Topicalityが提出されていなくても、non-topicalと判定できるか


Date: Mon, 8 Dec 97 16:10:46 JST
Subject: [JDA :3475] KESSA for Freshmen
 
早稲田大学英語部(WESA)の2年のT.Hと申します。
 
今日は皆様に質問があってメールを出させていただきます。
 
 この間の土、日とうちの1年生がKESSA−Freshmenの大会に
行ってきて、試合をしてきたのですが、その中で1試合だけ彼らの中で納
得のいかないDecisionがあったそうです。
 
 話を聞いてみると、WESAが「紙を活性炭にかえることによってリサ
イクルを促進させる」というようなCASEを出していたのですが、Ju
dgeの方(確か京都の方だったと伺っていますが)に「紙のCASEは
Non−Topicalだと考えられるので(もちろん理由は書かれてい
たそうですが)NEGの勝ち」としてTopicalityの議論をNe
gが出していないにも関わらず、あと、Netでは明らかに勝っていたに
もかかわらずNeg.に入ってしまったということを申しておりました。
 
 話を後輩から聞いただけで、バロットの詳細を見たわけではないので失礼
があったら申し訳ないのですが、後輩に「どうすればよかったのか」とき
かれ、正直なところ困っています。(普通のケースをまわせばよかったの
かもしれませんが、それにしても普通のケースって何でしょう)
 
 Topicalityについて、まだまだ勉強不足の私ですので、あまり詳しいこと
は分からないのですが、Topicalityの議論がRoundでなされていない
ということは、その時点でそのPlanがTopicalだと推定される
と思われるのですがいかがなものでしょうか。
 
 また、今ジャッジをなさっている方で、1ACを聞いて、Non−topicalか
も知れないと思ったケースを聞いた際に、Topicalityの議論が出されずに
Roundが終わった場合、「Non−topicalなのでNeg.」と結論
づけることがあるかどうか、教えてくれると幸いです。
 
 幼稚な質問で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
 
                        
                            T.H 

 
Date: Mon, 8 Dec 97 16:56:49 JST
Subject: [JDA :3477] Re: KESSA for Freshmen
 
京大のI.Oです。
 
[JDA :3475] に書かれている試合で、
WESA の case を勝手に non-topical と判定したジャッジは私です。
これに関してすこし説明させてください。
 
 
[JDA :3475] において、T.Hさん:
 
>  話を聞いてみると、WESAが「紙を活性炭にかえることによってリサ
> イクルを促進させる」というようなCASEを出していたのですが、Ju
> dgeの方(確か京都の方だったと伺っていますが)に「紙のCASEは
> Non−Topicalだと考えられるので(もちろん理由は書かれてい
> たそうですが)NEGの勝ち」としてTopicalityの議論をNe
> gが出していないにも関わらず、あと、Netでは明らかに勝っていたに
> もかかわらずNeg.に入ってしまったということを申しておりました。
 
この試合で WESA が出した plan は、単に「活性炭」を作るというもの
ではなく、「浄水器に使われる活性炭」を作る、という非常に分野限定の
強いものでした。
 
浄水器の生産が "all or most industrial production" という解釈は
かなり無理があると感じたので、non-topical であると判定したわけです。
「Case に紙の話しか出てこないから non-topical」と考えたわけではありません。
 
 
 
> Topicalityの議論がRoundでなされていない
> ということは、その時点でそのPlanがTopicalだと推定される
> と思われるのですがいかがなものでしょうか。
 
私の場合、
「出された議論は、反論されない限り無制限に正しいとみなす」という推定は、
ディベートの教育的価値(論敵でなく「第三者」を説得しようとする態度・
技術の習得)を考えたると、それほど良いものではないと思っていますので、
そのような推定は置いておりません。
 
また、たとえ topicality であっても、例外的な issue として
扱うべきだとは思いません。
 
 
以上が、この判定に関する説明です。
納得できない部分があればまた質問してください。
 
最後に、一点謝罪しておきます。
勝敗の判定については、あれで正しかったと思っているのですが、
「バロット上で、参加者に納得してもらえる説明ができなかった」
という点に関しては、ジャッジとしての配慮が足りなかったと
反省しております。参加者の方々、申し訳ありませんでした。
 
 
I.O

Date: Mon, 8 Dec 97 17:54:56 JST
Subject: [JDA :3479] presumption on the affirmative (Re: KESSA for Freshmen)
 
O.Tです
 
は>  話を聞いてみると、WESAが「紙を活性炭にかえることによってリサ
は> イクルを促進させる」というようなCASEを出していたのですが、Ju
は> dgeの方(確か京都の方だったと伺っていますが)に「紙のCASEは
は> Non−Topicalだと考えられるので(もちろん理由は書かれてい
は> たそうですが)NEGの勝ち」としてTopicalityの議論をNe
は> gが出していないにも関わらず、
 
フィロソフィに「肯定側にプレサンプションを置かない」とか、書いてあるの
ではないですか?
 
T のプリザンプションが、必ず肯定側になくてはいけないという理由はそれほ
ど強く無かったと思います。そうしない人もいるのではないですか?私は T 
の推定を肯定側有利においていますが、「T は推定を置かず、ジャッジが自分
で判断する」というスタイルでも合理的だと思います
 
は>  話を後輩から聞いただけで、バロットの詳細を見たわけではないので失礼
は> があったら申し訳ないのですが、後輩に「どうすればよかったのか」とき
は> かれ、正直なところ困っています。(普通のケースをまわせばよかったの
は> かもしれませんが、それにしても普通のケースって何でしょう)
 
plan での説明を工夫して non-T と思われないようにする、とかでしょう
 
O.T

Date: Mon, 8 Dec 97 18:01:21 JST
Subject: [JDA :3480] Re: KESSA for Freshmen
 
I.K@阪大です.
 
roundでTが出てなくて でもNon-topicalとジャッジしたことは
今までありません. 
まー 普通の試合は みんなそうでしょう.
 
>> Topicalityの議論がRoundでなされていない
>> ということは、その時点でそのPlanがTopicalだと推定される
>> と思われるのですがいかがなものでしょうか。
 
「推定=presumption」とはどのようなことか? という問題なのではないで
 しょうか. 私のイメージでは,「疑わしきはtopicalと見なす」という場合を
 指します.「疑わしい」とは「怪しいけど 確証はない」状態だと思います.
ということは,確たるものがあればrefuteがなくてもジャッジが勝手に
non-topicalとする場合も あって良いのではないでしょうか?
 
実際には, どうしてこのケース(プラン)がresolutionを肯定しているか
 さっぱり わからない,理解できない状況が,この確たるものにあたると
 思います.
 
>この試合で WESA が出した plan は、単に「活性炭」を作るというもの
>ではなく、「浄水器に使われる活性炭」を作る、という非常に分野限定の
>強いものでした。
>
>浄水器の生産が "all or most industrial production" という解釈は
>かなり無理があると感じたので、non-topical であると判定したわけです。
>「Case に紙の話しか出てこないから non-topical」と考えたわけではありません。
>
 
I.O君が上記の理由をもって,non-topicalと確信したのは さほど理解に
苦しむものではないと思います.
まー でも私だったら 気が弱いですからnon-topicalとはジャッジできない
でしょうね.この辺は ジャッジによって「確信」のレベルに個人差がある
のは,あたりまえのことだと思います.
私でも今期で「死刑を廃止しましょう」なんてケースを出されたら,
 non-topicalと確信するでしょうね.(もちろん なんかreasonableな
 言い訳があれば 話は変わってきますが)
 
I.K

Date: Mon, 8 Dec 97 19:24:51 JST
Subject: [JDA :3482] RE: Re: KESSA for Freshmen
 
 
こんにちは、K.T(うえさ)です。この件に関して、私が意見を言うのもどうかと
思いましたが、一応意見を言わせていただきます。
 
 
 
>私の場合、
>「出された議論は、反論されない限り無制限に正しいとみなす」という推定は、
>ディベートの教育的価値(論敵でなく「第三者」を説得しようとする態度・
>技術の習得)を考えたると、それほど良いものではないと思っていますので、
>そのような推定は置いておりません。
>
>また、たとえ topicality であっても、例外的な issue として
>扱うべきだとは思いません。
>
>
>以上が、この判定に関する説明です。
>納得できない部分があればまた質問してください。
 
 
Topicalityにおいてその議論が出されていないにも関わらず、AFFのケースを
NON-TOPICALと判定するジャッジのやり方に関しては、私もジャッジの経験が少ない
のでどうこういうことはできません。
しかし、NEGからのアプローチが無いにもか関わらず、AFFのケースをNON=TOPCIALに
するのは、現ディベート界において、「普通」ではないと思います。別に、普通がい
いこととは思いませんが、ディベーターの立場から考えると、ディベーターは大半の
ジャッジに受け入れられるタイプのディベートをするように心がけていると思いま
す。つまり、ディベーターは試合の時にNON-TOPICALくさいケースを回すとしても、
試合の中でtopicalityが出ていないのであれば、AFFのプランをtopicalであると説明
することもないでしょう。それが、普通だと思います。よって、そのようなジャッジ
のやり方をするのであれば、試合が始まる前にパンツに自分はAFFのケースを
non-topicalだと思ったらnegにvoteすると伝えるべきだと思います。以前あるジャッ
ジの方が、エビデンスのauthorityを読まないと、とらないという方法を採っていた
際には試合の前にそのことを伝えていて、パンツとして焦った覚えがあります。
 
個人的な話ですが、このresolutionで30から40試合くらいジャッジをしました
が、AFFのケースが1ACを聞いたときにnon-topicalくさいなと思ったことは、半分以
上あったと思います。(自分には、それを理由にdecisionを決める勇気はありません
でしたが・・・)そういう意味で、AFFは1ACの段階でtopicalityを証明するべきかも
しれませんね。
 

Date: Tue, 9 Dec 97 12:02:35 JST
Subject: [JDA :3485] Re: KESSA for Freshmen
 
JDA-mlの皆様
 
今ちょっとだけ話題になっている、
topicalityの話は、以前死刑プロポの時に話題になったことの一部
だと思いますが...
 JDA2937のY.Kさんのメッセージにその辺は書かれています。
 
>  話を聞いてみると、WESAが「紙を活性炭にかえることによってリサ
 > イクルを促進させる」というようなCASEを出していたのですが、Ju
 > dgeの方(確か京都の方だったと伺っていますが)に「紙のCASEは
 > Non−Topicalだと考えられるので(もちろん理由は書かれてい
 > たそうですが)NEGの勝ち」としてTopicalityの議論をNe
 > gが出していないにも関わらず、あと、Netでは明らかに勝っていたに
 > もかかわらずNeg.に入ってしまったということを申しておりました。
 > 
 >  話を後輩から聞いただけで、バロットの詳細を見たわけではないので失礼
 > があったら申し訳ないのですが、後輩に「どうすればよかったのか」とき
 > かれ、正直なところ困っています。(普通のケースをまわせばよかったの
 > かもしれませんが、それにしても普通のケースって何でしょう)
 > 
 >  Topicalityについて、まだまだ勉強不足の私ですので、あまり詳しいこと
 > は分からないのですが、Topicalityの議論がRoundでなされていない
 > ということは、その時点でそのPlanがTopicalだと推定される
 > と思われるのですがいかがなものでしょうか。
 
 1ACと1NCの議論を聞いて、presumptionをNEGに置くのは構わないと思うので
すが、NEGの指摘なしでnon-topicalとするのは行き過ぎではないでしょうか?
 
