2006年度日米交歓ディベート・ツアー報告

 

[田島慎朗・山田かおり]




 

I. はじめに

 

 2006211日から318日まで、米国コミュニケーション学会(National Communication Association)と日本ディベート協会(Japan Debate Association)が主催する日米交歓ディベート・ツアーに参加させて頂きました。ここにその詳細を報告いたします。

 

II. レゾリューション[1]とフォーマット[2]

 

 ツアーでは通じて二つのレゾリューションをディベートしました。以下に日本語訳とともに転載します。

 

Resolved: That the Japanese military should take a more active role for international peacekeeping.

拙訳:自衛隊は国際平和維持活動の為に積極的な行動を取るべきである。

 

Resolved: That the global spread of American culture is undesirable.

拙訳:アメリカ文化が地球規模で広がるのは望ましくない。

 

 ツアーでのフォーマットは様々でしたが、ポリシー・ディベートのスタイルにのっとり2つの立論と2つの反駁の形式で行うことが多かったです。その場合、それぞれ立論は肯定側から、反駁スピーチは否定側から始まり、否定側がいわゆる“block”を行う形を取りました。もしくは、パーラメンタリー・ディベートのスタイルにのっとり、Prime MinisterもしくはOpposition Leaderが最初の立論と一度きりの反駁を行い、もう片方のディベーターがそれぞれ第二立論を行いました。各スピーチ時間は、特にポリシー・ディベートのスタイルにのっとった場合は短縮されることが多くありました。

 

 詳しく後述しますが、時間を限って立論と反駁の間に観客からの質問を受け付け、より聴衆を意識したフォーマットでディベートした大学もありました。その後の滞在校では、そういったフォーマットを自分たちから提案することもありました。質問を間に挟んだフォーマットを設けることで、観客にとっては有意義な時間を持つことが出来ますし、ディベーターにとっても、反駁スピーチにその時間に出された質問を通じて反駁の内容を変化させることが出来て共に有意義な時間を過ごせたと思います。このフォーマットの元でのディベートを観戦していた西イリノイ大学 (Western Illinois University)のイーロン・ラウアー(Ilon Lauer)コーチ[3]もおっしゃっていたのですが、聴衆の中にはディベーターも思いつかないような非常に良いポイントをついた質問を用意してくる人もいるため、それに答えるディベーターは時に言葉に詰まってしまうこともありましたが、このようなフォーマットにはパブリック・ディベートの大きな可能性を感じました。

 

III. 滞在校、滞在日とディベート内容

 

下に滞在校、滞在日とディベートの内容を添付します。

 

213 Baylor University (Peacekeeping: 日本人否定側)

 

216 Grapevine High School (American Culture: 混成チーム)

 

219 Cy-Fair College (American Culture: 混成チーム)

 

221 University of the Pacific (PeacekeepingAmerican Culture: 各1試合、混成チーム)

 

224 University of Pittsburgh (American Culture: 3試合、混成チーム)

 

227 Western Illinois University (American Culture: 日本人否定側)

 

31   University of Southern California (Peacekeeping: 日本人否定側)

 

34   Los Angeles Valley College (ディベートは行わず。)

 

36   Dixie State College (ディベートは行わず。PeacekeepingAmerican Culture両トピックに関してのクラスでのディスカッション有り)

 

38   Weber State University (Peacekeeping: 2試合、日本人肯定側と否定側)

 

311 Hofstra University (ディベートは行わず。American Cultureトピックに関してのクラスでのディスカッション有り)

 

314 California State University-Long Beach (American Culture: 日本人否定側)

 

317 California State University-Los Angeles (American Culture: 日本人肯定側)

 

 出発前に@日本人とアメリカ人をペアにした混成チームを組んでディベートをする機会を増やしたい、Aポリシー・ディベーターなので証拠資料を使うことを許して欲しい、という2点をカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校 (California State University-Los Angeles)の教授でありこのツアー全体のコーディネーターをしていただいたケビン・バースキー(Kevin Baaske)教授にお願いしてありました。

 

