反駁における証拠提示は新出議論

(new argument)か否か

Date:
 Thu, 17 Apr 97 09:08:59 JST
Subject: [JDA :2468] =new argument
 
 
K.I@一橋大学、です。
みなさんにお聞きしたいことが一つ。
 
1NRでカードを読むときはどのような基準でNew
 Argmentとしているのでしょうか。
同じクレームのEmpiricalで1NRに読めというよう
な昔のブリーフがあるのですが、Newにされそう
でそのようなストラテジーは滅多に見ません。
 
New Argumentという観点から考えると、1NRにできる
ことの境界が自分の中ではっきりしていません。
拙い文章で理解できたか心配ですが、ジャッジさんが
たの意見を教えてもらえるとありがたいです。
 
宜しくお願いいたします。
 
 
 

Date:
 Thu, 17 Apr 97 19:04:09 JST
Subject: [JDA :2471] Re: Evidence in 1NR
 
 
> 1NRでカードを読むときはどのような基準でNew
>  Argmentとしているのでしょうか。
> 同じクレームのEmpiricalで1NRに読めというよう
> な昔のブリーフがあるのですが、Newにされそう
> でそのようなストラテジーは滅多に見ません。
> 
> New Argumentという観点から考えると、1NRにできる
> ことの境界が自分の中ではっきりしていません。
> 拙い文章で理解できたか心配ですが、ジャッジさんが
> たの意見を教えてもらえるとありがたいです。
> 
 
九州大、N.Iです。
 
(1)rebuttalで禁じられているのは new constructive (major) arguments であっ
て any new arguments ではない、ということを確認したいと思います。現在のトーナ
メントにおける規定が any new arguments を禁じているのなら、それは望ましくない
規定です。もし、rebuttalであらゆる new argument が禁じられれば、extension は
できなくなり、rebuttalは constructive speeches の内容の繰り返しになってしまい
ます。残念ながら、そういうディベートが多い。
 
(2)rebuttal で禁じられているのは argument であって、 evidence ではない。し
たがって新しい evidence は必要に応じてどしどし出すべきです。
 
(3)上記(3)について、何が construcitve (major) arguments なのかという解釈の
問題は残ります。私は個人的には、新たな issue、たとえば、 counterplan や新たな
advantage など、と考えています。 Constructive speech で出した1つの
advantage に rebuttal で新たなリンクを加えるのも許してもいいと思っています。
(もちろん、ディベートの中でそれは許すべきでないという議論が成立すれば従いま
す。ただし、 new evidence や any new argument が許されない、というような議論
はよほど強い理由がないと従いません。)
 
 
 
 

Date:
 Thu, 17 Apr 97 19:55:28 JST
Subject: [JDA :2473] Re: Evidence in 1NR
 
 
I.O@京大と申します。
 
[JDA :2468] において、K.Iさん:
 
> 1NRでカードを読むときはどのような基準でNew
>  Argmentとしているのでしょうか。
 
私は rebuttal での evidence は、「2NC に対する 1AR の反論」を除いて、
内容にかかわらずすべて new としています。
 
empirical case や statistics など issue の要点となる話は、
なるべく最初から出して、対戦相手に反論の機会を与えてほしいので。
 
(もちろん argument そのものを new とするわけではなく、
  evidence が必要ないくらい常識的な empirical case の説明などは
  rebuttal でも受け付けます)
 
 

Date:
 Thu, 17 Apr 97 19:57:23 JST
Subject: [JDA :2474] new argument
 
 
new argumentについて
 
 そもそも、反駁で立論を行ってはならないというルールの趣旨は、
反駁で今までの議論と関連性のない新しい観点や、議論が提出される
ことにより、議論が深まらなくなってしまうことを防ぐというものです。逆に言えば、こ
れまでの議論をより深めるような議論は、むしろ奨励されるべきだと
いうことになります。
 
 以上の趣旨から、NAFAのルールでは、「反駁では、立論的な議論を
してはならない」と規定されています。では、立論とはなんでしょう
か。
 
 
 上記の趣旨から、立論の定義を行うとすると、立論というのは、議
論が提出された際のカテゴリーや、構成に依存した問題ではなく、今
までに提示した他の議論と関連づけなくても、それ単独で機能する議
論が機能する、ディシジョンに影響するような議論を提示することだ
と定義すべきだと思います。
 
ここで言う、「議論」とは、むろん、証拠資料を伴うものでも、伴わ
ないものでもかまいません。
 
 
具体的に述べると、
 
 ケースアタックを例に取ると、立論では「死刑は残虐である」とい
うところに全く反論を行っていないのに、1NRでその部分に、これま
で提出された議論と関連無い、「薬物による安楽死なら残虐でない」
等という、あらたな反論を加えることはnewになると考えます。
 
 ただ、「これまで提出された議論と関連無く」というところがポイ
ントで、例えば、「生命においても、一定の条件に老いては制限され
得る」という議論が提出されている場合、それと関連づけて(根拠と
して)、「生命が一定の条件において制約され得ると言うことは、当
然、一定の条件において、死刑は残虐とはいえないということになる」
というスピーチがなされれば、それは許容されると考えています。
 
 
 反面、たとえDAとしてすでに提出されている議論の中で提示するに
しても、すでに提出されているリンクと関連のない、新たなリンクの
提出を反駁で行うことは認めらません。
 
 
 newか否かを判断するポイントとなるのは、「関連性」の程度だと
思います。
 
 
S.Y
 
こんにちは、Y.Sです。
 
>1NRでカードを読むときはどのような基準でNew
> Argmentとしているのでしょうか。
>同じクレームのEmpiricalで1NRに読めというよう
>な昔のブリーフがあるのですが、Newにされそう
>でそのようなストラテジーは滅多に見ません。
 
