Counterplanのnon-topicalityに関する議論

 
 

Date: Thu, 4 Jul 96 19:47:27 JST

Subject: [JDA :1370] Q&A;(N-T of C-P)

 
H.Oです。
 
<編集者による中略>
 
 質問を端的に言うと、「なぜplan focusのジャッジがcounterplanの証明に
non-topicalityを要求するのか」ということです。
 
 今のディベート界では、ほとんどのジャッジがplan focusの立場をとって
おり、その上counterplanの証明にはnon-topicalityを要求しています。
 
 私の勝手な解釈では、plan focusというのは、affからplanが出された時点
で、resolutionはとりあえず考えないで、planのAD、DAをjudgingの対象
とする立場の人達であると思っています。ですからこのような人達の前で、
counterwarrantについて論じても意味がないというのは納得できます。逆に
考えれば、今のディベート界のほとんどのジャッジはcounterwarrantを否定
していますので、ほとんどのジャッジがplan focusであると言えると思います。
 
 次に、私の考えるcounterplanのnon-topicalityの必要性ですが、あまりに
も単純ではありますが、counterplanがtopicalだったらresolutionを肯定して
しまうから、と考えています。
 
 ですが、上に述べたようなplan focusのジャッジの場合、planが出された
時点でresolutionを考えないのですから、たとえcounterplanがresolutionの
範疇に入るものであっても、planと異なるものであればいい、すなわちreso-
lutionと異なるものという意味でのnon-topicalityの証明は必要としない、
と考えてしまうのです。
 
 ですから、たとえば今回のプロポでaffが心臓移植のプランをだしてきたら、
肝臓移植のCPをnegが提出することも、N−Tに関しては可能であると思う
のです。(無論competitivenessなどに問題はあるでしょうけど。)
 
 resolution focusのジャッジがcounterplanのnon-topicalityを要求するの
は理解できますが、上のような場合がどうも理解できません。
 
 おそらく、私のセオリーの無理解がこのような疑問を起こさせていると思
うので、皆さんの的確なアドバイスを期待しております。なお、セオリー、
その他に対して、このような本を読んだ方がいい、というものがありましたら
あわせて教えて下さい。(NAFAのライブラリーにないものは入手方法を
教えていただければ幸いです。)
 
H.O
 

 

Date: Fri, 5 Jul 96 12:58:15 JST

Subject: [JDA :1376] Re: Q&A;(N-T of C-P)

 
M.Sです.
 
>>   質問を端的に言うと、「なぜplan focusのジャッジがcounterplanの証明に
>> non-topicalityを要求するのか」ということです。
	<中略>
>>   私の勝手な解釈では、plan focusというのは、affからplanが出された時点
>> で、resolutionはとりあえず考えないで、planのAD、DAをjudgingの対象
>> とする立場の人達であると思っています。ですからこのような人達の前で、
>> counterwarrantについて論じても意味がないというのは納得できます。逆に
>> 考えれば、今のディベート界のほとんどのジャッジはcounterwarrantを否定
>> していますので、ほとんどのジャッジがplan focusであると言えると思います。
 
H.O君は「とりあえず,Resolutionを考えない」という言葉に, 
「AFFがプランを出した時点でResolutionはその役目を終える」
という意味を込めているように見受けました. それを前提に
私の意見を言います.
 
私も多分, 「ほとんどのジャッジ」の一人ですが,AFFが1ACで
Planを出し終わってもResolutionには, Topicalityのチェック, 
つまり,AFFとNEGがトピックを出しても良い範囲を規制し続ける
という機能があると考えています. この機能を残しておかないと,
NegがC-PのトピックをResolution内のエリアから選んでもよく
なってしまいますよね?こんな風に.
 
>>   ですから、たとえば今回のプロポでaffが心臓移植のプランをだしてきたら、
>> 肝臓移植のCPをnegが提出することも、N−Tに関しては可能であると思う
>> のです。(無論competitivenessなどに問題はあるでしょうけど。)
 
NEGだけにAFFのエリアを侵食する権利を認めるのは良くないと思います.
NEGよりも先にトピックを選べるんだから,AFFだけがResolution
によって規制されるのは当然だ,という意見もあると思いますが,
ResolutionによるC-PのTopicalityのチェックをやめるとAFFの
ケースのSolvencyにただ乗りしたTopicalなC-PをNegが乱発できる
ようになってしまいます.これによってNEGが得るADは,AFFが
トピックを先に選ぶことで得られるADよりもはるかに大きいと
思います. その結果,ゲームとしてのディベートのAFFとNEGのバランス
を崩してしまうと思います.
 