 1つ目に関して、そのようにお願いした理由は、ディベーターの力が偏ってどちらかのチームが完全に有利・不利になってしまうと、観客にもディベーターにも試合がつまらなくなってしまうと思ったからです。私たちの母校の獨協大学で何年かアメリカからのディベーターをホストしていて、混成チームにする方がラウンドに面白味が出るのでは、と考えました。[4]結果としてはそれほど狙い通りいったとは言いがたいところもあります。ホスト校からのディベーターが、必ずしも実力が同じ程度のディベーターだとは限らないからです。実際NDTに何度も出ているディベーターもいれば、高校生のディベーターとも試合をして、ディベーターの実力にはかなり差があったように思えます。

 

 さらに、アメリカ人ディベーターとチームを組むと、ディベーターとの話し合いが親密に出来て親しくなれますし、ディベート以外の話も弾んだように思います。日本人同士組むと、往々にして日本人対アメリカ人という構図が出来てしまいますが、今回混成チームを組んだ場合、プレッシャーを各人で逸らしたり、くだらない話を弾ませたりなど出来ます。日本人対アメリカ人チームでも大いに楽しめましたが、アメリカ人ディベーターと組んで試合をすることによって得られた経験も一生の宝になりましたので、次回の交歓ディベーターには是非両方やってみるよう勧めます。

 

 2つ目の証拠資料利用に関して、そのようにお願いした経緯は以下の通りです。私たちはポリシー・ディベーターなのでディベートにおいて証拠資料が必要不可欠であると信じていますし、それを欠くと主張が非常にshakyなものになってしまうのではないか、と恐れていました。しかしそれ以上に、アメリカの人たちが各主張をサポートするのにどのような例が一番適切だと思うのか、という点に関して確信が持てない部分がいくつかありました。たとえば “Resolved: That the global spread of American culture is undesirable.”というトピックで否定側に立ったとき、どこまでを「アメリカ文化は“diversity”のある文化なので望ましい」とするかは観客の政治的、文化的な状況によるところが非常に大きいと思います。例えば、マイノリティのヒスパニック系移民や黒人に対してどう思うか、エミネムを政治的に認めるか、Doonesburyは、Boondocks Treasuryは、はたまたブリトニー・スピアーズが歌を歌うとき刺激的なダンスを倫理的に認めるか、ロサンゼルスにある風俗の看板は、、、。人種や価値観の多様性を「多様な」観客の前で効果的に論じるために、パーラメンタリー・スタイルのフォーマットでも証拠資料を引用して議論にとりあえずの説得性を持たせることを了承してもらおうというのが狙いでした。

 

 幸い全てのディベーターが証拠資料引用は快く引き受けてくれましたし、大いに日本でのリサーチ結果を活用させてもらいました。ただしほぼ全ての引用を英文の資料から取り、同じ資料でも十分に伝わるように直接引用する場合もあれば直接引用は全くせずに著者と出典を言った後に自分の言葉で言い直したりする場合もありました。統一したディベートスタイルで、スムーズに試合を運ぶことを心がけたためです。

 

IV. ディベート・ラウンドを通じての体験

 

 このツアーでの一番の感動はディベートラウンドを通じてのものでした。ディベートを何試合も行い、その準備や練習試合などで特に印象に残ったことをここに記したいと思います。

 

充実した環境

 

 まず印象に残ったのは、ディベート教育が大学や高校、ひいては文化の中にしっかりと根付いている様子が伺えたことです。チームが得たトロフィーは大抵コミュニケーション学部内のガラスのショー・ケースに飾られ[5]、チームが良い成績を収めると地方紙や大学新聞、テレビなどのメディアに取り上げられます。

 

 さらに、招待された多くのチームで、パブリック・ディベートを年に一度か一学期に一度行っているようでした。今回のように外国からディベーターを招いて国際問題等を論じる時もあれば、大学や州での問題を取り扱ったり、メディアで大きく扱われている国の政治、経済、文化問題を扱ったりもするようです。特にピッツバーグ大(University of Pittsburgh)や南カリフォルニア大(University of Southern California)といった大きな大学では、積極的にパブリック・ディベートを行っていて、パブリック・ディベートをする学生専用の奨学金まであるといっていたのには驚きました。

 

 ディベート・チームや学部は、私たちとのパブリック・ディベートを自分たちの宣伝に使ったり、ディベートのクラスでエクストラ・クレジットをもらえる機会に使ったりしていたようです。ベイラー大(Baylor University)では、パブリック・ディベートのある週がちょうど “Communication Studies Week” と題してコミュニケーション学関連のイベントが多く用意されていて、その一部としてパブリック・ディベートが位置づけられていました。他には映画研究や組織コミュニケーション論に関してのプレゼンテーションや「なぜコミュニケーションを専攻すべきか」と題したパネルディスカッションもあり、学部が組織だってディベートをバックアップしているのがよく伺えました。

