4回JDA秋期ディベート大会決勝戦

 

JDA Vipers (安藤温敏、臼井直人)
vs.
アンサンブル
 (山中 允・樋口真弓)



論題:日本国は、一般市民が裁判内容の決定に実質的に関与できるように
裁判制度を変えるべきである。

2001年9月15日

編集:安藤温敏

 

はじめに

2001年9月15日、九州大学六本松校舎にて、第9回JDA春期ディベート大会が開催された。12チームが3試合の予選を行い、勝ち数と得点により、JDA Vipersチームとアンサンブルチームチームが決勝戦に進出した。決勝戦の審査員は、鈴木 健、平橋隆臣、芳野洋文、曽野裕夫、矢野善郎の5名。このうち3名の審査員が否定側に投票し、アンサンブルが優勝した。また、審査員の協議により、アンサンブルの山中 允氏がベストディベーターに選出された。

本トランスクリプトは、この決勝戦の模様を記録したものである。トランスクリプト作成にあたっては、当日撮影されたビデオテープをもとに、ディベーターの喋った内容を極力そのまま記録し、さらに、各ディベーターによるチェックを行った。

なお、本トランスクリプト中に引用されている証拠資料(エビデンス)については、一切検証作業を行っていないため、使用の際は、原典にあたり、問題のないことを確認してから引用していただきたい。

肯定側第一立論

肯定側第一立論(樋口真弓

始めます。
ここで問題にするのは、刑事裁判の事実認定です。
裁判で最も重要なのは、有罪なのか無罪なのか、事実をしっかりと見極めることです。

論点1.このディベートの判断基準を示します。
基準。刑事裁判において、万が一の冤罪を防ぐことが、最も重要です。
再審・えん罪事件全国連絡会事務局長の瑞慶覧 淳(ずけらん・あつし)さんは、『えん罪入門』のなかで書いています。「無実の人が誤った捜査、裁判によって犯人とされ、時には死刑に処される−これほどの悲劇はありません。冤罪事件の犠牲者とされた人たちとその家族の悲劇を語り尽くすことは到底できません。その人たちは、人間としての自由と尊厳を奪われ、時として命さえも絶たれてしまうのです。」終わります。
この冤罪の論点を、時間や経済の論点より優先して考えるべきです。

論点2.日本には冤罪が起こっています。
信じ難いことですが、日本でも冤罪があります。冤罪で死刑になりかけて、明らかになったものだけでも4名。他にも27名の冤罪事件が明らかになっています。しかし、ことがことだけに、隠れた冤罪のほうが多いと考えられます。
評論家、大野達三さんは、92年に「日本の検察」のなかで書いています。
「ここにあげた事件は、既に決着済みのもの、再審請求中のものといろいろであるが、冤罪事件の全部ではない。このほかにもたくさんある。また、泣き寝入りしたものや軽微な事件も考えるとおびただしい数になると思われ、さらに新しい冤罪事件が常に生産されていることは確実である。」引用を終わります。

論点3.冤罪の原因は、裁判官の事実認定にあります。
裁判には、二つのステップがあります。初めに、どういう事実があったのかを認定する。事実認定の段階です。次に、それに対して法律を当てはめる。法適用の段階です。この二つの段階があります。冤罪は、事実認定を間違うために起こります。無実の人を犯人だと決め付けてしまうのが冤罪です。これは、事実認定の誤りです。
ここまでの結論をまとめます。刑事裁判の事実認定を正しくできるようにすれば、冤罪が減るといえます。そこで。

論点4.裁判官が事実認定を間違う理由は、2つあります。
理由1.社会経験がない。社会経験がない、です。
刑事事件は、広い社会で起こります。しかし、裁判官は他の職業に比べ、多様な社会を渡り歩く経験がありません。
弁護士の山田俊介さんは、2001年8月に、ふじ総合法律・会計事務所ホームページで次のように書いています。
「法の解釈はともかく、事実の認定に関しては、裁判官が一般人より優れているという保証はない。いやそれどころか、社会の中で現実に生活している一般市民のほうが、純粋培養で育てられ世間から隔離されている今の裁判官よりは、常識をわきまえているのであろう。意外に思われるかもしれないが、常識はずれの事実認定を基に有罪判決が下されるのが結構多いのである。」引用を終わります。
こうしたことの原因として、関西学院大学の丸田隆教授は、90年に「陪審裁判を考える」のなかで書いています。
「二年間の研修を終え、任官すると、黒い法衣を着て、弁護士の経験もなければ、会社勤めなど他の仕事の経験もないまま、人生経験のきわめて限られた裁判官として、人を裁く席にすわるのである。(中略)庶民と生活をともにし、庶民の生活感覚を敏感に察する機会にはなかなか恵まれていない。」引用を終わります。
この結果、事件の起こった背景をつかめずに誤った判決を下すのです。
理由2.有罪推定。有罪推定です。
裁判は黒か白かで簡単に決まるわけではありません。どちらとも確信が持てないグレーゾーンの人々もいます。この場合「疑わしきは被告人の利益に」として無罪になるのが原則ですが、これが守られず、疑わしきは有罪になってしまっているのです。
現状として、いまの刑事裁判の有罪率は99.9%です。1000人の被告がいても、無罪にするのはたった1人だけ。この結果、裁判官ははじめから被告人が有罪であるという思い込みを持つようになります。
東京大学名誉教授の渡辺洋三さんは、98年に「法とは何か」のなかで書いています。
「こうして、法廷では、本来、被告人は涼しい顔をして自分は無実とだけ言えばよく、それに対して検察官が有罪の証拠をださなければならないはずなのに、実際には、被告人が必死になって無罪を主張し、かつ証明しなければならない。これでは、逆立ち法廷であり、近代法廷とはとても言えない。こういうことが許されるならば、国家権力は、少し極端な言い方をすれば、いくらでも冤罪をつくり出すことができる。」引用を終わります。
これは大変深刻であるといえます。

以上の問題を解決するため、私達は、参審制を提案します。
参審制とは、ドイツやデンマークで導入されている、裁判官と一般市民が合議で裁判を行うシステムのことです。
プランは6点…プランクは、6点です。
1点目.導入するのは、刑事裁判の事実認定についてです。法律の適用は含みません。
2点目.裁判官と参審員は、1:2の比率にします。
3点目.全員一致で評決を行います。
4点目.参審員は、市民からランダムに選びます。
5点目.参審員の任期は、一年とします。
6点目.憲法を含め、必要な法改正を行います。

論点5.解決性。冤罪が減ります。
なぜなら、一般市民が加わったほうが、正確に事実を判断できるからです。
以下、順に論じます。
解決性。市民を加えることによって、論点4.の理由1が改善されます。
参審員は裁判官よりも豊富な社会経験を持っていますから、裁判官に示唆を与えることができます。参審制をとっているデンマークの弁護士・ボーエルスキフテさんは、98年「デンマークの陪審制・参審制」で書いています。
「法律書の中に埋まって生活していると、『あの被告人や証人が言ったことは嘘だ』と単純に裁判官が考える傾向がある。たとえば、麻薬所持の事件で、『誰かが自分の鞄に入れた』という弁解を裁判官は簡単には信じないだろう。陪審員や参審員が『ああいうことを聞いたことがあるし、ああいうこともあるよ』と一言言うだけで、裁判官がふと人間性を取り戻すことがあると思う。発想が全然違うので、人間的なエレメントが入ってきて、良い結果を及ぼすのではないか。」引用を終わります。
この方は、次のように結論付けています。
「1人の裁判官の判断を受けるよりも、(中略)2人の参審員がいたことによって、被告人がより良い取り扱いを受けたことを何度も実感している。」引用を終わります。
これは現場からの声として、とってください。
さらに日本でも、論点4.理由1の一枚目の証拠資料で、弁護士の山田さんが同様のことを仰っています。
次に、理由2が解決します。
参審員は刑事裁判に始めて接することになりますから、何百件とこなす裁判官とは違って、有罪推定がありません。これによって、グレーゾーンの被告人が、無罪を勝ち取るようになります。