私は、1NRでEmpiricalなどのカードを読むのはよい、というか
それこそが1NRの仕事だと思います。
 
乱暴かもしれませんが、近年ディベート界の流れを見ると、
1)まず、1NRでEmpiricalなど、アーギュメントを深めることの
  できるディベーターが少なくなった(一時期いなくなった)
2)その結果、1NRでアーギュメントを深めることが行われなくなった
3)そのような世界で育ったディベーター・ジャッジは、1NRで
  カードを読むことに対して抵抗を覚えるようになり、今に至る
 
という印象を持っています。まあこれは主観なので、何ともいえませんが。
今でも素晴らしい1NRをするディベーターはいますし、そのような人は
1NRではきっちりとカードを読んでいると思います。WESAでも
そのように指導していると思います。
 
まあ、私を含めた老人ジャッジは、1NRでカードを読むことに
全然抵抗がないのですが、最近のジャッジには抵抗があるのかもしれません。
 
ただ、K.IくんにY.S塾ML上で質問を受けて以来、何人かのジャッジ
に聞いてみたのですが、概して、「問題ないですよ。ただ、ディベーターに
そのようなことをする能力が最近はあまりないだけです」との答えが
返ってきました。あまり問題はないのかもしれません。
(K.Iくん、忘れていたわけではないですよ(^^)
 
N.Iさん、こんにちは。ごぶさたしております。
>規定です。もし、rebuttalであらゆる new argument が禁じられれば、extension は
>できなくなり、rebuttalは constructive speeches の内容の繰り返しになってしまい
>ます。残念ながら、そういうディベートが多い。
 
>(2)rebuttal で禁じられているのは argument であって、 evidence ではない。し
>たがって新しい evidence は必要に応じてどしどし出すべきです。
 
全く同感です。去年からジャッジとして復帰していますが、「そういう
ディベート」が多いです。春2で、ディベーターに「1NRでカードを
読んでもいいですか?」と聞かれましたが、そのような質問をディベーターが
せざるを得ない状況になっているのかもしれません。
 
私の基準では、フロー上に線が引けるのならばOKということです。
1NRでよんだカードが、1NCを強めるものならよいと思います。
 
1NRでカードを読むなというジャッジにお聞きしたいのですが、
1NRは何をやればよいのか、という質問に答えてあげていただきたいです。
カードを読めない、empiricallyというのもダメとすると、1NRは1NC
と同じ内容のカードを読むか、1NCのカードをもう1回説明することくら
いしかできません。2ACに対しての反論もできません。
 
もしそうならば、私が1NRならば1NRは全くやらないですぐ
座ってしまいます。1NCと同じ説明をするのならば、時間の無駄で、かえって
相手のプレパタイムを増やしているにすぎないからです。
(細かいtacticsですが、1NRは言うことがなくなったらさっさと座り
ましょう。そのほうが、だらだらやっているよりはいいです。だらだら
やっていると、1ARはその時間をプレパに使います)
 
 
私は、1NR・1ARの最も重要な仕事というのは、
On balance
Empirically
Statistically
などのDecision Ruleを読み、個々のアーギュメントを自分に有利な方へと
導き、last rebuttalへのcomparisonへの道筋をつけることだと思います。
 
このようなことは1NCでやらないと、2ACの反論の機会がなくなる、
ということも言えるかもしれませんが、
1)別に1ARで返せるのでunfairではない
2)別に2ACで返せないわけではない
3)1NCと1NRでよむカードの順番を変えたところで、結果は同じ
だと思います。
 
もし、1NRでこのようなカードを読むとnewだという場合は、それに変わって
やるべきことをご教授いただければ幸いです。また、そのような場合は、
必ずphilosophyに明記すべきだとも思います。
 
 
あと、問題になるのは、2ARのnewですね。NAFAのように、
ルールで決まっている場合は、2ARのnewは私は勝手に切りますが、
KUELのようにappeal timeがある場合は、例えnewだと思っていても
ディベーターからのアピールがない限り、2ARのnewを私は切りません。
 
 
 
Subject: [JDA :2479] Re: new argument
 
I.O@京大です。
New Argument の基準についてです。
 
[JDA :2471][JDA :2474][JDA :2477]での
「rebuttal では議論を深めるべき」という主張と、
「rebuttal では evidence の提出を認めない」という
私の philosophy とは矛盾するものではないと考えます。
 
私がこういう philosophy を選んだ理由は、
rebuttal での evidence を許すと
1. round 全体のまとめまで安易に evidence の証明力に頼るようになり、
   evidence どうしを比較検討する能力が身に付かない。
2. 立論では強い tie-breaker を隠しておき、
   なるべく後の speech で突然出して奇襲効果を狙う、
   という詭弁的な strategy の動機となる。
というものです。
 
 
以下、「rebuttal での evidence を禁止しても深い議論は可能である」
という話に関するこまかい説明に入ります。
 
 
[JDA :2474]において、S.Yさん:
 
>  newか否かを判断するポイントとなるのは、「関連性」の程度だと
> 思います。
 
[JDA :2477]において、Y.Sさん:
 
> 私の基準では、フロー上に線が引けるのならばOKということです。
> 1NRでよんだカードが、1NCを強めるものならよいと思います。
 
私は、この「関連性があるか」「フロー上に線が引けるか」
という基準を満たすための必要条件の一つとして、
「evidence がなくても納得できるか」という基準を設けても良い、
と考えます。
 
「evidence がなければ納得できないような事実/意見」というのは
「立論が終わった時点では『普通思いつかない』議論」であり、
立論との関連性はないものと見做す、ということです。
逆に、相応の関連性をもった議論なら、
立論で提出された evidence と「常識」だけを使って組み立てることが
できるのではないでしょうか。
 
 
> 1NRでカードを読むなというジャッジにお聞きしたいのですが、
> 1NRは何をやればよいのか、という質問に答えてあげていただきたいです。
> カードを読めない、empiricallyというのもダメとすると、1NRは1NC
> と同じ内容のカードを読むか、1NCのカードをもう1回説明することくら
> いしかできません。2ACに対しての反論もできません。
 