ですから、”NEGからの指摘があった上で、納得のいく方にpresumptionを置く。
ただし、tieだとAFF有利”という原則でも立てればいいと思います。
 
 resolutionの解釈というものはその試合の当時者同士で納得していればそれで
いいような気がするのですが。
 
 

Date: Tue, 9 Dec 97 19:54:44 JST
Subject: [JDA :3491] T presumption (Re: KESSA for Freshmen)
 
京大のI.Oです。
 
N.Mさんが [JDA :3485] で示された、「いかなる plan も topical
だという presumption を置くべきだ」という考え方についてです。
直接の反論ではなく、「別の考え方もあり得るのではないか」という意見です。
 
 
[JDA :3485] において、N.Mさん:
 
>  1ACと1NCの議論を聞いて、presumptionをNEGに置くのは構わないと思うので
> すが、NEGの指摘なしでnon-topicalとするのは行き過ぎではないでしょうか?
 
AFF には「plan を提出」する義務があり、それが果たされなければ
presumption によって NEG の勝ちとなるわけですが、
これを、AFF には「topical な plan を提出」する義務があると
定義しなおすのも、それなりに妥当な philosophy だと思います。
 
(こういう定義の下では、plan があきらかに non-topical であれば、
  AFF は最低限の義務を果たしていないことになり、指摘がなくとも
  NEG の勝ちになります)
 
これが「行き過ぎ」になるかどうかは、程度問題ではないでしょうか?
たとえ topicality に関して AFF に presumption を置く人であっても、
厳しすぎる基準によって「こんな訳のわからない単語の羅列は、
topicality の問題以前に、そもそも plan として認めない」と
言われてしまえば似たような結果になりますよね。
 
 
>  resolutionの解釈というものはその試合の当時者同士で納得していればそれで
> いいような気がするのですが。
 
確かに「反論も指摘もなかった」のは事実ですが、だからといって
どんな場合でも「round consensus」→「ジャッジも認めるべき」
となるとは限らない、というのは同意していただけると思います。
 
たとえ相手からの指摘がなかったとしても、「ジャッジが納得
できなかったから」という理由で議論を切ることは、AD の solvency や
DA の link などでは許される範囲でしょう。
ジャッジングスタイルの一貫性を重視して、plan の topicality を
含めたすべての議論を同じ基準で審査する、という考え方も
不条理なものではないと思います。
 
もちろん、なんらかの理由をもって topicality だけに特殊な基準を
置く philosophy も正しいのでしょうけれど、
深い理由もなく topicality を特別扱いするのは問題だと思います。
 
 
(繰り返しますが、N.Mさんの意見を否定するものではありません。
  N.Mさんの [JDA :3485]、Y.Kさんの [JDA :2937]、それに
  今回の一連のメールを読んで、なにも考えずに topicality を
  聖域にしてしまうジャッジさんがいるのではないかと
  心配になったもので)
 
 
上記のような考え方に、なにか問題があればご指摘お願いします。
前期、京大の致死薬注射 case が問題になったときの議論で出ていた話も、
自分なりに解釈して考えたつもりではありますが…
 
I.O

Date: Wed, 10 Dec 97 13:50:55 JST
Subject: [JDA :3492] rational decision making
 
JDA-mlの皆様
 
こんにちは。N.M@北大、です。昨日のI.Oさんの返答について。
 
まとめ
1.topicalityを指摘がなかったにもかかかわらず判断するのは、
 「ディベーターによる議論をもとに合理的判断を下す」という
 ジャッジの規範に反する
2.topicalityには社会通念上の規範が適用されない
 
> >  1ACと1NCの議論を聞いて、presumptionをNEGに置くのは構わないと思うので
 > > すが、NEGの指摘なしでnon-topicalとするのは行き過ぎではないでしょうか?
 > 
 > AFF には「plan を提出」する義務があり、それが果たされなければ
 > presumption によって NEG の勝ちとなるわけですが、
 > これを、AFF には「topical な plan を提出」する義務があると
 > 定義しなおすのも、それなりに妥当な philosophy だと思います。
 
 この間の”プランと命題との関係に関する論争”を意識するならば、”命題を
肯定する”という義務しかないと思います。まあ、それはいいですが上の文章で
I.Oさんには”topicalかどうかはジャッジの裁量に委ねられる”という前提が
あります。(違っていたら御指摘下さい)
 
私は先日も申し上げた通り、”topicalか否かはディベーター同士の議論による
べき”だと考えています。勿論、議論がなければ「合意」とします。
 
 > これが「行き過ぎ」になるかどうかは、程度問題ではないでしょうか?
 > たとえ topicality に関して AFF に presumption を置く人であっても、
 > 厳しすぎる基準によって「こんな訳のわからない単語の羅列は、
 > topicality の問題以前に、そもそも plan として認めない」と
 > 言われてしまえば似たような結果になりますよね。
 > 
 > 
 > >  resolutionの解釈というものはその試合の当時者同士で納得していればそれで
 > > いいような気がするのですが。
 > 
 > 確かに「反論も指摘もなかった」のは事実ですが、だからといって
 > どんな場合でも「round consensus」→「ジャッジも認めるべき」
 > となるとは限らない、というのは同意していただけると思います。
 
 言葉が相手に対する意志疎通のための道具で、その<相手>が試合中において
対戦相手とジャッジに限定されているのですからその間でとりあえず意志疎通
ができていればそれでよしとすべきだと思います。(これは専門用語、方言や
コギャル用語などが特定の相手同士での意志疎通のためにあることと同じだと
思います) そこで次に問題になってくるのが例えディベーター同士わかっても
ジャッジは納得していない、という反論ですが、これはジャッジが”ディベー
ターによる議論によって合理的判断を下すべし”という規範に拘束されている
ことを考えれば、「オレは納得しない」というのはディベーターの議論を無視
したことになると思います。
 
 > たとえ相手からの指摘がなかったとしても、「ジャッジが納得
 > できなかったから」という理由で議論を切ることは、AD の solvency や
 > DA の link などでは許される範囲でしょう。
 > ジャッジングスタイルの一貫性を重視して、plan の topicality を
 > 含めたすべての議論を同じ基準で審査する、という考え方も
 > 不条理なものではないと思います。
 > 
 > もちろん、なんらかの理由をもって topicality だけに特殊な基準を
 > 置く philosophy も正しいのでしょうけれど、
 > 深い理由もなく topicality を特別扱いするのは問題だと思います。
 
 なぜtopicalityとsubstantive issuesが違うのかというと、前者に関しては
「言葉は他者との意志疎通のための道具である」以上の規範が<合意している
限り>働かないのに対し、後者には、もう少し限定的な規範があるからだと思
います(事実と主張のrelevancy、個別論争点と命題とのrelevancyなど)。
linkのないDAが相手の反論待たずして切れるのは規範から正しくないと判断さ
れますが、わけのわからないケースはその試合における<個人的な>方言だ、
と考える限りtopicalとせざるを得ないと思います。
 

Date: Wed, 10 Dec 97 15:06:57 JST
Subject: [JDA :3494] Re: rational decision making
 
I.Oです。
 
Topicality と substantive issue の差がまだよくわからないのですが…
 
 
[JDA :3492] において、N.Mさん:
 
>  なぜtopicalityとsubstantive issuesが違うのかというと、前者に関しては
> 「言葉は他者との意志疎通のための道具である」以上の規範が<合意している
> 限り>働かないのに対し、後者には、もう少し限定的な規範があるからだと思
> います(事実と主張のrelevancy、個別論争点と命題とのrelevancyなど)。
 
ここがよくわからないので、すみませんがもう少し詳しく
説明していただけませんか?
とくに、topicality の判定においては「事実と主張の relevancy」は
考える必要がない(そういう意味ですよね?)という部分がわかりません。
 
第三者が「plan は topical である」という認識を持つのは、
主観による判断の結果であり、その判断を行うためには
事実(自分の経験など)とplan との関連を考えることが
必然的に(他の issue の議論と同じ程度に)要求されるはずだ、
という考え方はどこかおかしいのでしょうか。
 
I.O

Date: Wed, 10 Dec 97 15:29:20 JST
Subject: [JDA :3495] Re: rational decision making
 
I.K@阪大です.
 
私は別に topicalityの議論が出てないにもかかわらず
 plan をnon-topicalとジャッジしたことはないのですが,,,
 
N.Mさんの話には,少し考え方の違いが見られます.
 
>まとめ
>1.topicalityを指摘がなかったにもかかかわらず判断するのは、
> 「ディベーターによる議論をもとに合理的判断を下す」という
> ジャッジの規範に反する
>2.topicalityには社会通念上の規範が適用されない
 
1に関して
「ディベーターによる議論をもとに合理的判断を下す」というのは
[ディベーターのスピーチを元にジャッジをする]という意味で,
[ディベーターの試合中の合意を元にジャッジをする]という意味
ではないと考えます.
 
I.O君のディシジョンはディベーターの合意に反しますが(沈黙は
合意の考え方に基づけば),Affのplan sentence=Affのスピーチ
に基づいたディシジョンであるので,「ディベーターによる議論を
もとに合理的判断を下す」の原則に反しているとは言えないでしょう.
 
また[ディベーターの試合中の合意を元にジャッジをする]はディベート
が あくまで第三者であるジャッジを説得するゲームであることを
考えれば,なんら根拠のない原則だと思います.
 
2に関して
N.M君はAffとNegのコミニュケーションを前提として話をしてい
るように感じましたが,上記のようにディベートは第三者たるジャッジ
とのコミニュケーションがメインですから,逆にN.M君の言葉通り
 
> なぜtopicalityとsubstantive issuesが違うのかというと、前者に関しては
>「言葉は他者との意志疎通のための道具である」以上の規範が<合意している
>限り>働かないのに対し、
 
Affのplan が なぜresolutionを肯定するか 皆目見当がつかない場合は,
意思疎通ができなかったことをもってして,Negにvoteすることになるの
ではないでしょうか?
 
