ジャッジは試合中に反応すべきか


Subject: [JDA :3225] How to judge the round?
 
JDAの皆さん、こんにちは。WESA4年K.Tです。
 
今回は、ジャッジのやり方に関して、皆さんに質問をさせていただきたいと思いま
す。
最近、ジャッジをしていて感じたのですが、「ジャッジとはどこまでディベーター
に反応すべきなのだろうか?」ということです。例を挙げるとすると、ディベータ
ーがジャッジに対して、「DAの話は、1ARの説明でわかったから、2ARはExtendする
だけでいいか?」と、問いかけるとします。この場合、自分がその1ARの説明を納得
していたとします。この場合、うなずくべきでしょうか?私がなぜ過剰反応に難色
を示すかというと、あまりの反応は自分の試合に対する考え方を中立であるべきジ
ャッジが、試合中に明らかにしてしまうのではないかと思うからです。
いまいち、うまく説明できませんが、ご意見よろしくお願いします。
 
もちろん、ジャッジは反応すべきでないと考えている方もいらっしゃると思います
。そういった方は、なぜジャッジは反応すべきでないかを書いていただけると光栄
です。
 

Date: Mon, 29 Sep 97 11:13:50 JST
Subject: [JDA :3227] Re: How to judge the round?
 
皆さん、こんにちは。
獨協で去年チーフをしておりましたH.Yです。
 
WESA4年K.Tくんの質問に関してなのですが、
> 
> 今回は、ジャッジのやり方に関して、皆さんに質問をさせていただきたいと思いま
> す。
> 最近、ジャッジをしていて感じたのですが、「ジャッジとはどこまでディベーター
> に反応すべきなのだろうか?」ということです。
> もちろん、ジャッジは反応すべきでないと考えている方もいらっしゃると思います
> 。そういった方は、なぜジャッジは反応すべきでないかを書いていただけると光栄
> です。
> 
 
僕は、現役時代の時に学内の後輩の試合をジャッジしていたときから、スピーチに
対して「反応しない」ということを、断行してきました。ちなみに、SIDTで配布され
ている
私のフィロソフィーにもこの事は示されています。これは、二つの考えや経験から由
来して
います。
 
まず第一に、僕たち(K.T君と同じ世代)が一年生だったころは、今よりもはるかに「うなずく」
ジャッジが多かったように思います。そして、そのうなずき方も、首がおかしくなるのではないか
という位、激しいものだった(というか、そういう方々に多くジャッジして頂いた)ように記憶して
いるのですが、ある試合で、僕たちのチームに非常に多く反応して、うなずいていたジャッジの方に
アゲインストされたことがあったのです。そしてその理由をリフレクして頂いた時に、「**の所を
もっと説明して欲しかった」と言われたのです。そこは、ジャッジが非常にうなずいていたので、もう
先に行ったほうがいいと思って、簡単に済ましたところでした。ジャッジは「良いポイント」として
うなずいていたのを、僕は「わかったから先に行け」という意志反応として受け取ったのでした。
つまり、ミスコミュニケーションが起きていたのです。
 
第二に、ディベートで論理的説得能力を養うときに、ジャッジによって、またそのラウンドによって
異なるジャッジの反応を当てにしていたのでは、結局、説得するということについて、必要かつ十分な
説明・スピーチとは何かということを考えにくくなる、と考えます。ディベートのスピーチは、ジャッジ
が何か定められた方法に従って、反応するという機会を与えられていない限り、ワンウエイ・コミュニケ
ーションになります。それをあえて反応することで、スピーチを影響させるのは、いかがなものでしょう。
大体、ファイナルなどで5から7人以上のジャッジを相手にしていて、反応のある人とない人を同時に対
していたら、どうしろというのですか。
 
ということで、「反応しない」スタンスを支持しています。K.Tくん、どうですか?
 
 
 
Date: Mon, 29 Sep 97 19:15:55 JST
Subject: [JDA :3228] Re: How to judge the round?
 
 
 南山大学外国語学部英米科4年のD.Hと申す者です。院試に受かって少し心に余裕
ができたので久しぶりに気軽に出してみました。
 
 私は結構反応を示す人です。理由は
1.議論を深くすることができる。
反応を示すことによって、Debaterは自分の主張が聴衆を説得することができているか確
認し、納得していないようなら、より優れた理由付けなりをもって説得性をあげる努力が
なされる(少なくとも可能性はある)。
 
2.心理的に安心できる。
演説者にとって、反応を示してくれた方が、「自分のスピーチをきちんと聞いてくれてい
るんだな」というのがわかる。あまりにも無反応だと、どうも適当に聞き流されているよ
うで、納得されているのかわからず不安がある。
 
3.私の性格的問題
私自身は演説者の主張に同意できるなら普段から素直にうなづくし、「そうかなあ?」と
疑わしく思う場合は首をかしげる。私はそれが普通と考えている。
 
 
 [JDA :3227]で、独協のH.Yさん
 
僕は、現役時代の時に学内の後輩の試合をジャッジしていたときから、スピーチに
対して「反応しない」ということを、断行してきました。これは、二つの考えや経験から
由来しています。
まず第一に、僕たち(K.T君と同じ世代)が一年生だったころは、今よりもはるかに
「うなずく」
ジャッジが多かったように思います。そして、そのうなずき方も、首がおかしくなる
のではないか
という位、激しいものだった(というか、そういう方々に多くジャッジして頂いた)
ように記憶して
いるのですが、ある試合で、僕たちのチームに非常に多く反応して、うなずいていた
ジャッジの方に
アゲインストされたことがあったのです。そしてその理由をリフレクして頂いた時に
、「**の所を
もっと説明して欲しかった」と言われたのです。そこは、ジャッジが非常にうなずい
ていたので、もう
先に行ったほうがいいと思って、簡単に済ましたところでした。ジャッジは「良いポ
イント」として
うなずいていたのを、僕は「わかったから先に行け」という意志反応として受け取っ
たのでした。
つまり、ミスコミュニケーションが起きていたのです。
 
 
 これはそのジャッジの反応の仕方が悪いだけであり、「反応をするという行為」が悪い
わけではありません。正しく反応ができていればこんなことは起こらないのでは?
 ちなみに私がわかったから先に行ってほしい場合、イシューが移る時にフローをはじに
置く時と同じように、フローをはじに置く動作を表わしながら、ペンを横に振って「先に
行け」という仕種をします。名古屋大学6年のN.Iもペンを横に振り
同種の仕種をするようです。
 
 
第二に、ディベートで論理的説得能力を養うときに、ジャッジによって、またそのラ
ウンドによって
異なるジャッジの反応を当てにしていたのでは、結局、説得するということについて
、必要かつ十分な
説明・スピーチとは何かということを考えにくくなる、と考えます。ディベートのス
ピーチは、ジャッジ
が何か定められた方法に従って、反応するという機会を与えられていない限り、ワン
ウエイ・コミュニケ
ーションになります。それをあえて反応することで、スピーチを影響させるのは、い
かがなものでしょう。
 
 
 反応をしないとDebaterが自分で勝手に主張を展開するだけで、よりワンウエイ・コミ
ュニケーションになります。しかしジャッジが反応することにより「私はそう思わないよ
」とか「うんうん君の言うとおり」とコミュニケートするため、一方性はむしろ減ります
。
 確かにリフレクなどジャッジに十分な反論の機会を与えられない限り、ジャッジがなぜ
そういう反応をしているのか深くはわかり得ないという限界がありますが、基本的な反応
を示すことで少なくとも私の理由の1にあるように、議論を深める可能性を与えるという
「いい意味での」影響をスピーチに与えるのならいいんじゃないでしょうか。
 
 
 [JDA :3225]で、WESAのK.Tさん
 
私がなぜ過剰反応に難色
を示すかというと、あまりの反応は自分の試合に対する考え方を中立であるべきジ
ャッジが、試合中に明らかにしてしまうのではないかと思うからです。
 
 
 ジャッジのArgumentに対する「事前」のスタンスは確かに中立を保つべきですが、反応
するという行為自体がそれを崩してしまうということはないでしょう。
 私が「中立であるべき」とするのは、いかなるArgumentが出てきても、好き嫌いなど「
事前の」本人の不合理なPresumptionでArgumentを処理することはやめるべき、というこ
とです。Argumentが出されてから論理的・正当的な処理をしてから反応を出すということ
は、「中立性」を損なっているとは思いません。
 
 
 H.Yさんなど「反応をしない」とするジャッジさんは、何があっても無反応なんですか
?単に反応が過剰でないだけで、少しくらいは表情を表わしているのでは?だとしたら、
結局のところ、反応が少ないだけで反応してしまっていることになります。
 
 
 私の理由2の観点から、私はジャッジだけではなく現役ディベーターの意見も聞きたい
です。現役の方からすれば、ジャッジはうなずくべきなんでしょうか?
 ちょうど今やってきた南山の現役2年ディベーターの坊美生子さんに聞いたら、反応し
てくれた方がいいと言ってました。他の方はどうでしょう?
 
 
 ただ、
 
>大体、ファイナルなどで5から7人以上のジャッジを相手にしていて、反応のある人
>とない人を同時に対
>していたら、どうしろというのですか。
 
 確かにこれは困りますね。
 例えば7人ジャッジのうち反応するジャッジが3名、無反応ジャッジが4名いたとしま
す。ある議論に反応ジャッジのうち2人がうなづき、1人が首を振ったとしましょう。
 私なら「2人うなずいて1人首ふったということは、多分過半数が納得してくれている
だろう」と思うところですが、無反応ジャッジ全員が実はその議論に納得していなければ
、過半数はその議論を否定していることになります。
 こういう場合はどうでしょう?
 まさに「囚人のジレンマ(多数の構成者による団体において、個人の一方的善意はその
団体全体には悪影響を及ぼすこと)」ですね。
 
 
 何となくこの問題は、私の理由3の「個人の性格的問題」が最大の原因だと思います。
 生来反応が豊かな人は積極的に反応するし、いつもクールであっさりしてて無反応な人
はそうでないだけでは?
 
 
D.H
 
 
Date: Mon, 29 Sep 97 20:10:06 JST
Subject: [JDA :3230] Re: How to judge the round?
 