たとえ "empirical" や "statistic" を使わなくても
対立する evidence どうしを比較する方法はたくさんあります。
どうしても "empirical" が必要な場合、
つまりそれが非常に重要な議論である場合なら
最初から出しておくべきだと思います。
 
また、私の philosophy は、
「新しい話をしてはいけない」というのではなく、
「新しい evidence を読んではいけない」です。
上にも書きましたが、evidence が必要ないような
empirical case の説明などは認めるようにしています。
 
 
> 私は、1NR・1ARの最も重要な仕事というのは、
> On balance
> Empirically
> Statistically
> などのDecision Ruleを読み、個々のアーギュメントを自分に有利な方へと
> 導き、last rebuttalへのcomparisonへの道筋をつけることだと思います。
 
「個々のアーギュメントを自分に有利な方へと導」くのは、
新しい card を読まなくてもできますよね。
 
1NR で card を読ませた方が議論能力の向上に
「はるかに」有益であると特に感じたことはないので、
最初に述べた理由などから新しい card を禁止しています。
 
> また、そのような場合は、
> 必ずphilosophyに明記すべきだとも思います。
 
こういう philosophy が少数派(もしかして一人でしょうか?)
であることは自覚しておりますので、
philosophy にも明記した上でアンダーラインを引いてあります。
 

Date:
 Fri, 18 Apr 97 19:52:03 JST
Subject: [JDA :2480] Re: new argument
 
i'm confused; is judging philosophy a list of 'procedural rules' that a
judge imposes on debate process? is this how most debate judges back in
japan conceive it?
 
S.A
 

Date:
 Fri, 18 Apr 97 23:24:04 JST
Subject: [JDA :2481] evidence in rebuttal
 
I.O君他へ
 
I.O君の意見の趣旨には賛成するのですが、その趣旨から、反駁における証拠資料
の提出禁止という結論が直ちに導き出されることはないと思います。
 
 
1.I.O君のいうように、証拠によって裏付ける必要があるのに、(例えば、えん
罪の有無とか)、裏付けが不十分な議論が立論で提出されていたとしても、それは立
証の最低基準を満たしませんので議論として成立せず(ジャッジとしてはその議論は
提出されていないと見なす)、従ってその議論に関連の証拠資料を反駁で読むのは明
らかにnewです。
 
2.また、証拠による裏付けが不要な議論、(例えば人間は、死をおそれる等)の
場合、反駁でわざわざ証拠資料を読むよりは、自分の言葉で説明した方が説得力があ
ります。
 
3.これらの例だけを見ると、確かに反駁での証拠資料の提出を禁止しても問題は
発生しないと考えられます。反面、証拠の提示を禁ずる積極的な論拠にはなりえませ
ん。例えば、1.の例は、ジャッジが立論との関連性においてnewと判断することで
十分ですし、2.の場合は、ディベーターが読みたいというのを積極的に止める理由
はありません。すばらしく印象的な言葉を引用するということは、日常生活でもよく
やる話ですし、いずれにせよ、証拠資料を読んだ効果をジャッジが判断するだけの話
です。
 
4.さらに、反駁における証拠資料の提出を禁止することによって、かえって議論
が深まらなくなる場合もあります。こんな例があります。抑止力の有無を争っていて
、立論でも統計的資料を提出しており、かつ、相手側も統計的資料で反証してきた場
合です。このような場合は、反駁において、より精密な統計資料の内容を提出する必
要が生じますし、そちらの方がより深い議論ができます。
 
 
 以上から、反駁における証拠の提出が議論を深めるのに役立つこともあり、一般
的に禁止するのはよくないでしょう。
 
S.Y
 
 

Date:
 Sat, 19 Apr 97 00:58:32 JST
Subject: [JDA :2482] Re: new argumen
 
 
こんにちは、Y.Sです。
 
>私がこういう philosophy を選んだ理由は、
>rebuttal での evidence を許すと
>1. round 全体のまとめまで安易に evidence の証明力に頼るようになり、
>   evidence どうしを比較検討する能力が身に付かない。
 
evidenceはあくまでevidenceで、それをどう使うかはディベーターの
能力によってきます。「この試合はaffの勝ち」というevidenceは
あるはずがないので、「安易に」evidenceに頼ることはあまりない
と思います。むしろ、1NRでevidenceを読むのを許した方が、
1NRや1ARでのカードの比較が促進されるのでは?
1NRでdecision ruleを読むときは、2ACなどのカードと当然
比較することになると思いますが。
 
 
>2. 立論では強い tie-breaker を隠しておき、
>   なるべく後の speech で突然出して奇襲効果を狙う、
>   という詭弁的な strategy の動機となる。
 
これはそうかもしれませんね。ただ、2ACの戦略によって、1NRで
読むdecision-ruleを変えるというNEGのオプションを奪うのはどうかな、
とも思います。
 
>
>「evidence がなければ納得できないような事実/意見」というのは
>「立論が終わった時点では『普通思いつかない』議論」であり、
>立論との関連性はないものと見做す、ということです。
 
??? Statistics Data などはカードなしでは成立しないですよね?
On balanceもそうだと思いますが・・・
 
 
>逆に、相応の関連性をもった議論なら、
>立論で提出された evidence と「常識」だけを使って組み立てることが
>できるのではないでしょうか。
 
できるかもしれませんが、だからと言ってカードを読むな、という理由
にもならないのでは? 「常識」の程度にもよりますが、スピーチで
滅茶苦茶はったりをかまされても・・・それよりはきちんとリサーチ
してほしいなぁ。
 
>たとえ "empirical" や "statistic" を使わなくても
>対立する evidence どうしを比較する方法はたくさんあります。
 
比較はできますが、それはcardが言っている、言っていない、という
レベルの話になるか、証拠の伴わない水掛け論になるかでは?
それよりは、もう一段つっこんだdecision ruleを出したほうが、
議論の質としては高いと思います。
 