 
I.K

 
Date: Wed, 10 Dec 97 15:57:06 JST
Subject: [JDA :3496] Re: rational decision making
 
I.K@阪大です.
 
もう一通メールを出します.
ちょっと歴史的な話.
 
> この間の”プランと命題との関係に関する論争”を意識するならば、”命題を
>肯定する”という義務しかないと思います。まあ、それはいいですが上の文章で
>I.Oさんには”topicalかどうかはジャッジの裁量に委ねられる”という前提が
>あります。(違っていたら御指摘下さい)
>
>私は先日も申し上げた通り、”topicalか否かはディベーター同士の議論による
>べき”だと考えています。勿論、議論がなければ「合意」とします。
 
 
伝え聞くところによると,ストックイッシュ・パラダイムの時代はtopicality
の証明義務がAffirmativeにあったそうです.このことを考えればtopicality
のpresumptionを過度にAffirmativeに置く理由が あまりないことが予想
されます.(O.Tさんも指摘しておられましたね)
 
ではなぜ現在はtopicality(non-topicality)の証明義務がNegativeにあって
逆にAffirmativeはpresumptionをこうしできるようになったかを考えると,
おそらく「ほとんどのplan=Affirmativeのresolutionのinterpretationは,
説明無しでもジャッジが理解できる.interpretationを共有できる」という
前提があったためだと予想されます. 説明無しでも理解できることに対して
わざわざ証明義務を置くのは時間の無駄ですし,presumptionをAffに
置くことでirrationalなNegにAffが弱くなってしまう事態を避けるとができます.
(実際のことは知りません. どなたか教えてください.)
 
この前提条件からtopicalityのpresumptionについて考えてみると,参加者
の議論がなかったからといって, 全くtopicalであることを予想もできない
=Affのinterpretationがわからないプランをpresumptionでtopicalと考え
ることは おかしいように思います.
 
 
今期(リサイクル)で,だれも反論しないからといって みんなが死刑廃止の
ケースをみんなが出すようになるのは問題がありますよね?
前提条件を抜きにして ただ文面上の「topicalityのpresumptionはAff」
といた文句に従うと,誤った方向に行ってしまうでしょう.
 
 
I.K
 

Date: Thu, 11 Dec 97 02:31:31 JST
Subject: [JDA :3502] Re: rational decision making
 
JDA-mlの皆様
 
こんばんは。N.M@夜更かし、です。こういう生活は良くないとわかってはいるけど
止められない...
 
> >  なぜtopicalityとsubstantive issuesが違うのかというと、前者に関しては
 > > 「言葉は他者との意志疎通のための道具である」以上の規範が<合意している
 > > 限り>働かないのに対し、後者には、もう少し限定的な規範があるからだと思
 > > います(事実と主張のrelevancy、個別論争点と命題とのrelevancyなど)。
 > 
 > ここがよくわからないので、すみませんがもう少し詳しく
 > 説明していただけませんか?
 > とくに、topicality の判定においては「事実と主張の relevancy」は
 > 考える必要がない(そういう意味ですよね?)という部分がわかりません。
 > 
 > 第三者が「plan は topical である」という認識を持つのは、
 > 主観による判断の結果であり、その判断を行うためには
 > 事実(自分の経験など)とplan との関連を考えることが
 > 必然的に(他の issue の議論と同じ程度に)要求されるはずだ、
 > という考え方はどこかおかしいのでしょうか。
 
 I.Oさんは”社会通念上「標準」とされている意味/定義を用いること<のみ>が
正しい”という規範をすべてのディベーターとジャッジが共有しているべきと
考えておられるから上のような見解の相違が生じたのではないでしょうか?
上の文における”事実”というのはその考えに依拠していませんか?
 
一方、私は前のメールで述べた通り、社会通念上の意味と明らかに違うものは
あくまで個別的な方言とみなします。それに否定側が異義を唱えないのだから
「合意された」(例え自分が平素使っている用法と異なっていても)と考える
のは妥当なことだと思います。(先の規範がすべてにおいて共有されているべき
とも思わない、ということは前のメールで書きました。)
 
確かに、社会通念上標準とされている意味/定義を用いるようにすればミスコミュ
ニケーションは減るかも知れません。しかし、その考えに固執することで、アーギ
ュメンテーション教育において守らねばならない公正な手続きを破るコストとを比
較衡量すると、やはり、とりあえずtopicalとしておいた方がいいのではないかと思
うのです。
 
I.Oさんは、「違う考えもあり得る」としていました。思うに上の比較衡量の結果
が異なっただけなのかな、とも思うのですが如何でしょう?
 

Date: Thu, 11 Dec 97 02:55:25 JST
Subject: [JDA :3503] Re: rational decision making
 
再びN.Mです。
 
> >1.topicalityを指摘がなかったにもかかかわらず判断するのは、
 > > 「ディベーターによる議論をもとに合理的判断を下す」という
 > > ジャッジの規範に反する
 > >2.topicalityには社会通念上の規範が適用されない
 > 
 > 1に関して
 > 「ディベーターによる議論をもとに合理的判断を下す」というのは
 > [ディベーターのスピーチを元にジャッジをする]という意味で,
 > [ディベーターの試合中の合意を元にジャッジをする]という意味
 > ではないと考えます.
 
 お言葉を返すようですが、私は上のように解釈したことは「一度として」
ありません。恐らくI.Kさんも先のI.Oさんへの返答メールで述べた通り、
”社会通念上「標準」とされている意味/定義<のみ>を正しいとする”規範
が共有されているべき、と考えているため、私の言ったことをしてこうお考
えになられたのでしょう。
 
よって、
 
 > I.O君のディシジョンはディベーターの合意に反しますが(沈黙は
 > 合意の考え方に基づけば),Affのplan sentence=Affのスピーチ
 > に基づいたディシジョンであるので,「ディベーターによる議論を
 > もとに合理的判断を下す」の原則に反しているとは言えないでしょう.
 
 1ACの命題解釈が個別的方言によってなされ、それに対し否定側から何の指摘
もないのだから、その方言は合意となるので、上の判断は原則に反しているの
ではないでしょうか?
 
 > 2に関して
 > N.M君はAffとNegのコミニュケーションを前提として話をしてい
 > るように感じましたが,上記のようにディベートは第三者たるジャッジ
 > とのコミニュケーションがメインですから,逆にN.M君の言葉通り
 > 
 > > なぜtopicalityとsubstantive issuesが違うのかというと、前者に関しては
 > >「言葉は他者との意志疎通のための道具である」以上の規範が<合意している
 > >限り>働かないのに対し、
 > 
 > Affのplan が なぜresolutionを肯定するか 皆目見当がつかない場合は,
 > 意思疎通ができなかったことをもってして,Negにvoteすることになるの
 > ではないでしょうか?
 
 だからと言って、社会通念上「標準」とされている用法を、ディベーター同士の
合意を無視してまで「押しつける」ことはできないと思います。
 
それと、誤解のないように言っておきますが、私はpresumptionをAFFに置け、と
言っているのではありません。あくまでNEGの指摘なくしてnon-topicalと判断す
るなかれ、と言っているのです。
 
N.M@7年生

Date: Thu, 11 Dec 97 14:15:47 JST
Subject: [JDA :3507] Re: rational decision making
 
I.K@阪大です.
 
> > >1.topicalityを指摘がなかったにもかかかわらず判断するのは、
> > > 「ディベーターによる議論をもとに合理的判断を下す」という
> > > ジャッジの規範に反する
> > >2.topicalityには社会通念上の規範が適用されない
> > 
> > 1に関して
> > 「ディベーターによる議論をもとに合理的判断を下す」というのは
> > [ディベーターのスピーチを元にジャッジをする]という意味で,
> > [ディベーターの試合中の合意を元にジャッジをする]という意味
> > ではないと考えます.
> 
> お言葉を返すようですが、私は上のように解釈したことは「一度として」
>ありません。恐らくI.Kさんも先のI.Oさんへの返答メールで述べた通り、
>”社会通念上「標準」とされている意味/定義<のみ>を正しいとする”規範
>が共有されているべき、と考えているため、私の言ったことをしてこうお考
>えになられたのでしょう。
 
一点誤解があるようですが, 私の話は 社会通念上「標準」とされている解釈
をジャッジが勝手に提示する場合を考えるのではなく,とりあえずジャッジが
知っている限り,予想できる限りの解釈をもってしても何故プランがトピカル
であるか皆目見当がつかない場合を想定しています.
 
その場合は,「議論がなければplanはtopicalとみなす」の前提となる「Affの
解釈はジャッジの想像できる範囲内である」という条件が崩されるので,
あくまでも「議論がなければplanはtopicalとみなす」に固執する必要はないの
ではないか? といった提示をしているわけです.
 
例え それが方言として正当化されるものであっても,説得する相手がしらない
話=解釈は ちゃんと自分から説明するのが礼儀でしょう.
 
 
-----------------------------------------------------------------
あと 根本的に考え方が違うのは,ラウンドコンセンサスの尊重の仕方でしょう
ね.私は あまり尊重していません. ジャッジが理解することが重要で
あって,参加者同士が納得することを ほとんど重要視していません.
(相手のスピーチを理解した上での スピーチは重要 =>comparison)
まして いわゆるラウンドコンセンサスの多くは,ただたんにドロップしただけ
のことですから,ますます尊重する理由がありません.
KESSAのようにtopicalityを知らない1回生の試合では,ラウンドコンセン
サスなる幻想を尊重しすぎることは,さらに問題があることだと思います.
 
まー ぶっちゃけた話 ラウンドコンセンサスの取り扱いは バランス感覚が
重要という結論になりますね.
 
 
I.K
 

Date: Thu, 11 Dec 97 14:46:19 JST
Subject: [JDA :3508] Re: rational decision making
 
I.K様
 
はじめまして。早稲田大学英語会4年のD.Gと申します。
[JDA:3507]に関して質問があります。
 
 >一点誤解があるようですが, 私の話は 社会通念上「標準」とされている解釈
 >をジャッジが勝手に提示する場合を考えるのではなく,とりあえずジャッジが
 >知っている限り,予想できる限りの解釈をもってしても何故プランがトピカル
 >であるか皆目見当がつかない場合を想定しています.
 >
 >その場合は,「議論がなければplanはtopicalとみなす」の前提となる「Affの
 >解釈はジャッジの想像できる範囲内である」という条件が崩されるので,
 >あくまでも「議論がなければplanはtopicalとみなす」に固執する必要はないの
 >ではないか? といった提示をしているわけです.
 >
 >例え それが方言として正当化されるものであっても,説得する相手がしらない
 >話=解釈は ちゃんと自分から説明するのが礼儀でしょう.
 
