命題とプランの関係について


Date: Tue, 25 Nov 97 02:56:46 JST
Subject: [JDA :3401] plan focus
 
東京大学4年のY.Hです。
半年ちょっとジャッジをやってきて、
最近疑問に感じだしたことがあります。
 
なぜ、多くのjudgeは、plan focusなのでしょうか。
planをひとつの例としてexamineすることで、
漠然とresolutionを考えるより、教育的効果があるからでしょうか。
なにか、debateの歴史的な背景があるのでしょうか。
それとも、別の理由があるのでしょうか。
 
resolution focusのjudgeは、なぜ少ないのでしょうか。
debateのroundが始まるときには、resolutionしかないのに。
また、debateを始めるときに、
「肯定側の役割は、resolutionを肯定すること」
と教えられるのに。
 
 
Yoshito Hirata            
 

Date: Tue, 25 Nov 97 12:01:01 JST
Subject: [JDA :3402] Re: plan focus
 
I.K@大阪大学です.
 
メールに興じている場合ではないのですが,
 やっぱりディベートの話は好きなので 投稿します.
 
>なぜ、多くのjudgeは、plan focusなのでしょうか。
>planをひとつの例としてexamineすることで、
>漠然とresolutionを考えるより、教育的効果があるからでしょうか。
>なにか、debateの歴史的な背景があるのでしょうか。
>それとも、別の理由があるのでしょうか。
 
私はresolution focusのジャッジです.
フィロソフィーにresolution focusという形で明言はしていませんが,
 読めばresolution focusであることがわかるようになっていると
 思います.
 
Y.H君の言うように 試合の前提としてはresolutionしか与えられていない
わけですから,本来ジャッジはresolution focusであるべきだと思います.
しかし plan focusなるジャッジが大半を占める理由は,やはりcounter
warrantというものがあるからでしょう. resolution focusに関して
考えるということは,つまりcounter warrantを考えることと同義だと
思います.
 
counter warrantは 普通に考えて,あまり教育的議論ではありません.
というか,絶対 教育的議論でないと考える人が大多数でしょう.
counter warrantの非教育的な部分は,議論がcrushしない点でしょう.
Affのwarrantが十分に吟味されることもなく,Negのwarrantが十分
に吟味されることもありません. これはひとえに時間的理由によるも
のと思います. また 普通counter warrantが提出される場合という
のは,戦略的に あえて双方のwarrantを吟味しないためでありますから,
なおさら議論の進展がroundで望まれません.
このような理由から多くのジャッジは plan focusとすることでcounter
warrantを排除しようとしているのだと思います.
 
私も上記のような理由から,resolution focusではありますが,resolution
を吟味する材料として,一つのwarrantで十分と見なす,というスタンスを
とっています.積極的に十分条件を説明することはできませんが,不足している
証明もありませんから, 上記のような教育的効果を考えれば, 推定として
一つのwarrantで十分である,ということが言えると考えます.
 
では, 私のフィロソフィーがplan focusではなくresolution focusとして
いる理由は何か? つまりplan focusとresolution focusの違いは何か?
というと, 推定か断定 にあると考えています. 言い換えればシフト
可能かどうか,ということです.
(もちろんシフト可能かどうかは,plan focus or resolution focusとい
う議論ではなく,フィロソフィーのスタンス=presumption modelか否か 
という問題でありますが,,,  でもcounter warrantをとらないとい
うことは ほとんどのジャッジが かなり強いpresumptionとしているの
で, まー これは断定とみなしても良いのではないかと思います.)
 
私の場合, ある条件下では複数のwarrantを吟味することができます.
推定を覆すような,不十分であるという証明がなされれば, Affの
一つのwarrantでは不足として,counter warrantの提示を認めます.
この点が,plan focusとしているジャッジと 多少違う点であると
思っています.また 例外があることを参加者に気付いてもらいたい
ために あえてresolution focusのスタンスを提示しています.
 