 
>どうしても "empirical" が必要な場合、
>つまりそれが非常に重要な議論である場合なら最初から出しておくべきだと思います
。
 
私が現役だったときは、一つの議論に対して、on balance / empirically / 
statistically / Experts agreement の4つくらいのdecision ruleは
常備していました。それを全部1NCで出せと言われても・・・
 
 
>1NR で card を読ませた方が議論能力の向上に
>「はるかに」有益であると特に感じたことはないので、
>最初に述べた理由などから新しい card を禁止しています。
 
私は「はるかに有益」だと思います。ディベートのスタイルの良い
点というのは、反論に反論を重ねてより議論の質を高めていく、という
ことだと思います。1NRでcardが読めないとすると、基本的には、
card attackと、「常識」を使った議論と、1NCのextensionくらい
しかできませんよね? 反論を重ねることによる議論の深化を妨げる
場合には、相当強いrationaleが必要だと思います。1NCでカード
を読み、2ACでそれを返し、それをまたどうやって返していくか
というのはディベートの醍醐味でもあり、1NRはそれが一番学べる
ところだと思います。
 
 
1NRでカードが読めないということは、1ARでも読めないという
ことですか? そうしないと、unfairだと思いますが、今度は
そうすると1ARで、NEGの2 conをカードなしで返すというのは、
2 conが穴だらけの場合以外は不可能ですよね。
 
 

Date:
 Sun, 20 Apr 97 13:14:20 JST
Subject: [JDA :2486] Re: new argument
 
 
H.Iです。
RebuttalでEvidenceを読むことの可否について
 
 まず指摘したいのは、RebuttalでEvidenceを読むこととNew Argumentとは、
直接の関係はありません。New Argumentとは新たな"argument"の提出の可否に
関する議論であり、これをargumentの一部に過ぎない"evidence"の提出の可否
の議論にすりかえられて議論されているような気がします。
 
 あるいはI.Oさんは「Rebbutalで提出されたevidenceを伴うargumentは、
New Argumentとして判断すべき」ということを述べておられるのかもしれま
せん。
 
 しかしこれもNew Argumentの判断の基準としては不適当です。本来、New 
Argumentにあたるか否かの判断はその内容に基づき行うべきであり、(新た
な)Evidenceが伴うかという形式に基づき判断することが妥当でないことは、
少し考えればわかるでしょう。
 
 ちなみにevidenceを伴わないNew Argumentなんていくらでも可能です。例え
ば、2ARで突然Punishment Theoryを提出するなど、Theory系のVoting Issueを
提出すれば、これはNew Argumentになるでしょう。
 
 どうも、New Argumentの議論が"evendece"の提出の議論と混同されること自
体が、最近のEvidence依存の傾向を如実に物語っているような気がします。
 
 ただし、RebuttalでどんどんEvidenceを読むという戦術は、たとえそれが
Newにならないとしても、あまりお勧めできません。argumentを支持する
Evidenceを小出しにするより、立論において最良のevidenceを提出しRebbutal
においてはそのevidenceに示されている論拠が相手のargumentの論拠より優れ
ていることの説明に集中した方が、ジャッジを説得しやすいと思います。
 
 おそらくY.Sさんがおっしゃっていることは「Rebbutalでは相手を圧倒する
議論・主張を展開せよ」ということだと思いますし、それ自体は私も賛成で
す。
しかし「RebbutalでどんどんEvidenceを読むべきだ」という言い方をすると、
「Evidenceを読みさえすれば相手の議論に反論したことになる」という誤解に
陥る危険性があるのではないかと思います。それもまた貧困なディベートです
よね。
 

Date:
 Mon, 21 Apr 97 23:34:45 JST
Subject: [JDA :2489] Re: new argument
 
I.O@京大です。
 
前提条件に関する質問があるのですが、みなさんの考えは
「1st rebuttal で card を読んでもいいが 2nd rebuttal ではダメ」なのか、
「2nd rebuttal でもOK」なのかどちらでしょう。
 
今まで 2nd reb. の card は new とするのがあたりまえだと
思って書いていたので、誤解があったかもしれません。
みなさんの考えがどちらなのかわからないので、場合を分けて書きます。
 
 
 
● 「2nd rebuttal の card はダメ」ならば:
みなさんが 2nd rebuttal での card を禁止する理由は、
おそらく私が rebuttal 全般で card を禁止する理由と
同じようなものだと思います。
 
「1NC/2NC は認める、2NR は認めない」ならば、
1NR を認める/認めないというのはそれほど大きな違いにはならないでしょう。
 
Card を読むための時間が 1NC + 2NC + 1NR(21分)から
1NC + 2NC だけ(16分)に減るだけですので。
 
 
 
●「2nd rebuttal の card もOK」ならば:
Card を読むことがどれくらい argument 比較の練習に役立つかですが、
私はそれほど効果的だとは思いません。
 
[JDA :2482]において、Y.Sさん:
 
> evidenceはあくまでevidenceで、それをどう使うかはディベーターの
> 能力によってきます。「この試合はaffの勝ち」というevidenceは
> あるはずがないので、「安易に」evidenceに頼ることはあまりない
> と思います。
 
安易に evidence に頼っている場合が多い、というのが私の印象です。
 
私が知っているのは関西の試合だけですが、平均的な 2-con の多くは、
  1. empirical のような比較用の card を読んで、それでおしまい
  2. 比較用の card がないときは、仕方がないので自分で比較するが、
     それも "specific to XXX" "just one person's opinion"
     などの key word だけで終わってしまい、内容説明はしてくれない
の、どちらかです。
 
「decision rule を読んだ上で、それに沿って自分の言葉で説明する」
という場面はあまり見たことがありません。
2NR になってはじめて card 内容の説明がある、という
round も多いと思います。
 
ですから、 2NR で tie breaker の card を読んだとしたら、
その場でしっかり card の内容を説明してくれるとは思えません。
「on balance の card を読んだ。だから、とってくれ」で
終わってしまうでしょう。
 
もちろん、S.YさんやY.Sさんのおっしゃるとおり、
card を読んだほうが深い議論ができる場合もあるというのはわかります。
ですが、たとえその効果の方が大きいとしても、
それよりは「大事な議論を後出しにする」という態度を
罰することを優先したいのです。
 
 
 
● new argument の基準として card の有無を用いる積極的理由について
 
[JDA :2485]において、松村さん:
 
>  ですから、「2ACの伸ばしに全く関連のない証拠は新出議論」とでもすればよい
> のではないでしょうか?
 