文法的には「可能な」解釈であっても、もしジャッジの「想像できる」解
釈でなければ、勝手に肯定側を負けにしてもいいということなのでしょう
か?  それではジャッジの知識によってすべてが決まってしまうようにも
思えるのですが。それは危険ではありませんか?
 
英語という「言語」は説得する相手である「ジャッジ」も知っているはず
のものであるのに、なぜそれに自分から説明を加えなければいけないので
すか?  「肯定側のような解釈が存在できる可能性」を完全に否定するた
めにはジャッジの知識や想像だけでは不十分なように思えます。
 
あと、なぜ「Affの解釈はジャッジの想像できる範囲内である」という条件
が「議論がなければplanはtopicalとみなす」ことの前提となるのですか?
僕としては上記の「肯定側のような解釈が存在できる可能性」を完全に否
定できないから、というのが前提条件になってます。
 
もちろんネットに関する議論などでは「言語的」にではなく「論理的」に
判断してある議論を無意味なものとして捉えたりはできるとは思うのです
が、Tに関してはいくら「論理的に」がんばってみても、自分の知らない、
考えられない解釈の存在余地が否定できないのでは、と考えています。
 

Date: Thu, 11 Dec 97 15:31:40 JST
Subject: [JDA :3509] norm of "language"
 
JDA-mlの皆様
 
こんにちは。N.M@おやつタイム、です。D.Gさんが丁寧な説明をして
下さったのですが、私からもちょっとだけ。
 
> とりあえずジャッジが
 > 知っている限り,予想できる限りの解釈をもってしても何故プランがトピカル
 > であるか皆目見当がつかない場合を想定しています.
 
 これこそが、何度も言っているように、”社会通念上「標準」とされている意味/
定義のみを正しいとする態度”だと言っているのです。(何も標準と言うものは一つ
とは限らないでしょう)
 
 > その場合は,「議論がなければplanはtopicalとみなす」の前提となる「Affの
 > 解釈はジャッジの想像できる範囲内である」という条件が崩されるので,
 > あくまでも「議論がなければplanはtopicalとみなす」に固執する必要はないの
 > ではないか? といった提示をしているわけです.
 > 
 > 例え それが方言として正当化されるものであっても,説得する相手がしらない
 > 話=解釈は ちゃんと自分から説明するのが礼儀でしょう.
 
 これは肯定側の役割を、”命題が社会通念上「標準」とされる文脈において妥当で
あることを示すこと”とする態度に他ならないように思います。
 
追伸.D.Gさん、丁寧な補足有難うございます。さすがですね。
 
 

Date: Thu, 11 Dec 97 18:49:34 JST
Subject: [JDA :3510] Re: rational decision making
 
I.K@阪大です.
 
集中砲火を受けています.
 
最初に少しまとめてみたいと思います.
おそらく議論が食い違っているポイントは,
 
N.Mさん D.Gさんの想定
 1.論理的に間違っていると判断してnon-topical とジャッジをする.
私の想定
 2.論理的判断以前に 理解できないからtopicalとしない.
 
  ではないでしょうか? 
 
1の場合,N.Mさんがおっしゃっているように,常識的な基準=解釈を
 設定して それとの比較でnon-topicalと判断することになります.
 これは もちろん問題があります.
 
論理的に間違っていると判断するには,まずAffの解釈の筋道を理解
することが不可欠です. おそらくAffは ここを こう解釈していて,
だから この部分が論理的におかしいという判断になります.
その点が2番と異なる点です.
よって1番の場合はAffの解釈がある程度 想像できる場合ですから私の
言うtopicalとしない場合には含まれません.
 
 
例えばall or most industrial productionと浄水器の活性炭で考えましょう.
 
ジャッジがAffは多くの浄水器の数が出回っているから,most production
だと解釈したと 考えたとします.この場合,一応の理解が成立しています.
(はっきりとした理解でなくても,なんとなく想像はつく)
その上で,industrial productionが〜 nounだから,浄水器は全体で一つ
それぞれの個体を数えてmostとは考えない.よってnon topicalと判断した
とします.(詳しい文法上の話は ここではなしにしましょう)
 この場合は,industrial productionが〜 nounだからという自分の知識
 を常識的な基準として設定しているので,N.Mさんたちがおっしゃるよう 
 に このような形でnon-topicalと判断することは誤りでしょう.
 D.Gさんの言うように,別の可能性を否定できないとも言えます.
  
 
では 今期で死刑廃止のプランを出した場合を考えましょう.
 
私は これをどのように好意的に解釈してもtopicalであること,もしくは
resolutionとの関連性さえ見いだせません.1のように具体的な解釈の方法
が考えられないだけでなく, その解釈が存在することも予想できません.
 この場合をもって2番の理解・想像さえできない状況=topicalと判断でき
 ない場合と 考えます.
(最初にメールで書いたように,想像できるだけの説明が加われば 別に
 問題はありません)
 
-------------------------------------------------------------
 
 
以下は 質問への解答です.
 
>文法的には「可能な」解釈であっても、もしジャッジの「想像できる」解
>釈でなければ、勝手に肯定側を負けにしてもいいということなのでしょう
>か?  それではジャッジの知識によってすべてが決まってしまうようにも
>思えるのですが。それは危険ではありませんか?
 
危険性に関しては もっともだと思います.両刃の剣は慎重に使わなければ
なりません.
そのような危険性もあって,私は 勝手にnon-topicalとジャッジしたこと
はありません.逆に そんな変なケースにはお目にかかったことがありま
せん.
 
話の補足をするなら,
[文法的には「可能な」解釈であっても、ジャッジの「想像できない」解釈]と
いう場合は,普通のラウンドでは絶対といっていいほどありえない場合です.
これが起こりうるのは Affがかなり無理をして解釈している場合です.
Affはジャッジがtopicalであることを理解しない可能性を十分予想できる
立場にあります. しかし それでもジャッジを無視して,ジャッジが想像
できないような解釈を説明もなしにラウンドに提出するのであれば,それは
ジャッジが逆にAff を無視してアゲインストしても やむをえないように思
います.
presumptionがAffにあるのは,Affとジャッジが互いにコミニュケーション
をとれるという前提があるからです.上記の場合はその前提をAffが崩して
います.
 
>英語という「言語」は説得する相手である「ジャッジ」も知っているはず
>のものであるのに、なぜそれに自分から説明を加えなければいけないので
>すか?  
 
これこそまさに私の言う前提条件です. この前提条件があるからこそ,
Affは はじめからtopicalityを説明する必要がないと考えます.
 
------------------------------------------------------------
>あと、なぜ「Affの解釈はジャッジの想像できる範囲内である」という条件
>が「議論がなければplanはtopicalとみなす」ことの前提となるのですか?
>僕としては上記の「肯定側のような解釈が存在できる可能性」を完全に否
>定できないから、というのが前提条件になってます。
 
 
(そのへんの話は,実際のところどうなのか 私は知りません.
だれか その時代にディベートしていた人に教えてもらいたいですね.)
 
反論するなら,
「肯定側のような解釈が存在できる可能性」を完全に否定できないから
というのは,否定側にnon-topicalの証明義務があることと同じ話です.
つまり肯定側にpresumptionがあるのと同値な議論です.
よって このことをもってAffのpresumption=議論がなければplanは
topicalとみなす」の理由にはならないでしょう.
 
肯定側にtopicalityの証明義務があるとした場合に,[「肯定側のような解釈
が存在できる可能性」を完全に否定できないから] では証明義務をAffから
Negにshiftすることがlegitimateされないことからもわかります.
 
 
------------------------------------------------------------
>もちろんネットに関する議論などでは「言語的」にではなく「論理的」に
>判断してある議論を無意味なものとして捉えたりはできるとは思うのです
>が、Tに関してはいくら「論理的に」がんばってみても、自分の知らない、
>考えられない解釈の存在余地が否定できないのでは、と考えています。
 
論理的に物事を考える場合=Netの話でも,複数の知識が前提となっています.
むしろ複数の知識の間で線引きをすることが,論理的思考と言えるかも
しれません.よってネットに関する議論でもトピカリティーと同じく
知識がないために,理解できないことは十分生じます.
少し違った例えになりますが,知らない単語を並べられて説明されても
ジャッジが理解できないことは想像に容易いことです.
 
net benefitの議論で,ジャッジが理解できなかったから その議論が
採用されないのと同様に,ジャッジがtopicalであることを想像だに
できなかったからnon-topicalと判断することがありうると思います.
 
 
 
すごく長くなりました.書いているうちに 話の整合性がなくなって
いるようにも思います.
長く書けば書くほど,反論が増えそうで, アリ地獄にはまった
気分です.
明日から東京に行くので,次にメールを開くのは月曜日になります.
反論への返信は来週までお待ち下さい.
 
I.K
 

Date: Thu, 11 Dec 97 20:16:24 JST
Subject: [JDA :3511] Re: rational decision making
 
I.Oです。
 
N.MさんやD.Gさんの「ジャッジは一切の判断をしてはならない」
という考え方について、2点質問があります。
ひとつは topicality に関する議論とそれ以外の議論の違い、
もうひとつは教育的価値についてです。
 
 
○ topicality と substantive issue の違いについて
 
I.Kさんの [JDA :3510] の最後にも書かれていますが、
N.Mさんの考え方での、topicality 以外の議論における
「最低限の証明責任」の扱い方がよくわかりません。
 
たとえば、evidence も reason もなしの、たった一言だけの
「plan をとると核戦争が起こる」というDAが出された場合を考えてください。
このようなDAでも、肯定側が drop してしまえば、「合意があったので、
たとえ非常識だと思ってもジャッジが切るのはいけない」という判断を
されるのでしょうか?
 
N.Mさんは「topicality に関しては、当事者の間で意味が通じれば良い」
とおっしゃっていますが、それならば同じ理由で上のようなDAも
「当事者の間では、核戦争が起きるのは事実だという合意があるので、
ジャッジが勝手に切ってはいけない」という結論になってしまうように
思えるのですが…
 
このことに関して、私の結論は正しいですか?
もし正しくないなら、なぜ「DAなら、ある程度の批判的判断は良い」
のに、「topicality では、絶対に自分で判断してはいけない」
という違いが出るのでしょうか?
 
 
 
○ 教育的価値について
 
ディベート教育の目的のひとつに「社会一般で役立つ議論能力の修得」
があると思います。
社会一般で通用しないような無理な解釈を用いた議論を許すよりも、
社会一般の基準に反しているという理由で却下する方が、
より実用的な議論能力の向上に寄与するのではないでしょうか?
 