では どのような場合に どのような証明がされれば良いかというと,
Affのwarrantが plan は一応topicalだけれども重箱のすみをつつ
いたようなplanで, 議論も せこくて みみっちいもの, と言えば
だいたいのディベーターにはわかってもらえるでしょう.
例えば 前期の 某大学の「絞首刑を廃止しましょう」みたいケース
です. こーいったケースはtopicalではあるけれども(この点も問題
があったわけですが, まー 試合ではnon-topicalの証明が難しかった
のも事実です),typicalではない. ということは簡単に言えると
思います. 普通のプラン=死刑そのものを廃止しましょう,を提示すれば
それとの比較でAffのplanがtypicalでないことはわかるでしょう.
「typicalでないから,Affのwarrantはresolutionを肯定するには
不十分であって,もしくは Negのwarrantはresolutionを吟味する
上で必要である」 とスピーチしてくれれば,私は このcounter 
warrantを採用します.
 
 
で, 長くなりましたが, このメールの主旨としては,
 
1. ある特定の場合に限ってはcounter warrantを認めても良いのでは
  ないか? 
2. 参加者にもcounter warrantを必要な時には出してもらいたい. 
 
 と思います. みなさん いかがでしょうか?
 
I.K
 

Date: Tue, 25 Nov 97 13:45:43 JST
Subject: [JDA :3403] Re: plan focus
 
JDA-mlの皆様
 
こんにちは。N.M@北大、です。かつて、hypothesis testingの洗礼を受けたもの
としてresolution focusとplan focusとの違いについて思うことを述べたいと思い
ます。
 
まとめ
 
1.肯定側は”一定の条件(文脈)”でのresolutionの妥当性を示せばよい。従って、
  resolution focusでもcounterwarrantsを採らない場合がある。
2.肯定側がresolutionが示唆する一般的傾向を論じるのであればcounterwarantsを
  採る余地はある。
 
> Y.H君の言うように 試合の前提としてはresolutionしか与えられていない
 > わけですから,本来ジャッジはresolution focusであるべきだと思います.
 > しかし plan focusなるジャッジが大半を占める理由は,やはりcounter
 > warrantというものがあるからでしょう. resolution focusに関して
 > 考えるということは,つまりcounter warrantを考えることと同義だと
 > 思います.
 
 以前、”受け身プロポ”について確かR.Yさんが言っていたように記憶しているので
すが、resolution focusはcounterwarrantsを許すスタンスだと思っている人が多い
ためなのだと私も思います。しかし、I.Kさんが言っておられるようにresolution 
focusだからといってcounterwarrantsを認めなけれればならないということはないと思
います。
 
 > 私も上記のような理由から,resolution focusではありますが,resolution
 > を吟味する材料として,一つのwarrantで十分と見なす,というスタンスを
 > とっています.積極的に十分条件を説明することはできませんが,不足している
 > 証明もありませんから, 上記のような教育的効果を考えれば, 推定として
 > 一つのwarrantで十分である,ということが言えると考えます.
 
 resolutionが条件を与えない限り真偽(=是非)が判断できない以上、1ACで示され
た条件で十分だとすべきなのではないでしょうか。私はそう解釈しています。勿論
1ACで示された条件に異義を唱えることもできるでしょうがそれはtopicalityの問題
になると思います。
 
 > では どのような場合に どのような証明がされれば良いかというと,
 > Affのwarrantが plan は一応topicalだけれども重箱のすみをつつ
 > いたようなplanで, 議論も せこくて みみっちいもの, と言えば
 > だいたいのディベーターにはわかってもらえるでしょう.
 > 例えば 前期の 某大学の「絞首刑を廃止しましょう」みたいケース
 > です. こーいったケースはtopicalではあるけれども(この点も問題
 > があったわけですが, まー 試合ではnon-topicalの証明が難しかった
 > のも事実です),typicalではない. ということは簡単に言えると
 > 思います. 普通のプラン=死刑そのものを廃止しましょう,を提示すれば
 > それとの比較でAffのplanがtypicalでないことはわかるでしょう.
 > 「typicalでないから,Affのwarrantはresolutionを肯定するには
 > 不十分であって,もしくは Negのwarrantはresolutionを吟味する
 > 上で必要である」 とスピーチしてくれれば,私は このcounter 
 > warrantを採用します.
 