[JDA :2486]において、H.Iさん:
 
>  しかしこれもNew Argumentの判断の基準としては不適当です。本来、New 
> Argumentにあたるか否かの判断はその内容に基づき行うべきであり、(新た
> な)Evidenceが伴うかという形式に基づき判断することが妥当でないことは、
> 少し考えればわかるでしょう。
 
議論内容の関連性に基づく判断と、evidence の有無に基づく判断とは
矛盾しないというのが私の考えです。
 
「関連性があるかどうか」という基準は曖昧なので、
多くの judge さんはこの「関連性」という基準を解釈しなおして、
「新しい issue かどうか」とか「新しい claim がついているかどうか」
とかいう、より客観的な基準を philosophy として持っていますよね。
 
私は、こうした「関連性があるかどうかを調べるためのより客観的な基準」の
ひとつとして、「constructive の内容と常識だけを用いて説明できるかどうか」
すなわち「evidence がなくてもわかるかどうか」を使っている、ということです。
 
こうしたほうが、たとえば2AR で、
"On balance AD is larger than DA" という claim で
実質上新しい reasoning を含んだ card を読まれたような場合に、
new かどうかを(私は)より一貫して判定することができる、と思っています。
 
(もちろんこれは必要条件のひとつであって、十分条件ではありません。
  Evidence がないからといって、new にならないとは限らず、
  [JDA :2486]でH.Iさんがおっしゃるような例は new としています)
 
 
 

Date:
 Tue, 22 Apr 97 02:10:15 JST
Subject: [JDA :2490] RE:Re: new argument
 
FROM:K.S
みなさん、こんにちは。
 
>I.O@京大です。
>前提条件に関する質問があるのですが、みなさんの考えは
>「1st rebuttal で card を読んでもいいが 2nd rebuttal ではダメ」なのか、
>「2nd rebuttal でもOK」なのかどちらでしょう。
 
基本的に、H.I君の言っているとおりだと思います。エヴィデンスとアー
ギュメントの区別が必要でしょう。流れさえあれば(新しい建設的な議論
になならければ)、2Rでもエヴィデンスを読むことに支障はないでしょう。
 
では、何が「新しい建設的な議論」か?議論の流れから見て、十分に推測
可能、展開可能な議論はエヴィデンスがあろうが、無かろうが、アカデミ
ックディベートで使われている意味でのニューアーギュメント(N.I先生
の意見を参照して下さい。)には当たらないでしょう。こういう問題は最
終的には、ジャッジの判断に任されるのではないでしょうか。今のルール
のもとでアーギュメントの教育としてディベートをやっているからには、
ジャッジはその責任を負っているのだと思います。勝手に判断してよいの
ではなく、ジャッジとして判断・評価をする「責任」を負っているのです。
ディベートでは、ルールは、基本的なところしか決められていませんよね。
オーラルコミュニケーションとしてのディベートは、そういう人間的な、
ある意味ではファジーなところがありますし、それで良いのだと思います。
もう随分ジャッジをやってきましたが、それで困ったことはありません。
 
最近は、こういう細かいところよりも、どちらかと言えばもっと根本的な
大きなところに問題を感じてしまうのは私だけでしょうか?
 
 

Date:
 Tue, 22 Apr 97 13:17:05 JST
Subject: [JDA :2493] Re: new argument
 
 
九州大、N.Iです。
 
> I.O@京大です。
> 前提条件に関する質問があるのですが、みなさんの考えは
> 「1st rebuttal で card を読んでもいいが 2nd rebuttal ではダメ」なのか、
> 「2nd rebuttal でもOK」なのかどちらでしょう。
 
もちろん 2nd rebuttal でも新しいエビデンスはOKです。最後まで arguments は
extend していくべきであり、新しい argument (NOT new constructive (=major)
arguments) を出せばその証明に広い意味でエビデンスが必要であり、それは場合によ
っては新しい引用や統計資料であったりするわけです。
 
> ●「2nd rebuttal の card もOK」ならば:
> Card を読むことがどれくらい argument 比較の練習に役立つかですが、
> 私はそれほど効果的だとは思いません。
 
新しい引用が効果的かどうかの判断をジャッジはすべきです。勝敗にも影響を与える
かもしれません。しかし、その判断はラウンドの議論の進み方によるでしょうから、
一般化はできないでしょう。また、これ(weak/ineffective arguments) とルールと
して禁ずる(unethical arguments)のは別問題です。別の言い方をすれば、「ここで
は新しいカードを読むよりも、今までの議論(証拠を含む)を利用してこう言ったほ
うが、効果的だ」ということはアドバイスできるでしょう。「これは new argument 
だから禁止」というのは rebuttal でできることの可能性を狭めすぎていると思います。
 
> こうしたほうが、たとえば2AR で、
> "On balance AD is larger than DA" という claim で
> 実質上新しい reasoning を含んだ card を読まれたような場合に、
> new かどうかを(私は)より一貫して判定することができる、と思っています。
 