 

 パブリック・ディベート専用の奨学金とは言わないまでも、大学で私たちとディベートをした殆どの学生が奨学金を大学からもらっていて、高校や中学校で非常に優秀な成績を収めていたりNDTなどの全米規模のトーナメントでいい成績を収めていたりするディベーターでした。非常に恵まれた環境の下で、才能のあるディベーターがのびのびとディベートをしている印象がありました。 (もちろん奨学金枠に入れないディベーターも多くいましたが。)

 

 日本でもよく知られているListen to Me (邦題『青春!ケンモント大学』あるいは『リッスン・トゥー・ミー』)いう映画だけでなく、ピッツバーグ大のゴードン・ミッチェル(Gordon Mitchell)教授によると、最近はCSTVというテレビ局でNDTが全米規模で番組に取り上げられたり[6]Thumbsuckerという映画でもディベートの場面が登場したりしているようです。アメリカと日本の間では、まだまだディベートの大学、社会に対する認知度に大きな開きがあるように感じました。

 

ポリシー・ディベートとパーラメンタリー・ディベートの違い

 

 ポリシー・ディベーターとパーラメンタリー・ディベーターの違いもかなり印象的でした。日本ではさほど違いが目立たないかもしれませんが、私たちが訪問した大学では@ポリシー・ディベートのクラブルームは乱雑なところが多い、Aポリシー・ディベーターには男性が多い、などなど聞いていました。[7]そして、ツアー中散見する限り、おおよそ聞いた通りの状況がありました。

 

 また、議論のバラエティはポリシー・ディベーターとディベートしたときのほうが多くあるように感じました。ある大学では、自衛隊のトピックで、自分たちが提出した証拠資料の前提を突き、「アジア(Asia)という地理的・政治的なくくりに問題がある」という言語クリティーク(Language Kritik)を出され、かなり苦戦しました。また、多くの大学で日本が維持してきた平和主義に関する価値クリティーク(Value Kritik)を提出されました。また、アメリカ文化のトピックでは、あるポリシー・ディベートのサークルで、肯定側に立ったアメリカ側のディベーターが「資本主義(Capitalism)は悪い」という議論にすべてのスピーチ時間を割いたり、またあるチームは観客に適応させて、あえて大衆文化に対象を絞り、その中で「悪い」アメリカ文化の例を20個も提出して大いに笑いを誘ったりしていました。

 

 パブリック・ディベートでは、パーラメンタリー・ディベーターのほうが全体的に即興技に長けていると感じました。ほとんどのパーラメンタリー・ディベートのチームで、アメリカ人のディベーターは準備時間が全く無い状態で相手のスピーチの直後に演説台に立ち、悠然と滞りなくスピーチを行っていました。

 

 また、ポリシー・ディベート、パーラメンタリー・ディベート両方のチームに共通で一番顕著だったのは、アメリカの文化や政治、経済などの常識を即座に盛り込んでスピーチする技に長けていたことです。ハリケーン・カトリーナ、イラクや中東、アフリカでの紛争、モハメッドの風刺画などの問題にとどまらず、バリー・ボンズのドーピング問題や全米の大学バスケットボール大会[8]などを多才にスピーチの中に盛り込み例を使うのは聞いていて惚れ惚れしました。

 

早読みとパブリック・ディベート

 

 パシフィック大(University of the Pacific)でパーラメンタリー・ディベーターの練習ラウンドを見せてもらったのですが、パーラメンタリー・ディベートのスピードが大体日本のポリシー・ディベートと同じくらい[9]で、(経験をつんだディベーター間での)ポリシー・ディベートのスピードは日本のポリシー・ディベートよりもはるかに速い印象を受けました。一度ポリシー・ディベーターに「めいっぱい早読みをしてディベートをしてくれ」と無理なお願いをしてみましたが、ネイティブ・スピーカーではない私たちには到底反論できない量になってしまうということを悟りすぐに却下しました。

 