あまりに厳しい基準や、恣意的な基準を用いるのは問題ですが、
だからといって直ちに「無制限に認めるべきだ」というのは、
かえって「異なる価値観を持つ他人を説得する技術」に関しては
マイナスになると思うのですが。
 
おそらく私の理解のなさの根本は、N.Mさんが [JDA :3502] の
最後に書かれた「アーギュメンテーション教育において守らねばならない
公正な手続きを破るコスト」にあると思います。
N.Mさんが指摘された通り、私はそのようなコストを考慮したことがありません。
何度も申し訳ありませんが、これについて教えてくださいませんか?
 
「公正な手続き」とは単に「dropイコール無制限に正しいとみなす」
という話かとも思いましたが、それだと spread のような
非教育的戦略が圧倒的有利になってしまいますよね?
 
I.O

Date: Fri, 12 Dec 97 03:45:26 JST
Subject: [JDA :3512] I agree with Kojima
 
R.Yです。最近ますます頭がパープリンになってきて、JDA-MLの難しい議論に頭がつい
ていきません。でも僕はなんとなく、I.O君やI.Kに賛成します。
 
1)ジャッジは、理解できなかったアーギュメントをとるべきでない
 
このことは、数ヵ月前にさんざん議論されたので、もういいでしょう。赤ん坊は、なん
の議論も理解できません。しかし私たちは、20年ほど生きてきて、言語や社会に関する
様々な知識を得ています。脳味噌にしわしわがついています。ディベーターのあらゆる
アーギュメントは、このしわしわを通じて、ジャッジに吸収され、評価されます。
 
しわしわに吸収されなかったアーギュメントは、無視される運命です。僕は、「賛成で
きない」「納得できない」アーギュメントをジャッジが切るべきだとは思いません。「
社会通念における標準から逸脱している」アーギュメントを切るべきだとも思いません
。しかし、「ジャッジのしわしわをもってして、理解できない」アーギュメントは、断
固として切るべきだと思います。それをわかったふりをして取るのは、非常に不健全な
ことだと思います。
 
2)どうしてWESA のケースによって命題が肯定されるのか、私には理解できない
 
どうしてこのケースがTopicalになりうるのでしょうか。私にはどうしても、理解でき
ま
せん。ですから、WESAのケースによって命題が肯定されるとは、(どう脳味噌をふりし
ぼって考えても)理解できません。
 
3) 従って、私だったらやはり、NegにVoteしたでしょう
 
ディベートの勝ち負けは、命題が肯定されるか否か、によって決まります。命題が肯定
される理由が理解できないのですから、当然VoteはNegにいくでしょうね。「自分の頭
のしわしわが足りないだけかもしれない、、、」という迷いは当然生じますが、これを
気にしていたらジャッジはできないっすよ。
 
4)まとめ・雑感
 
「Tが出ていないのにケースをNon-topicalにするなんて、とんでもないジャッジだ」「
Topicalである可能性をジャッジが完全に排除できない限り、勝手にケースをNon-topic
alにすべきでない」という先入感を、多くのディベーターが持っていることと思います
。しかしこの先入感が本当に妥当なものなのか、もう一度その根拠をよくよく考えて、
I.O君やI.Kの意見をじっくり読んでみてほしいと思います。
 
もっとも、「ジャッジがNon-topicalなケースを排除するよりも、NegにTを回す練習を
さ
せたほうが教育的だ」という反論はありうるかもしれませんけれどね。この辺のバラン
スは、難しいところだと思います。
 
それにしても、あからさまにNon-topicalなケースは、いつもなら上智大学がTopicalit
y
で排除してまわっていたものですが、今年の上智は何をやってるのかなあ。
 
R.Y
 

Date: Fri, 12 Dec 97 12:47:12 JST
Subject: [JDA :3513] topicality
 
 
明示的に提示されなかったtopicalityを判定に反映することの是非について
 
 
(まとめ)
○ いままでの論争は、論点は実は一つしかない。それは、topicalityが提出されて
  いない状態で、affのプランがnon-topicalであることを根拠としてnegにvoteする
  ことが、affのディべーターにとって、「予測可能」か否かである。
○ 一般的には予測可能な判定であったと考えるが、少なくとも話題になっているラ
 ウンドのディベーターにとっては、予測不能な判定であった。
○ I.O君の判定に誤りはないが、ディベーターに対して、配慮が足りない面があっ
 たことは否定できない。
 
-----------------
 
 
一般的に、ジャッジの判定は、
 
1 判定の基礎となる主張の収集
2 収集された主張の採否の決定、採用されるとしても、どの程度の確実度(信頼性)
  があるかの評価
3 採用されて確実度を評価された主張を、何らかの判定基準に照らして判定を下す
 
というプロセスをたどります。
 
1.に関しては、ジャッジは、ディベーターの提出した主張のみを収集するという原
  則があります。これは、ジャッジが個人的な意見をADやDAとして判定の基礎にし
  てしまうと、その主張に対してディベーターが防御の機会を与えられなくなるこ
  とから、手続き的な公正が保つために設けられている原則です。
 
2.に関しては、逆に、ジャッジが自らの知識と経験に重きをおいて各主張を評価す
  ることとなります。
(1) 主張の採否の決定に際しては、最低限の立証の基準(prima facie)を満たし
   ているか否かで採否を決定します。
(2) 採用されることとなった主張に対しても、反駁でのディベーターの主張の評
   価を踏まえつつ、自らの知識と経験から、ジャッジがその主張の信頼性(確実
   性)を判断して決定していきます。
 
3.そして確実性が評価された主張を、勝敗の決定基準(パラダイム)に照らし、勝
  敗を決定することとなります。
 
------------------
(注1)
1に関しては、I.O君が疑問を持っているようでしたが、無視することはできません。
 現状のフォーマットがジャッジに発言を認めていませんので、ディベーターは、ジ
 ャッジが何を考えているのか理解できません(予測不能)。従って、ジャッジが自
 由にジャッジングの基礎となる主張を自ら提出してしまうと、ディベーターは、当
 然それに対する反論を行うことができません(反論不能)。
 「防御の機会の付与」は、論争の最も基本的なルールであり、実社会におけるいか
 なる形式の論争においても、これが存在しないものはありません。
 
(注2)
 2(2)に関しては、ジャッジングのスタンスによって、ディベーターによる主張
 の評価(コンセンサス?)を極力尊重しようとする人と、尊重しつつも評価はジャ
 ッジが主導権をもって行うジャッジと若干の違いがありますが、これは程度の問題
 です。
 
(注3)
 2(2)でいう「自らの知識、経験」は、防御の機会の付与の観点から、「主張」、
 「その根拠」としてラウンドに提出することはできません。あくまで、「確実度を
 判断するときのよりどころ」として、利用するのみであることに注意して下さい。
 無論、誰でも知っているような事実(公知の事実)であれば、ラウンドに持ち込ん
 でも問題ないですが。
 
(注4)
 ADとDAを比較して、どちらが大きいかでジャッジングをする、ということは、ディ
 ベーターに指摘されなくても、ジャッジはそのような判断をしますね。C-Pもそう
 です。paradigm(勝敗の決定基準)というのは、ジャッジに一義的にゆだねられて
 いると考えるのが一般的です。
 
------------------
 
 
今回の論争は、これら1.2.3.のどの段階にもまたがる、複雑な問題です。
 
○まず、1.3.に関しては、
 
 そもそもtopicalityが、ADや、DAのような、「予測不能」な主張か否か、という問
題があります。
 
 なるほど、少なくとも私が知っているここ10年のディベートでは、topicalityも、
ADや、DA,C-Pのように、ディベーターが提出するべき主張であるというのが圧倒的
多数派ではあります。
 
 しかしながら、実はこれの根拠は薄弱です。一般のDAや、C-Pといった「予測不能」
「反論不能」な主張とは異なり、多くのジャッジがpolicy making paradigmを採って
いて、基本的にaffirmativeはresolutionを肯定することが求められているという考
え方に立つと、non-topicalなプランを提出した肯定側は、必然的に負けることとな
ることは広く流布している考え方であり、さらに、その考え方はフィロソフィーで明
らかにされている以上、十分に「予測可能」な主張であるということはいえます。
 
 つまり、topicalityの主張は、「paradig(勝敗の決定基準)そのもの」であり、
必ずしもディベーターが提示することを要しない主張としてとらえることが十分に可
能です。
 
-----------------
(注5)
 このロジックは、topicalityのように、パラダイムの一部とみなせて、「予測可能」
 「反論可能」な主張にのみ適用できることに注意して下さい。DAやADのように「予
 測不能」な主張を、ジャッジがどんどんラウンドに提出することは許されないこと
 を明確に理解しておいてください。
  N.M君他の懸念は、この考え方の濫用にあるのであって、それは妥当な懸念です。
 I.O君もこの点は明確にして下さい。
-----------------
 
○ 次に、2に関しては、
 
 topicalityが、明示的に提出する必要のない主張であるならば、プランは肯定側に
 よる命題の解釈の提示とみなされることとなり、あとは、ジャッジが肯定側の解釈
 がprima facieを満たしているかどうかによって、判断できることになります。
 
 さらに、topicalityの特殊性として、言語の解釈に関わる主張であるという関係上、
ジャッジが判断の主体性をより発揮すべき主張であるということがあります。言語
というのは、不特定多数に対して共通了解として使用されるものである以上、ディ
ベーター同志の了解では足らず、不特定多数に対しても了解を得ることのできる解釈
であることを要求されるからです。
 このため、ジャッジは、命題の解釈の評価に関しては、ディベーターの提示した解
釈のみならず、自らの言語的解釈を積極的に活用すべきということになります。
 
-----------------
(注6)
 この点についても、topicalityに限定的な主張であることを理解して下さい。一般
 の主張の評価においては、ジャッジがラウンドに自らの知識や経験を「主張」や、
 「主張の根拠」として持ち込むことはできません。どのような主張やその根拠をを
 ジャッジがラウンドに持ち込んでいるのか「予測不能」なので、これも防御の機会
 が失われるからです。
 
 しかし、「言語の解釈」は、一般の主張の立証と異なり、「不特定多数に対する共
 通了解」という側面が非常に強いため、ジャッジの解釈が一般的なものであれば、
 だれにとっても「予測可能」なのです。(the death penaltyが、日本語の死刑を
 意味することは、誰でも予測可能)したがって、一般的な解釈であれば、ラウンド
 に持ち込んでも支障はありません。
-----------------
 