 K.Tくんほか,皆さま
 
 
>今回は、ジャッジのやり方に関して、皆さんに質問をさせていただきたいと思います。
>最近、ジャッジをしていて感じたのですが、「ジャッジとはどこまでディベーター
>に反応すべきなのだろうか?」ということです。
 
日本で最もいろんな「反応」を試合中に送っているジャッジの一人と自負してい
るものとしては,やはり書かざるをえない
 
ジャッジは「うなずく」ことも含め,様々なメッセージを,少なくとも現状より
は積極的に*試合中に*送るべきです。またそうジャッジ・セミナーなどでも指導
しております
 
---
 
まず消極的意見に対してあらかじめまとめて…
 
「うなずく」のは良くないという書き込みがありましたが,これは「うなずく」
というメッセージの持つ意味を一面的にのみとらえすぎでしょう(下記参照)。
またジャッジの送る(送るべき)反応は,「うなずく」ことだけに全然かぎられ
ません。なお「公平」でないかもしれないという意見は,双方に同様のメッセー
ジを送っている限り特に問題はないです。他に,試合後のコメントで十分だとい
う意見もあるでしょう。それは下に
 
--- 「反応」の種類
 
ざっと考えても,試合中に,私自身が送ったり,ジャッジが送ったりする(送る
べきである)メッセージには以下のようなものがあります。
 
 コミュニケーションがらみ
 
(1) 何を言っているか全く分からないときにペンを止める。それでも直らないと
きには,手を振る等する(昔,ペンを投げつけた行過ぎた人もいましたが,それ
は当然×)
(2) 速すぎたり,焦り過ぎ,または声が小さすぎるスピーチに対して,「もっと
落ち着いて」「はっきりと」等と身振りや言葉で伝える
(3) どこに対して反論しているか分からないとき,「どこ」という顔をしたり,
フローを探したりする仕草をわざとしたり,時には端的に口に出す
(4) 試合に根本的に関わる単語の発音などに関しては,スピーチ中に正す。
(jury導入のケースをだして,「ジュライ・ジュライ」と言っていたのがいた。
そう言う場合など)
 
 内容がらみ
 
(1) ディベーターが冗長な繰り返しに何分も無駄にしているときに,フローを取
るペンを止めて,それは分かったというような表情を誇張して作ったり,うなず
いたりする
(2) 例えば,立ってない些末なTに対する,まっとうな反論に大袈裟にうなず
く。これで,つまらないTを*出した側*に対して,「こんなTを伸ばしてもほぼ
無駄だから,他のもっと本質的な議論に集中した方がいいよ」とのメッセージを
送る
(3) まったく議論として説得力を持つものと取り扱う可能性の無い戯言を述べた
人へ,「このままなら,いくら議論を伸ばしても意味はないよ」との意味で首を
振ったり言葉で注意を促す。(まあ,ここまでやる必要がある状況は,ほとんど
発生しないですが)
 
 ルールがらみ
 
(1) プレパタイムを止めてから,何だかんだと引き伸ばして,スピーチを始めず
準備しているセコい人に「どうぞ」とか "I'm ready"とかイヤミを発する
(2) 非倫理的な行為への試合中の注意(相手にエビデンスを渡すのを,わざとゆっ
くりしたり手間取ったりする人。他にも,あまりに態度の悪い Q/Aなど)
 
他ディベート内容とは無関係に,その場の雰囲気を和ませるために,軽口を叩い
たりする反応なら結構ありますよね。あと非常に個人的な趣味ですが,ディベー
トの中にユーモアがあるとうれしい方なので,ギャグとしてさほどさえない場合
でも笑ってあげますが,逆に「意図的な無反応」する場合もあります。例えば英
語ディベートの際に,わざとかどうか知りませんが日本語を入れたりする場合で
す。そうした場合には,結構観客から笑いが出るのですが。私はどんなに滑稽で
も玄人ぶって「何つまんないことやってんだ」という顔を作って無視します
 
 
--- 試合中にもっと「口出し」すべき理由
 
私はこうした反応をスピーチ中・試合中にかなり意識的に送ります。試合中に反
応を積極的に送ることは,現状ではあまり行われていないので,違和感もあるで
しょう。つまりコメントなら試合後で十分だと。しかし,ざっと考えて3つの理
由で,試合中にもメッセージをもっと送るべきだと思います。
 
(1) より本質的で噛み合った議論のために試合時間を有効に利用できる
 
片方が何が言っているかほとんど伝わらない,または全く冗長なことで時間を潰
している。このような状態で,試合を続けたところで,議論としても面白くない
し,全く議論の訓練にもならない。日本は米国と違い大会・試合の数が圧倒的に
少ないですし,一つ一つの試合をできるだけ有効に使うべきです。コメントで次
の試合に直してもらうより,この試合から実践して欲しい
 
もっとも試合後のバロットで「何を言っているか全く分からなかった」とか「私
は,この手の議論は取らない」と書かれて負けたとても,納得もいかない場合も
あるでしょうからね。ディベーターも直すとは限らないでしょう
 
(2) 試合中に注意した場合は,「教育効果」を確認できる
 
試合後のコメントと比べれば,試合中に発する注意は,きわめて影響大です。こ
れは言うまでもないことでしょう。(何年もして,「試合中に なになにって,
いわれたの今でも覚えてますよ」とか言われたこと,結構あります)
 
もちろん,だからこそ注意の乱発も,ジャッジとしては自制すべきなのでしょう
が,日本の大学英語ディベート界の現状を見る限り,コミュニケーションに関し
ては,試合中に積極的に反応する他にもはや対症法はない,と思われます
 
ディベーターが,試合後のバロットで「声が小さい」「もっと落ち着いて」と書
かれるのを仮に読んだとしても,どのくらいの声で,どのくらいのスピードでや
ればいいのかは全く伝わらないですし,実際に次回に直してくれるかどうかもな
おさらわかりません(「発音悪いとかコメント書かれたけど,まあ勝ったんだか
らいいや」。私自身偉そうなことは言えないですが,こうした反応するディベー
ターは残念ながら多いです。)
 
(3) ジャッジを意識したディベートの促進
 
最後に,というよりはもっとも本質的なのかもしれないですが,「ジャッジは
試合中に反応を送るものだ」と,ジャッジとディベーターの双方が考えている方
が,ディベーターが聞き手を意識したディベートをしやすくなる,ということが
あります
 
「ジャッジはディベーターに反応すべきでない」と教えるのは,「ディベーター
は,ジャッジを意識してもしょうがない」と誤解されて伝わる可能性すらあるの
で,避けるべきです
 
なおディベーターの側への注意として,もちろん,ジャッジが「うなずいていた」
からといって,それが自分の議論をそのまま肯定してくれているのだとは限らな
いということは重々伝えなくてはいけません
 
(これに関しては色々と悲喜劇があります。あまりに right? right?と聞くの
で,ジャッジがしょうがなくうなずく。でもそれは「この議論に関しては,当否
はともかく,とにかく分かったから,頼むから次に行ってくれ」という意味しか
込めていないかもしれない。K.Sさんに聞けば,この手の「うなずき」ネタは
色々と教えて下さります)
 
---
 
試合中にメッセージを送ることは,現状ではあまり行われていません。これはた
だ伝統であるということだけでなく,ジャッジの側に,より自信・経験ないしエ
ネルギー・集中力が必要だからと察します
 
もちろん一々全部注意しろとは言いません。が,少なくともジャッジが現状より
はもっと意識的に試合中にメッセージを送る習慣が,ディベート界で共有される
ことを望みます
 
Y.Y
 
おまけとして一言,K.Tくんの例へ
 
> 例を挙げるとすると、ディベータ
> ーがジャッジに対して、「DAの話は、1ARの説明でわかったから、2ARはExtendする
> だけでいいか?」と、問いかけるとします。この場合、自分がその1ARの説明を納得
> していたとします。
 
一般論としては上のとおりですが,この場合は,私ならまずうなずかないでしょう。
「 2ARでExtendする*だけ*でいい状態」など全く想像もつかない
 

 
Date: Mon, 29 Sep 97 21:45:57 JST
Subject: [JDA :3232] Re: How to judge the round?
 
 
I.K@阪大です.
秋シーズンも本格的にはじまりましたね.
現役のみなさんがんばって下さい.
 
At  2:35 AM 97.9.29 +0900,  Tamaki Kentaro wrote:
>最近、ジャッジをしていて感じたのですが、「ジャッジとはどこまでディベーター
>に反応すべきなのだろうか?」ということです。例を挙げるとすると、ディベータ
>ーがジャッジに対して、「DAの話は、1ARの説明でわかったから、2ARはExtendする
>だけでいいか?」と、問いかけるとします。この場合、自分がその1ARの説明を納得
>していたとします。この場合、うなずくべきでしょうか?私がなぜ過剰反応に難色
>を示すかというと、あまりの反応は自分の試合に対する考え方を中立であるべきジ
>ャッジが、試合中に明らかにしてしまうのではないかと思うからです。
>いまいち、うまく説明できませんが、ご意見よろしくお願いします。
 
 
なんか Y.Yさんが全部まとめてくれたので, あんまり言うことないのですが,
せっかく書いたので 少しだけ口をはさみます.
 
 私は反応を見せているつもりなジャッジです.”つもり”というのは
時々「I.Kさんってジャッジしてるとき無表情 無反応ですよね」と言われます.
私はそれぞれのディベーターのスピーチに対して,反応するしないの基準をだいたい
以下のように設定しています.
a) 理解できたスピーチ(シナリオがわかったとか,そーゆレベル)-----> 反応なし
b) 理解できないスピーチ-----> 反応あり
c) 相対的にみて優れている(劣っている)と判断したスピーチ-----> 反応あり
 
反応は  目で訴える-----> 顔の表情----> 首をかしげる(うなずく)
 ---->ペンを置くなど,  と段階的にわけています. 
 
a)の理解できた に反応しないので, 無表情と言われるのかもしれませんが,
一応これには理由があります.獨協のH.Y君が例をあげていましたが,ジャッジが
不用意にうなずきすぎると,パンツは勘違いしてスピーチを疎かにしてしまうこと
があります.私が現役の時に,非常にうなずいてくれるジャッジさんがいたのですが,
相手の反論に対してもおんなじようにうなずいているので,けっきょくなんだか
わからなかった経験があります.意味無くうなずくことは,結局メッセージとして
の役割を失うことにもなりますし,ミスコミニュケーションの原因になるので
控えたほうがよいと思います.
 
少し話は変わりますが, ジャッジを見てないパンツもいますが,パンツを見てない
ジャッジも時々いますよね.ディベートの性質上フローに目が行きがちになって
しまうのですが,私は極力お互いの目を見ているべきだと思います.アイコンタクト
はコミニュケーションの基本だと思います.また うまいとされるディベーターほど
ジャッジの目からうまく情報を引きだしているように思います. そんな理由もあって
ジャッジをするときは目を大きく開けてパンツを見るようにしています.(まばた
しなくて怖いと言われることもあります.)
参加者の方々にも ジャッジの目を見ることを心掛けてほしいですね.
 

I.K
Date: Mon, 29 Sep 97 22:17:07 JST
Subject: [JDA :3233] Re: How to judge the round?
 
皆様
 
 
ジャッジが、ラウンドに挑むとき、どのような姿勢を見せるか、という問題は、
ディベートというプロセスをどのように見なしているか、ということによって決定されます。
 
ディベートを、当事者に主導権を与えられた論争としてとらえ、ジャッジは傍観者的に
判断を下すだけでよい、という考え方もあるでしょうし、ジャッジがディベートにおいても
主導的役割を果たし、ディベーターはそれに従う、という考え方もあります。
 
現在の、英語ディベートにおいては、前者が主流となっているというのが実体でしょう。
ただし、前者の考え方にはY.Yさんの述べられたような弊害があり、あまりにもゆきすぎた
当事者任せの姿勢はよろしくないわけです。
 
反面、ジャッジがあまりにも主導権をもってしまうと、ジャッジの主観にラウンドがあまり
に左右されやすい、という弊害があり、これまた問題があります。
 
結局、当事者の主体性を前提としつつ、必要最小限の意志表示を行う、というY.Yさんの
姿勢が最も望ましいでしょう。私も極力表情に出す方です。うなずくのも思い切りうなずき
ます。首も振ります。首も傾げます。
 年の功で、首を振った議論をとらなければならなくなることはありませんし、うなずいた
議論をとらないこともまずありません。ラウンドの最後まで判断を保留しなければならない
ようなissueは、残念ながらほとんどないからです。
 
 そういう意味では、私に首を振られたり、うなずかれたりするときは、レベルの低い
ディベートをしているときかもしれませんね。本当に競った試合の時は、首を傾げる
くらいで、ほとんど意志表示できないですから。
 
 
S.Y

Date: Tue, 30 Sep 97 00:26:18 JST
Subject: [JDA :3235] Re: How to judge the round? 
 