 その時ですが、上手なポリシー・ディベーターの場合、早読みをしても発音がクリアーで必要な情報を的確に選び取って伝えることに気づきました。そうではないディベーターの場合、逆に早くしゃべることだけに気を取られて内容がおろそかになってしまうこともあるようです。自分たちを含め、日本のディベーターには耳の痛い話でした。

 

 もちろん、パブリック・ディベートになると、ディベーターはスピードを落とします。しかし、中には感情的にまくし立てるほうがいいときは早くスピーチをするディベーターもいましたし、全体的にスピードが遅くなると余計に言葉の使い方に磨きがかかったり、強調される単語やフレーズが出てきて効果的にスピーチを運べたりするような印象を受けました。このようなテクニックを駆使できるディベーターが多かったこともあり、全体的にディベーターの質の高さには大いに感服しました。

 

聴衆の態度

 

 日本でアメリカからディベーターを迎えると、ただでさえ消極的な聞き手が質問の時などに手が挙がらなくなってしまうこともよくあるかと思います。しかし、このツアーでは聴衆から質問が出ないということは一度もなく、多くの会場で質問が多く出ているのにディベーター側が全て答えきれないということさえありました。あまりラウンドに関係ない質問もありましたが、非常に鋭い質問が来ることも多かったように思いますし、聴衆全体から「何か思うところを言ってやろう」という気持ちがひしひしと感じられることもままありました。

 

 ディベート、特にパーラメンタリー・ディベートを勉強している学生が聴衆で来ることも多かったのですが、そういった会場では 下手なスピーチに対して“Shame, shame!”と罵声が飛んでくることもありましたし、逆に良いスピーチには机をバンバンと叩いて喝采を送られることもありました。ディベートのクラスも持っているカリフォルニア州立大学ロングビーチ校 (California State University-Long Beach) のライアン・スミス(Ryan Smith)コーチは「自分が聴衆になったときには積極的に考え、そして良い議論や悪い議論には反応を示すように」とクラスで教えていると言っていました。日本の聴衆を考えるとその反応の少なさにすこし残念な気持ちになっていましたが、逆にトレーニングをするとこうも変わるのかと感心させられ、希望をもつことも出来ました。

 

 聴衆の態度が一番よく分かったのは、ピッツバーグ大でのディベートでした。ピッツバーグ大では頻繁にディベート・チームがパブリック・ディベートの機会を持っているということで、手馴れた様子で用意を進めていて、私たちもその中にスムーズに溶け込めたような気がします。[10]ピッツバーグ大では立論と反駁の間に時間を区切って10分から20分程度聴衆からの質問を受け付けていました。たまたまかもしれませんが、そこで出た質問や観客の反応が立論で提出された議論を精査するような役割を果たし、ディベーターはその時間質問に答えながら自分たちの議論がどのように聴衆に受け取られているかというのを感じ取っていたような気がします。ピッツバーグ大では3ラウンドのディベートを行ったのですが、おかげで反駁では両サイドの大事なポイントに収斂して、全てのラウンドが非常に実りの多いものになったと思います。

 

 また、ツアーを通じて考えていたことは、「スピーチ中に観客に楽しんでもらう」ということです。個人的に、日本に対して誤解を生むようなことや、過剰にオリエンタリズムを演出するようなやりかたで笑いを取るといったことはあまりしたくなかったので、日本に居たときから英字新聞の社会面や政治面などといった「真面目な」部分だけでなくマンガや芸術面を見たり、インターネットなどで流行をチェックしたり、映画を見ておいたり、ジョーク本などを買い込んだりして、アメリカの人を楽しませるための用意をしておきました。またアメリカ国内でも私山田のリクエストによりロサンゼルス・バレー・カレッジ(Los Angeles Valley College)のジョシュ・ミラー(Josh Miller)コーチにフーターズ(Hooters)という変わったスポーツ・バーに連れて行ってもらったり、『ブロークバック・マウンテン』を観たり、ロサンゼルスで風俗雑誌を買い込んだり、保守的なユタの人やテキサスの人に聞いた話を証拠資料として引用したり、地元の新聞を毎日チェックしたりしていました。

 