この例は正当な extension の範囲内だと判断します。
 
S.Y氏の
> ○rubuttalでevidenceを読むのはまずい戦略
> 
> 仮に、説得力が向上するとしても、まずい戦略です。rebuttalで、evidenceを読み
、それをきちんと説明するというのは時間的に苦しく、
> 特にlast rubuttalでこんなことをするのは全体の時間配分を苦しくす
> る自殺行為です。
 
これは、一般化できないと思います。rebuttalで言ったことを裏付けるのに外的証拠
(引用など)が必要があれば読むべきですし、要らないなら読まなくていいだけです。
 
 

Date:
 Tue, 22 Apr 97 18:35:51 JST
Subject: [JDA :2497] Re: RE:Re: new argument
 
「リバタルで原則としてはevidenceを読んではいけない」と考えているジャッジ
が一人でもいるという事実には,はっきり言って驚愕いたしております。(実は
ディベート界もくるところまできたという感じで絶望感すら感じます。でも啓蒙
主義者としてはここでめげてはいけない…)
 
確かに初心者の試合では1NRでエビデンスを読*ま*ないまま終ってしまうこと
はあります。しかしちょっと上達したら,コンストで提出された議論は対立した
ままリバッタルに残るし,そうした際に両者にどちらが説得力があるかを調停す
るためには,「常識」のレベルでは足らず,客観的なエビデンスを読むことが不
可欠な場面は極めて多いはずです。
 
もし「リバタルで原則としてはevidenceを読んではいけない」と考えるのに根拠
があるとすれば,議論の対立は調停すべきで*ない*と考えている場合だけしか思
い浮かびません。リバタルでエビデンスを禁止したとなると,ADをだされたら
事実認定は争わず,ひたすら別のDAを出すvice versa,ってな具合の試合が出
現しやすくなります。それを目指したいのでしょうか。もしそうなら別のリーグ
を作ってやって欲しいな
 
正気なら,この問題に関しては異論の余地など全く*ありません*。
誤りを正すに憚る事なかれですよ。
 
 

Date:
 Tue, 22 Apr 97 19:51:56 JST
Subject: [JDA :2501] Evidence in Rebuttal
 
皆様
 
反駁で証拠資料を読むこと、証拠資料への過度の依存について
 
まとめ
 
1new argumentか否かの判断に、evidenceを読んだか否かを判断基準
 とするのは不適当
2evidenceに過度に依存したディベートがよくないという問題意識に
 は同意。
3今は、反駁でどんどん証拠を読め、という事を言うと、かえって
  evidence依存を助長するおそれがある。
4むしろ、eviの効果は限定的であり、事実の争いや、専門的知識を
 要する議論以外には不要である、ということをアピールすべき。
 
 
1 new argumentか否かの判断に、evidenceを読んだか否かを判断基
 準とするのは不適当
 
これは簡単な理屈で、議論というのは必ずしもevidenceを使う必要が
あるとは限らず、また、evidenceを読んだからといって、new
agrumentになるとは限らないからです。
 
あくまで、立論との関連性があるか否かがnew argumentの判断基準に
なります。
 
 
2 evidenceに依存したディベートをいかにして改善するのか。
 
この議論は、1とは直接関係ありません。[2489]で私が述べたのはこ
のことです。この問題は、new argumentとして捉える性質のものでな
く、独立して、改善すべき問題です。
 
3 今は、反駁でどんどん証拠を読め、という事を言うと、かえって
 evidence依存を助長するおそれがある。
 
さて、主にY.Yさん[2497]について
 
うーん、Y.Yさんの言うことは勿論正しいんですけど、rubuttalでevidence
を読むことを奨励しているように取れるのはいかがなものか
な、という気がしますね。
 
基本的認識として、僕は、evidenceを読まないとどんな議論も成立し
ない、あるいは、evidenceが読まれたら、カードアタックをしても無
駄で、evidenceを読まないとダメだ、という「evidenceに過度に頼り
すぎている」、ジャッジやディベーターが関西に多いことを問題視し
ています。
 
この考えの延長線上に、I.O君の考え方がある気がします。
 
つまり、rubuttalでevidenceを読めばこっちのものだ、効果的だ、と
いう強い観念があるから、重要な議論を隠して、rebuttalで出そうと
する、といったこそくな手段に出ているディベーターが多いのだろう
と思います。
 
I.O君のように、これに対して問題意識を持つジャッジが、「反駁で
の証拠資料の提出の禁止」という形でこれを是正しようとしているの
だと思います。
 
何度も述べているように、この手段そのものは議論をする上の障害に
なる可能性があり、あまり不適切なものです。が、問題意識には同意
できます。
 
問題は、「eviに過剰な役割、過剰な依存をしているディベーター、
ジャッジをいかにして改善するか」ということだろうとおもいます。
 
 
4むしろ、eviの効果は限定的であり、事実の争いや、専門的知識を
 要する議論以外には不要である、ということをアピールすべき。
 
ですから、私は[2491]では、反駁でeviを出すようなことは、一部の
例外を除いて、あまり意味がない旨を書きました。Y.Yさんのおっし
ゃるとおり、無論必要な場合はあるのですが、それは、事実を争うよ
うな場合か、専門的知識を要する議論かのいずれかで、かなり「限定
的」であると考えます。
 
I.O君が例として上げていたon balanceカードなどは、ディベーター
が説明すれば足り、むしろ読むべきでないのはY.Yさんも同意される
所でしょう。
 
 
端的にに言うと、まあ、役に立つときだけ読みなさい、ということで
すけどね。
 
まあ、ちょっと土井君がひどい言われようだったので、感想まで。
 
 
S.Y
 

Date:
 Tue, 22 Apr 97 19:55:13 JST
Subject: [JDA :2502] Re: RE:Re: new argument
 
hi gang,
i understand that even a 'common knowledge' needs to be
'documented/evidenced,' in one way or another, in academic debate as long
as there exists room for disputation/challenge. and i'm afraid that
prohibitiing 'reading cards' in rebuttals ends up 'punishing' those who are
engaged in such an act, however benign and pedagogical its original intent
may be.
 
