1997年10月1日
日本ディベート協会
日米交歓ディベート委員会
委員長 矢野 善郎
1997年度の日米交歓ディベート日本ツアーが,6月12日から7月8日にかけて行われました。来日したホリハン先生のレポートにも``smashingsuccess''とありましたように,多大な御後援をいただいた(株)バベル様,日本各地のホストの皆様,JDAの会員の皆様の御協力のお陰で,ツアーが成功のうちに終了しましたことをご報告させていただきます。
私自身は,これで二度目のツアー責任者となり,とりあえず今回で御役御免となります。一人一人お名前をあげることはかないませんが,この二度のツアーの間大変多くの方のお世話になりました。この2回のツアーのマネージは,私個人にとっても大変貴重な経験になりました。皆様のお陰で何とか大過なく終わらせることができたのではないかと自負しております。本当にありがとうございました。(なお次回の'99年度の日本ツアーは,JDA理事の臼井直人さんが責任者となる予定です。)
委員長を務めたこの5年間ほどで,日米交歓ディベートとそれを取り巻く社会環境は,ゆるやかにではあっても,大きく様変わりしたように感じられます。私が学生だった頃の日米ディベートでは,大学生団体がホストの大半を占めていたと記憶しておりますが,今回のツアーでは,同じ大学でも教官主催のイベントが多くあり,しかもホストにはビジネスマンの団体も増えております。また新聞社主催のディベート大会などもツアーの一環に組み込みまれました。
こうした変化の背景には,言うまでもなく,日本の社会そのものに「ディベート」が普及してきたことがあります。日米ディベートの変化だけを見ても,ディベート教育が日本に「導入される時期」から「定着期」に入ってきたとの印象を持ちます。従来までの日米ディベートの目的は,ディベートを紹介することを中心にしていたのですが,今後はその目的を定着期ならではの課題に応えられるように明確に移行していく必要があると感じられます。特にディベート教育が歪曲された形(ディベートがある種の独善主義・国家主義的な主張と結び付けた形)で「定着」するような事態を防ぐなど,定着期には定着期の課題が山積しています。日米ディベートは定着にあたっての様々なヒントを提供してくれます。
今回のツアーでも,来日したホリハン先生,ケイト,スコット三人とも,日本の学生がディベートを``debategame''などと表現することへ違和感を表明していました。ディベートを行うのは確かに専門家でない学生等かもしれませんし,ディベートが試合の形を取るのも事実でしょう。しかしそうではあっても当事者にとっては真剣な討議であるべきであって,単なる「ゲーム」としてやるべきではないはずだ。こうした教訓が彼らとの対話を通じて分かってくるのです。
独善的な島国ディベートに終わらず,真に意味のある形でディベートを日本に定着させるためには,日本とディベート先進国であるアメリカのディベート・コミュニティとの対話の継続は不可欠でしょう。そのためにも日米交歓ディベートの意義は,今後ともますます大きくなっていくことは間違いないと思われます。
このプログラムへの皆様の変わらぬご支援を,是非ともよろしくお願いします。