 
まとめ
 
 以上、この問題を私の視点から整理してきましたが、論点は結局一つしかないこと
がわかります。それは、topicalityが提出されていない状態で、affのプランが
non-topicalであることを根拠としてnegにvoteすることが、affのディべーターにと
って、「予測可能」か否かです。N.M君、玉木君他と、I.O君、I.K君他の意見の対
立点は、この一点につきると思います。
 
 以上述べてきたとおり、一般的にいえば、今回の判定は「予測可能」なものであり、
妥当な判定であったと考えます。
 
 しかしながら、I.O君のジャッジングに関していえば、ディベーターからああいっ
た指摘が出た以上、彼らにとっては、I.O君のディシジョンは、「予測不能」であっ
たといわざるを得ないでしょう。I.O君の判定が誤りであったというつもりは全くあ
りませんが、相手を納得させるための配慮が足りなかったことも間違いないです。
 
 玉木君がいったように、「普通」でない(普通であることが望ましいといっている
わけではないです。念のため)ジャッジングをするのであれば、事前に、その部分だ
けでもディベーターに警告するなり、フィロソフィーで強調するなりして、「予測可
能」な状態にしてから試合を始めるように心がけるのが必要でしょう。
 
 
S.Y
 

 
Date: Fri, 12 Dec 97 14:46:57 JST
Subject: [JDA :3514] Re: rational decision making
 
 この問題は、ディベートのジャッジの上での恒久的問題とも言える程難しいもので
す。皆さんの御意見はそれぞれ一面の真理に触れているとは思いますが、何か見逃さ
れているものもあるように思います。
 
 
 S.Yさんの解答はこの問題とは別の問題に対するものです。合意の下にある誤った
議論(この場合は命題の解釈)をどう扱うかという点に関しては一定の決定(予測可
能かどうかが問題ということは、合意があってもそれをジャッジが却下できることを
認めており、その上でどういうときに却下をしてよいかを定めているだけです。)を
下した上で、今回のI.Oさんの行為がそういう決定を前提とした規準に照らして妥当
であったかどうかを言っているだけです。それは悪く言えば単なる論点先取です。ま
さにそのような決定をどう下すべきかがここでは問われているのです。
 
 
 一定の共有信念に反するものは排除すべきであるという考え(最も端的にはR.Yさ
んの理解できないものは受け入れるべきでないというもの)は、確かに言語理解に於
ける規範性を表わしており、その限りに於いては尤もらしく感じられます。
しかし、他方、合意された議論はそのまま受け入れるべきだというディベートの手続
き上の大原則も又重要と思われます。
 
 この二律背反を解消する鍵は、前者に於いての「理解できない」を細かく吟味しな
おすこと(特に命題性議論に関して)と手続き規則以外による後者の正当化を探るこ
とにあります。
 
I. ジャッジが理解できないこと
 ジャッジが理解できない議論を受け入れるなという主張は、非常に尤もらしく聞こ
えますが、それは最も極端な例でこの主張を受け取りがちであるからです。
 
理解できないことには二つの種類があります。
 
1. 言語的理解ができない場合
細かく分けるとこれにも段階があるでしょうが、全く解釈の余地を与えない場合(知
らない外国語等を聞く場合や単なる雑音を聞く場合)から合理的に解釈できない場合
まで含むことにします。
2. 論理的理解ができない場合
一応各文は合理的に解釈できるとしても、なぜ結論が導かれるかが解らない場合
 
1の場合には、理解できない議論はだめだというのは当然だと思われます。しかしな
がら、ここでのその議論の説得力を2の場合にまで無制限に適用すると誤りが生じる
と思われます。
 
1と2とでは、認識的価値がやや異なります。1の場合大抵はその議論の存在自体が無
となります。しかし2の場合は必ずしもそうではありません。少なくともその存在自
体を認めない訳にはいきません。それではその存在をどう扱うかですが、これは、そ
の議論の置かれたコンテクストに依存すると思われます。
 
その議論が他に影響しない場合は、1と同様に無視してしまうことが多いでしょう。
しかし、他の議論に影響する場合は、大抵その理解できない部分を留保してその他の
議論を考えるでしょう。
さらに、その理解できない部分がどのように位置付けられているかにもよります。そ
れが単なる仮定として位置付けられていて、結論がその仮定の下でという条件付きの
場合には、理解できなくてもその条件付き結論自体は認めるでしょう。そうでない場
合は、結論自体を否定するでしょう。
 
 
II. 前提の下での結論
 
 ディベートの命題は絶対的にではなく、あくまで相対的に肯定・否定されるもので
す。つまり、一定の諸前提の下での結論として肯定・否定されるに過ぎません。これ
らの前提には、肯定側による命題の解釈及び実質的議論で導入される諸々の命題が含
まれます。ディベートの結果肯定されるのは、端的な命題そのものと言うよりも、非
常に厳密に言えば、そういう諸前提の下でこの命題が真であるということです。
 
 こういう諸前提についてディベータの議論があればジャッジはそれを合理的に解釈
して対立する前提のどちらかを選択し、ディベータの議論がない場合は出された前提
をそのまま受け入れて、その上で総ての前提を考慮して結論を肯定・否定します。
 
 ディベータの議論がない場合に出された前提をそのまま受け入れることは、暗黙の
譲歩によりそれについての合意が成立し、ディベータがそれを所与の前提とみなすと
いう規約を立てたとして解釈することが可能であるからです。
 
 そうすると、この場合には例えその前提が幾つかの命題からなる条件命題の形をし
ていてその帰結関係が理解できないとしても、ジャッジはそれを単なる約定による所
与の前提として受け入れることは可能です。
 
 最終的に判断されるのが、命題の端的な真理ではなく前提の下での真理である訳で
すから、それらの前提の中の幾つかについては、所与の前提とみなしてもかまわない
のではないかと思われます。
 
 従って、命題の解釈がいかに理解不能であっても、そういう解釈を所与のものと約
定したとみなせばよいし、いかに裏付けの乏しい議論でもそれを所与の前提として議
論していると考えればよいわけです。
 
 
III. 上記の立場をとる理由
 
 上記のような立場をとる理由は、ディベートの議論の内実を最もよく評価・解釈す
るという目的を満たすためです。
 誤った前提を基にして総ての議論が展開されて、その前提以外の部分の議論は十分
まともなものとして合理的解釈に耐え得る場合、上記のような立場をとらないで、合
意された部分について外的な見地からの解釈を加える場合には、命題の真偽の評価
に、議論の内実の評価を反映することが不可能になります。純粋に形式的に言えば、
誤った前提の下での結論は真ですから、命題は肯定されてしまいます。それをせずに
誤りを正して、正しい前提の下で解釈すると、それはそれで又、ディベータの諸議論
の相対的関係を評価し損ねるでしょう。
 命題性の議論の場合は、普通の前提とはちょっと次元が違いますが、この場合も、
affの解釈以外は、ディベータの行ったどの議論さえも評価できないという点では同
じでしょう。
 解釈での自然言語の規範は強いものですが、命題を全く未解釈の対象言語と捉えれ
ば、まあどんな解釈を与えてもよいという議論はできなくはありません。勿論両者が
合意した場合ですが。この場合の両者の合意は、議論の手続き規則自体の変更(自然
言語の規範を尊重する)を両者が申請したととってもよいでしょう。
(この点で、この立場は命題をディベートの焦点とすることと矛盾しない。)
 命題の解釈についての規範を非常に強くとって、まさしくpunishmentとしてそうい
う申請を却下すべきであるという人もいるかもしれませんが、そのようなpunishment
は公平性を欠き(否定側も共同申請者である)、望ましくないでしょう。
 
 このような立場への反論として、実質的争点で主張だけしなかった場合や、単に相
手がドロップした議論の場合などがよく引き合いに出されます。これらの場合は余り
有効な反論にはなりません。
 というのは、一つには、実質的争点の場合は、一つの前提についての合意がすべて
を決定しないからです。あくまでその他の議論との整合性が出るようにジャッジは合
理的解釈を行います。さらに、それらが単に約定でしか成立しない場合には、その他
の議論との整合性を欠く場合にはそれを廃棄するのが合理的解釈であるからです(な
ぜならその他の議論は情報量が多く、それによって出される帰結の確定度が高いのに
対し、約定でしか成り立っていない議論は情報量が少なく、それによって出される帰
結の不確定度が低いために、合理的解釈を行う上では、後者の自由度の高さ故に、前
者を優先するべきであるから。)さらに、相手はそういう根拠のない議論については
その事実を指摘するだけで十分であり、一々反論する必要はないのであるから、相手
側にとっても実は不利にならない。それを考えると、そういう根拠のない議論の根拠
のなさを指摘し損ねた場合には、その責任を負う必要もあるかもしれない。よって、
上記のような立場は、必ずしも質の悪い議論やスプレッドを広める原因にはならない
でしょう。
 
 
 
約定による真理は、端的な真理の探究には寄与しないでしょう。
しかし、ディベートで行われた議論の実質的評価の上では、それを認めた方が望まし
いと思います。
 
Y.K
 

 
Date: Fri, 12 Dec 97 15:05:41 JST
Subject: [JDA :3515] Re: rational decision making (PS)
 
補足します。
> このような立場への反論として、実質的争点で主張だけしなかった場合や、
>単に相手がドロップした議論の場合などがよく引き合いに出されます。こ
>れらの場合は余り有効な反論にはなりません。
> というのは、一つには、実質的争点の場合は、一つの前提についての合意が
 
実質的争点の場合という限定は外します。
 
命題の疑わしい解釈がそのまま認められたという場合以外のほとんどの場合は、
 
とします。
 
命題解釈に関しても、negが単に無茶苦茶な命題性議論を出してドロップされたとい
ったような場合は勿論、それだけで命題性は否定されません。というのは、この場合
は、最初にaffが解釈を出した事実自体は消え去りませんから、解釈の整合性の問題
からジャッジがこのnegの議論を評価する必要が出てきます(他の議論との整合
性)。
 

Date: Fri, 12 Dec 97 15:15:22 JST
Subject: [JDA :3516] Re: rational decision making
 
JDA-mlの皆様
 
こんにちは。N.M@極寒の島民、です。せっかくS.Yさんがまとめて下さったのです
が、私からも少しだけ説明させて下さい。
 
まとめ(前にも書きましたが...)
 