ちなみに,Competitivenessはいくらでも付けられます.例えば,
AFFのプランが実行できなくなるくらいの国家予算をC-Pに充てる
とかすればいいでしょう.
 
・ゲームバランスを保つために,Plan-Focusであっても,Resolution
 のTopicalityチェック機能は残すべきだ.
・AFFはResolution内から,NEGは外からのみ,トピックを選んで(C-)
 Planをだすことができる, という規制は,試合中を通じてしかれる
 べきだ.
 
というのが私の意見です.
 
>>   おそらく、私のセオリーの無理解がこのような疑問を起こさせていると思
>> うので、皆さんの的確なアドバイスを期待しております。なお、セオリー、
>> その他に対して、このような本を読んだ方がいい、というものがありましたら
>> あわせて教えて下さい。(NAFAのライブラリーにないものは入手方法を
>> 教えていただければ幸いです。)
 
過去に蓄積されたセオリーを勉強するのはとても良いことだと思います. 
でも,セオリーはうのみにしないようにしましょう.「なんのために」
そのセオリーがあるのか(作られたのか)を理解するまでは,いにしえの
人たちが作ったセオリーをむやみに振り回すのはやめましょう.あと,
セオリーに関しては絶対的に正しいもの,というのは無いと思います.
誰かが作った「概念」と,その「定義」があるだけで,それが「有効
な局面」は, 必ず,限定的になると思います.他人が主張するセオリー
を, 試合中のどんな局面でも使えるものだと盲信する人が結構いますが,
そうならないように注意してください.
 
M.S%とかいいながら,むやみに振り回してました.ジャッジして
いただいた皆様,ごめんなさい.
 

 

Date: Fri, 5 Jul 96 14:31:26 JST

Subject: [JDA :1377] Re: Q&A;(N-T of C-P)

 
>> Regarding [JDA :1370]
お>   さて、また質問に移らせて頂きます。今回はcounterplanのnon-topicality
お> に関する話です。
お>   質問を端的に言うと、「なぜplan focusのジャッジがcounterplanの証明に
お> non-topicalityを要求するのか」ということです。
 
お>   今のディベート界では、ほとんどのジャッジがplan focusの立場をとって
お> おり、その上counterplanの証明にはnon-topicalityを要求しています。
 
Advanced Debate 4th Edition には、"Topical Counterplan" というタイト
ルの論文で、命題的な対抗政策を出してもかまわない、という文章がありま
す。是非よんでください。
 
Advanced.. 自体は、大きな書店ならあるでしょう。新宿の紀伊国屋6F とか、
渋谷の大盛堂とか。まあ洋書の常として価格が 4〜5,000 yen と効果ですし、
読んだところで救われる、という本でもないので :-> 誰かもっているひと
に貸してもらったほうがよいのではないでしょうか。
 
T.O
 
 

 

Date: Wed, 10 Jul 96 01:04:11 JST

Subject: [JDA :1394] Re: Q&A;(N-T of C-P)

 
>  質問を端的に言うと、「なぜplan focusのジャッジがcounterplanの証明に
>non-topicalityを要求するのか」ということです。
>
>  今のディベート界では、ほとんどのジャッジがplan focusの立場をとって
>おり、その上counterplanの証明にはnon-topicalityを要求しています。
>
>  私の勝手な解釈では、plan focusというのは、affからplanが出された時点
>で、resolutionはとりあえず考えないで、planのAD、DAをjudgingの対象
>とする立場の人達であると思っています。ですからこのような人達の前で、
>counterwarrantについて論じても意味がないというのは納得できます。逆に
>考えれば、今のディベート界のほとんどのジャッジはcounterwarrantを否定
>していますので、ほとんどのジャッジがplan focusであると言えると思います。
>
>  次に、私の考えるcounterplanのnon-topicalityの必要性ですが、あまりに
>も単純ではありますが、counterplanがtopicalだったらresolutionを肯定して
>しまうから、と考えています。
>
>  ですが、上に述べたようなplan focusのジャッジの場合、planが出された
>時点でresolutionを考えないのですから、たとえcounterplanがresolutionの
>範疇に入るものであっても、planと異なるものであればいい、すなわちreso-
>lutionと異なるものという意味でのnon-topicalityの証明は必要としない、
>と考えてしまうのです。
>
>  ですから、たとえば今回のプロポでaffが心臓移植のプランをだしてきたら、
>肝臓移植のCPをnegが提出することも、N−Tに関しては可能であると思う
>のです。(無論competitivenessなどに問題はあるでしょうけど。)
>
>  resolution focusのジャッジがcounterplanのnon-topicalityを要求するの
>は理解できますが、上のような場合がどうも理解できません。
 