ご無沙汰しております。H.Iです。
うちに帰ってJDA-MLを見たら、面白そうな話題なので、私もひとこと。
 
私も「うなずき賛成派」に組します。
そもそもディベートというのは、当事者同士の論争ではなく、ジャッジ
に対する説得力を競う競技だと思います。ディベーターは単に正しい意
見を述べるのみならず、目の前のジャッジを説得することが求められて
いるわけです。
 
スピーチに対してジャッジの反応があると、ディベーターはそれに合わ
せてスピーチの仕方を変えることができ、相手に合わせた説得的なスピ
ーチを行うことができます。ジャッジがまるで無反応だとディベーター
は壁にむかって話しているのと同じで、「相手に合わせた説得的なス
ピーチ」を期待することができないでしょう。
 
Y.Yさんも述べておられましたが、うなずくことそれ自体に意味がある
というよりも、うなずくことによって、ディベーターにジャッジを意識
させ、説得的なスピーチを行う契機とすることに意味があるのだと思い
ます。
 
この前久しぶりに(現役で)ディベートをしてみて思ったのですけど、
ジャッジや聴衆が反応してくれると、自然とスピーチに熱が入るもので
す。無言の「壁」にむかって素晴らしいスピーチを行うディベーターな
んて、あまりいないのではないでしょうか。
 
 
H.I

Date: Tue, 30 Sep 97 02:10:04 JST
Subject: [JDA :3237] How to judge...
 
みなさんこんにちは。名古屋大学3年のK.Kといいます。おそれおおいと感じな
がらも、僕も意見を述べたくなりました。
 
ジャッジの反応の是非について話が広がってますね。ディベートする立場から一言
述べます。
 
結論は、「反応してくれなきゃ困っちゃう」です。
 
ディベートで勝つには、やはり第3者(ジャッジさん)を説得しなくてはいけませ
ん。でもジャッジさんは均一な機械ではなくみなさんそれぞれ違った人間です。で
すから、ジャッジさんによって説得の仕方が変わるのは当たり前なことだと思いま
す。
 
それなのに反応がないと、そのジャッジさんに適した説得の仕方、つまりどこを疑
問に思い、どこを納得しているか、がわからなくなってしまいます。
 
同じスピーチでもわかるジャッジさんとわからないジャッジさんがいます。それは
人間だから仕方がないことだと思うのです。だからその分、ディベーターに示して
くれないとスピーチする側としては困ってしまいます。
 
反応が誤解を招くならば、それはやはり「反応のしかた」が悪かったのではないで
しょうか?僕の経験では「うなずく」は「わかった」という意味であることがほと
んどでしたので大丈夫でしたが、例えば一部「うなずく」をそれ以外の意味で行う
ジャッジさんがいたら、間違えてしまうでしょう。それぞれの反応がどういう意味
なのか、フィロソフィーに書いていただければ一番いいと思います。
 
時々まったく反応してくれないジャッジさんがいますが、ディベーターとしてはと
っても不安です。ディベータだけが勝手にスピーチして、それこそジャッジさん置
いてきぼりの状態になるのではないでしょうか?それが説得しているとは僕には思
えません。
 
とゆうわけで、できればジャッジをなさるみなさん反応していただけるとありがた
いです。
 
ではでは。失礼します。
 
 

 
Date: Tue, 30 Sep 97 03:47:45 JST
Subject: [JDA :3239] judge's feedback
 
日本の英語ディベートをここ2〜3年見ていないのでとんちんかんな発言かもしれま
せんが、(H.Y君が提起した)問題は
 
「<教育者としてのジャッジの>フィードバック(言語、非言語を問わず)がディベ
ーターに与える影響をあまり深く考えずに試合中に(半ば無意識に)うなずいたり首
を振ったり(怒ったり、笑ったり、寝たり、などなど)しているジャッジがいる」
 
ということなのではないでしょうか。H.Y君の「もっと説明をディベーターにしてほ
しかったからうなずいた」ジャッジは、「もっと説明をしてほしい」ということをデ
ィベーターに「うなずく」ことで伝える、といった意識で「うなずいた」とはあまり
考えられません。おそらく、ディベーターへのフィードバックとしてではなく、ジャ
ッジ自身の「自己確認」(「うん、これはおもしろい議論だ」とかいった感じで)と
して思わず「うなずいてしまった」とかいったたぐいなのでは?我々がディベートジ
ャッジとしてではなく、聞き手あるいは「オーディエンス」として「実社会」で無意
識にやっているように。
 
トーナメントディベートのジャッジは「単なる」オーディエンスであってはならない
と思います。Y.Y君や他の皆さんが書かれているように、ジャッジは「単なる」コミ
ュニケーションの対象(聴衆)を越えた立場(指導者、教育者、などなどと
いった)にいる、といった自己認識が必要なのではないでしょうか。
 
例えばAmerican Debate Association (ADA)のガイドラインに次のような項目があり
ます。
 
14. Responsibilities of judges
..... Judges are encouraged to provide verbal and nonverbal feedback to
encourage comprehensibility and to discourage violating the rules of
debate. Further, judges will attempt to avoid verbal and nonverbal feedback
which degrades, humiliates or otherwise belittles the efforts of the
debater speaking....
 
上の引用の1つめのセンテンスも大事だと思いますが、2つめのセンテンスも同じく
らい大事なことだと思います。
 
いかがなものでしょうか。
 
S.A

Date: Tue, 30 Sep 97 07:22:54 JST
Subject: [JDA :3240] Re: How to judge the round?
 
J.M@ウェイク・フォレスト大学です。
 
  どうも、 「Verbal/nonverbal feedback 賛成派」が大多数なようなの
で、少し反対意見を述べさせてもらいたいと思います。
 
 僕は「極力」ディベーターのスピーチに反応しないようにしています。
 
「極力」というのは、S.Aさんが引用されたADA Rule の定める "to encourage
comprehensibility and to discourage violating the rules of debate"
の枠内であれば "judge" という域を越えて、"moderator " という役割を担っ
てもいいと考えているということです(e.g., 「声が小さいのを指摘する」、
「スピーチを理解できない場合はディベーターに意思表示をする」)。
 
   但し、僕は試合中に「うなずく」ことはあまりしません。理由としては、
 
   1. 「議論の内容がわかった」ことを伝える目的でうなずく
         2. 「議論が優劣がわかった」ことを伝える目的でうなずく
 
ことを区別することができないからです。1. の意味でうなずくのは、僕も
構わないのですが、うなずくと、ディベーターには 2. の意味に取られてし
まいかねません。僕は、2. の意味でうなずくことは問題だと思います。
 
 というのは、ディベートは、「相手を説得する為のスピーチ・スキル」
を養うことが唯一の目的ではなく、「様々な議論を吟味して」(inquire
the aviablable means of persuasion)、最終的に 「説得力のある議論」
を「判断する能力」 (practice judgement) を養うことも重要な目的だと
思うからです。現在、一般的に Switch-side Debate が採用されている
のは、後者の能力が重要視されているからではないでしょうか。「ジャッジ
がうなずくこと」が「議論の優劣の判断基準」になってしまうと、「判断能
力を養う場」としての ディベートの意義が大きく損なわれてしまうと思うの
ですが。それとも、これはY.Yさん [JDA 3230] やS.Yさん [JDA 3233]
がおっしゃる反応の「乱発」の問題なのでしょうか。
 
 一つ例を挙げると、Y.Yさんは [JDA 3230] で 試合中にもっと「口出し」
すべき理由の一つとして以下のように発言されています。
 
> (1) より本質的で噛み合った議論のために試合時間を有効に利用できる
>
> 片方が何が言っているかほとんど伝わらない,または全く冗長なことで時間を潰
> している。このような状態で,試合を続けたところで,議論としても面白くない
> し,全く議論の訓練にもならない。日本は米国と違い大会・試合の数が圧倒的に
> 少ないですし,一つ一つの試合をできるだけ有効に使うべきです。コメントで次
> の試合に直してもらうより,この試合から実践して欲しい
 
 こういう場合は、「本質的でかみ合った議論」を試合中に行うこと以前
に、そもそも「何が本質的で何がかみ合った議論なのかを判断する能力」
を身につけることが「議論の訓練」になるのではないしょうか。Y.Yさん
が、別の箇所で書かれた「しょーもない T 」を 「その試合で一番説得力
のある議論」とそのディベーターは思っていたかもしれません。それを考
慮せずに、ジャッジが自分の考える「本質的な議論」をディベーターに伝
えて、それを議論させるように誘導することは、"audience adaptation"
の範囲を越えて、"judge is the measure of all things" というレベル
に入ってしまうのでないでしょうか。
 
 もう一つ例を挙げると、2NR で、judge が「議論の優劣を伝える目的」
で逐一うなずいていたとします。そうすると、2AR の人の issue selection
/ focus は、簡単になりますよね。judge がうなずかなかった議論のみを
重点的に説明すればいいわけですから。この場合、2AR は その試合の key
issues を「判断する能力」がなくても、「ジャッジの反応に従えば」良い
わけですよね。これは、neg にアンフェアだと思うし、また「教育者」とし
ても避けるべきだと思うのですが、どうでしょう。
 
   皆さんの意見をお聞かせ下さい。
 
 それにしても、「反応しないジャッジ」= 「単なる傍観者」・「無言の壁」
というメタファーには、「反応しないジャッジ」は「ディベートに教育者と
して真剣に関わっていない」というイメージがあるようで、少し抵抗がありま
す(勿論、今まで ML に Posting された人たちには、そのような意図はない
とは分かっていますが)。反応しないのジャッジも ADA Rule のいう
 
 "Judges should listen conscientiously and in a manner designed
to promote recognition and recall of positions advanced in speeches
and questions periods"
 
という意味では、「積極的」に「教育者」としてディベートに関わっている
と思うので。
 
J.M
 
 
 

Date: Tue, 30 Sep 97 10:55:33 JST
Subject: [JDA :3243] Re: How to judge the round?
 