 具体的に、「自衛隊が海外に出て行くとレイプなどの性犯罪をするという議論を出しましたが、あなたはレイプをしますか。このチームの人の中でレイプをしそうな人はいますか。」などという皮肉めいた質問をすることもあったり、笑いを狙った写真や絵を拡大したものをスピーチ中に見せることもあったり、「アメリカ文化が地球規模でマーケティングを行うのでアメリカらしさがなくなる」という議論に対して即座にアメリカ人ディベーターがはいているジーンズを指差したらそれにつられて彼がジーンズを観衆にみせようと足を上げて転んだり、『キャット・ウーマン』主演のハル・ベリーの演技が良くなかったという議論に対して「彼女は最高にセクシーで抜群の演技で、彼女を愛している。彼女への反論は僕が許さない」と反論して笑いを誘ったり、ユタで保守的な人を前に「ロサンゼルスにあったこの風俗雑誌を見てください。この低俗で堕落した雑誌を見てあなたたちはアメリカ文化が良いといえますか。」といったスピーチをしたりなど、きちんと議論をすることに加え、こういった「場に合った」ジョークを織り交ぜるよう考えていました。いくつかは不発に終わりましたが、概して暖かく迎え入れてくれたような気がします。

 

 概して、観客は特に地元や自分の大学の話に耳を傾けるようです。よって、議論のサポートやジョークのネタには大学新聞や地元新聞、大学パンフレットや地元ネタを多用しました。例えば西イリノイ大では私たちの訪問を知らせる地元紙の記事や、ベイラー大では大学パンフレットにある「国際協調」というページにあるフレーズを引用しながら、アメリカの他文化に対する受容性をアピールしました。

 

V. ディベート・ラウンドの外での体験

 

学部長、学科長、キャンパスとの出会い

 

 ツアー中は行く先々で熱烈な歓迎をして頂きました。いくつかの大学でキャンパス・ツアーを用意してくれて、キャンパスを見て歩いたり、学部長や学科長と面会したりする機会が多くありました。そういった歓迎があると暖かく迎えられていることが伝わりますし、議論を組み立てる際にもキャンパスツアーで手にした大学案内や大学新聞、学部長や学科長と話したことがふと思い出されてそれがディベートに役に立つことも多かったように思えます。

 

多岐に富むアメリカ文化

 

 アメリカにいてしばしば感じたのは、その文化が多岐に富むということでした。ニューヨークの文化とテキサスの文化、ロサンゼルスの文化とユタの文化、田舎と都会の文化の幅がとても広く、移民も大勢います。そういった土壌で、人々はかなり異なった価値観をもっていることに気づきました。特にそれが感じられたのがダラスでの高校 (Grapevine High School)での経験です。それまでテキサスの文化を半ばステレオタイプ的に考えていたのですが、この高校の高校生は親がダラス国際空港で働いている割合が多く、世界中から集まってきた多文化共生型の文化を形成していました。ホスト校が移って高校のホストになると、まずテキサスなまりを話すテキサスっ子の親子と“Ranch”というレストランで食事をしました。バッファローの頭蓋骨やカウボーイの絵が飾ってあったり、椅子が乗馬の鞍だったりする典型的な“TexMex”・スタイルのレストランで、全員南部なまりの英語を話す環境でした。

 

 次の日、パキスタンからの移民の家族とイタリア家庭料理のレストランに行ったとき、安易にも「アメリカ文化の良い点と悪い点は何だと思いますか」と質問をしたときに、その家庭の母親が言った答えがとても印象的でした。彼女は20年近くアメリカに住んでいるにもかかわらず、「アメリカ文化はまだよく分からない」と言うのです。さらに、「アメリカ文化は自分たちの文化との折り合いをつけるのは難しいと思うし、アメリカの政治や経済が他の文化に対して“overwhelm”し続ける限り、おそらく多くの移民が本当の意味で心を開いて、『我々はアメリカ(文化)の一部だ』と言いにくい状況があるのではないか」と言っていました。しかし次の日に高校でのディベーターの一人のアドナン(Adnan)と話をすると、全く違う答えが返ってきました。彼は2世なのですが、アフリカ人とイラン人の混血で、4ヶ国語を操る頭の良いディベーターでした。彼は「ここダラスにも、生まれ故郷のニューヨークにも自分のアイデンティティはあるし、親の出身地であるイランとアフリカにもある。テキサスという土地にアイデンティティを持ちながら、そのステレオタイプ的なカウボーイ・スタイルには同化できない。自分は自分だから。国のくくりは問題ではないのではないか。」と同じ質問に答えていました。ディベートに関する質問をしながら、アメリカに対する1世と2世の認識の違いを垣間見た気がします。