 結局typicalityは、”何をもってtypicalか”ということを考えるとtopicality
の議論の議論に行きつくように思うのですが... 
 
 > で, 長くなりましたが, このメールの主旨としては,
 > 
 > 1. ある特定の場合に限ってはcounter warrantを認めても良いのでは
 >   ないか? 
 > 2. 参加者にもcounter warrantを必要な時には出してもらいたい. 
 > 
 >  と思います. みなさん いかがでしょうか?
 
 以前、ディベート・フォーラムでY.Kさんが書いておられたと思いますが、
肯定側がspecific policyではなく、movementとしてresolutionを支持するのならば
否定側にcounterwarrantsを出す余地があるのではないでしょうか? この間、K.S
さんが”意味のあるcounterwarrantsも今回あり得る”と仰っていたのはこういうこ
とかな、と思いました。
 
ただ、私自身勉強不足なのでおかしなところがありましたら御指摘下さい。
 
N.M@ハイポ僕滅派最右翼
 
 
 
 

Date: Wed, 26 Nov 97 12:54:48 JST
Subject: [JDA :3406] Re: plan focus
 
十年以上前に同じ様な議論を、日本では初めて、戦わせた者の一人としては、又やっ
ているな、あるいはまだやってるのという感想を持ちますが、交されている議論を見
て、日本のディベート界は蓄積がないなとつくづく思います。はっきり言って、全然
進歩がない。
 
まあ、それはさておき、Y.H君の疑問は非常に健全だと思います。
 
むしろ、これに対して、単純にresolutional focus -> c.w. legitimateという旧態
依然とした、しかも誤っている、図式を頂き、plan focusに与する人々の方がずっと
問題があります(なーんも考えてないという点で)。
 
一方で、かつてhypothesis-testingが一部で横行した時代と違って、resolutional 
focusの人は非常に健全になったと思います。N.Mさんの理解は非常にまともだと思
います。(typicalityの概念を除く)。
 
 
端的に言えば、resolutional-focus vs. plan-focusという図式自体がおかしいです
ね。
 
ディベートの焦点は、命題でしかあり得ない。planという概念は、ディベート命題を
正当化する際の一つの補助概念に過ぎない。いわゆるplan-focus vs. resolutional 
focusの問題は、命題の解釈の問題と正当化の過程の問題とが入り交じったものであ
り、ディベートの焦点の問題ではない。
 