 南山大学外国語学部英米科4年のD.Hと申す者です。
 
 [JDA :3249]で、ウェイク・フォレスト大学のJ.Mさん
 
>   但し、僕は試合中に「うなずく」ことはあまりしません。理由としては、
>
>   1. 「議論の内容がわかった」ことを伝える目的でうなずく
>         2. 「議論が優劣がわかった」ことを伝える目的でうなずく
>
>ことを区別することができないからです。1. の意味でうなずくのは、僕も
>構わないのですが、うなずくと、ディベーターには 2. の意味に取られてし
>まいかねません。
 
 私は区別できると思います。
 
 (特にリバに入ってから)Argumentは以下の3つの要素を含みます。
 A.Refutation:相手の意見を鮮明にまとめ、相手のどの点が悪いか叩く
 B.Extention:RefutationでのAttackをふまえつつ、自分の議論を伸ばす
 C.Tie-Breaker/Comparison:AとBをふまえて、相手と自分の議論の優劣を示す
 
 J.Mさんの言う1.はArgumentのAとBに属し、2.はCに属します。よって、
Debaterがその時述べているスピーチの要素は上記のように分けうるものなので、上記の
どの質の議論をしているのかディベーター・ジャッジ双方がよく認識しながら、ジャッジ
は反応を示せばよいでしょう。
 私もジャッジしてて、DAのシナリオ自体は分かった時はうなずくでしょうが、コンパ
リに移りそれがよく分からなければ、首をかしげてより深いコンパリを促します。
 
 
>「ジャッジ
>がうなずくこと」が「議論の優劣の判断基準」になってしまうと、「判断能
>力を養う場」としての ディベートの意義が大きく損なわれてしまうと思うの
>ですが。
> こういう場合は、「本質的でかみ合った議論」を試合中に行うこと以前
>に、そもそも「何が本質的で何がかみ合った議論なのかを判断する能力」
>を身につけることが「議論の訓練」になるのではないしょうか。Y.Yさん
>が、別の箇所で書かれた「しょーもない T 」を 「その試合で一番説得力
>のある議論」とそのディベーターは思っていたかもしれません。それを考
>慮せずに、ジャッジが自分の考える「本質的な議論」をディベーターに伝
>えて、それを議論させるように誘導することは、"audience adaptation"
>の範囲を越えて、"judge is the measure of all things" というレベル
>に入ってしまうのでないでしょうか。
 
 ディベーターが自分で本質的な議論を判断するというスキルは大変重要だということは
認めますが、ジャッジの反応自体がそれを損なうことはないでしょう。
 ディベーターはスピーチをする前に、プレパタイムで「何が本質的な議論」なのか自分
で考える努力をしながら自分のスピーチをまとめます。これで既にディベーターが議論判
断するというスキルはつちかわれます。
 ジャッジの反応は、そのディベーターの議論判断が正しいか間違っているか伝えて、間
違っている場合はディベーターに改正を促すという機能を持っています。ここで問題は、
必ずしもジャッジの議論判断が正しいとは限らないということですが、その場合はディベ
ーターがOverviewなどでこのラウンドの争点はなぜこれとこれなのかより深く説明して、
ジャッジの試合の見方を自分に有利なように変えてしまう努力で克服できますし、ぜひそ
うやって、ジャッジをコントロールしてみるべきです。
 
 
> もう一つ例を挙げると、2NR で、judge が「議論の優劣を伝える目的」
>で逐一うなずいていたとします。そうすると、2AR の人の issue selection
>/ focus は、簡単になりますよね。judge がうなずかなかった議論のみを
>重点的に説明すればいいわけですから。この場合、2AR は その試合の key
>issues を「判断する能力」がなくても、「ジャッジの反応に従えば」良い
>わけですよね。これは、neg にアンフェアだと思うし、また「教育者」とし
>ても避けるべきだと思うのですが、どうでしょう。
 
 私の経験ではAffとNegが勝ちへもっていこうとするシナリオは全然違うので、2NRと2AR
は議論のまとめる方向が全然違い、あまり2NRのジャッジの反応だけで2ARをつくる人はい
ない気がします。確かに2NRの大事な点に対し、ジャッジがどう反応するかは大事ですが
。
 それでなくても2NRだって1ARでまとめられた議論に対してジャッジがどう反応している
かみることができるので、結局変わらないでしょう。
 
 
D.H

Date: Tue, 30 Sep 97 12:06:45 JST
Subject: [JDA :3244] Re: How to judge...
 
初めてメールを出すT.S(茨城大學)です。ジャッ
ジのfeedbackに関してですが、以下のように年期とラウンド数だけなら多分誰よ
りもたくさん審査していると思うので少しコメントします。
 
 
歴史的見解:日本でも米国でもfeedbackする人としない人に分かれるようです。
ただし、80年代の日本では経験豊かな社会人ジャッジには「うなずき派」が若
干今より多かったようですね。
 
日米の比較:これは圧倒的に米国人の方が反応がよいです。ほぼ全員がするの
が、訳の分からないスピーチの時にフローを取るのを止めるというやつです。う
なずき派は意外に少ないのですが、いないわけではありません。それから私も日
本に帰ってきてからしばらくやっていましたが、米国で多いのに「勝ち目のない
議論に時間が費やされているときに首を振る」というのがあります。これを私が
止めたのは、日本人の学生さんの場合、「それではどうしたらいいの状態」にな
ってしまいスピーチを止めてしまった人が過去にいたからです。ちなみに米国の
場合、rebuttalでstrategic selectionが自由自在にできないようでは大きな大
会ではお話にならないので、すぐに次のcrucial issueに話が移ります。それか
ら学生の落ち度でスピーチがはっきりしない場合のみ"What?"と声を上げて干渉
するジャッジ、新しいADやDAで内容が今一つ分からない時はとりあえずフローを
とり続けて最後まで説明が分かりにくい場合、試合後に学生をけなしまくるジャ
ッジなどがいました。二人ともNDTで現在とても高い評価を受けている人たちで
す。
 
個人的見解:どのジャッジがどの程度feedbackしてくれるを知っていて、それを
どの程度生かすかもディベーターの力量の内だと思うのですが。Feedbackについ
ては複数ジャッジの場合、reliableなジャッジのものでなければ無視するという
のもあり得るでしょうし、一人ジャッジの場合、無視するのはかなりリスキーな
のでは?Y君のうなずいているときはスピーチをはしょっていいというのは初耳
です。普通、そこを伸ばすのではないでしょうか?数年前に福岡大のディべート
大会を審査したとき、決勝戦を制したディベーターが「唯一反応が目に見える中
沢美依先生を基準にしてスピーチを展開した」と言っていたのが記憶に残ってい
ます。ある大会の中で、同じジャッジに複数回審査された場合、こうした戦略は
有効な気がします。
 それから若いジャッジの方々に。年をとると自分でそうと意識し無くてもある
程度はfeedbackしてしまうようになるようです。例えば、首を振らないまでも小
首を傾げてしまうとか。私の結論としてはfeedbackの賛成と反対にコンセンサス
を取ろうとすのは審査哲学を統一しようとするようなものであまり望ましいとは
思いません。
 
以上、参考になれば幸いです。
--

 
Date: Tue, 30 Sep 97 12:54:21 JST
Subject: [JDA :3245] Re: How to judge the round?
 
J.Mです。
 
At 10:55 AM +0900 97.9.30, hay-daisuke wrote:
> >   但し、僕は試合中に「うなずく」ことはあまりしません。理由としては、
> >
> >   1. 「議論の内容がわかった」ことを伝える目的でうなずく
> >         2. 「議論が優劣がわかった」ことを伝える目的でうなずく
> >
> >ことを区別することができないからです。1. の意味でうなずくのは、僕も
> >構わないのですが、うなずくと、ディベーターには 2. の意味に取られてし
> >まいかねません。
>
>  私は区別できると思います。
>
>  (特にリバに入ってから)Argumentは以下の3つの要素を含みます。
>  A.Refutation:相手の意見を鮮明にまとめ、相手のどの点が悪いか叩く
>  B.Extention:RefutationでのAttackをふまえつつ、自分の議論を伸ばす
>  C.Tie-Breaker/Comparison:AとBをふまえて、相手と自分の議論の優劣を示す
>
>  J.Mさんの言う1.はArgumentのAとBに属し、2.はCに属します。よって、
> Debaterがその時述べているスピーチの要素は上記のように分けうるものなので、上記
>の
> どの質の議論をしているのかディベーター・ジャッジ双方がよく認識しながら、ジャッ
>ジ
> は反応を示せばよいでしょう。
 
 そうですか? A も B も、単に アーギュメントの内容の *理解* だけでな
く、そのアーギュメントの強弱 の *評価* も含んでいると思いますが。例え
ば、A の段階が、もしD.Hさんが書かれたように、相手のアーギュメントの
「悪い」点を叩くことを含むのであれば、ジャッジが頷く行為には、
 
1 .the argument presented is comprehensible.
2. the argument is superior to the opponent's.
 
という二つが含まれているのではないですか?
 
>  ディベーターが自分で本質的な議論を判断するというスキルは大変重要だということ
>は
> 認めますが、ジャッジの反応自体がそれを損なうことはないでしょう。
>  ディベーターはスピーチをする前に、プレパタイムで「何が本質的な議論」なのか自
>分
> で考える努力をしながら自分のスピーチをまとめます。これで既にディベーターが議論
>判
> 断するというスキルはつちかわれます。
>  ジャッジの反応は、そのディベーターの議論判断が正しいか間違っているか伝えて、
>間
> 違っている場合はディベーターに改正を促すという機能を持っています。ここで問題は
>、
> 必ずしもジャッジの議論判断が正しいとは限らないということですが、その場合はディ
>ベ
> ーターがOverviewなどでこのラウンドの争点はなぜこれとこれなのかより深く説明して
>、
> ジャッジの試合の見方を自分に有利なように変えてしまう努力で克服できますし、ぜひ
>そ
> うやって、ジャッジをコントロールしてみるべきです。
 
  これはアーギュメントの *プロセス* を単純化しているのではないでしょ
うか? D.Hさんは、ディベーターは、プレパタイム中、それまでのジャッジの
反応を考慮せず、純粋に議論内容のみに基づいて「何が本質的な議論」なのか
を考える、というように書かれています。しかし、実際のアーギュメント・プ
ロセスでは、単に * 相手が言ったこと* のみを元に反論を考えるのではなく
* 相手の議論に対するジャッジの反応* も、自分のアーギュメントを考える際
に影響するはずですよね。ディベートに限らず、実際のアーギュメント・プロ
セスでは、聞き手の反応(他にも、その時の状況や雰囲気)が、常にアーギュ
メントの内容に何らかの影響を与えていると僕は考えています。
 
  問題は、「ジャッジがどこまでアーギュメントの内容に影響を及ぼすべき
か?」ということですよね。
 
  僕は、comprehensibility はアーギュメントが成立するための前提条件で
あると(ナイーブにも)考えているので、ADA Rule のいっていることは妥当か
なと思っています。ただ、議論における主張の妥当性に関しては、ディベーター
が自分の判断基準 (criteria for what is compelling argument) を持つべき
だと思っています。そして、実際の試合で、その判断基準の妥当性を試していっ
て、どんどん判断能力を発展させていって欲しいと思っています。僕が危惧する
のは、ジャッジが「議論の答え」を教えてしまう(押しつけてしまう)と、ディ
ベーターは、自分で議論の強弱を判断する能力を伸ばす意欲が失せ、「ジャッジ
がうなずけば OK (うなずかなかったから駄目)」という程度の判断基準で十分
だと思ってしまうのではないかということです。
 
 例えば、
        a. どこまで説明すれば相手の議論に十分に反論したことになるか
        b. どの議論で勝っていて、どの議論で負けていているか
        c. どの議論は grouping して軽く返せて、どの議論は重点的に返さ
        なければいけないか。
        d. 勝つためには、どの議論を落としてはいけないか、またどの議論
        は、たとえドロップしても試合の勝敗には全く影響がないか
 
という問題は、ディベーター自身が判断して、そしてその判断基準の妥当性を
ジャッジに説明するべきではないでしょうか?ジャッジが「議論の優劣を教え
る目的で」うなずいてしまうと、「とりあえずジャッジがうなずくまでスピー
チすればいいや」とか「とりあえずジャッジがうなずいた議論を説明すれば、
DA を切れるだろう」という気持ちをもってしまうのではないでしょうか?
 