 

 他にもこの高校では台湾人の親子とダラスのダウンタウンを見渡せる大きなタワーで食事をする機会があったり、イラクからの移民の親子と中華料理を食べて熱烈な歓迎を受けたりしました。ハイスクールでの経験はそういう意味でも自分たちにアメリカ文化の深さを体験させてくれた貴重な場所でした。

 

ディベーターの人間性

 

 今回のツアーではディベーターの家に行くこともよくありました。45人で一軒家に共同生活をしている場合がほとんどでした。そこで驚いたのがディベーターの生活です。日本にいて、ディベーターの家といえばブリーフや関連本で溢れかえり、その他のものも乱雑に散らかしてあるという印象がありましたが、そういう家あまり多くなかったように思います。もちろん、ゲストである我々を迎える前に多少掃除をした形跡もありましたが。

 

 むしろ、今回ツアーでお世話になったディベーターは作業をする場所と休養する場所を区切って、家ではあまりディベートの作業をしていないようでした。家には箱買いのビールやその他のアルコールが常備され、全ての家には何種類かのテレビゲームがありました。時には、私たちが来るまでまさにそこでテレビゲームをしていた形跡があり、ダンス・ダンス・レボリューション用のマットが敷いてあったり、テレビゲームのスイッチが入って一時停止したままパーティを始めたりすることもありました。また、家の中にエア・ホッケー用のテーブルがあったり、巨大なステレオがあったりしました。(そのディベーターは主にラップやヒップホップを大音量で聞くようです。)

 

 強豪スクワッドでも、ディベーターの平均年齢が低くて回りにあまりストレスを発散できるような場所がない大学では、アシスタントコーチがボーリングにつれていったり、ゲームセンターに連れて行ったり、夜にはバーになるようなレストランでビリヤードに興じたりするようです。[11]

 

 そういった家に住むディベーターは、私たちが尋ねた多くの場合、非常に優秀な人たちでした。スクワッド・ミーティングなどでもどんどん良い発言をして、リサーチも精力的に行い、試合となると非常にいいスピーチをするディベーターが、長いシーズンを戦うためにこういった息抜きにも凝って、楽しみながらディベート活動をやっているのが伺えました。(全米規模の大きなトーナメントの常連になると、300枚も400枚もカードを集め、チームに大いに貢献するディベーターも多いという話も聞きました。)

 

 また、そういった土壌で育ったからか、ディベーターの多くは寛容、話題豊富で、ただ単に頭でっかちの堅物とはちょっと違う人達でした。多くの場合、ディベーターは性的、政治的な志向や育ちなどのプライベートな部分をおおっぴらにして、それでも人としてチームメイトとの友情(や愛情)を築いている様子が節々に見受けられました。そういう環境だからこそ、のびのびと不自由なくツアー中過ごさせてもらえたと有り難く思っています。

 

ジョージ・ズィーゲルミューラー(George Ziegelmueller)教授への愛情

 

 ウェイン州立大学のヘッド・コーチを長年なさって、昨年引退したズィーゲルミューラー教授の容態があまり良くないというのはNDTのホームページなどで知っていましたが、実際の状況があまりよく分からなかったので何度かコーチやディベーターに聞くこともありました。あるコーチに聞くと、「脳卒中(stroke)で倒れてから意識を取り戻してよくなっているが半身不随になってしまった。しかし最近はだんだん良くなってきている」とのことでした。他のコーチに聞くところによると、引退したにもかかわらず、彼が目を覚まして最初に言った言葉が「今度のトーナメントに行くためのバンは手配できたか」で、それが半ば伝説的に広まっているようです。ディベートに捧げてきた生活が伝わってくる、何とも素晴らしい一言です。

 

 また、私たちが聞かなくとも、ディベーターやコーチの間で「ジョージの容態はどうなっているか知っているか」というやり取りをしているのを何度か耳にしました。[12]ディベート・コミュニティ全体が一人の偉大なコーチを愛しているさまが伺えて「日本のコミュニティもこのようにありたい」と思わせてくれました。

 

ブログの試み

 