1.推定は「正しい」と思った方に置く。ただしケースをnon-topicalと判断するのには
  否定側からの指摘が必要。
2.いくらジャッジにとって???な解釈でも、「指摘がない限り」はその試合に於ける
  ”個別的方言”が用いられているとみなす。
3.社会通念上「標準」とされている意味/用法は「争いがない限り」差し控えられる。
  これはsubstantive issuesなどにおける規範”個々の議論は互いに因果律的に連関
  し、命題に対しrelevantであらねばならない”というものとは性質の異なるもので
  ある。
4.以上であれば「公正な手続き」は保証される。
 
> ○ topicality と substantive issue の違いについて
 > 
 > I.Kさんの [JDA :3510] の最後にも書かれていますが、
 > N.Mさんの考え方での、topicality 以外の議論における
 > 「最低限の証明責任」の扱い方がよくわかりません。
 > 
 > たとえば、evidence も reason もなしの、たった一言だけの
 > 「plan をとると核戦争が起こる」というDAが出された場合を考えてください。
 > このようなDAでも、肯定側が drop してしまえば、「合意があったので、
 > たとえ非常識だと思ってもジャッジが切るのはいけない」という判断を
 > されるのでしょうか?
 
 当然とりません。なぜなら3で示した規範に反するからです。
 
 > N.Mさんは「topicality に関しては、当事者の間で意味が通じれば良い」
 > とおっしゃっていますが、それならば同じ理由で上のようなDAも
 > 「当事者の間では、核戦争が起きるのは事実だという合意があるので、
 > ジャッジが勝手に切ってはいけない」という結論になってしまうように
 > 思えるのですが…
 
 「言葉の意味/定義」と、「伝える内容」は違います。前者がTで、後者が
 substantive issuesであることは言うまでもありません。前者と後者が
 ”当事者間でとりあえず一致”していたらそれを認め<ざる>を得ないのでは
ないでしょうか。「内容」に関しては強い規範に拘束される。
  
 > ○ 教育的価値について
 > 
 > ディベート教育の目的のひとつに「社会一般で役立つ議論能力の修得」
 > があると思います。
 > 社会一般で通用しないような無理な解釈を用いた議論を許すよりも、
 > 社会一般の基準に反しているという理由で却下する方が、
 > より実用的な議論能力の向上に寄与するのではないでしょうか?
 > 
 > あまりに厳しい基準や、恣意的な基準を用いるのは問題ですが、
 > だからといって直ちに「無制限に認めるべきだ」というのは、
 > かえって「異なる価値観を持つ他人を説得する技術」に関しては
 > マイナスになると思うのですが。
 
 平素においても、特定の集団にしか通じない「言葉」(の意味/定義)は
たくさんあります。言葉はコミュニケートする相手に合わせて変えて行くだ
けだと思います。I.Oさんは恐らく学術的に非常に意義のある研究をなさっ
ていると思いますが、それを”素人”に説明する時に平素研究室で使ってい
るような言葉を”そのまま”使いませんよね? だからといって、専門用語
を使うのは、「説得能力が落ちるからよくない」なんて言いませんよね?
 
それでも、「専門用語」はある意味では正しいからそれとは違う、と反論す
るかも知れませんのでもう一例。R.Yさんは"annihilation"を”アニヒレー
ション”と呼ぶのが大嫌いなようですが、ところがこの呼び方は固体物理を
やっている人たちの間では「世界的に」(含.native speakers)使われてい
るのです(勿論、”アナイアレーション”と発音している人もいますが)。
いくら社会通念上間違っていてもそれを批判はできないでしょう。なぜなら
それで彼/彼女らはキチッと意志疎通できているからです(それとも、R.Yさ
ん、”アニヒレーション病”の警告でも学会に乗り込んでしますか?)。
なお、早読みはどうなんだ、という指摘もあるかも知れないので言っておきま
すと、「伝えている内容」が早読みではわからない場合がありますので、これ
は切られても仕方ないでしょう。
 
 > おそらく私の理解のなさの根本は、N.Mさんが [JDA :3502] の
 > 最後に書かれた「アーギュメンテーション教育において守らねばならない
 > 公正な手続きを破るコスト」にあると思います。
 > N.Mさんが指摘された通り、私はそのようなコストを考慮したことがありません。
 > 何度も申し訳ありませんが、これについて教えてくださいませんか?
 
 私は、I.Oさんにジャッジをしてもらったことがないのでわかりませんが、恐らく
無意識的に受け入れているのではないかと推察します。"descriptivism"と言うのが
それです。
 今回の場合であれば、新しい「言葉の定義」が肯定側によって導入され、それを
否定側が受け入れた、と言うことです。
 
 > 「公正な手続き」とは単に「dropイコール無制限に正しいとみなす」
 > という話かとも思いましたが、それだと spread のような
 > 非教育的戦略が圧倒的有利になってしまいますよね?
 
 全然違います。
 
最後に、R.Yさん、大変僭越なのですが、私はR.Yさんのメールに個別にレスする
時間的余裕はありません。大変申し訳ないのですが、私のメール、あるいはD.G君
やY.Kさんのメールをもう一度、よ〜くお読みになって下さい。
 
キーワードは、個別的方言、公正な手続き、社会通念上「標準」なもののみを正し
い意味/定義とする規範です。
 
ではでは。 (あー疲れた)
 

Date: Fri, 12 Dec 97 17:24:06 JST
Subject: [JDA :3517] Re: rational decision making
I.O様、I.K様、N.M様、Y.K様、JDA−mlの皆様。
 
早稲田大学英語会4年のD.Gです。卒論で忙しいので議論の進展について
いけていない気もするのですが、I.Kさんを始め、皆さん丁寧なまとめ、
ありがとうございます。勉強になりました。
 
1.I.Oさんの質問に関して
 
ジャッジが理解できないからとらないというスタンスは賛成ではあるので
すが(教育のため)、しかし命題性に関してのみ、あてはまらないと思い
ます。肯定側のケースが英語として理解できないような形で提出された場
合は別かもしれませんが(ADがあるかどうかもわからない)、私たちが
英語のnativeではないために、いくら限りある知識を総動員しても「可能
な」解釈を「理解できない」ことはあるのではないのでしょうか?  もし
くはY.Kさんの言うように「誤った前提に基づいていること」が議論され
なければ「誤った前提・条件のもとでは命題が真」ということを否定する
のは、「北朝鮮に食料を与えると戦争を起こす」という議論を勝手に自分
の知識で否定するのと同じ事になりませんか?  だから命題性を特別扱い
してます。
 
ちなみに私自身ははどんなにケースがtopicalであると理解できない場合
でも、肯定側のケースがnontopicalでは、という推定をしても実際に試合
で命題性が出るまではnontopicalだという判断をしない、というスタンス
をとっています。もしtopicalだとわかりにくいケースを肯定側がまわして
いれば、命題性がだされた後で自分たちのケースがtopicalだと証明するこ
とが困難になると思ってます。
 
何が教育的価値なのか、ということに関してはN.Mさんが説明してくださ
いましたが、「一般社会で通用する議論の仕方を学ぶこと」と「その学習
を一般社会で一般的に用いられる概念のみを使って行う」ことは別だと考
えてます。
 
2.I.Kさんへの質問
 
まったく話題が変わるようで恐縮なのですが、N.MさんやY.Kさんが説明
してくださいましたし、僕の考えは上に書いてある通りなので、別な部分
の質問があります。
 
 >では 今期で死刑廃止のプランを出した場合を考えましょう.
 >
 >私は これをどのように好意的に解釈してもtopicalであること,もしくは
 >resolutionとの関連性さえ見いだせません.1のように具体的な解釈の方法
 >が考えられないだけでなく, その解釈が存在することも予想できません.
 > この場合をもって2番の理解・想像さえできない状況=topicalと判断でき
 > ない場合と 考えます.
 >(最初にメールで書いたように,想像できるだけの説明が加われば 別に
 > 問題はありません)
 
大事なのは命題との関連性なのですか?  今期でいえば命題自身がどんな
topical by effectsのケースも受け入れていると思うのですが、ケースで
死刑を廃止した結果、increases the utilizationうんぬんを満たす過程を
説明していたらtopicalだとお考えになりますか?  思うのですが、肯定側
のケースという文脈の中でプランも判断されるべきであって、それだけを
取り出して判断しようとしていいものなのでしょうか。
 
 >反論するなら,
 >「肯定側のような解釈が存在できる可能性」を完全に否定できないから
 >というのは,否定側にnon-topicalの証明義務があることと同じ話です.
 >つまり肯定側にpresumptionがあるのと同値な議論です.
 >よって このことをもってAffのpresumption=議論がなければplanは
 >topicalとみなす」の理由にはならないでしょう.
 >
 >肯定側にtopicalityの証明義務があるとした場合に,[「肯定側のような解釈
 >が存在できる可能性」を完全に否定できないから] では証明義務をAffから
 >Negにshiftすることがlegitimateされないことからもわかります.
 
ここの部分がよく分からないのですが?  説明していただければうれしい
です。特に最後の部分です。
 
 

Date: Sat, 13 Dec 97 10:43:22 JST
 
ごぶさたしております。H.Iです。
最近のトピカリティの議論を興味深く読ませてもらっています。
 
 
1.議論になっているのは、「ジャッジは、Negからトピカリティの主張がな
くても、Affのプランをノントピカルと判断してNegにVoteしてよいか」という
ことだと思います。
 
(1)これを認める方は、「ジャッジは理解できないアーギュメントはとるべ
きではなく、何故トピカルか理解できないAffのプランをノントピカルと判断
することは差し支えない」とされます。
I.K君、I.O君、R.Y君がこの立場であると思います。
 
(2)これを認めない方は、「ディベーターからの主張がないにもかかわら
ず、Affのプランをノントピカルと判定するのは、ジャッジの恣意的判断であ
り許されない」とされます。
D.G君の述べられているのは、こういうことと理解しています。
(ただし、N.M君が述べられていることは、これとは異なると思いますが、こ
れについては別のところで述べたいと思います。)
 
 
2.両方の主張ともしごくまともな主張であるにもかかわらず、議論がかみ
合ってこないのはなぜでしょうか。それは、「トピカリティの証明責任」を明
確に意識せずに議論してきたせいだと思います。
 
 トピカリティの証明責任がAffにあるとすると、上記(1)の通り、なぜト
ピカルか理解できないAffのプランをノントピカルと判断することも理解でき
ます。理由のないADやDAは、相手がドロップしても、不成立と判断されること
と同じでしょう。
 
 他方、トピカリティの証明責任がNegにあるとすると、Affのプランがノント
ピカルであるという主張がNegからなされなかった以上、ジャッジはトピカリ
ティにvoteするわけにはいきません。
 
 Negが一切主張していないのに、Affのプランを見て「これは膨大なコストが
かかり財政に悪影響を与えるというDAが生じる」と判断して、DAにVoteする
ジャッジはいないでしょう。これと同じことです。
 