 D.Hさん、皆さん、どう思われますか?
 
J.M

 
Date: Tue, 30 Sep 97 14:32:12 JST
Subject: [JDA :3246] Re: How to judge the round?
 
ジャッジが「うなづくべき・うなづかないべき」といった議論からは少しずれますが
・・・
 
日本の学生(英語)ディベーターの中には、ジャッジが
 
1)ディベーターの発した言葉を意味のあるものとして理解する
2)ディベーターの議論を妥当なもの(prima facie)として認める
 
という2つのプロセス(もちろん関連性はありますが)をごちゃまぜにしてしまって
いる方が結構多いのではないでしょうか。
 
例えば、「英語がめちゃくちゃで理解不可能。よってこのdisad(とlabelされた一連
のノイズ)は取れない。」
と「affirmative plan とplan linkの間に全く関連性が見られない。よってこのdisa
dは成立しない」
というのとの間には大きな違いがあると思います。後者の場合は、ジャッジが「ディ
ベーターの発した言葉を意味のあるものとして理解できた」から「こそ」「議論」と
して「取れない」のです。これは諸岡の
 
>1 .the argument presented is comprehensible.
>2. the argument is superior to the opponent's.
 
という区別と通じる部分が大きいと思います(すべきかどうかはさておいて、この区
別をノンバーバルのフィードバック「のみ」によってディベータに伝えることはかな
り難しいでしょう、特別な「サイン」かなにかを使わない限り。あるいは2に関して
は「技あり」とか「有効」とかジャッジがスピーチ中に叫ぶとか・・・)。
 
僕が数年前にかなりアクティブにジャッジをしていた頃、「このタコジャッジ。分か
ったならこのdisadとれよ」
といったたぐいのことをよく言っていたディベーターがいました。このディベーター
などはジャッジが「ディベータの発した言葉を理解する」ことと「議論を吟味する」
ことの違いをよく「分かって」いなかったのだと思います。
 
S.A

Date: Tue, 30 Sep 97 15:13:46 JST
Subject: [JDA :3247] Re: How to judge?
 
こんにちはN.I@名大です。
 
>つまり、
> これはそのジャッジの反応の仕方が悪いだけであり、「反応をするという行為」が悪
>い
>わけではありません。正しく反応ができていればこんなことは起こらないのでは?
> ちなみに私がわかったから先に行ってほしい場合、イシューが移る時にフローをはじ
>に
>置く時と同じように、フローをはじに置く動作を表わしながら、ペンを横に振って「先
>に
>行け」という仕種をします。名古屋大学6年のN.I(さく先輩)もペンを横に振
>り
>同種の仕種をするようです。
 
っと、名前を出していただいたので、ちょっとjunk。
 
私は、Judging Philosophy にも、こう書いていますよ。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
去年のジャッジしている姿を見ていた人は知っているとは思いますが、私は
できる限りディベーターにアピールします。ディベーターにはうるさすぎる
ジャッジかもしれません。よく見せる態度としては、以下のものがあります。
1、おもいっきりうなずく・・・・・うんうん、そう思うよ。
2、軽くうなずく・・・・・・・・・言っていることはわかるよ。
3、首をかしげる・・・・・・・・・違うんじゃないかなあ‥‥‥。
4、首を思いっきり横に振る・・・・違う、違う、絶対に違うっ!!
5、手を横に払う・・・・・・・・・そこはいいから速く先に行け〜!
6、ペンを置く・・・・・・・・・・その話は採れないなあ‥‥‥。
7、ペンでフローの上に円を描く・・そこで(ADならそのADの中で)もっと他
              に言って欲しいことがあるんだけどなあ‥‥‥。
8、ペンを上に回転させる・・・・・単なるクセです。気にしないでください。 
9、何か口走っている・・・・・・・自分なら、こうスピーチするかなあ、と
           考えているだけです。うるさかったら、ごめんなさい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
そこまで書くか〜?、って言う声が聞こえそう・・・。
 
なお、”おもいっきり”と”軽く”に criteria が無いゾ、とか言うツッコミは
遠慮していただけると幸いです。
 
もちろん、上に書いたのは私一人の態度の解釈であって、他のみんなも全員同じ、
とは限りませんよ。一応、念のため。
 
では。
 

Date: Wed, 1 Oct 97 01:09:14 JST
Subject: [JDA :3249] Judge's feedback
 
こんばんは、H.Iです。
最近議論が盛んな「うなずき問題」について
 
J.Mさんは[JDA:3240]でこう述べています。
>  こういう場合は、「本質的でかみ合った議論」を試合中に行うこと以前
> に、そもそも「何が本質的で何がかみ合った議論なのかを判断する能力」
> を身につけることが「議論の訓練」になるのではないしょうか。Y.Yさん
> が、別の箇所で書かれた「しょーもない T 」を 「その試合で一番説得力
> のある議論」とそのディベーターは思っていたかもしれません。それを考
> 慮せずに、ジャッジが自分の考える「本質的な議論」をディベーターに伝
> えて、それを議論させるように誘導することは、"audience adaptation"
> の範囲を越えて、"judge is the measure of all things" というレベル
> に入ってしまうのでないでしょうか。
 
ディベーターが「何が本質的で何がかみ合った議論なのかを判断する能力」
を身につけるべきだという点については、もっともだと思います。しかし、
それが一人よがりのものであっては意味がないのでは?
 
上の例でいうと「しょうもないT」を「説得力のある議論だ」と思い込む
ことは、判断能力の向上には役立たないでしょう。思い込みを排し、バラ
ンスのとれた判断能力を身につけるためには、第三者であるジャッジの反
応を確かめることも必要になると思いますが、いかがでしょうか。
 
今度は[JDA:3245]のJ.Mさんのコメントから。
>僕が危惧する
>のは、ジャッジが「議論の答え」を教えてしまう(押しつけてしまう)と、ディ
>ベーターは、自分で議論の強弱を判断する能力を伸ばす意欲が失せ、「ジャッジ
>がうなずけば OK (うなずかなかったから駄目)」という程度の判断基準で十分
>だと思ってしまうのではないかということです。
 
こういうことは実際にあるのでしょうか?
私は、ジャッジがうなずけば勢いを得てそのポイントを重点的に説明し、うなず
かなかったときは、もう少し突っ込んで説明するか、別の論点にシフトして議論
を続ける積極的なディベーターを想定していました。
 
このあたりの想定の差が、意見の分かれ目なのでしょうか。とすると、
問題はジャッジの側ではなく、ディベーターの側にあることになりますね。
 
 
J.Mさんをはじめ、皆さんの意見をお聞かせいただければ幸いです。
 
 
H.I

Date: Wed, 1 Oct 97 02:53:11 JST
Subject: [JDA :3250] Re: Judge's feedback
 
J.Mです。
 
At 1:09 AM +0900 97.10.1, Hirotaka Iida wrote:
> 今度は[JDA:3245]のJ.Mさんのコメントから。
> >僕が危惧する
> >のは、ジャッジが「議論の答え」を教えてしまう(押しつけてしまう)と、ディ
> >ベーターは、自分で議論の強弱を判断する能力を伸ばす意欲が失せ、「ジャッジ
> >がうなずけば OK (うなずかなかったから駄目)」という程度の判断基準で十分
> >だと思ってしまうのではないかということです。
>
> こういうことは実際にあるのでしょうか?
> 私は、ジャッジがうなずけば勢いを得てそのポイントを重点的に説明し、うなず
> かなかったときは、もう少し突っ込んで説明するか、別の論点にシフトして議論
> を続ける積極的なディベーターを想定していました。
 
 なるほど。この場合、うなずくことは「なるほどねー」又は「いいポイント
をついてるね」という程度の意思表示で、僕が想定した「ディシジョンを(部
分的に)公開する」・「議論の答えを教える」という類のものではないのです
ね。そうすると、うなずいたからといって、そのディベーターは依然として自
分でジャッジを説得したかどうか判断しなければならないし、相手もジャッジ
がうなずいたから、その議論は諦めなければならないということにはならない
のですね(大きなヒントにはなるでしょうが)。この文脈で考えると、D.Hさん
の意見も納得できます。
 
  確かに、僕の議論は、極端な場合を想定してますね。実際にあるのかとい
う指摘には、可能性はある、と弱々しく答えるのみです(特にH.Iさんのよう
な見解が大勢であれば)。ただ、僕が感じたのは今回の一連の 「うなずき 賛
成派」の意見が一方的にしかも「曲解」されて伝わってしまうと、「議論の
"最終的" な見解」をうなずくことで教えるべきだと風潮ができてしまうのでは
ないか、それは問題ではないかということです。実際、そのような意味に取られ
兼ねない表現もあったと思います。
 
  あとは、ディベートのゲーム性の問題や学生ディベートの現状をどう捉え
るかにもよるんでしょうね。
 
J.M

Date: Wed, 1 Oct 97 08:51:31 JST
Subject: [JDA :3251] RE: How to judge the round?
 
FROM:Kazuhiko Seno
みなさん、今日は。K.Sです。
と言っただけでは分からないと言う意見もあったので、上智大学卒、
JDA理事、NAFA顧問理事をやっているK.Sです。あと、どこかの学
校で何かの科目を教えていたりもしているような気がしますが・・・
よく憶えていません。
 
ジャッジの反応問題について・・・
私は、どうやら「中間派」のようです。何でも積極的に反応しよう
とは思っていませんし、極力反応しない様にしようとも思っていま
せん。自分の自然な反応に任せています。
とりあえず、ジャッジの反応にはディベーターをencourageするも
のとDiscourageするものがあると思います。
私の場合は、良い議論をencourageしようとして積極的に反応する
ことはそれほどしません。(議論が、非常に賢いものであるときな
どには、「なるほどね」くらいで、自然にうなずくことはありま
す。)
よくやるのは、悪いディベートをDiscourageするためにする反応で
す。
例えば、スピーチ・エビデンスなどがひどい英語でわからない、パ
ートナーや相手がスピーチ中に迷惑になるくらいうるさい、英語の
単語や発音などが明らかに間違っている(よくPrep time中に、
「ねぇねぇ・・・」とか声をかけて訂正します。全部やってると試
合以上に時間が掛かるので簡単なものだけですけど。)、あまりに
も理由・シナリオがわからない議論が出る、相手を侮辱するような
態度をとる。こんな場合です。
こういう時には、「おいおい、勘弁してよ。」といやーな顔をした
り、ペンを止めたり、あまりにもひどい場合には、口頭で注意しま
す。何の反応も示さずに、コミュニケーションや礼儀に問題のある
ディベートをただ見続けているのに絶えられないからです。
 
ジャッジの「encourageする系」の反応に関しては、ディベーター
も、あまり過度にそれらに頼ること無く、むしろその後の議論展開
のちょっとした判断材料にするくらいにしておいた方が良いのでは
ないでしょうか。そうすれば、必ず反応して欲しいとか、勘違いす
るので反応はしないでほしいとか、あまり極端に、又は、神経質に
ならずにすみますし。そんなもんだと思っていれば試合中もあまり
問題ないのではないでしょうか。
 
 

Date: Wed, 1 Oct 97 13:44:10 JST
Subject: [JDA :3252] RE: How to judge the round?
 