質疑応答
否定側質疑(臼井→樋口)

臼井:テロ事件大変ですよね。
樋口:はい。
臼井:大変ですよね。
樋口:そうですね。はい。(笑)
臼井:あの、ビンラディン氏がいろいろ疑われてるんですけど、どう思いますか。やったとおもいます?
樋口:いえ、正当な証拠がない限り、そうは思いません。
臼井:なるほど。麻原彰晃好きですか?(笑)
樋口:あ?、そんなに…好きとかそういう…見た目的にはあまり好きじゃないですけど…
臼井:見た目的に好きじゃない。(笑)あ?なるほど、見た目的に好きじゃない…なるほどね…うぁ?、そうですか…。あの?…[ぼそっと]見た目的に好きじゃないのか…。あのですね、社会経験が[不明]な人がいいんですよね。多様な社会経験…。
樋口:はい。
臼井:多様な社会経験って何ですか。
樋口:多様な社会経験というのは、例えばこの中では、特に、事実認定についての話をしているんですけれども、もともとこれ、事件というのは、社会の中で起こるわけですね。[不明]…
臼井:私は大学の先生をやっています。私はコミュニケーション学を教えています…
樋口:はい。それも一つの社会経験…
臼井:これって、多様な社会経験ですか?
樋口:いえ、でも、学校の中だけじゃないですよね…
臼井:私はその…例えば、縁故犯罪で…分からないですけど…愛人が、元の旦那を殺してしまって、そこに関する人間関係という…僕不倫したことないんで、経験ないんですね。
樋口:はあ、なるほど。はい。
臼井:そういう人間が、参審員になっちゃうんですね。要するに。
樋口:でも、今よりはましですし、それに、参審員が二人加わりますよね…
臼井:あと、あと…
樋口:最低で三人ですから…社会経験をもった人が…
臼井:あと、あの…事実認定って簡単なんですよね。そういった意味では。おっしゃるように。
樋口:そうですね…
臼井:簡単なんだったら、そんな…それくらいの常識をもってれば、事実認定できるわけですね。こうですよ、こうですよ、こうですよ、だからこの人有罪ですよね、とか、そういうので…簡単にできるわけですよね。
樋口:はい。そうですね。まあ…
臼井:簡単にできるんだったら、何で裁判官がやっちゃいけないんですか。
樋口:それは裁判官が有罪推定を働かせたり、マンネリ化しているというのもありますし、また、閉鎖的な社会にずっと生きている…
臼井:閉鎖的な社会で生きているけれども、もちろん仕事としては裁判にでてるでしょう。裁判官にも社会は、生活はありますよね。もしかしたら、15歳になって、ぐれている子供の面倒を見なければいけないかもしれない。生まれたばっかりの子供の面倒を見なければいけないなんてこともあるかもしれないですよね。
樋口:裁判官は、特に、拘束されている時間の長いといわれている仕事ですから…
臼井:裁判官に…、歌舞伎町で飲まないですかね。
樋口:さ?ちょっと、私裁判官じゃないんで、分からないですけど、でも真面目な方だと思いますよ、裁判官は。(笑)
臼井:なるほど。ほぉ、真面目な方…ということは、真面目で、なおかつ法律のことも良く知ってて、で、簡単な事実認定を、敢えて、何も知らない素人にやらす、と…
樋口:ま、何も知らないかどうかは分からないですけど…
臼井:何も知らないというか…
樋口:裁判官が知らないことは知っていると思いますけど…
臼井:多様な社会経験、というのは、一体どこまでの範囲のことを…最後にもう一回聞きますが。
樋口:多様な社会経験…それは、その[時間切れ]…
臼井:ありがとうございます。
樋口:一言で答えなくてすいません。
臼井:いえ、とんでもないです。

否定側第一立論
否定側第一立論(安藤温敏)

では、否定側立論を始めたいと思います。よろしいでしょうか。
それでは、否定側立論は、デメリットの提示から始まります。デメリットは、「日本国憲法に反する司法制度」ということです。
Aとして、肯定側の提案する制度、参審制は、日本国憲法の理念に反しています。
一点目。日本国憲法は、その前文で、「日本国民は、政党に選挙された国会における代表者を通じて行動し…」とあり、すなわち、日本は代議制を政治的原理として採用しているのです。すなわち、国民はあくまでも自らの代表者を選ぶのがその役割でして、自らが直接政治内容に関与する必要はない、ということを定めたものです。
二点目。さらに、憲法76条3項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律のみに拘束される。」としていることからも、上記の理念は裏付けられます。
三点目。彼らのプランは、必要に応じて憲法も改正する、という風に述べていますが、憲法を改正する、というのには、国会の3分の2以上の賛成と、国民投票の過半数が必要ですね。そうしたことができるということが証明されていません。
B、司法による憲法無視は致命的な結果を産みます。
司法は、行政・立法の違憲な政策や立法をチェックする役割を担う唯一の機関です。その司法が憲法違反を犯したら、行政や立法に対して示しがつかなくなり、彼等に対して歯止めが利かなくなってしまいます。

次に、代替案を提示します。
代替案は…代替案の背景として、現在の問題は何故起こっているかというと、日本の裁判官制度が非常に官僚的だということから来ています。これは、弁護士の松井康浩さんが1987年に述べています。「しかしながら、司法行政上の地位につくためには、上司のおぼえがよくなければならないところから、人事権をもつ上司の意に反する裁判は行い難くなっていく。[中略]したがって司法行政権による公正裁判の侵害は上司の意を汲んでの迎合的判決という形がとられることになる。このように司法行政上の上司が、転勤、昇給などに強い力をもつという官僚制度の存在そのものが、裁判官の独立と裁判の公正を司法の内部から侵す元凶といえるのである。」ということです。

そこで、否定側は、一般国民が実質的に裁判内容に関わるのではなくて、間接的に自ら選んだ専門家に裁判を任せる、以下のカウンタープランを提案します。
条項1:全国全ての裁判所の管轄域につき一つ、裁判官推薦委員会を設けます。
条項2:裁判官推薦委員会は、現在の法曹三者および今後の司法試験合格者を被選挙権者とした、裁判官選挙を行います。裁判官選挙には、参政権を持つ全国民が各々一票を持ち、多数決により、管轄域内の裁判官として推薦するにふさわしい者を選出します。
条項3:裁判官候補の被選挙権を得るためには、司法試験合格後、少なくとも10年の、裁判官以外の職業での実務を積むことを要件とします。
条項4:選出された裁判官候補は、裁判官推薦委員会により裁判官を任命する機関に推薦され、憲法に基づいて任命されます。
このカウンタープランが、否定側への投票理由になることを、以下の三つの論点で証明します。

論点1:カウンタープランは…代替案は、論題の外にあります。
すなわち、代替案は、一般国民が裁判内容の決定に実質的に関与するわけではなくて、だれが裁判官になるかを決定しているに過ぎません。