 
これを説明するには、歴史的経緯から説明していく必要があります。
 
I. 歴史的経緯
 
(Y.H君)
>なにか、debateの歴史的な背景があるのでしょうか。
>それとも、別の理由があるのでしょうか。
 
もともと、アメリカでは、ディベートの命題は、はっきりと個別化された行為を示す
ものでした。例えば、死刑を廃止するとかいったものです。その場合には、特にplan
という概念を導入する必要もなく、命題的行為の是非を端的に論じていればよいとい
う非常にすっきりした世界となります。従ってその当時では、planがない場合も、あ
る場合もあったそうです(Hynesの1983年?の論文による)。むしろ、この場合なぜ
プランがあるのかという疑問が逆に湧いてきます。多分、私が推測するに、命題的行
為の是非を論じる上では、その行為をより具体的に説明した方がわかりやすいし、現
実に不可能であれば、それを正当化することもできないので、説明の一手段として、
命題的行為をより具体化した図式的なプランが、使われ出したのではないかと思いま
す。
その中に、アメリカでは命題がはっきりと個別化されないようなものとなり(広いも
のとなり)ました。例えば、大統領の権限を削減するとか、マスメディアの統制を強
化するとかです。その頃までには、どうやら、具体的なプランを使って命題を正当化
する習慣が根付いていたようで、その結果、多様な命題の解釈に応じて、多様な命題
的行為を正当化することが可能になり、多様なプランを出すことが可能となって、い
わゆるプランと命題と言う乖離が生じたようです。
これがどうやら、1970年代の半ばのことのようで、その結果として、1979年頃に
counter-warrantという概念が生じたようです。counter-warrantが提案されるのに対
応して、plan-focusか、resolution-focusかという議論が生じました。その後、本来
的にはディベートはresolutional focusであったというまっとうな主張が(上記の私
の結論ほど強い主張ではない)、1983年のHynesの論文でなされました。
 
翻って、日本でも、同様な状況であったらしいですが(まあ大体日本の状況は、アメ
リカのそれをまねているだけですが)、1982年にcounter-warrantが輸入されて、以
後は、アメリカと同じようになりました。因みに、いわゆるtypicalityという概念
は、日本で生まれたもので、1984年か85年に並木周さんが考え出したものです(それ
は彼と私とのバスの中での会話が発端となった)。
 
 
このように、plan focusというのは、ディベートの命題が伝統的に個別化された行為
を示すものであったということから生じた習慣に根付いた概念です。実際のディベー
トの慣行に沿っていると感じられることから、無反省な人々はこの立場をとりがちで
す。しかし、これが習慣からそう思われる以上の論理的根拠がないことは明らかで
す。
Y.H君が感じたように、まさにディベートでは、命題以外は示されておらず、それ以
外に、ディベートでの勝敗を決するよりどころはないのですから、ディベートの焦点
は命題でしかあり得ないでしょう。
 
 
しかしながら、歴史的に見ると、resolutional focusを主張した人々の議論には誤っ
たものも多いし有害な結果を生じたものもあり、逆に、plan focusという立場は、そ
のpragmaticな帰結に関しては無害に近いものでした。
 
II. Counter-warrant
 
恐らく、counter-warrantこそは、resolutional focusにとっての両刃の剣だったと
言えるでしょう。それは、resolutional focusというまともな立場を世の人々に認識
させるきっかけとなったと同時に、そのまともな立場が有害であるかのような誤った
印象を人々に与えました。
 
多くの人々が未だに信じているようであるのとは異なり、counter-warrantは、
resolutional focusによって即正当化されるものではありません。それどころか、全
然正当化されないでしょう。せいぜい、resolutional focusでないとそれが不可能に
なる程度しか言えません。
はっきり言って、counter-warrantは、全く根拠のない概念です。それは、ディベー
ト命題が帰納的に正当化されるという誤った前提にのみ基づくものです。
 
 
ここで、考慮すべきなのが、「命題の、解釈の下での真」という概念です。そもそ
も、解釈を与えられなければ、命題は真でも偽でもないとこの場合考えます。その場
合に、命題が真となるのは、ある解釈の下でそれが真となる場合であり、それが論理
的に真となるのは、あらゆる解釈の下でそれが真となる場合である。このように考え
ます。この考え方は、論理学の中の意味論での考え方に基づくものですが、同じ様な
考え方として、命題の可能的真理(ある可能世界で真)と必然的真理(あらゆる可能
世界で真)という区別もあります。命題の真理をこのようにして考えることは、非形
式的な場面でも、極めて自然に思われます。
 
ディベートの命題についてこのように考えると、ある解釈の下でその命題が正当化さ
れれば十分であるということになります。(この解釈というのは、必ずしもプランを
意味しませんが。)従って、counter-warrantというのは、全くお門違いな議論であ
るということが分かります。それは、ディベート命題が論理的真理ではないというこ
とを示すだけです。しかし、そもそも誰もそんなことを示そうとはしていないでしょ
う(もし、命題の論理的真理性が示されなければならないのなら、counter-warrant
を出すまでもなく、通常の仕方では命題は正当化されていないことになります。)
 