 2005年に日本に来たリアー・スプレイン(Leah Sprain)さんとカーリー・ウッズ(Carly Woods)さんのブログに見習い、今回私たちもブログを開設してJDASakigakeのメーリングリストで公開させて頂きました。[13]ディベート以外の部分も含めてツアーでの経験を多く盛り込んで、友人や関係者の方々との交流をはかるものにするつもりでした。一部個人的になりすぎた投稿やくだらない投稿もありましたが、私たちが反応を聞く限りおおむね良好に働いたのではないか、と思います。

 

 日本語ではなく英語のブログにしたのは、主に訪問校の人達に何をやってきて、これから何をするのかを知ってもらうためでした。一応出国前と訪問前にコーチには電子メールをして、このブログのアドレスを知らせておきました。私たちもアメリカ人ディベーターをホストしたことがあるのでなんとなく分かるのですが、ホスト校の人たちはいろいろと好みを知りたがります。「今までどんなディベートをしてきて、どういったスタイルのディベートが好きなのか」「ディベート以外の活動はどんなことがしたいのか」など、予定を立てるときに役に立った、というコーチからの声を聞きました。次回のツアー・ディベーターの方々も、何かこのような手段を使って円滑に物事を進めてもらえればと思います。

 

 また、神田外語大学の青沼智先生、先ほども述べましたが、神奈川大学の師岡淳也先生、イギリスからコメントを下さった獨協大学の先輩で前回のツアー・ディベーターの是澤克哉さん、その他ブログを見て個人的に電子メールなどを下さった友人の方々からのコメントは大いに助けになり、励まされました。この場を借りて御礼申し上げます。

 

VI. 最後に

 

 5週間という短い間でしたが、ツアーは一生に一度経験できるかどうかというくらいの貴重な経験でした。今回は私たちがたまたま教務職であるということで、このツアーでの全ての経験を外国語・ディベート指導に大いに役に立てていければと思っています。また、今後このツアーの経験者として、ディベーターが日米を行き来する際少しでも助けになれればと思っています。

 

 最後になりますが、このツアーを無事に終えることが出来たのも、日本ディベート協会の綾部功先生、矢野善郎委員長、スコット・ハウエル先生、師岡淳也先生その他の方々の惜しみない協力、米国コミュニケーション学会のケビン・バースキー先生その他全てのホスト校の暖かいもてなしがあったからこそです。ここで厚く御礼を申し上げて、この報告を終わりたいと思います。

 

(たじま のりあき) 獨協大学卒、現神田外語大学非常勤講師

(やまだ かおり) 獨協大学卒、現大妻嵐山中・高等学校非常勤講師。



[1] ディベートのトピック。

[2] 各スピーチの時間配分やスピーチの順番、スピーチする人の割り当て等のディベートの「形式」。

[3] コーチは1993年の日米交歓ディベーターです。

[4] 獨協大学では2005年度にアメリカからのディベーターをホストした際、アメリカ人と日本人一人ずつの混成チームを組みました。

[5] 最近のトーナメントのトロフィーや盾に関しては、乱雑に部屋に置き去りにされていることもままありましたが。

[6] 番組ウェブページは次の通りです。http://www.cstv.com/cstv/programming/debate/debate1.html

[7] さらにこの場にはかけないようなことも聞いていましたが、ここでは割愛させていただきます。

[8] ツアー中スポーツといえばNCAAのバスケットボールでした。残念ながら、概してワールド・ベースボール・クラシックはあまり大きく取り上げられておらず、その話題に詳しいディベーターもあまり見受けられませんでした。

[9]上手なパーラメンタリー・ディベーターに関しては、スピードは同じくらいといっても言葉の使い方に工夫が多くあったと思うので、情報量は日本のポリシー・ディベーターよりも多いと思いましたが。

[10]大学の先輩でありコーチをしてくださった師岡淳也さんがちょうど博士課程でピッツバーグに滞在していたので、その他の点でもピッツバーグで大いに助けていただきました。

[11] もちろん私たちの経験だけを元にして話しているので、それはまれなケースなのかもしれませんが。

[12] 例えばユタにあるウィーバー州立大(Weber State University)のディベートチームも教授の容態の回復を祝福し、トップページにその写真を載せています。アドレスは以下の通りです。http://www.weberdebate.com/

[13] リアーとカーリーのブログのアドレスは次の通りです。http://www.japandebatetour2005.blogspot.com/私たちのブログのアドレスは次の通りです。http://blog.livedoor.jp/ustourjpn2006/

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