論点2:プランと代替案の同時採択はするべきではありません。
a) プランと代替案を同時に採択しても、得られる利益は一緒です。従って、ムダです。
b) デメリットのところでも説明したとおり、プランは憲法に反しています。代替案のみが憲法に合致しています。
c) プランと代替案を同時に採択すると、裁判官の負担が増えます。裁判官は通常の…普通の裁判のプロセスと、参審のプロセスと、両方に対応しなければならなくなり、自らが出す判決に集中できなくなり、判決の質の低下を招きます。
d) さらに、プランと代替案を同時に採択すると、国民の負担を招きます。国民は、すでに裁判官選挙で、十分その権利を行使しているのですから、その上、さらなる負担は求めていません。

論点3:代替案は、プランよりも望ましい結果を生みます。
まず、こうした冤罪が発生する原因として言われているのが、裁判官の、そういった間違った…慣れですとか、官僚的な判決ですとか、そういったところにある、ということですから、代替案を採択することによって、そうしたことはなくなって、問題を解決することができます。
さらに、代替案は、全国民が選挙に参加できるわけですから、より民主的であるといえます。従って、代替案が優れています。

さて、肯定側のメリットに行ってください。
まず、一番最初に、判断基準として、万が一の冤罪を防ぐのが一番重要である、ということをおっしゃっていました。しかしながら、これに対して陪審制、参審制を導入する、というのは、全く的外れなことです。これは、荒木氏が…立教大学の荒木氏が、91年に述べています。「しかし、神ならぬ人間が、しかも、時間的・資料的制約の下で事実認定を行うことに由来する誤判・冤罪までを、陪審制導入によっては防止できないという限界を、忘れてはならない。」ということです。
つまり、これは、陪審制のことですけれども、もちろん参審制にも当てはまります。神ならぬ人間が、判断を下す以上、間違いがある、ということは避けられない。絶対ということは絶対にありえないわけです。
次、問題の原因として、一点目、裁判官に社会経験がない、ということをおっしゃりました。これは、代替案によって解決できます。代替案は、社会経験をもつ裁判官を、導入する、ということです。
二点目、グレーゾーンにおいては、有罪推定が起こる、ということをおっしゃっていました。
反論の一点目として、まず、現在、99.9%の有罪、ということは、0.1%は、少なくとも無罪になっている、と。ということは、別に有罪推定が働いているわけではなくて、単に、検察がきちんと起訴している、ということに他ならないと思います。
二点目として、代替案が、この問題を解決します。有罪推定が働かないような、リーズナブルな裁判官が、裁判官になります。
三点目として、現状においては、検察が、ほぼ完璧に有罪を確定したケースしか起訴していません。
これは、参議院議員の佐々木知子氏が述べていることです。「検察が基礎に踏み切るのはほぼ一〇〇パーセントの有罪を見込んだときである。捜査権を持つ検察が、調べられるものは人も物(ブツ)もみな調べた、証拠はばっちり、どこからでもかかってこい、と本命勝ちを確信して初めて起訴をする。」ということです。
ですので、問題は裁判官にあるのではなくて、検察が優秀だ、ということを証明しているに過ぎない、ということです。
そして、解決性に行ってください。
参審制によって、問題が解決できると、肯定側はおっしゃいました。しかしながら、現在の日本の国民性から考えると、裁判官に迎合したり、従ってしまうことが、十分予想されます。
これは、丸田隆氏が述べていることです。「結局『日本人』であれば『お上』に従順で、職業裁判官を尊敬しているわけであるから、むしろ裁判所の指示どおりに機能することが考えられる。」ということです。
そして、このことがかえって…[時間切れ]


質疑応答
肯定側質疑(樋口→安藤)

樋口:始めます。まず、私たちのプランに対して違憲だということをおっしゃっていましたね。私たちは、プランクの六点目で、プランを…憲法を含めて、法律を変える、ということを言っているんですけれども、それは理解されているでしょうか。
安藤:ですが、憲法を変えるためには、国会議員の三分の二の賛成と国民投票を通らなければいけない、という…
樋口:問題はそれだけですか。
安藤:それができる、という、ことが証明できていない、と…
樋口:はい、なるほど。それだけですね、プランのところで…ここについての問題は。
安藤:あのですね、ま、いわゆるフィアットっていう概念もありますけれども、それは…
樋口:あ、はい、ごめんなさい、[不明]。
安藤:いいですか。
樋口:で、次、全体として、そちらのカウンタープランというものは、代議制、つまり、選んだ人たちがやる、という風に…
安藤:しかも、裁判官の…裁判官のではなくて…法曹の資格をもちつつ、人生経験も豊富な人を選ぶことができる、というのが、代替案です。
樋口:あ、はい、それは、選んでやる、ということのもとは…あなた方がおっしゃる、それは何ですか、その、いいこと…
安藤:それによって、現在官僚的な裁判官の制度をなくす。今は、上司の顔色をうかがいながら判決を出さなければいけないので、非常に、国よりですとか、大企業よりですとか、ま、刑法であれば、検察と司法が結びついてしまっているような、判決が出ています。そういう判決をなくします。
樋口:はい。それと続いて…検察が一〇〇パーセント有罪を取れる確信があるもののみを起訴しているから、有罪率が高いんだ、という風におっしゃっていましたけれども、これは、この資料が言っているのは、一〇〇パーセント有罪が取れると見込んだとき、ですよね。検察が見込んだとき、ですよね。だから、実際にそれが、本当に絶対にとれるものだと…正しいものだという保障にはなりませんよね。
安藤:で、それで見込み違いだったものが、〇・一パーセントだった、と。そういうことです。
樋口:はい、わかりました。
安藤:つまり、二重のチェックが働いているわけですね、裁判官と…
樋口:二重のチェック…
安藤:検察によるチェックと、裁判によるチェック。
樋口:う?ん、[不明]。一番最後の主張のところで、丸田さんの資料で、裁判官は…参審員は、結局裁判官の指示どおりに動いてしまう、という風におっしゃっていましたね。ここの部分なんですけども、丸田さんの言っている参審制というのは、私たちのプランと同じものなんですか。
安藤:ほぼ、同じものだと思います。
樋口:量刑について、我々は扱わないんですけど、確か、私たちの方にもたまたま同じ資料があるんですけれども、確か、丸田さんが言っているのは、確か、量刑を扱う場合ですよね。ですから、法適用と、事実認定を同時に行う、というプランを想定していますね、丸田さんの資料は。
安藤:え?、まあ、それについてはそうかも知れません。
樋口:あ、はい、分かりました。じゃ、以上で質疑の方を終わりにします。ありがとうございました。

肯定側第二立論
肯定側第二立論(山中 允)