みなさん、今日は。K.Sです。
 
ジャッジのFeedbackに関する今までのメールをまとめて読んでみて
思ったことを今朝のメールに引き続き書きます。
 
ジャッジからのfeedbackは大切だが、それも行き過ぎるとラウンド
に対する過度のコントロールになってしまうのではないか?
 
ジャッジは、聞き取れない議論やあまりにも教育的でない(と本人
が思う)議論、あるいは、試合の妨げになるようなディベーターの
言動に対しては、積極的にそれらを改善するfeedbackを行うべきだ
と思いますが、一応理解できた(認識できた)普通の議論にまで、
自然な反応の域を越えて積極的にfeedbackを行うのは、如何なもの
でしょうか?
例えば、ディベーターがアーギュメント、それこそ一つ一つに、
「これでよいか?」とジャッジに聞いてきたら、どうでしょうか?
Do you understand what I argued?  Then, am I winning my 
argument?  OK, then, should I drop this argument or extend 
this to win the round?  And what about the next one?
万が一ディベーターがこんな風にいちいちジャッジの判断を求めて
きたら、みなさんは、ひとつひとつ頷いたり、首を振ったりします
か?私は、いちいち反応しないと思います。
時に応じて、「なるほど」くらいの反応なら、自然に思えますが、
試合中のすべての議論にいちいち反応していては、ジャッジのディ
ベート・ラウンド中のアーギュメントに対する「過度の」コントロ
ールになってしまうような気がします。こういう事が行き過ぎると、
試合中に「OKわかったわかった。つぎつぎ。」とか、「もっと言い
方を変えないと取れないよ。」とか、「相手の議論が完璧だから何
を言っても無駄さ。」などと、口頭でディベーターにfeedbackする
ジャッジも出てくるかもしれないですね。(一応冗談のつもりです
が、「積極的な反応」というのが、極端に取られれば、「うなずく
ことと口頭で意思を表示することとは、程度の差であって同じ線上
にある」とのたまわれるジャッジもいるかもしれません。)
私も諸岡さんの言うように提出された議論の強さの見極めは、ディ
ベーター自身が行うべきものであり、また、ラウンド後のコメント
などのfeedbackで、そういう力を養っていくべきものだと思ってい
ます。
また、ジャッジの反応があまりに強調されるとそれこそ上の例のよ
うにスピーチ中に百回も二百回も反応を得ようとジャッジに質問を
してくるディベーターが出てくるのではないかと心配です。(今の
ディベート界だといかにも出てきそうだし。)
 
まとめて言うと、ジャッジはラウンド中の過度のアーギュメント・
コントロールは避けるべきであるし、前にも書いたようにディベー
ターもジャッジを意識して試合を行うことはもちろんだが、ジャッ
ジの反応に過度に期待すべきではない、ということです。
何でも極端は、良くないですね。
 
注:私は、別に反応賛成の人たちが、過度にfeedbackを行っている
と考えているわけではありません。みんなを見てるからちゃんとわ
かるしね。反応賛成が捻じ曲げられて理解されるのが心配なだけで
す。そういう子と良くあるでしょ。
 

Date: Wed, 1 Oct 97 18:14:53 JST
Subject: [JDA :3253] Judge's feedback
 
 
こんにちは。獨協大学のH.Yです。
思いがけず、熱い議論が展開されていますが、これまた思いがけず
「反応するべき派」の方々が非常に多く、嬉しくも悲しくもあります。 
議論が非常に多岐に渡っているような感がありますが、どことなく
議論が獨協大学出身者とその他の方々で別れてしまっているような
気もしますが、とりあえず今の時点で考えた事を述べたいと思います。
また、僕がここで用いる*反応*とはあくまで「意図的な目的を持った
反応」であり、人間として自然に反応してしまうということは、含ま
ないとします。
 
 
反応派の方々は、ジャッジがメッセージを送るということが、
ディベートのラウンドに対して効果的なフィードバックをもたらす、
としています。そして、ジャッジのメッセージを適確にコミュニケート
する事が出来る、さらには、反応とその内容を対照させた一覧まで発表
されたかたもいました。しかし、ここで非常に大きな問題(疑問)が出
てきます。
 
問題@:ジャッジの役割は、メッセージセンダーであるのか。
 
私には、(少なくともディベートラウンドの流れを見る限り)
ジャッジがメッセージを発信する役割を持っているようには思えません。
例えば、C−Exの時にはジャッジが質問をする事が出来るとか、立論と
反駁の間にジャッジがその試合の状況を確認・説明するとかしなくて
はならないのであれば、ジャッジもメッセージを発信する役割を持つ事
になるとは思います。しかし、もちろんそのような状況は存在せず、
その意味でジャッジは、肯定・否定の両方に対して、ワンウエイ・
コミュニケーションのレシーバーとしての役割のみを得る事になります。
 
問題A:なぜ(重に)ノン・バーバルなのか。
 
仮に、ジャッジがメッセージを、ラウンド中に発信する必要があるとして、
なぜ、それをノンバーバルで行わなくてはならないのでしょう。例えば、
確か、T.Sさんや北野さんがおっしゃったように、声が非常に小さいとか、
非常に無礼な態度のような、ディベートのラウンドを妨害するような場合、
ジャッジとしてというより、ラウンドに関わる者として、注意をすることは
良いと思います。しかし、なぜ非効率なノンバーバルに情報発信機能を持た
せるのでしょうか。それはやはり、フィードバックはラウンド外で行われる
べきであり、そのノンバーバルなメッセージには効果(意味)はないからであると
思うのですが。ちなみに、コミュニケーション論としてはノンバーバルの効果
が非常に高いということが言われますが、この議論の場合、それは当てはま
らないと思います。(問題B参照)
 
問題B:ディベーターはどうやって知るのか。
 
一連の議論で少なくとも、ジャッジによって反応が異なる事だけは、確認された
様に思います。(私は**する、ということはあっても、それは個人内で決定され
ていることが非常に多い。)従って、これを如何に見分けるかということがわか
らないと、必然的にミス・コミュニケーションが起きるので、かえってディベーター
のスピーチを停滞させてしまうのではないか。
 
問題C:そもそも、ジャッジに合わせるということは、どういうことか。
 
これは非常に難しいのですが、理想として、大多数のジャッジに対して必要十分な
スピーチというのは存在すると思います。少なくとも、ジャッジの理解度や知識を
完全に知ることは出来ないし、(最近「今期何試合ジャッジしましたか」という質問
をジャッジにする千葉のディベーターがいましたが、彼はそれによってどの程度スピ
ーチが変わるのか、興味があります)その意味で、大多数に対して分かりやすいスピ
ーチを心がける方が、前向きではないでしょうか。また、多くのジャッジを相手にした
ときの対応手段としては、まだあまり有効なものが示されていないことですし。
 
問題D:少なくとも、大会で行う事について
 
事実、学内のプラクティスやホームにおいて、試合を止めてジャッジがコメント
するというのは非常に効果的であると思います。しかし、それを大会で行うというのは、
特にA・B・Cの問題に答えが出ない限り、どうかと思います。
 
 
従って、僕はまだ「反応しないべき」と考えます。
WESAのK.Tくん、君が提起した問題なんだから、そろそろ考えを知らせなさい。
 
 H.Y☆
 

Date: Wed, 1 Oct 97 20:19:03 JST
 
こんばんわ。東洋紡のH.Yです。
 
「ジャッジのフィードバック」についての議論を非常に興味深く
読んできましたが、気になったことがあるので投稿しました。
 
まず結論を述べますと、
「ジャッジの反応はごく自然な範囲にとどめるべき」
「ディベーターはジャッジの反応を過剰に意識すべきでない」
というのが私のスタンスです。
気になったことというのはディベートを対ジャッジのコミュニケーションと
みなして議論が進んでいるようで、観客の存在が抜けているのでは?
という点です。
 
ディベートで学ぶべきものは個人対個人のコミュニケーション技術
というよりは、多くの人へ向けたプレゼンテーション技術だと考えます。
ジャッジは試合を円滑に進めることと、勝敗を決めることに責任を
持っていること以外はあくまで観客の1人でしかなく、
ジャッジがプレゼンテーションの内容を変えるような強いフィードバック
を与えることも、ディベーターがジャッジの反応のみを過剰に意識して
プレゼンテーションを進めることも両方とも好ましくないと思っています。
 
「ゲーム性」を無視した理想論かもしれませんし、
ディベートに対する認識が違うかもしれません。
皆さんからの意見が聞ければうれしくおもいます。
 
余談ですが、私は反応の少ないジャッジのようです。
しかし、「反応しない=議論が立ってない」という意思表示ではないので
スピーチ中に凍らないで下さいね。
 
 
 
H.Y

 
Date: Thu, 2 Oct 97 10:18:19 JST
Subject: [JDA :3255] Re: Judge's feedback
 
 
> こんにちは。獨協大学のH.Yです。
> 反応派の方々は、ジャッジがメッセージを送るということが、
> ディベートのラウンドに対して効果的なフィードバックをもたらす、
> としています。そして、ジャッジのメッセージを適確にコミュニケート
> する事が出来る、さらには、反応とその内容を対照させた一覧まで発表
> されたかたもいました。しかし、ここで非常に大きな問題(疑問)が出
> てきます。
 
S.Y@JDA理事、NAFA顧問理事です。
 
例によって、アバウトな感想をつい述べてしまいますが、まあ、聞いてやって下さい。
 
「フィードバック」=「判断をディベーターに伝える」、「反応」=「フィードバックの
一形態」であると思うのですが、ジャッジは、ラウンドの後に、判断を
下します。また、コメントで、個々の議論の判断を示します。ディベーターは、それを
聞いて、議論の至らない点があれば、練り直し、また、プレゼンテーションを向上させます。これが議論の教育活動です。H.Y君も、このジャッジの役割を否定したりはしないと思
います。
 
つまり、H.Y君や、諸岡君が述べている問題とは、「試合の後」と、「試合中」に判断を
しめすことの違いしかありません。個人的に、どこが違うのか理解できません。H.Y君は、
この違いをどう考えているのですか?
 