 
ディベート命題が帰納的推論により正当化されているというcounter-warrantの前提
はそもそも誤りです。ディベート命題の正当化は、むしろ、上記の「解釈の下での
真」という考え方に基づいていると考えるべきでしょう(これだと問題なく、一つの
解釈での真理により命題が正当化される。帰納的推論を使うというのは、そもそも無
理があります。)
 
typicalityという概念も、帰納モデルを前提にしており、その点で問題があります。
又、この概念は、命題の様々な解釈を無理に差別化しようとしていますが、本来典型
的解釈等というものは、論理的根拠に欠けるものであり、言語の意味の理論の点でも
問題のある概念です。さらに、何がtypicalかどうかが先ずほとんど決定不可能な上
に、なぜよりtypicalな解釈が優先されるかについても、根拠がありません。並木さ
んには悪いが、これはまあ、歴史の忘却の中に埋没すべきものだったでしょう。
 
(N.Mさん)
> 以前、ディベート・フォーラムでY.Kさんが書いておられたと思いますが、
>肯定側がspecific policyではなく、movementとしてresolutionを支持するのなら
>ば否定側にcounterwarrantsを出す余地があるのではないでしょうか? この間、
>K.Sさんが”意味のあるcounterwarrantsも今回あり得る”と仰っていたのはこう
>いうことかな、と思いました。
 
そんなことは書いた覚えはないのですが(^^;)。伊豆田さんじゃないですか。
counter-warrantを出す余地は、どんな場合でもないと思います。上記のように、そ
れはお門違いか、無駄かどちらかです。
 
因みに、counter-warrantがpragmaticな帰結だけから悪いと考えられているとすれ
ば、それはそれで問題です。まあそのように考えるのもある意味で健全ですが、
counter-warrantそのものの根拠を全く考えみないというのは、ディベートジャッジ
としては、問題ありますね。
 
それから、ある解釈の下で真であれば十分だという考え方は、十分な形でではないで
すが、上記のHynesの論文で既に示唆されてはいますし、直観的には多くの人が感じ
ていることではないかと思います。
 
 
III. Plan focusの内実
 
それでは、plan focusは、一体なぜ無害であったのか。それは、端的に、現在のディ
ベート理論の枠組みで、現在一般的な命題を正当化する場合に、実際に行われること
とplan focusがディベートのfocusとみなすこととが偶々一致していたからです。
 
上記のように、命題のある解釈を考える場合、その解釈は、必ずしも、planという具
体例を伴わなくても正当化できる場合もあります。しかし、大抵の場合ディベータが
考える解釈は、具体的なplanを使った方が説明しやすいものであり、且つ、現在のデ
ィベート理論は、policy makingというかなり限定された枠組みをとっているから、
大体の場合は、planを使うことになります。そうすると、plan focusと考えていて
も、実際上は困ることは余りないということになります。(しかし、常にそうとは限
らない。planで具体化されていない解釈をディベータが持ち出した場合、そういう何
も考えずにplan focusに安住しているジャッジは、狼狽して、誤った判断を下すこと
になります。)
 
Y.K
 
 

Date: Thu, 27 Nov 97 11:08:44 JST
Subject: [JDA :3408] RE:Re: plan focus
 
こんにちは。K.Sです。
 
Plan focus或いは、Resolution focusの歴史的背景その他に関して
は、Y.Kが丁寧に説明してくれたので、そちらに譲ります。
 
N.Mさんは、書きました。
> 以前、ディベート・フォーラムでY.Kさんが書いておられたと思いますが、
>肯定側がspecific policyではなく、movementとしてresolutionを支持するのならば
>否定側にcounterwarrantsを出す余地があるのではないでしょうか? この間、K.S
>さんが”意味のあるcounterwarrantsも今回あり得る”と仰っていたのはこういうこ
>とかな、と思いました。
 