始めます。
それでは、デメリット。違憲のところからご覧ください。否定側はデメリットを違憲とおっしゃったんですけれども、これはあたりません。二点に分けて反論したいと思うんです。
まずそもそも違憲だという証明がない、違憲ではないという反論をします。二点目として、違憲だったとしても、それはいいものだったら、我々は憲法を変えるべきであって、「すべき」という論拠を否定するものではないという反論をしたいと思います。
まず一点目、これは合憲です。Aの一番目の部分なんですけれども、否定側が違憲の論拠として挙げられたのはたった二つですね。ひとつは前文、もう一つは32条です。どちらも、明文で違憲だとは言っていません。
まず前文について反論をします。
まず一点目として、この前文の規定は立法府について定めたものであって、だから憲法では国権の最高機関だと解釈されているんです。これについては、他のものについてさだめたものではありません。だからあたりません。
二番目。仮にこれが違憲だとするなら、裁判官も同じです。だって裁判官だって、いま独裁的に選ばれているわけですね。官僚によって。ですから同じです。整合性がありません。
三番目。恐らくこうおっしゃるでしょう、裁判官には最高裁の国民審査があるとおっしゃるでしょう。でもその程度のものすごい遠いところの代表者を認めるのであれば、この参審制だって、ちゃんと正当に選挙された人たちが、議会の場で立法するのですから、これも合憲だと思います。同じレベルです。
で、四番目。さらにこの前文そのものには、意味がありません。なぜならば、前文は、法律の条文に落とされて具体的に法的拘束力を持つのであって、前文そのものに法的規範力はないからです。これは自衛隊の訴訟などで、判例になっています。あ、判例にはなっていないかもしれませんが、学界の大勢です。
次に、32条について。まず32条については、これはどういう条文かというと、かれらも言っていたんですけれども、こう書いてあるんです。「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」。よろしいでしょうか。「裁判所において」。裁判官ではなくて。ですから、これについては、別に裁判所に参審員が入ればすむことですから、全く違憲ではありません。
それから76条で、まあ関連条項としては、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」という文があるんですけれども、あらかじめ言っておきますと、それは職権の内容を、我々は変えるということを申し上げているだけであって、裁判官の独立を侵しているわけではありません。
二番目として、「この憲法及び法律にのみ拘束される」と明文で書いてある。ですから立法すれば、彼らは従わざるを得ないんです。それは、合憲です。よろしいでしょうか。
今のが合憲だという議論です。
次に、仮に違憲だったとしても、だったら、我々は憲法を変えるべく運動していこうじゃありませんか。まさにこれは肯定側を勝たせて、そのことによって世の中に動きを起こしていくべきであって、これを否定側の投票事由にしてしまったら、本当はいいことなのに誰もやらないから、いつまでたっても動かない。そういう状態になってしまうだけです。ですからこれは、ディベートの議論に関係がありません。

次に、カウンタープランです。
まずカウンタープランについて、一番最初に問題分析で、上司の判断が重要とおっしゃったんですけれども、これについては我々の問題分析を否定するものではありませんので、えーと…まあ、余計な問題を解決してくださったということだと思います。全体のディベートには関係がありません。
で、関係があるのは競合性ですね。
4点挙げられたんですけれども、順番に反駁していきます。
まず一点目として、メリットが同じだということをおっしゃったんですけれども、これは同じではありません。なぜならば、否定側のカウンタープランはですね、法曹資格。つまり、何年間も、学生時代とか、若い時代を、ずうーっと何十年も、まあ何年も、司法試験ばっかりやってきた人たちに、やらせるという話ですね。これが充分だという話はないと思います。
弁護士の西村健さんは、2000年に「日本に陪審制度は導入できるのか」のなかで次のように書いています。「その観点から法曹一元が提唱されている。中略。しかし、弁護士も専門家であり、社会の中の一部を構成するに過ぎない。そこで、民主的コントロールを高めるには、より幅の広い階層からより多くの市民が参加する制度の方が望ましい。」引用を終ります。
つまり、同時にやればいいんですけれども、我々は同時にやろうと思いますけれども、参審員が入ったほうが、さらに望ましくなるんです。このことは証明されています。従って、競合性はありません。
2番目。違憲だということをおっしゃったんですけれども、これは先ほど解決されました。合憲です。
3番目。CとDですね、負担になるというお話があったんですけれども、負担。なっていいじゃないですか。それは正しい判決を得るためで、我々が殺人者にならないためなんです。冤罪を造らない為なんです。なによりも、人の命を我々は重視すべきだと思います。それこそ、日本国憲法に書いてあることです。
最後に、優位性として、全国民が携わるから優れているとおっしゃったんですけれども、なぜそれが優れているのか、わかりません。国民が携わるかどうかよりも、その結果正しい判決が得られるかどうかを重視すべきです。我々の立論はそういうことであって、これは全然優位性になっていません。

さあそうすると、否定側の議論は全てつぶれましたので、メリットについて、これが残るかどうかと言う話になります。ケースについては何点か反駁がありましたので、まずスピーチ順に行きたいんですけれども。
上から、まず一点目。冤罪についてですね、神ならぬ人間がやるんだから、陪審だからといって、防止できないじゃないかとおっしゃいました。それは認めます。防止するなんて誰も出来ません。ただ我々が言っているのは、今よりも良くなるという話をしているんです。All or Nothingの話をしているんじゃないんです。その点については、彼の反駁は反論になっていないと思います。
次に、論点4について、カウンタープランで解決できると言う話は、先ほどカウンタープランでは不十分だということを申し上げました。社会経験は一般市民が入った場合、より幅広い多様性が確保されるわけですね。そのほうがいろいろな見方ができると思います。
次に、論点4の理由の2について、3点反論があったんです。
一点目として、0.1%が無罪じゃないか、だからちゃんとやっているとおっしゃった。これはやはり乱暴な議論だろうと思います。我々が申し上げたのは、真っ白な人ですね、明らかに無罪。真っ黒な人、明らかな有罪。で、グレーゾーンの人々がいるんです。で、いまの0.1%というのは、明らかに無罪な人たちが無罪になっている。それはいいだろうと思います。ただ、我々が申し上げているのは、そこから有罪推定が発するということで、グレーゾーンの人たちが有罪にされているという話をしているんです。だから、0.1%無罪があるから、裁判が全部適正だという反論にはなっていません。宜しいでしょうか。
次に、反駁の2点目は、カウンタープランで解決すると言う話でしたので、これはつぶれています。
反駁の3点目。残っているのは。
検察が、100%有罪を見込んだときだけ起訴をするというお話がありました。しかし、これは乱暴な議論です。見込んだときだけ起訴をする。それは認めても構いません。でも、検察官の判断が正しいと言うのは誰が証明するんですか。それは客観的に正しいという証明は、誰にも出来ませんよね。だから、裁判がある。で、裁判の場においてチェックするときに、裁判官と、参審員がいたほうと、どちらが良いかですね。市民が加わった方がいいだろうという話をしている。ですから、こういう人々が頑張っていらっしゃるのは認めますけれども、それでもミスがある。冤罪が起こるというのは論点2で証明している以上、やはりそれを減らす努力をすべきだろうと思います。
そうするとですね、最後に残っているのは論点5の解決性に関する反駁です。まず、解決性2については反論なかったわけですが、1についてこうおっしゃいました。
丸田隆の資料を挙げられて、裁判官の指示どおりに、参審員は機能してしまうと言う話でした。
2点あります。まず1点目として、丸田隆が前提としているのは、これは量刑の話なんですね。参審員は一般的には量刑もやる。我々は事実認定のみに限っている。量刑の話をされているので、あたりません。
2番目として、これが全ての参審員だということをおっしゃっていません。彼らは、我々の立論を減らしているかもしれませんが、ゼロにはなっていない。やったほうがいいかどうかということについては、ベクトルを逆に出来ていないんです。
以上で終りたいと思います。

質疑応答
否定側質疑(安藤→山中)