S.A
 

Date:
 Wed, 23 Apr 97 00:18:26 JST
Subject: [JDA :2506] Re: new argument
 
京大のI.Oです。懲りずに投稿します。
 
どうも私は new argument に関する根本的なところがわかっていないようです。
以下は反論ではなく質問と受けとってください。
 
一般的に new argument を禁止する理由はなんなのでしょうか?
(くだらんことを聞くなと言われそうですが、現役 debater や
  judge のみなさんにとって無意味な話ではないと信じておりますので)
 
  1.議論の収束を促すため
  2.反論の機会を保証して fairness を保つため
のふたつではないのでしょうか?
私もこれとまったく同じ目的のために
新しい card を禁止しているつもりだったのですが…
 
 
 
○「議論の収束」を理由とする禁止について
 
「rebuttal で new card を読んだ方が良い debate ができる場合がある」
という事実には同意しますが、それなら同じ理由から 
「rebuttal で new argument を出した方が良い debate が
  できる *場合もある* から、new argument を画一的な基準で
  禁止してしまうのは良くない」
という結論も出るように思えます。
 
つまり、「rebuttal で新しい plan を出すのは new」とか、
「rebuttal で card の解釈を変えるのは new」とかいう
具体的な基準が一切つくれないことになりませんか?
(新しい plan spike を出した方が良い debate ができるような
  場合だってありますよね)
 
これに従うとすると、 philosophy には
「constructives に関連性のない argument は new です」
という非常に曖昧かつ主観的な表現しか書けないことになります。
 
皆さんのご意見を読んでいると、new card と new argument との間には
上の類推が成立しなくなるような決定的な違いがあるようですが、
これがまだ理解できません。すみませんがご説明いただけないでしょうか。
 
 
 
○「反論の機会」を理由とする禁止について
 
「rebuttal での card も認める」という philosophy で
私が judge をすると仮定すると、いちばん困るのが
2AR で出た tie-breaker の card の扱いです。
 
「assertion では苦しいが、card があれば説得力がある」という
argument も存在しますよね。
(これが存在しないならば、そもそも evidence など必要ないでしょう)
 
たとえば、"on balance AD is larger than DA" などという
almighty な claim で、一応(最低限の証明責任を満たすだけの)
説明があったとしてください。
 
私はこれを "new" として排除できる理由が思いつきません。
ところが、こういう 2AR を排除できないとすると、2NR は
「考えられる evidence すべて」に対して 5分以内で
preemption を打つ必要が出てきます。
  (2AR での evidence が禁止されていれば、2NR の preemption は
    「*常識内で* 考えられる argument すべて」に対してだけで済みます)
 
これは NEG に不当に重い burden ではありませんか?
また、tie-breaker を隠しておいて最後に出すという詭弁的戦略への
非常に強い動機づけとなりませんか?
 
こういう例は new とする必要はないのでしょうか。
もし new とすべきならば、どういう基準で判断すれば良いのでしょうか。
(上の例は一応 AD と DA の比較ですから、 constructives との関連は
  かなり高いように思えるのですが)
 
 
 

Date:
 Wed, 23 Apr 97 03:04:02 JST
Subject: [JDA :2508] Re: new argument
 
 
○new argumentというのは、新出「立論的」議論
 
 
>皆さんのご意見を読んでいると、new card と new argument との間には
>上の類推が成立しなくなるような決定的な違いがあるようですが、
>これがまだ理解できません。すみませんがご説明いただけないでしょうか。
 
 
基本的に、[2747]を読んで下さい。
 
new argumentとは、「反駁における立論的議論」をさし、「新しい立論的議論が反駁
で提出されることにより、議論の対象とするものが多くなりすぎ、時間的制約によっ
て議論が深まらなくなることを防ぐ。」ために禁止されているものです。以上の趣旨
から、NAFAのルールでは、「反駁では、立論的な議論をしてはならない」と規定され
ています。
 
あたりまえですが、「新しい議論全部」を禁じているのではなく、あくまで「立論的
議論」を禁じているのです。
 
 では、立論とはなんでしょうか。立論というのは、議論が提出された際のカテゴリ
ーや、構成に依存した問題ではなく、今までに提示した他の議論と関連づけなくても
、それ単独で機能する議論、単独でディシジョンに影響するような議論の固まりを提
示することだと定義すべきだと思います。
 
ここで言う、「議論」とは、むろん、証拠資料を伴うものでも、伴わないものでもか
まいません。
 
違いがわかりますか?具体的にいうと、「抑止力があるかどうか」で、双方が統計的
、心理的根拠を出し合い、どちらが正しいかを深めていくために、新しい統計データ
や、統計データの細かい内容などをお互いが反駁で出し合って、決着を付ける議論す
るのは、実社会にでてとても役に立つディベートです。これは奨励されるべき事で、
必要があれば証拠を読むべきです。
 
一方、反駁で、new DAや、topicality, punishment theoryなどを出しまくって、ド
ロップを誘うディベートが望ましくないのは分かりますね。これが禁止されている新
出「立論的」議論です。これは必ずしもevidenceを伴いませんね?
 
これでevidenceを反駁で読む、読まないが本来の意味のnew argumentを規制できない
ことが分かりますか?
 