S.Y

Date: Thu, 2 Oct 97 12:25:52 JST
Subject: [JDA :3256] RE: Judge's feedback
 
こんにちは、K.Tです。
 
> 従って、僕はまだ「反応しないべき」と考えます。
> WESAのK.Tくん、君が提起した問題なんだから、そろそろ考えを知らせなさい。
 
まさか、こんなにreplyがあるとは思いませんでした。メールを受信して見ると、「
30通」という表示がされ、大半がこの議論に関する物で、読むのが精一杯でした
。自分の中で、十分には消化されていないのですが、自分としての考えを書きたい
と思います。
 
私が、最初に定義した問題は、「過度のジャッジの反応はすべきかどうか」という
点でした。これに関する皆さんの意見は、あまり多くなく、私自身としては、K.S
さんがおっしゃっていた何事も、行き過ぎは、良くないという点に落ち着きました
。
 
今、獨協vsOthersという感じで、反応すべきかという点が焦点ですね。そもそも、
僕は反応する派なのですが、JDAに流れた意見を見るに、ジャッジはどっちでもいい
のではないかな。と思います。(あっ、なんか怒られそうですね・・・(^^;)。)つ
まり、両方の意見もわかるし、お互いに指摘している問題点も、場合によっては、
起こり得るということです。例えば、全員が反応する派のジャッジで、FINALをやっ
たとします。その場合、全員が反応するにしても、反応の仕方は千差万別で、ディ
ベーターが受けるメッセージの意味は、各ジャッジの思惑に全て沿うとは、思いま
せん。結局、反応する、しない、が混ざった状態とあまり変わらないのではないで
しょうか。
 
少し、話はずれますが、そもそもディベートは「人を説得する」ということです。
しかし、日常生活、仕事などにおいて、説得する場合、相手を選ぶことはできず、
説得しようとする相手の顔を伺いながら、どう話すか決めると思います。こういっ
た話し手の状況は、ディベートにおいても同じではないでしょうか。
 
つまり、ディベーターは各ジャッジのジャッジのやり方を考慮して、ディベートし
て行くべきではないでしょうか。考えてみると、自分が現役の時は、ジャッジの特
徴をよく覚えていたと思います。**さんは、こうしたらとってくれる。++さん
は、こうしないとダメだ。といった感じです。予選は、これでもいいのですが本戦
になった場合は、一人一人の特徴に会わせるのではなく、全体的に受け入れやすい
物に変えていたのではないでしょうか。
 
ちょっと、まとまりがありませんが、ディベーターの積極的なジャッジに対する態
度を望むのが一番では、ないでしょうか。

 
Date: Thu, 2 Oct 97 13:17:46 JST
Subject: [JDA :3257] judge's intervention
 
昔ディベーター、現在ディベートコーチのS.Aです。
 
(1)「公式大会のラウンド」において、ディベーターが行った「議論」についての「
評価・判断」を、「ジャッジ」が「ノンバーバル」なコミュニケーションの媒体を使
って「スピーチの最中」に「逐次逐次」ディベーターに伝えることを試みる。
 
ディベート教育に携わる人間として、(1)をやることの「必然性」を僕は感じませ
ん。(1)を行うこととS.Yさんの書いている「議論の教育活動」、つまり
 
>ジャッジは、ラウンドの後に、判断を
>下します。また、コメントで、個々の議論の判断を示します。ディベーターは、それを
>聞いて、議論の至らない点があれば、練り直し、また、プレゼンテーションを向上させ
>ます。
 
といったこととはだいぶ隔たりがあるように見えるのですが。
 
ディベート教育に携わる者としては、むしろ
 
(2) スクワッド内等の「練習ラウンド」において、ディベーターが行った「議論」に
ついての「評価・判断」を、必要があれば「コーチ」がまず「スピーチを止め」そし
て「口頭」でそれを伝え、さらに必要があればその場でもう一度スピーチをやり直さ
せたり、あるいは問題がある部分について反復練習をさせる。
 
といった「直接介入」を通じて「議論の教育活動」の効率を上げていけばよいのでは
ないでしょうか。
 

 
J.Mです。
 
At 10:18 AM +0900 97.10.2, S.Y
> 例によって、アバウトな感想をつい述べてしまいますが、まあ、聞いてやって下さい。
>
> 「フィードバック」=「判断をディベーターに伝える」、「反応」=「フィードバック
>の
> 一形態」であると思うのですが、ジャッジは、ラウンドの後に、判断を
> 下します。また、コメントで、個々の議論の判断を示します。ディベーターは、それを
> 聞いて、議論の至らない点があれば、練り直し、また、プレゼンテーションを向上させ
>ます。これが議論の教育活動です。H.Y君も、このジャッジの役割を否定したりはしな
>いと思
> います。
>
> つまり、H.Y君や、J.M君が述べている問題とは、「試合の後」と、「試合中」に判断
>を
> しめすことの違いしかありません。個人的に、どこが違うのか理解できません。H.Y君
>は、
> この違いをどう考えているのですか?(諸岡君も。答えてね。)
 
 これは、*どんな* 判断をフィードバックとして伝えるか(伝えるべきか)に
よって話が大きく変わってくると思います(S.Yさんと僕とでは、ここで議論の
ポイントがずれているのかもしれません)。
 これは極端な例ですが、ディベーターが
 
        Are we winning this debate?
 
と 試合中に質問したとします。この質問に対して、ジャッジが試合中に判断を
示すのと試合後に判断を示すのでは大きな違いがありますよね。
 仮に「議論の最終的な判断」までを試合中にフィードバックすべきだと考え
ているジャッジがいた場合、上の例ほど極端でなくても、試合中に判断を示す
のと試合後に判断を示すのとでは、かなり違いが出てくると思うのですが。
 
 因みに、僕は試合中ディベーターに
 
   The impact of DA outweighs AD, right?
 
と実際に言われたことがあります。「そんな質問にうなずいたらディシジョンを
教えてるのと同じじゃないか。」と思いながら反応せずにいると、ディベーター
がむきになって何度もしつこく同じ説明をされて困ったという経験があります。
 
 僕の議論は、あまりにも極端な例を挙げていて議論をねじ曲げていると批判さ
れるかもしれません。ただ、試合中に *自覚的* に反応するべきだと考えている
ジャッジは、ディベーターが right? と質問してきた場合に、どこまで反応すべ
きかという基準とその基準の妥当性を説明できなければ、上記の様な極端な例を
たわごととして片づけることはできないのではないでしょうか。
 
J.M

Date: Thu, 2 Oct 97 14:21:53 JST
Subject: [JDA :3261] RE:judge's intervention
 
FROM:Kazuhiko Seno
みなさん、今日は。K.Sです。
 
>昔ディベーター、現在ディベートコーチのS.Aです。
 
おお、とうとうまた、本格的にディベートを始めてくれましたね。
非常に嬉しいです。これで、日本に帰ってきてくれると最高に嬉し
いんだけど。(^.^)
 
S.Aさんの言うように、大会での試合と日常的なプラクティスでは、
かなり違いがあると思います。「試合中」にジャッジがディベート
のやり方について、マナーやコミュニケーションなどの領域を超え
て「積極的に」(過度に)介入するのは、練習だからこそできる、
また、時に応じて、すべきものだと思います。
 

Date: Thu, 2 Oct 97 15:12:41 JST
Subject: [JDA :3262] Re: RE: Judge's feedback
 
J.Mです。
 
At 0:25 PM +0900 97.10.2,
> 少し、話はずれますが、そもそもディベートは「人を説得する」ということです。
> しかし、日常生活、仕事などにおいて、説得する場合、相手を選ぶことはできず、
> 説得しようとする相手の顔を伺いながら、どう話すか決めると思います。こういっ
> た話し手の状況は、ディベートにおいても同じではないでしょうか。
>
> つまり、ディベーターは各ジャッジのジャッジのやり方を考慮して、ディベートし
> て行くべきではないでしょうか。考えてみると、自分が現役の時は、ジャッジの特
> 徴をよく覚えていたと思います。**さんは、こうしたらとってくれる。++さん
> は、こうしないとダメだ。といった感じです。予選は、これでもいいのですが本戦
> になった場合は、一人一人の特徴に会わせるのではなく、全体的に受け入れやすい
> 物に変えていたのではないでしょうか。
>
> ちょっと、まとまりがありませんが、ディベーターの積極的なジャッジに対する態
> 度を望むのが一番では、ないでしょうか。
 
 「反応すべき派」または「反応すべきでない派」のどちらか一方の見解に
統一すべきではない(= 個性を認めるべき)というK.Tさんの意見に賛成で
す。
 
 また、ディベーターはジャッジの個性を考慮にいれてスピーチするべきだ
という意見にも賛成です。
 
 ただ、
   「日常生活ではいろんな考え・個性の人がいる。」
 *だから* (ここが重要)
   「ディベートでも、いろんな考え・個性をもったジャッジがいても
        いい」
という考えを持っている人がいれば、これは問題でしょう。
 
  ディベートでは、ジャッジの個性や考えの多様性を認めると同時に、
「良いジャッジ」と「悪いジャッジ」、「責任感のあるジャッジ」と
「無責任なジャッジ」をわける基準も必要だからです(その基準が何
であるかは別にして)。その意味で、「日常生活での各人の個性・考え
の違い」と「ディベートのジャッジの個性・考えの違い」を同一視する
のは妥当ではないと思うのですが。
 
 恐らく、これはS.Aさんの [JDA 3239] での以下の指摘
 
> トーナメントディベートのジャッジは「単なる」オーディエンスであってはならない
> と思います。Y.Y君や他の皆さんが書かれているように、ジャッジは「単なる」コミ
> ュニケーションの対象(聴衆)を越えた立場(指導者、教育者、などなどと
> いった)にいる、といった自己認識が必要なのではないでしょうか。
 
と重なる部分が大きいと思います。S.Aさんは
 
 「日常生活では相手の発言に反応する」
*だから*
   「ディベートの試合中も、ジャッジは反応してもよい」
 
という考えを問題視されているわけですよね。
 
  この問題に限らず、
 
「日常生活ではこうだから(実際の世界ではこうだから)、ディベートも
そうあるべきだ(そうあってもいい)」
 
という論理には、もう少し慎重になるべきではないでしょうか。
 
J.M

Date: Thu, 2 Oct 97 16:48:30 JST
Subject: [JDA :3263] Judge's feedback
 
 
 
こんにちは。獨協大学のH.Yです。
ここ数日(数時間?)のうちに議論が収束していっている気が
しているのですが、とりあえずお答えします。
 
S.Y@JDA理事、NAFA顧問理事さんのご意見より。
 
>
「フィードバック」=「判断をディベーターに伝える」、「反応」=「フィードバックの
> 一形態」であると思うのですが、ジャッジは、ラウンドの後に、判断を
> 下します。また、コメントで、個々の議論の判断を示します。ディベーターは、それを
>
聞いて、議論の至らない点があれば、練り直し、また、プレゼンテーションを向上さ
せます。これが議論の教育活動です。H.Y君も、このジャッジの役割を否定したりは
しないと思
> います。
>
つまり、H.Y君や、諸岡君が述べている問題とは、「試合の後」と、「試合中」に判断を
>
しめすことの違いしかありません。個人的に、どこが違うのか理解できません。H.Y
君は、
> この違いをどう考えているのですか?(諸岡君も。答えてね。)
 