安藤:えーと、では、肯定側の立論のところの話からやっていきたいと思いますが、私が読んだ「ほかならぬ人間だから、絶対ということは絶対ない」、これに関しては認められた、ということいいんですよね。
山中:絶対に…。認めます。
安藤:で、今よりも良くなる、という風におっしゃっていますけれども、どの程度…今だって、何件冤罪があるのか、とか、それがどの程度防がれるのか、とか、そういった証明って、されてましたっけ。
山中:どの程度、というと、数値化して、ということでしょうか。
安藤:ええ。
山中:我々の立論で述べているのは、そもそもが、冤罪なわけですから、ことがことだけに、数字であらわせるものではないんです。ただ、そういう場合に、我々はどうするか、というと、システムを見て、これは冤罪を生み出すシステムの可能性があるな、と思ったら、改善すべきであると、論点の4と5で証明しました。
安藤:ああ、なるほど、分かりました。じゃ、もう少し…じゃ、利益の中身に入っていきたいんですが、事実認定をされる、とおっしゃっていましたけれども、事実認定というのは、それでは、具体的にどういうことをされるのでしょうか。
山中:例えば、事実認定と、法律の適用というのを、論点3で分けているんですけれども、法律というのは…事実認定というのは、例えば、殺人罪、といって起訴されてきた被告人が、本当にそのことをやったのかどうか、ですね。
安藤:で、本当にそのことをやったのかどうか、というのを、参審の方が一緒に判断する、ということですか。
山中:そうです。それを、全会一致で議論する、ということです。
安藤:あの…、何に基づいて…当然裁判ですから、証拠に基づいて決めると思うんですけれども、その、証拠が証拠能力を持つかとか、そういう所まで、参審員の方が一緒に議論するんでしょうか。
山中:証拠能力というのは、これは、法律学的な用語ですけれども、違法な証拠は法廷に出してはならない、だから、法廷に出す的確な証拠かどうか、というのを証拠能力といってるんですね。それは…
安藤:えーとですね、裁判において、証拠を出しますよね。証拠を出して、それが違法だとか違法じゃないとかいう、争いになっていくわけですよね、それが裁判ですよね。
山中:いえ、違います。
安藤:何が違うんですか。
山中:証拠には、証拠能力と証明力、という概念があって、証拠能力は、そもそも例えば、違法に集められた証拠とか、伝聞証拠なんか…そういう、違法だ、という証拠をあらかじめ排除する、これは例えば…
安藤:その、あらかじめ排除するっていうのは、どこでおっしゃったんですか。
山中:え…それは…
安藤:あらかじめ排除するなんておっしゃっていないですよね。
山中:言っています。それは、プランで、法適用は裁判官がやる、という風に申し上げています。
安藤:法適用は裁判官がやる、っていうのは、参審員がいる前で、法適用するんじゃないんですか。参審員がいるところで法適用していくんじゃないんですか。一体どういう風にされるんでしょうか。
山中:参審員がいる前で結構です。アメリカの陪審裁判でよく…映画がありますよね。裁判官が「陪審員はこの証拠を考えないでください」、ああいう風なことを裁判官が…あれは、証拠能力を判断…
安藤:やるわけですよね。で、そういった証拠を採用するかどうか、というのは、裁判官の裁量なわけですよね。
山中:違法かどうか、というのはそうです。ただ、この証拠能力が強いかどうか、というのは分かりません。判決に影響するのかどうかと違法…
安藤:ま、いずれにせよ、証拠に関してある程度裁判官の裁量が入ってくる、[時間切れ]それに関してはよろしいですね。
山中:今よりはいいですが。

否定側第二立論
否定側第二立論(臼井直人)

多様な社会経験をもっている人たち、それを肯定側は、私たち一般庶民だと言っていました。はたして、私たちは本当にそのような多様な社会経験…刑事事件なんていうものを本当に理解するような社会経験というのを持ち合わせているのでしょうか。それが私の大いなる疑問であります。
まず、一番最初ですね、例えば、学者の人たち、と言っています。学者といってもいろんな人がいます。例えば、文学に30年命をささげている人、私のように、コミュニケーションでディベートを教えているけれども、経済問題に関しては全く素人の人、よく、学生その他の人たちは、残念ながら、最近は、世間知らずだ、なんていうようなこともよく言われたりもします。そのような人たちが、例えば、脱税容疑に関しての刑事事件とか、もしくは、不良債権の責任問題なんていう、そういうふうな大きな問題の事実認定をしろ、と言われて、そんなことが、はっきり言って、よく分かるのでしょうか。そこまでが、非常に…全然証明のないところだと、私は思います。
そしてなおかつ、質疑応答の時に、質問で、私はこのように言いました「麻原彰晃嫌いですか?」。これは実は、プラクティスをやったときにもした質問で(笑)、そこで何とかかわそうとして返事をしようとしてたんですけれども、でも「私は見かけは好きじゃありません」そのように、予断を持っている人たちが、参審員の中にはいるかもしれない。そしてなおかつ、刑事事件で、国が、例えば、テロリスト麻原、というものを抹殺したいというふうな立場に立ってるときに、すなわち、国の意向と、国民の意向が合致していて、そういう状況になったとき、というのは、国民というのは、はっきり言って、国の言いなりになってしまうというふうなことが、起こりうるかも知れません。まだ、今現在でも、麻原彰晃氏は、まだ容疑者であるにも関わらず、私たちの心の中には、既に犯罪を犯してしまっている…実際に殺しとか、そこまで推定する人がいるかも知れません。それを、何とかするために、例えば、都合のいい証拠資料を出して、裁判官が説得をして、それで参審だ、という風なかたちで流してしまう、という風なこともあるかも知れない。そういうことが起こってしまうシステムである以上、この問題は見逃すわけには行きません。
安藤君の方が最初に読んだ、荒木…立教大学の荒木さんの中では、事実認定を行うことに由来する、誤判、冤罪までは、陪審制導入によって防止できない、という事実を忘れてはいけない、このように、立教大学の学者さんのひとたちが、そういうふうな事実認定ですら、間違う可能性がある、という風にいっています。
そして、二つ目に、金沢大学の安村勉先生が、ジュリストの4月10日、2001年のときに、このように言っています。「プロの裁判官と国民とが共同で審議・決定する参審制の場合、素人である国民は、プロの裁判官の意見に対抗できないのが現実であって、参審制は、国民参加制度としては不十分である。」という風にいっています。
今まで具体的に挙げたようなこと、「分からない」とか、「この人嫌い」とかいう風なことに合致する場合、というのは、ものすごく多くあると思います。
実際にそういうことで、何年にもわたって参審制を導入してきたドイツでは、そのことによって、非常に、無害無益だ、という風にいっています。
上智大学の教授、青柳文雄先生が1979年にこのように言っています。「陪審よりは参審をという声もきかれる。憲法上の問題を別としても、参審にも問題がありそうである。ながい実績をもつドイツでも多くの裁判官は参審員を無害無益と考えている。彼らは積極的に意見をのべることがすくないか、のべる能力がなく多くの場合職業裁判官の言いなりになってしまうと批判されている。」引用終了。という風なことになっているわけであります。
そうだとしたら、私たちがやらなければいけないのは、国から給料をもらっている、ガチガチの官僚システムに縛られた裁判官ではなく、その人たちが…なにも知らない…非常に限られた知識しかない国民をコントロールするようなシステムよりも、国から自由で、そしてなおかつ社会経験も持ち、そしてなおかつ法の知識も持っている人たちを、私たち国民が選ぶカウンタープラン、このような方がいいのではないか、というようなことが言いたいのであります。
肯定側の方は、それに対して、西村教授、ですか、この人の証拠資料を引くことによって、弁護士も専門家である、より多くの市民が参加する方がいい、という風に言っています。けれども、肯定側と私たちの明らかな違い、というのは、肯定側というのは、国から給料をもらっているガチガチの官僚裁判官が残るということです。私たちは、それが、実際になくなります。そして、弁護士とはいえ、10年間、様々なケース、判例、というものを経験してきているはずです。そこには人情がらみ、いろんな経済問題、いろんなものがかかってくると思います。それを、法の立場から判断することができる人たちである、という風に、私は信じます。
そしてなおかつ、弁護士であれ、さすがに人間です。家庭もあれば、子供もいます。そういう風な意味では、街角のおばちゃんや、普通の学生さんと全く変わらない、というようなことが言えるでしょう。
最終的に私が何を言いたいか、というと、このように、もしも、官僚制度、というようなもので、判定が歪んでいる裁判システムというものが問題であるならば、なにも、そこに何も知らない、限られた社会経験を持ったひとたちを導入するのではなく、むしろ、社会経験を持ち、なおかつ国から自由な法曹経験をもっている人たちを導入する、そういうシステムの方が、私たちは、より良いのではないか、という意見であります。ありがとうございます。