これでわからないようなら・・・・ちょっと絶望。
 
 
○反駁でのcomparison等はどう扱うべきか。
 
>たとえば、"on balance AD is larger than DA" などという
>almighty な claim で、一応(最低限の証明責任を満たすだけの)
>説明があったとしてください。
>こういう例は new とする必要はないのでしょうか。
>もし new とすべきならば、どういう基準で判断すれば良いのでしょうか。
 
たとえば、2ARで「死刑囚は罪を犯した人間であり、生命の尊厳はむろんあるが、社
会的通念に照らし、無垢の被害者の生命が刑事政策上優先されるのはやむを得ない」
という議論が、世論調査の証拠と共に提出されたら、どうしますか、ということです
ね。これは結構悩ましいですが、これも関連性の有無で判断できると思います。立論
から一貫して、生命の尊厳についての議論がなされているのならば、関連性のある妥
当な議論でしょうし、立論では生命の尊厳には全くふれていないにも関わらず、突然
反駁でこのような議論が出てくるのは、違和感があり、認められないでしょう。
 
 
おわかりいただけました??私はもう疲れましたが・・・・
 
S.Y
 
 

Date:
 Wed, 23 Apr 97 20:33:51 JST
Subject: [JDA :2512] Re: new argument
 
I.Oです。これで終わりにします。
 
どうやら私の理解の悪さは、
以下の点に納得できないことから来ていたようです。
(なんとまだ納得できていないのですが)
 
    new の定義は「立論的な議論」というものであるが、
   「立論的」という概念の再定義はすべきではない。
    立論的かどうかは、それぞれの judge がその場その場で判断すれば良い。
 
これでは debater があまりに不安ではないか、
もうすこし客観的な基準があってもいいのではないか、と思うのです…が、
 
どうも Mailing List 上で続けるべき議論ではないようなのでやめておきます。
(もちろん、万一「続けろ」という方がいらっしゃるなら
  続けるつもりではいますが)
 
いろいろと説明してくださった方々、どうもありがとうございました。
 
 

Date:
 Fri, 25 Apr 97 01:43:43 JST
Subject: [JDA :2532] Re: new argument - "judging philosophy"
 
"No new evidence in rebuttal"が、
"No new argument in rebuttal"という通常合意されているディベートの
手続き規則の妥当な解釈としては到底認められ得ないことは、
H.I君の[JDA: 2486]その他で明確に指摘されているし、
そのような方針を、新たな規則として立てる根拠もさしてないことも
同様に皆さんが指摘している通りです。
 
因みに、[JDA: 2479]では
>1NR で card を読ませた方が議論能力の向上に
>「はるかに」有益であると特に感じたことはないので、
>最初に述べた理由などから新しい card を禁止しています。
 
とありますが、この議論は本末転倒しています。1NRでカードを読むこと自体は、
通常の規則で認められているし、それが適切な場合も存在することは
明らかだと一般に考えられています。つまり、これがpresumptionなのであり、
禁止するべきと主張する場合は、禁止する方がはるかに有益であるということを
示す必要があるでしょう。
 
 
私が気にしているのは、このような手続き規則の解釈といった些末な
ことではなく、I.O君のような、フィロソフィーの機能を誤解している人が
存在していることです。
 
以前にも書きましたが、ジャッジング・フィロソフィーは、そのジャッジが、
新たなディベートのルールを設定することを許すものではありません。
一般に認められている範囲内で裁量の余地がある部分に関して自らの立場を
根拠を以て示すためのものです。
又、それはあくまで自らの原則的方針(philosophy)を示すものであり、ジャッジが
個々のディベートで適用できる規則(rule)を示すものではありません。
 
I.O君は、フィロソフィーの機能とジャッジの役割とを根本的に勘違いしています。
 
ジャッジは、ディベータに新たな規則を課す権利を一切持たない。
ただ、客観的基準とそれを補う合理的思考に基づいて、判断するのみ。
 
このことは銘記して欲しいものです。
 
Y.K
 

Date:
 Fri, 25 Apr 97 04:27:11 JST
Subject: [JDA :2535] Re: new argument
 
正直言って、new argumentについてのstringがこれほど長くなったのは、驚きです。
今のディベート界が「病膏肓に入る。」状態にあることと、それでもかすかな希望は
あることとを象徴しているような気がします。
 
どうも、evidenceが、argumentの一部分であるという非常にelementaryなことを
忘れている人が今のディベータ及び経験の浅いジャッジの方々には多いように
感じました。
 
 
それから、new argumentかどうかというのは、かなり実践的な判断の対象であり、
命題的な規則は立てにくいと言うK.S氏その他の方々の指摘は的を射ており、それに
異を唱える気は毛頭ありません。
 
しかし、I.O君のような人を満足させるために、敢えて基準を設ければ、
Y.S君も示唆していますが、次のようになるかと思います。
 
1)flow sheet上で、constructive periodに出されたargumentにつながるような、
論証的関係による線が引かれていないもの、
つまり、argumentの始点がrebuttal periodの範囲に見出されるものが
new argumentである。
 
2)但し、flow sheet 上のその他のargumentに対してmeta levelに立つ、つまり、
その他のものよりも階数(order)が一つ上のargumentについては、その限りではない。
 
 
2)の留保条件は、相手のarguments全体と自分のarguments全体を比べるようなものを
new argumentとすることから排除するためのものです。
 
これで結構はっきりした基準が与えられるでしょう。I.O君。
 
外延的な基準としては、これでうまく収まるように思います。
 
Y.K
 

Date:
 Fri, 25 Apr 97 13:04:37 JST
Subject: [JDA :2537] Re: new argument - "judging philosophy"
 
 
I.Oです。[JDA: 2532] で、やっと理解できました。
 
確かに philosophy は「規則」としてより「例外もある原則」として
とらえる方が合理的ですね。考えを改めます。
これで「card は new」にこだわる理由もなくなりました。
どうもありがとうございました。
 
 
 
ところで、私は今まで
「philosophy とはその round における絶対的な規則であり、
  その judge が『この点は譲れません』と言っていたら
  debater がいくら頑張っても認めてもらえないものである」
と思っており、また judge, debater 全員が
そう考えているものだとばかり思っていました。
 
「例外なしの規則」としか解釈できない表現を一部含むような
philosophy をあちこちで見たような気がするのですが、気のせいでしょうか?
 
いくら judge が「原則」のつもりで書いていても、
debater がそれを「規則」と受けとってしまったら意味がありませんよね。
 
 

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