まず、ジャッジが教育的効果を目的として、ディベーターにフィードバックする必要が
あるということには、異論がありません。しかし、試合中における過度の介入、反応は
望ましくないと考えているということです。
 
「試合の後」と「試合中」ではやはり、大きな違いが存在するように思います。それは、
ジャッジのメッセージが伝わる効果性と即時性、またノンバーバルとバーバルという点
から考えると分かりやすいと思います。
 
A)「試合中」にノンバーバルで「即時的」に(各スピーチに反応して)行うフィー
ドバック
B)「試合後」にバーバルで「効果的」に(ラウンド全体を振り返りながら)行うフ
ィードバック
 
の二種類が存在しているとします。もちろんこれは、相容れない概念ではありません。
ここで問題なのは、A)という条件下であえて行われるフィードバックが、果たして
教育的に有効か、ということです。私はそうは思いません。その主な原因は、
ノンバーバルによるミスコミュニケーションの可能性を、大きく考えるからです。
([JDA3253]と同じ理由です。)だから、A)の状況下で行うフィードバックは必要
最小限の留め、B)の状況下で行うフィードバックを積極的に行うスタンスはどうで
しょうか。
 

Date: Thu, 2 Oct 97 17:55:28 JST
Subject: [JDA :3264] Re: Judge's feedback
 
T.Oです。
 
 
>> つまり、H.Y君や、J.M君が述べている問題とは、「試合の後」と、
>> 「試合中」に判断をしめすことの違いしかありません。個人的に、ど
>> こが違うのか理解できません。H.Y君は、この違いをどう考えている
>> のですか?(諸岡君も。答えてね。)
 
 >  これは極端な例ですが、ディベーターが
 >      Are we winning this debate?
 > と 試合中に質問したとします。この質問に対して、ジャッジが試合中に判断を
 > 示すのと試合後に判断を示すのでは大きな違いがありますよね。
 
ジャッジには、議論技術の指導者・教育者としての役割と、公平な観察者
としての役割の二つがかせられていて、それがぶつかる場合ですね。確か
にこれは、判断を示す時間が「試合中」と「試合後」では大違いだと思い
ます。
 
# S.Yさんの最初の感想では、教育活動のほうに対する言及はありますが、
# ジャッジの公平性に対する言及はないですね...
 
 >  僕の議論は、あまりにも極端な例を挙げていて議論をねじ曲げていると批判さ
 > れるかもしれません。ただ、試合中に *自覚的* に反応するべきだと考えている
 > ジャッジは、ディベーターが right? と質問してきた場合に、どこまで反応すべ
 > きかという基準とその基準の妥当性を説明できなければ、上記の様な極端な例を
 > たわごととして片づけることはできないのではないでしょうか。
 
議論をねじ曲げているとはおもいませんが、「基準とその妥当性」を示す
必要もないのでは。自覚的に介入するジャッジは、「公平性」を損なうこ
となく試合中の「教育的フィードバック」を行うことができると、自分の
経験からその都度判断しているのでしょう。それはそれでよいことだと思
います。
 
もちろん、verbal / non-verbal な介入が、意図せず公平性を損ねてしま
う危険性は常に残ります。こっちが善かれとしてやったことでも、「○野
がよけいなこと言ったおかげで試合の流れがあっちにいってしまった!」
と、人知れず恨みを買っているのかもしれませんね....
 
逆に「なるたけ反応しない」人たちって、この「公平性を損なう危険性」
をえらく嫌っているのではないか、と勘繰っています(もちろん、他にも
反応をしない理由があることはわかっていますが)。どうなんでしょうか。
 
わたしはリスクテイカーですが。
 
T.O

Date: Fri, 3 Oct 97 00:26:26 JST
Subject: [JDA :3266] Re: RE: Judge's feedback
 
「[JDA :3262] Re: RE: Judge's feedback」の件で:
>  ディベートでは、ジャッジの個性や考えの多様性を認めると同時に、
>「良いジャッジ」と「悪いジャッジ」、「責任感のあるジャッジ」と
>「無責任なジャッジ」をわける基準も必要だからです(その基準が何
>であるかは別にして)。その意味で、「日常生活での各人の個性・考え
>の違い」と「ディベートのジャッジの個性・考えの違い」を同一視する
>のは妥当ではないと思うのですが。
> 
> 恐らく、これはS.Aさんの [JDA 3239] での以下の指摘
>
>> トーナメントディベートのジャッジは「単なる」オーディエンスであってはならない
>> と思います。Y.Y君や他の皆さんが書かれているように、ジャッジは「単なる」コミ
>> ュニケーションの対象(聴衆)を越えた立場(指導者、教育者、などなどと
>> いった)にいる、といった自己認識が必要なのではないでしょうか。
>
>と重なる部分が大きいと思います。S.Aさんは
>
> 「日常生活では相手の発言に反応する」
>*だから*
>   「ディベートの試合中も、ジャッジは反応してもよい」
>
>という考えを問題視されているわけですよね。
 
そうそう。ちょっと極端な例かもしれませんけど、日常生活では「退屈な話」に対し
て「うつらうつら」とか「おもむろにペンを指で回す」とか「ノートに落書きを始め
る」といった個人によって様々な「反応」がたとえ許されていたとしても、ディベー
トのラウンド(あるいはスピーチの大会)でそのような「反応」をジャッジがするの
は当然御法度ですよね。オーディエンスなら構わないと思いますけど。
 
たとえばあるディベート(スピーチ)大会でラウンド中にディベーター(スピーカー
)へ「オーディエンスからの野次」が許されているとしますよね。でも、ジャッジと
しては「自ら」が「オーディエンス」と(一緒に)なって「野次」をとばす必要性は
ないと思います。むしろオーディエンスからとばされた「野次」に対してウイットに
とんだ「返し」をするとか、ジョークっぽい「野次」にジョークで軽くいなす、など
などオーディエンスとのインタラクションといったことをも含めた
 
<<ディベーター・スピーカーの「公的コミュニケーションのスキル」>>
 
についてある程度「第三者(第四者?)」な立場で「冷静」な判断・評価を下すのが
「単なる」オーディエンスを越えた「ジャッジ」としての一つ(すべてではないかも
しれませんが)の重要な役割なのではないでしょうか。
 
へんてこりんな議論について「オーディエンス}としておもわず顔をしかめてしまっ
たり、「にやり」としたりするのは仕方ないことかもしれませんが、上に書いたよう
な「フォレンシックス活動における」「ジャッジ」としての「ユニーク」な役割も忘
れてはならないと思います。
 
S.A
 

Date: Fri, 3 Oct 97 00:59:19 JST
Subject: [JDA :3267] Re: Judge's fee
 
こんにちは、Y.Sです。
 
 
>つまり、H.Y君や、J.M君が述べている問題とは、「試合の後」と、「試合中」に判断を
しめすことの違いしかありません。個人的に、どこが違うのか理解できません。H.Y君は、
>この違いをどう考えているのですか?(諸岡君も。答えてね。)
 
ジャッジは指導者であると同時に、試合の公平な審判でもあります。
過度の反応は、公平性を損います。ジャッジの不用意な仕種により、ディベーター
は相当影響を受けます。戦略の変更を強いられるかもしれません。まして、
口頭でフィードバックするとなると、ディベーターは当然それをGIVENのもの、
神様の啓示として受け取るでしょう。それが英語やマナーの注意ならばいざしらず、
深く考えないで「リンクねえよなぁ」と言ったりすると、ディベーターが
精神的なダメージを受ける可能性もあります。そうなると、知らず知らずに
その相手側に有利な行動を取っていることになりかねません。しかも、そのことに
教育的な効果はありません。
 
ジャッジの試合中のひとことは、ジャッジが予想する以上に大きなインパクトを
ディベーターに与えます。そこまでわかっていてあえて「フィードバック」
しようというのならば、そのジャッジなりに考えた帰結なのでいいでしょうが、
気軽に「フィードバック」するのはまずいでしょう。
 
「ジャッジは結局判断してそれをディベーターに
伝えるのだから、それが試合中であろうと試合後であろうと同じだ」という
意見は、勝負がつく(しかも建前としては「公平に」)試合形式をとるディベート
という側面を軽視し過ぎていると思います。
 
 
別に私はディベートは教育活動ではない、なんて全く言ってませんので
念のため。なんて書いていたら、似たようなことをT.Oくんが書いていますね。
ともかく、ジャッジの影響力というのは、ジャッジが考えている以上に大きい
ものです。私も自戒しています。
 

Date: 13 Oct 97 10:00 JST
Subject: Fw: [JDA :3269] Re: Judge's feedback
 
H.Iです。
ジャッジのフィードバックの議論は、最近は否定派が優勢のようですね。
 
 私は仕事の関係で裁判の傍聴に行くこともありますが、民事訴訟では、
裁判官の「フィードバック」というのは、かなりあるように思います。
 
訴訟では、当事者の主張は準備書面といわれる文書に記載して提出するの
ですが、期日に裁判所に行くと、裁判所が当事者の代理人(弁護士)に対
して、疑問点を問いただしたり、「〜の主張はされないのですか」などと
攻撃防御方法を示唆することもあります。
 
また、必要に応じて論点の整理も積極的に行い「今後は本案の審理に入り
ます」と述べたり、「次回は○○の論点に絞って主張して下さい」などと
言われることもあります。
 
裁判官が争点について自己の判断を示すことはありませんが、釈明や訴訟
指揮のやり方を見ていると、どのような心証を抱いているのかある程度わ
かるので、当事者は裁判官の発言に一喜一憂することも多いです。
 
民事訴訟では、裁判官の「フィードバック」は最近重視される傾向に
あるようです。改正民事訴訟法では、訴訟のスピードアップを図るため、
訴訟の早期の段階に論点整理を行い、集中的に審理を行うような手続を
目指しているようです。
 
ただ、私は訴訟の例を引いて「ディベートのジャッジもフィードバックを
行うべきだ」と主張しているわけではありません。訴訟とディベートには
類似する点もありますが、次のような相違点があることにも留意すべきで
しょう。
 
第一に、現在の民事訴訟では、ディベートのように「立論は2回まで」な
どという制限はなく、当事者は裁判の進行に応じて主張を追加していく
「随時提出主義」という方法がとられているので、裁判所が適宜訴訟指揮
を行わないと、いつまでも訴訟が終わらないことにもなりかねません。訴
訟のスピードアップが強調される昨今では、論点整理の必要性は大きいと
いえましょう。
 
第二に、ディベートは議論の説得力を競うものですが、訴訟は「紛争の解
決」を目的とする手続であり、「論点の選択は当事者の責任で」というだ
けでは済まされない面もあります。
 
第三に、裁判所による釈明や訴訟指揮は、口頭で行われ、疑問点があれば
当事者(の代理人)も質問することができるので、Non-verbalのフィード
バックのような「ミスコミュニケーション」の可能性は少ないともいえま
しょう(意図がはかりかねるような釈明をする裁判官もいますが…)。
 
 
「ジャッジのフィードバック」の議論は、ジャッジの役割を考える上では
かなり興味深い論点だと思います。この議論において、訴訟のケースをど
のように評価するかは、皆さんにお任せしたいと思います。
 
 
H.I
 
 

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