質疑応答
肯定側質疑(山中→臼井)

山中:では始めたいと思います。まずですね、カウンタープランの方から行きたいと思うんです。我々の、スタンスだと、官僚裁判が残るじゃないか、とおっしゃったんですけれども、我々は、先ほど、カウンタープランも同時に採れる、採ります、と言うことを申し上げたんですけれども、それはよろしいでしょうか。
臼井:それは後で、次のスピーチで、安藤君がやります。
山中:あ、そうですか。それは了解した上で、採れないんだ、というスピーチを次でなさるわけですね。
臼井:ま、ディスアドバンテージが立てば、基本的に、良い、[不明]…
山中:あ、分かりました。そっちの話ですね。
臼井:そっちの話です。
山中:はい、そうすると、ケースの方は、論点5についての反論があったんですけれども、まず、社会経験が多様かどうか、という議論がありまして…
臼井:いったい、社会経験って何なんでしょうね。
山中:その前に、多様っていうのは、どういう風に定義されますか。
臼井:それは、そちらが定義することじゃないですか。
山中:はい、分かりました。じゃ、例を挙げられたのがですね、金融事件、あるいは、経済詐欺なんかの事件があったときに、分からないじゃないか、とおっしゃいましたよね、それは、素人には。あるいは我々には。
臼井:少なくとも、大学講師である私にはちょっと分からないですけど。
山中:そうですね。他に分かる方は、じゃ、いらっしゃると思いますか、この世に。
臼井:この世にいるかも知れないですけれども、その人が選ばれるんですか。必ず。
山中:OK。そうした場合に、今は、だれがやっているんでしょうか。
臼井:はい?
山中:今は、裁判官がやっているわけですよね、裁判は。で、裁判官というのは、分かる人たちですか、分からない人たちですか。
臼井:だから、要するにあなた方のプラン、というのは…
山中:イエスかノーで答えていただきたいんですが…
臼井:いや、答えてます、答えてます、答えてます。あなた方のプラン、というのは、それでもそういう事件が起こったときに、そういう風な間違いというものを防ぐことが出来ない、ということです。それは、カウンタープランの方が、それを防ぎやすい、という風なことが、私の主張であります。
山中:う?ん、競合性が成り立つ、という前提でお話をされているんですね。
臼井:安藤君のスピーチに期待してください。
山中:わかりました。じゃあですね、国が抹殺したいとき…例えば、麻原彰晃のような人間を、国が抹殺したいときに、裁判官が参審員を説得するんだ、とおっしゃいましたよね。
臼井:説得する、というか…
山中:証拠をどんどん…有罪である、という予断を持たせるわけですよね。
臼井:ま、そういうことになる…
山中:今はどうなんですか。今は、そういう時は、裁判官は、勝手に有罪にできるわけですよね。参審員というフィルターを通さないで。
臼井:私が言いたいのは、プランをとっても変わらない、ということが言いたいわけです。
山中:参審員が…フィルターを通しても、役に立たない、完全にゼロだ、ということを証明された、ということですか。
臼井:そりゃま?、どこの世界でも、完全にゼロを証明するのは、不可能だと思いますけれども…
山中:そうですよね。
臼井:ただ、先ほどのように「麻原嫌い」、という人もいるわけですよね。
山中:そうは申し上げていないんですけど。多分、見かけが、まあ、あまり好きじゃない、という風に申し上げただけで…
臼井:それを、予断、という風にいうんですね。
山中:その前に、証拠で判断する、と申し上げましたよ。
臼井:だから、それ…そういう判断がはっきりできるのでしょうか。
山中:はい、分かりました。ドイツの例なんですけれども、上智大学の証拠資料がありまして、ドイツで参審制が導入されている、と。ドイツは、裁判制度が日本とは全く違うんですけれども、ご存知でしょうか。
臼井:ま、参審制をやっている、ということでは、同じなんではないでしょうか。
山中:そうですか。ドイツでは、裁判官がリーダーシップを取って捜査を進める職権主義なんですね。日本は、当事者が出してきたまま、ま、クリティークかどうか分からないですけれども…(笑)日本は、当事者主義というのを採っているのですけれども、その差はご存知ですか。
臼井:ま、いずれにしろ、あれですよね、そういう風に…[時間切れ]
山中:すいません。ありがとうございました。

否定側第一反駁
否定側第一反駁(安藤温敏)

よろしいでしょうか。
では、肯定側立論の最初の所から入っていきたいと思います。
まず、肯定側の判断基準に対して、私は、他ならぬ人間が裁判を行う以上、間違いは避けられない、という風に言いました。これ自体については、ま、認められています。で、彼らは、今よりも良くなる、ということをおっしゃってたんですけれども、この証拠資料の言いたいことは、そういうことではありません。この証拠資料が言いたいことは、こういった、参審制みたいな、一般市民が…エキスパートでない一般市民が、裁判の中に入ってくることによって、判断に揺れが生じるという、そういうことです。
これに関して、もう一枚証拠資料を読みたいと思います。法務総合研究所の長山頼興氏。「人種問題が絡む裁判では陪審員の人種構成で評決が揺れ動き、えん罪事件の温床にもなる。民主主義の本家、米国でも民意はしばしばゆがむ。日本の最高裁が陪審制度を研究中と聞く。お上に弱い日本社会の民意が米国より立派とも思えないから、個人的には、陪審裁判の被告席に座るのは当分ご免こうむりたい。」こういうことなんですね。
すなわち、どういうことかというと、結局、ただ単に誤判の率が上がる、という、それだけだ、ということです。すなわち、本当は有罪だった人が無罪になってしまう、本当は無罪だった人が有罪になってしまう、こういった確率が、参審制をとることによって上がる、これが、否定側の言いたかったことです。そして、当然良くなるわけはありません。
で、こういった参審制の特徴として、まず、一点目として、その場限りの人だ、ということがあります。そして、二点目として、それに伴って、全く責任感がない、ということが挙げられると思います。その場限りで、全然慣れない裁判で、しかも、別に、その裁判において、有罪としようが、無罪としようが、自分が捕まったりなんかするわけでもなんでもないわけですから、そういったことに対して、本当に真剣になれるのか。
または、例えば、マスコミなんかで…さっきも麻原彰晃の例が出てきましたけれども、そこで参審制を導入したらどうなりますかね。参審員はきっと強行に有罪を主張するんじゃないでしょうか。あとは、和歌山のカレー事件なんかもそうですよね。あの、被告人がきたら、あっという間にもう、有罪、有罪、有罪、そういって終わっちゃうんじゃないでしょうか。
そうした、誰がなるか分からないような、ちゃんとした、合理的な判断ができるかどうか分からないような参審員に、そういった裁判を任せていいのかどうか、これが、否定側の呈した疑問です。
次に、代替案のところで、競合性のc)とd)の点、この点についてちょっと触れたいと思います。
まず、c)では、裁判官の負担が増える、ということ、d)では、国民の負担が増える、ということ、この二点を申し上げました。
これはですね、結局、裁判官は、参審員が入ってくることによって、そういった、強行に、「こいつは有罪だ、有罪だ」という人に対して対処しなければいけない、または、全然何の理由もなく、「この人無罪なんじゃないの」という人に対して、ちゃんと説明しなければいけない、そういった面で、負担が増えるわけですね。で、そういう負担を裁判官が受け持たなければいけないことによって、裁判の質が低下してしまう。裁判官が、自分の裁判の判決を書くことに集中できない、そういった問題があるんじゃないかと思います。
さらに、代替案によって、国民の司法参加、というのは得られる、そして、この、法曹一元のちゃんとした人生経験をもった人が、裁判に入ってくる。エキスパートが裁判に入ってくることによって、冤罪は防げるわけですから、それにさらに、加えて、国民の負担を強いる、というのは、ま、負担の…二重負担というか…そういった、余計な負担な訳で、こういった負担のある政策をとるべきではない、という風に思います。
そして最後に、不利益について。
まず、前文というのは法律ではない、という風におっしゃいましたけれども、前文というのは、憲法が、どういう理念に基づいて書かれているか、これを決めたものです。そういった、理念を無視して、つまり、代議制…代表民主制を無視して、本当に、一般の国民が直接政治の中に入っていくべきなのかどうか、ここを私たちは問いたいんですね。で、直接入っていくことによって、何が起こるか。それは、先ほども私が申しましたように、裁判に揺れが生じてしまう、誤判が生じてしまう、こういった、良くないことが起こるので[時間切れ]、こういった、憲法に反することは、望ましくないと思います。