plan focusというのは、非常に曖昧な立場です。
これは、CWが出た時に、それが依拠したresolutional focusという正しそうな立場へ
のアンチ・テーゼとして出されたに過ぎず、その曖昧性にも関わらず、CWの直観的胡
散臭さ(これは正しいのですが)により正当であるような印象を受けているだけのも
のです。
 
一般的には、ディベートではresolutionにより限定されたplanの是非を論じるのだと
いう言明がplan focusという立場の内実とされています。
しかし、この場合planとresolutionとは厳密にはどういう関係にあるのかということ
に関しては曖昧にされています。
 
一部には、上記引用のように、planとresolutionとを同一視し、planが出た時点で、
planとresolutionとの関係がなくなると考える人もいるかもしれませんが、それは全
く誤りです。planはあくまで解釈されたresolutionに対応する対象の一つであり、決
してresolutionそのものではありません。
 
より穏健な立場としては、planがresolutionにより分類されるというような見方もあ
り、これはまだましで、実害はない考えですが、planとresolutionとの論理的関係は
今一つはっきりしません。
 
それでは、一体どう考えるべきかと言いますと、やはりresolutional focusというの
は否定しがたい前提です。ディベートの形式がそう定義しています。これにもかかわ
らず、propositionがディベートされるのではないというのは、根拠のない暗黙の前
提を持ち込むことになり望ましくありません。
実際にはplanが中心だと言う議論はありますが、歴史的に見ると、propositionの狭
いときには、皆resolutional focusに疑いを持っていなかったようです。つまり、pl
an focusというのは、偶々広いpropositionが続いた時代の幻想です。
歴史的な点も含めて、こういったことを論じた論文が80年代に当時のJournal of Ame
rican Forensics Associationにありました(Hynes)。そこでの議論は、resolutina
l focusは疑い得ないことに関しては妥当なものだと思います。
 
 
さて、問題は、resolutionをどう正当化するかという点なのです。
(そういう意味でResolution focusとplan focusとの対立ははっきり言って無意味で
す。Resoultion focusでも、どうやってそれを正当化するかという点で、counterwar
rantを許すか、そうでないかは分かれます。)
 
 
命題を真とするような解釈が一つ存在することを証明すればよい、と通常は考えられ
てい(ると思い)ますが、これは妥当なことでしょう。
ここで解釈はただ一つとは限りません。様々なものがあり得ます。その中でのある解
釈の下で真であるとされればよいのです。
 
Counterwarrantが正当化されるのは、命題が_あらゆる_解釈の下で真でなければなら
ないという前提の下でであり、この前提は、命題が必然的に真であることを要求する
とも言えるもので、余りに厳しい要求と考えられます。
 
そういうわけで、命題が可能的に真であればよい(真とする解釈があればよい)とす
る現在の一般的な立場では、resolutionの是非は、真である解釈が存在するかどうか
で決まりますから、counterwarrantはirrelevantです。偽となる解釈があっても構わ
ないからです。
 
他方、topical C-Pはaffとは独立に、真である解釈の存在を証明してしまうので、CP
はnontopicalである必要があります。
 
Plan focusの立場は、このような妥当な(resolutional focusの)立場を、省略的に
、簡便に言い換えたものとしては理解されます。つまり、実際に問題になるものだけ
を考慮するという立場として。しかし、それでも上記のような前提は忘れてはならな
いでしょう。
 
ですから、一部に見られる過度に単純化されたPlan focusの立場は誤りであり、取ら
れ得ないものと考えられます。
 
 
因みに、上記のような考え方は、モデル論という現代の論理学の基本的な立場から見
ると、まさに当然のこととして理解されます。
 
 
Y.K
 
 

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