”と呼び、「Debate communityを一部の裕福な層による偏った活動にするのではなく、多くの人々に様々な可能性を与え、そして参加できるようなinclusiveなものに変えていく必要がある」と聴衆に訴えます。それは「debate communityそして社会をより良い方向に導くのだ」という強烈なメッセージを示していました。このメッセージが理解できたとき、なぜ彼女たちがチェ・ゲバラのTシャツを着て、多くの人々の耳に届くようにHip Hopを大音量で流し、このthe ndtというtableでそのことを語っていたのかが分かりました。

 

 

もっと彼女たちのdebateから学びたかった。しかし、今年のLouisvilleprojectはここで終わります。Cal State Long Beachdebaterによると、彼女たちは2年生から4年生までの3年間、ほぼ同じ議論でAfrican Americanの権利の拡大・debate communityへの参加を訴えていたそうです。そして、彼女たちのActionが徐々に市民権を得るようになり、Debate Communityに受け入れられ、The NDTQuarter finalにまでたどり着くようになったのです。

 

試合後しばらくしてから、1-4Louisville GJの敗北が発表されました。African AmericandebaterUDL: urban debate leagueCoachfrustrationがその後のOral Critiqueによりpeakに達します。

 

“Speaking changes nothing!!”

“ Speaking is NOT ENOUGH to change!!”

 

彼・彼女たちは現状に失望しつつあります。しかし、最後にElizabeth Jonesさんが「私たちの問題は今ここで、結論が出ることではない。私たちはここで終わりだけど、このprojectはまだ終わっていない」と希望をもって語ったことが現状に失望している人たちに光を与えたように見えました。

 

 

日本では人種のdiversityがアメリカと比べると極端に小さいので、このような議論が出る可能性は少ないと思います。そして、アメリカでもLouisvilleproject自体に賛否両論があります。しかし、それを含めても「議論の幅の広さ」と「それを受け入れる土壌」に驚かされました。「これがNDTなのか」と肌で感じることができました。私にとってこの試合は「debateとは何なのか」、「Debate Communityはどうあるべきか」を改めて考えさせられる良いきっかけ与えてくれました。

 


5. 日本のPolicy Debate界について思うこと

 

最後に日本のPolicy debate界について書いていきます。Exchange Debateから帰国して以来、アメリカで体験したことをできるだけ多くの人に伝えたいと思い、頻繁に会場に足を運ぶようにしています。そこで配られるJudging Philosophy集をみてみると、ディベートは論理でジャッジを説得する(知的な)「ゲーム」であると書くジャッジの多いことに驚かされます。私はこの論理でジャッジを説得するという部分に異論はないですが(ただ他のジャッジよりも「論理」という言葉の定義は広いかもしれません)、この「ゲーム」という言葉はディベートには相応しくないと思い使っていません。少なくても「ゲーム」と考えているジャッジにはNDTでのLouisvilledebateを本当の意味で理解することができないと思います。なぜなら、Louisvilledebaterにとってdebateとは彼女自身であり、debateとはsocial changeを促すものであり、debateとはthe power of collective actionを学ぶ場であったからです。それは「ゲーム」という言葉が持つ意味の「仮想現実の世界」や「遊び」などで括れるものではなく、DebatePublic Speakingであり、Speakingは現実を変えることに繋がっていくと信じているのです。

 

大分前になりますが、1997年のExchange tourで来日されたHollihan先生は以下の文章を次のUS tour groupに報告しています。 http://www.kt.rim.or.jp/~jda/

 

5. Japanese debaters are very interested in the latest developments in debate theory in the United States. Tour participants should be able to lecture on these developments and explain them to audiences who sometimes lack prior exposure to some of the Jargon that has become popular in the U.S. My own prejudice is that it is also important that future debaters and lectures emphasize that well the competitive aspects of debate are interesting and exciting, that “debate must be viewed as an educational experience” and “not simply as an intellectual game” where one merely seeks strategic advantage.

 

この報告を受け、当時の日米交歓ディベート執行委員長であった矢野先生も以下のように答えています。

 

今回のツアーでも、来日したホリハン先生、ケイト、スコット三人とも、日本の学生がディベートを”debate game”などと表現することへの違和感を表明していました。ディベートを行うのは確かに専門家であっても当事者にとっては真剣な討議であるべきであって、単なる「ゲーム」としてやるべきではないはずだ。こうした教訓が彼らとの対話を通じて分かってくるのである。

 

 

2004年のJudging Philosophy集を見る限り、今のPolicy debate界はこの当時の現状と大差ないと思います。試合における細かい議論の取り扱い(ex. Counter Agent Counterplanは採用するかどうかなど)は詳しく書いてあるけれど、肝心なJudging Philosophy, i.e. Perspectivedebateをどのように捉えるか、Judgeはどうあるべきかという観点)がそこと比べると欠けているようにみえます。そのPerspectiveをもとに細かい議論の取り扱いが決まるはずなのに。

 

 

しかし、毎年毎年多くの4年生ジャッジが入れ替わり、社会人ジャッジのほとんどがディベート界から離れて行きます。このような状況で、アメリカのようにコミュニティが継続して発展することは至難の業です。そのため残念ながら日本の政策ディベート界はまだまだ大学のサークル活動の枠を越えていないのが実状です。

 

近年ではジャッジや指導者などディベート教育を専門とする者が徐々に増えてきてはいるものの、まだまだ足りません。こういった状況の中では、アメリカのように議論の多様性やそれを受け入れる土壌をディベーターや4年生を代表とする経験の少ないジャッジに求めるのは厳しいと思います。だからなおさら現在のディベート界に関わっているジャッジやコーチは「ディベートは教育活動である」という共通認識を持ち、それに相応した指導を行わなければならないと考えています。

 

つまり、ジャッジやコーチはディベーターに対して、勝つためのノウハウやディベートの理論を教えることに多くの時間を費やすことよりも、実践的なArgumentation能力を磨くこと、言葉の持つ影響や大切さを教えること、そしてなによりディベートを通じて得たことが自分の人生にとってどのような影響を与えたかという「基本的な部分」をもっと後輩たちに語るべきではないだろうか。経験のあるジャッジはそれが教育の現場、ビジネスの現場、政治の現場に応用できることをディベート活動の「現場」で学生たちに直接語って欲しいと思います。ディベーターやディベート活動に興味がある人たちにそれを伝えることがディベート人口の裾野を広げ、そしてディベートがより一般的な活動として社会に認知され、いつの日かディベートを学んでいる学生たちに還元される日が来るのだと信じています。

 

 

おわりに

 

6週間に渡り全米各地を巡るというハードスケジュールでしたが、2人とも大きな病気やケガをせず、無事にツアーを終えることが出来ました。再度この場をお借りして日米交歓ディベート委員会委員長の臼井直人先生と委員の皆様にお礼申し上げたいと思います。個人的なことになりますが、臼井先生と矢野先生には、今年だけでなく2年前の面接でも、さらには出発前のオリエンテーションや論題作成に至るまで幅広く熱心なご指導をいただき、感謝の念に絶えません。そして厚かましくも出発前日に自宅に押しかけ、快く泊めてくださった臼井さん、あのカレーライスの味、忘れません。

 

長い間、日米交歓ディベート委員長お疲れ様でした。

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