肯定側第一反駁
肯定側第一反駁(樋口真弓)

始めます。まず否定側のほうから行きたいと思います。
違憲の議論についてです。私たちの主張。代議制がどうして必要なのか、彼らは全く述べていません。なぜその理念が必要なのか、それが全然述べられていません。
次に行きます。負担の話についてです。裁判官と国民に負担があるといっていました。
まず一点目として、裁判官の負担について。質が低下すると仰っておりました。質が低下する。結果を書くのに集中できないと仰っていましたけれども、まず一点目として、質が低下するほどの負担なのかということが述べられていません。で、2点目として裁判官は参審員に説明しなきゃいけないんですよ。一緒に評議をするわけですから、そのなかで説明する時に自分の主張というものを確認します。ですから、こういう点についてはむしろ向上すると思います。
2点目。国民の負担についてです。これも、裁判官の負担も結局は、効果があれば問題ないんですね。負担なんてちょっとあったって、いい効果があるならやるべきじゃないですか。そういうわけで、これはたいした問題ではありません。
次に、肯定側のほうのフローシートを見てください。まず、えー、安藤さん(笑)。おっしゃっておりました。参審員は判断にゆれが生じるからいかんよとおっしゃっておりました。しかし、私たちが主張しているのは陪審制ではなく、参審制です。あくまで、裁判官と参審員、一緒に、多数決ではなく、一緒に評議をするわけです。そのなかでお互いの、参審員は、参審員が持っているような足りない部分とか偏見のようなもの、また、裁判官が持っているような、今の裁判官が持っているような有罪推定とか、そういうようなもの、それが、どんどん、どんどん合議する事によって、だんだん良くなっていく。
裁判官だったら、問題にしなきゃいけないのは、私たちのプランを導入した後、しばらくたってから、長期的な目で見た裁判官を問題にしてほしいんです。私たちは。裁判官は、そういう新しい考え、いろんな世間に人たちと話し合うことによって、ますます、裁判官自身が良く変わっていくんです。このところを強くとってください。
また、その場限りの審議なので真剣にやらないんじゃないかということを、まあ口頭だけで、内容については根拠もなくおっしゃっておりました。しかしこれは、一点目として、私たちのプランでは、参審員、一年間任期があります。このあいだに、他国の平均から見ますと、一年間にだいたい参審員がみるのは、5件です。その間に、毎回、毎回違う裁判官につくわけですから、新鮮です。
また、揺れ動いたとしても、裁判官がいるので、それをストップさせる事ができます。一致するまで、お互いが納得できるまで話し合う、それが私たちのプランだからです。
また、参審制は陪審制と違って、理由説明をします。参審員と話し合った結果、裁判官がきちんと理由を書きますので、揺れ動いた事がそのまま判決に直結するということはありません。

また、カウンタープランについてです。
多様な社会経験が本当にあるのかどうかということですね、おっしゃっておりましたが、市民の方がそれでも広いということは私のパートナーが証明しましたし、試験を通るために、ガーッとずっと勉強してきた人たちに比べたら、受験時代や、定年期や、退職してから、そういうところで様々な経験をもっている人たち、このほうが明らかに、よくできるというのは明白だと思います。
続いて、国民は、参審員は裁判官に対抗できない、という論点について。これは、先ほども言ったように、一年間に5件を持ちますし、また他の裁判官の意見も聞けますので…[時間切れ]
以上で終ります。

否定側第二反駁
否定側第二反駁(臼井直人)

代表民主制というものが、なんで必要か、それは、私たちが普通に生きている社会というのは、非常に複雑なシステムの中で生きています。非常にテクニカルなものです。そういうものについて、専門的な知識をもっている人に対して、まず、仕事をしてもらう、そして、その人たちが横暴な…脱線しないように、私たち国民がチェックする、それが、真の代表民主主義、一番安全なシステムだ、という風に、ここでいえるでしょう。国民のチェックが働いて、なおかつ専門的な知識がある、ということですね。
肯定側のやろうとしていることは、それをぶち壊すことです。要するに、素人を[不明]に対して判断をさせる、ということで、それがまず、それが不可能である、という風なこと、もしくは、国に操られてしまう、ということ、こういう危険なシステムを作ろうとしているのが、肯定側だという風に言えるでしょう。
まずは、対抗案をご覧ください。カウンタープランとも申します。
私が申し上げたこと全て、特に詳しい反論がありませんでした。はたして一般庶民の持っている多様な経験というのは、一体何なのか、街角のおばちゃんや、学者や世間知らずの学生さんというものが、本当に、脱税容疑や、不良債権の責任問題などを考える…理解ができるのでしょうか。
それから、安藤君が読んでいた、長山さんの問題では、人種差別の問題なんていう風なものもやっていました。まだまだこの国の中には、いわゆる在日の人たち、いろんな国の人たちに対しての理解がない、それに対して、国が不当な裁判をしている…教育の機会を奪うとか、そういうことも、いろいろあります。ま、これは、教育の機会、ということになったら、民事になってしまうかも知れないですけれども、その人が何か…日本人を殺した、なんていう風な事件が起きていったときに、日本人の国民感情…まさに、テロリストにアタックされたアメリカと同じような気持ちの、参審員が、国と一緒に、そういう人たちに、何の審議もせずに、事実認定という風なことをやってしまう。
もうひとつやること、というのは、それが、国が雇っている、官僚裁判官が、そういう風なことを、まずやっていると…そういうシステムを残した上でやる、という風なことですね。そういう人たちを抹殺したい[不明]、というのが、簡単に出来てしまう。それが、麻原彰晃であり、和歌山カレー事件の犯人であり、もしかしたら、宮崎勤事件もそうだったかも知れません。もしもあの時に、国が無罪判決を出していたら、国と司法に対する国民の信頼、というか、期待というのは、一気になくなったかも知れません。そういった意味で、精神判定などをしっかりとしないままに、死刑が判決されてしまう、なんていう風なことがあります。それを納得させるために、参審員をやって、いっしょに理解させる、まさに、かくれみのに…隠された、権力の横暴という問題が、全く解決されていない、という風なことが言えるわけです。
それでしたら、私が再三述べているのは、国から自由で、そして、法律の経験もあり、自分の生活の経験もある、そういう人たちを国民が選ぶ、まさに、代表民主主義によってすばらしい人たちを選ぶ、というシステムの方が、より良いのではないか、という風に言っています。
一生懸命、何年間も法律を勉強していた学生、というのは、世間知らずになってしまう、という風に言っていましたが、山中君を見てください。過去五年間にわたって一生懸命法律を勉強し、なおかつ、素敵な恋愛もしています。(笑)そういう人が…そういうすばらしい、人間味のある人たちが立候補して裁判官になった…そういう人たちが選んで…こういう、社会悪に対して戦っていく、そういうシステムを作るのが、私たちのカウンタープランです。
そうだとしたら、カウンタープランとこれを、一緒にとってしまう、全然知らない人が入ってしまうというシステムに関しては、意味がないことですし、それから、逆にそれに対して、裁判官の負担が増える、そして、何も知らない人が、国の…何か難しい話を長々と聞かされている、という、そういう精神的な不満、なおかつ、この…このディベートでは、肯定側が、デメリットで、そんな代表民主制なんか変えてしまえばいいじゃないか、という風な、非常に無謀なことを言っています。何でもかんでも理由をつけて憲法を変えてしまえるような憲法だったら、最初からないほうがいい、むしろ、司法は、憲法の番人である、ということ、そういう歯止めが利かなくなるという風な、大きなデメリットを生んでしまう、それだとしたら、私たちは、カウンタープランだけを取る方が、よりメリットの高い、すばらしい世界ができるんではないかな、という風に思います。ありがとうございました。