 
3.では、トピカリティの証明責任は、AffとNegのどちらが負うのでしょう
か。この問題に答えることは容易ではありません。
 
 上記1.の(1)と(2)の議論は、ともに証明責任がAff又はNegにあるこ
とを前提にして成り立つ議論であり、証明責任の負担を決定する決め手に
はなりません。
 
 例えば、上記1.(1)の立場から、「ジャッジは理解できないAffのプラ
ンをトピカルとすべきではない。よって、トピカリティの証明責任はAffであ
る。」と主張したとしましょう。
 
 この主張は循環論法です。「ジャッジが理解できない」というのは、「Aff
の主張をジャッジが理解できない」ということであり、それは「プランがトピ
カルであることはAffが主張すべきだ」ということを前提としている、すなわ
ち結論を先取りしてることがわかるでしょう。これは、上記1.(2)を前提
にトピカリティの証明責任がNegにあることを主張する場合も同じです。
 
 トピカリティの証明責任をAff・Negのどちらに置くかは、理論的には決め
がたいような気がします。トピカリティの証明責任をAff・Negどちらに置く
ことも可能であることは、I.Kさんが[JDA:3496]で述べていますね。
 
 
4.トピカリティの証明責任をどちらに置くかは、理論的見地からは決めがた
いとすると、どちらの立場を取るかは、ジャッジの価値観にかかわる問題だと
思います。
 
(1) 「命題の解釈は、誰もが了解可能な一般的・常識的な解釈により行わ
れるべきであり、このような解釈に合致しないAffのプランは、Negの主張
の有無にかかわらず排除すべきである。」と考えるならば、トピカリティの証
明責任を肯定側に課す方に傾くでしょう。
 
(2) 「ジャッジは可能な限り、ディベーターの合意に反するディシジョン
を下すべきではなく、ディベーターの合意を前提として合理的なディシジョン
を下すことが可能な場合には、ディベーターの合意を尊重すべきである」と考
えるならば、トピカリティの証明責任を否定側に課す方に傾くでしょう。Y.K
さんのおっしゃっていることは、概ねこのようなことだと理解しています。
 
 私自身としては、現時点では、4.(2)の考え方に共感する部分が大きい
です。ことトピカリティについては、試合で全く議論されないにもかかわら
ず、Affのプランをノントピカルと判断することは抵抗が大きいので。
 
 
5.トピカリティの立証責任がAffにあるとすると、プランがトピカルである
ことをAffがスピーチにおいて主張しない限り、ジャッジはNegにvoteすべきよ
うにも思いますが、そう考えている人はいないようです。
 
 I.O君やR.Y君のメールを見る限り、ジャッジがAffのプランを見て、トピ
カルか否かを自ら解釈することを想定されているようです。これは、S.Y君が
いうように、「プランは肯定側による命題の解釈の提示とみなされる」と考え
ているのかもしれません。
 
 しかし、これではジャッジの恣意的判断に陥る可能性が高いような気がしま
す。命題の妥当な解釈はひとつとは限りませんし、プランが解釈の範囲内か否
かも簡単にはわかりません。
 
 D.G君も述べるように、Affの解釈を聞くことなく、プランだけを見て、
「Affのプランは、命題のあらゆる妥当な解釈の範囲外である」と判断するこ
とは、極めて困難であるような気がします。
 
 トピカリティの立証責任がAffにあるという立場を取る場合には、ジャッジ
は、Affに対し自らのプランがトピカルであるとする解釈をスピーチにおいて
提示するよう求め、その解釈を聞いてからトピカリティを判断すべきだと思い
ます。
 
 
H.I
 

Date: Sat, 13 Dec 97 13:41:10 JST
Subject: [JDA :3524] Re: Topicality & Burden of proof
 
日本のトーナメントディベートをここ数年見ていないのでとんちんかんな発言かもし
れませんが・・・・
 
僕が(日本でアクティブに)ジャッジをしていたころに強かった(今も強いのかもし
れません)ある大学の(チームの)プラン・テクストなどは、いつも決まって、「プ
ラン。プランク・エー、なんとかかんとかをする。プランク・ビー、なんとかかんと
かをする。プランク・シー、なんとかかんとかをする。(中略)プランク・ジー、な
んとかかんとかをする。」みたいに、ただ「やりたいことを羅列している」みたいな
感じでした。
 
で、否定側にトピカリティーをチャレンジされると、「ワン。ウイ、ミート、ゼア、
デフィニション。(説明略)ツー、ウイ、ミート、ゼア、デフィニション。(説明略
)」みたいな返しがどどっと出てきて、それもそれらの返し(特に説明の部分)が、
1ACのプラン・テクストで「やる」と言っていることとは直接関連がなかったりして
とまどったのを覚えています。つまり、「実質的な」の命題の定義/解釈/exemplific
ationが1ACのプラン・テクストとは半ば独立して2ACで出てくるのです。ただし、「
とまどった」からといって「これだけで」否定側に投票したことはなかったと思いま
すけど。
 
で、考えたのは
 
(1)<プランは肯定側による命題の定義/解釈/exemplificationである>といったこ
とを頭に置いて「プラン・テクスト」を書く・出すべきなのではないか。そーいった
手続きを行わないでラウンドを始めてしまうと、少なくとも議論が混乱するのではな
いか。
 
(2)あるいは、上に例で挙げたチームのやっていたことは、議論が混乱することを
承知の上での「いわゆる」<ストラテジー>なのか。
 
いかがなものでしょう。
 
S.O

Date: Sat, 13 Dec 97 13:41:10 JST
Subject: [JDA :3524] Re: Topicality & Burden of proof
 
H.Iです。
時機遅れになってしまいましたが、S.Oさんの[JDA:3524]とY.Kさんの
[JDA:3525]についてです。興味のある方はどうぞ。
 
Y.Kさんの[JDA:3525]について
 
 Y.Kさんがおっしゃるように、証明責任だけで全てが解決する訳ではなく、
「Planがtopicalであることを証明する責任がAffにあるとしても、合意により
それが免除されると考えることは可能」だと思います。
 
 ただし、Y.Kさんのおっしゃったような考え方は、トピカリティの証明責任
をNegに課すことと、実際上、どのように違ってくるのでしょうか。
 例えば、Neg.が提示したトピカリティが成立していない場合、トピカリティ
の証明責任がNeg.にあるとすると、ジャッジはAffのプランをトピカルとしま
すが、Y.Kさんが説明された考え方では、Negが提示したトピカリティが成立
していない場合でも、合意が成立していない以上、ジャッジは自己の判断で
Affのプランをノントピカルにできるのでしょうか?
 
 
S.Oさんの[JDA:3524]について
 S.Oさんがおっしゃっていた、1ACのプランでは「やりたいことを羅列」
し、「実質的な命題の定義/解釈/exemplificationが1ACのプラン・テクストと
は半ば独立して2ACで出てくる」ことは、今のディベートでも多く見られま
す。
 
 私は、真の問題は、まさにここにあるのではないかと思います。
 
 例えば、"Japanese Government should adopt a comprehensive program
which increase utilization of recycled materials ..."という今期のプロ
ポにおいて、Affのプランを見ただけでは、それが"increase utilization of
recycled materials "なのかはわかりません。これが、議論の混乱の原因であ
るというS.Oさんの指摘はおっしゃる通りだと思います(ストラテジーという
にはあまりにも低レベルですね)。
 
 ただし、このようなpracticeはディベート界に広く蔓延しており、ジャッジ
もそのことを問題視していないように見受けられます。「Affがプランととも
に命題の解釈を提示しない」という点について是正を求めることなく、単に出
されたプランを見ただけでそれをノントピカルと判断してしまうことは、
ジャッジの恣意的判断となってしまうおそれがあるように思います。
 
 トピカリティの証明責任をAffにおき、Negからのトピカリティの提示なしに
Affのプランをノントピカルと判断することを肯定するジャッジは、試合前に
自らのフィロソフィーを明らかにして、プランとともに命題の解釈を提示する
ことをAffに求め、その解釈が不合理であればプランをノントピカルと判断す
べきだと思います。
 
 この考え方は非常に説得的ですが、その一方で、Affにどの程度の解釈の提
示を要求するかが難かしいような気がします。命題の全ての語を定義させると
いうのは、あきらかにやり過ぎのような気がしますし…。どのようにしたもの
でしょうか?
 
 
H.I

Date: Sat, 13 Dec 97 13:41:10 JST
Subject: [JDA :3524] Re: Topicality & Burden of proof
 
 
>H.Iです。
> ただし、Y.Kさんのおっしゃったような考え方は、トピカリティの証明責任
>をNegに課すことと、実際上、どのように違ってくるのでしょうか。
> 例えば、Neg.が提示したトピカリティが成立していない場合、トピカリティ
>の証明責任がNeg.にあるとすると、ジャッジはAffのプランをトピカルとしま
>すが、Y.Kさんが説明された考え方では、Negが提示したトピカリティが成立
>していない場合でも、合意が成立していない以上、ジャッジは自己の判断で
>Affのプランをノントピカルにできるのでしょうか?
>
 
場合によるでしょう。
それこそ、affのplanに対する推定に依存します。
Aff. planが明白にnon-topicalであり(そうでない場合はこの件では問題にはなって
いないでしょう)、且つ次のような場合
a)negが単純にnon-topicalだとだけ叫んだ。
b)negが明白にunreasonableなinterpretationに基づいて(例えば、Japanese=
pertaining to any of varnishes yielding a hard brilliant finish 、とか
government=group of patientsとか)、affがnon-topicalだと論じた。
 
この場合、いずれにせよ、推定はnon-topicalですが、a)の場合には、negのアーギュ
メントはいわゆる通常の規準では成立していないとされるでしょうが、推定に依り、
このnegの一言に基づいてジャッジはplanをnontopicalだと宣告できるでしょう。こ
の場合、negは自己のclaimを限定しないので、合意は存在しないと見ていいです。
そして、negがH.Iさんが言うような証明責任を果たしていないとしても、推定が
non-topicalな側に強くあるので、ジャッジはnegのopen-endedな主張に基づいてそれ
を判断に変えることができます。
 
しかし、b)の場合には、negのclaimが限定的である以上(この解釈に基づいて
non-topical)、ジャッジは自己の推定に依り、negのこのclaimに基づいて、planを
non-topicalとは宣告できません。この場合、negが自分のclaimを限定したことによ
り、その他の解釈(aff自身がplanを示すことで含意しているはずのもの)の下でaff
がtopicalとなることは合意されていると考えられるです。
 
そうすると、negに挙証責任を置く場合とは、a)の場合で異なりますね。a)の場合に
aff.planをnontopicalだと宣言できないことはnegに挙証責任を置く立場の問題点と
なるかと思います。
 
 
しかし、原理的に言えば、前回に触れたように、Burden of proofというのは、相対
的なものですから、どちらかに固定するのはそもそも問題があります。
 
Y.K
 

 
 

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