肯定側第二反駁
肯定側第二反駁(山中 允)

アメリカで痛ましいテロ事件がありました。それで何千人もの方が亡くなって、今も嘆き悲しんで、報復をするか、あるいは平和を選ぶか、いろいろな議論がありますけれども、これだけ世界に影響を与えた事例は他にはないと思います。
しかし人が死ぬのは戦争だけではなくて、実際に日本でも冤罪によって、死刑から救われた方がいるんです。これはたまたま救われただけで、ひょっとしたら亡くなっている方もいるかもしれない。我々がそれを支持している以上、我々がそれを殺しているんです。それに対して、やはり、こういう冤罪とかですね、人の死。こういう重い問題に対して、どういうふうなプランをとるのか、真剣に論じることは大切だと思います。

今回肯定側は、まあ否定側はカウンタープランを出されました。で、肯定側はこれは別に我々と相反するものではない、いい制度だと思いますので、一緒にやることを提案したいと思います。
まず、カウンタープランからいきましょう。カウンタープランがおっしゃっていたことは、まあ、裁判官をばんばん選挙で入れ替えるんですね、これは素晴らしい制度だと思います。ぜひやりましょう。
ただ、これだけで本当に充分なのかどうかを考えて頂きたいんです。否定側は、議論をすり替えています。これは代表民主制だとおっしゃっていたんですけれども、代表ではありません。だって、もともと立候補者は、自由に立候補できないんです。法曹資格の、限られた人たちのなかで、選ぶしかない。これはそもそも、代表民主制の理念に反しています。
それに対して我々は証拠資料を挙げて、弁護士も所詮一部の人達なんだから、一般市民もよりよくいれたほうが、もっとより良くなるということを申し上げたんです。それに対しては、明確な反論はなかったと思います。
そうすると、カウンタープランだけではなくて、もし我々の政策に本当にメリットがあるのだったらなら、一緒にやったほうが良いということに関しては、同意して頂けると思います。

さあそうすると、メリットです。否定側はおっしゃいました。神ならぬ身なんだから、間違いもある。そしてそれは誰にも分からない。それはそうでしょう。でも、それを減らそうと努力することはできます。そして、実際にどれくらい起こっているかがわからなくても、こういう問題のある構造があるんだから、問題が起こっているんではないかと、推測することはできます。だから数値ではなくて、我々は理由で決めるべきなんです。
我々が今回挙げたのは論点の4で、裁判官が危ないんじゃないかと言う理由を、2点申し上げました。専門家の方には失礼ですけれども、これは妥当な理由だと考えています。
一点目、何を申し上げたかと言うと、社会経験がない。まあ社会経験がない、それは皆同じじゃないか、皆それぞれの、スペシャライズされた社会でしか生きていないわけですよね、それは認めます。ただ、市民が二人はいることによって、また別の、スペシャライズされた社会と、触れ合う事ができる。これは裁判官単独でやるよりも、そちらの方が優れていると思います。その点において、相対的に肯定側のプランを導入した方が、より良くなるという点は、証明されています。
次に、有罪推定。有罪推定について、あまり議論にならなかったんですけれども、これは非常に深刻な問題です。いいのか悪いのか、ディベートでも迷いますよね、ジャッジは。どちらなんだろう。で、迷った時に自動的にこっちだと、決まっていたらたまったもんじゃない。それだと、審議がストップしてしまって、永遠に真実は闇の中になってしまう。
そうではなくて、有罪推定ということをなくして、迷った時には、その人は疑いがなければ無罪にしてあげようというような、無罪推定を回復することが非常に大切なんです。
で、そうすると解決性の議論になるんですけれども、解決性の2点目に関しては反論がなかったと思います。参審員は毎回入れ替わって、あるいは一年ごとに入れ替わって、非常にフレッシュな目でものを見るわけです。そのことについては、反論がありませんでした。
残るのは解決性の一点目になるんですけれども、これは議論が本当にすりかえられていて、確かに、裁判官が、強権的にするだろうという可能性は述べられています。裁判官が問題だということはおっしゃっています。でも、それは今も同じなんですね。で、今はどういう状態かというと、今はそういう裁判官達が非常に独裁を振るっているわけです。で、そうではなくて我々の場合は、フィルターが一個かかる。たとえば、どんどん誘導するよとか、どんどん説得するよ、どんどん無罪とか有罪とか決めつけるよ、裁判官が。だから誘導するよ、形骸化するよと仰っていましたけれども、今は、それすらしないんです。誰も説得すらしないで、勝手にもう有罪ですと判子を押している。だから問題だと申し上げているわけですね。
ここでいいたいのは、つまり、相対的に市民がいたほうが、フィルターが一つ増えると言う事です。また違う色合いが加わるということなんです。私たち人間でもそうですよね。
私、今回、日本語ディベートから来たわけですけれども、予選三試合、ESSの方と戦って、全然系統の違う議論で驚きました。それで学ぶ点は、お互いあったんじゃないかと思います。そうやって全体が高まっていくのは、本当にいいことなんじゃないでしょうか。
ただ、だからといって多数決で決まってはいけません。そのために我々は、プランの3点目で、全員一致するまで議論しなさいと、そういうことを定めています。だから、今より悪くなることは、絶対にないんです。その点で、肯定側の議論が勝っています。

違憲かどうかと言うのは、残念ながら私の反論に対してあまり反論がありませんでしたけれども、我々は、条文に書いてあるからといって支持するんだったら、大日本帝国憲法と同じです。
そうではなくて、よりよいものを目指すべきである。メリットが証明された以上、我々は動くべきであると、考えます。
ありがとうございました。



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