このmovementというのは、早稲田理工のTさんの考えていた
philosophy of the resolutionという議論のことではないですか?
たしかJNDTかNAFATの決勝戦で、WRESSが実際に使用していたはずで
す。S.Nさんだったかな?
私の上記の発言は、movement(?)を前提にしていません。
 
私の基本的な立場は、私のJudging Philosophyに書いてあるように
The affirmative must justify the resolution.です。
どのように、resolutionをjustifyするかは、プロポのwordingによ
るのですが、現行のプロポはほとんど全て、肯定側の例示(ひとつ
のプランとそれから来るメリットの提示)で肯定されるような
wordingになっていますので、現行のdebate practiceで問題は生じ
ていないと思っています。(そういうwordingになっている、と書
きましたが、因みに私は、もう10年くらいJDAのプロポ委員で、実
際にプロポのwordingを作る側におります。つまり、実際には、
「そういうwordingにしている」のですけど。)
上で、N.Mさんが、私のメールを引いていましたが、私の言うのは
下のような意味です。
例えば、プロポが、All A should B.という場合に、肯定側は、そ
のwordingにしたがって、全てのAがBすべきである、ということを
証明しなければ、プロポを肯定したことにはなりません。逆に、こ
ういうプロポの下では、否定側がAn A should not B.とか、Some A 
should not B.とかいう例を示せば、肯定側が、これらを反証しな
い限りは、プロポが否定されてしまいます。つまり、Bすべきでな
いAもある、と証明することによって、「全てのAがBすべきである」
というプロポを否定したわけですね。形から言えば、否定側が独自
に提出した例(プラン)で、resolutionを否定しているので、今ま
でに行われてきたカウンター・ワラントと同じになります。この否
定側のresolutionの否定の仕方は、resolutionにallとかmostなど
の単語が入っているときに有効に機能します。また、普通の(?)
wordingのときには、機能しません。
今回のプロポでは、解釈によって否定側が、そういう戦略を取るこ
とが可能であるかもしれない、と書いたのです。おそらく駄目だと
思いますが。(^^)
 
 

Date: Thu, 27 Nov 97 12:39:05 JST
Subject: [JDA :3409] Re: plan focus
 
 NIEFも終わったので一週間ほど故郷に帰っていた,南山大学外国語学部英米科4年
の林 大輔と申す者です。
 
 
 これは私もフィロソフィーを作る時に悩みました。
 御大の方々はCounter Warrantを論じてますが,私は少し違う点で疑問があります。
 私の質問は簡単に言うと,以下の通りです。
  1.plan focusの定義は何か?
    plan focusのもとでのResolutionの役割は何か?
  2.Resolutional Policy Makerとは何か?
    それはいわゆるplan focusに基づくのか、Resolution focusなのか?
 
 
 では詳しいいきさつを。
 [JDA: 3401]で,東京大学のY.H君は言いました。
 
>resolution focusのjudgeは、なぜ少ないのでしょうか。
>debateのroundが始まるときには、resolutionしかないのに。
>また、debateを始めるときに、
>「肯定側の役割は、resolutionを肯定すること」
>と教えられるのに。
 
 若い頃の私は次のように考えました。
 確かにAffから「topical」なplanが出て,それが肯定されればAffの勝ち,さもなくば
Negの勝ちとなっていますが,Affのplanがいくら肯定されたからといって,そのAffの
planがResolutionの中に入っていなければAffは勝てません。結局はDebateはResolution
に帰結するのではないか?と考えました。これはY.Kさん他がおっしゃったとおりだと思
います。
 すると今度は,「plan focusって何だろう?」という疑問が出てきました。私は「plan
を中心にDecisionを下すということ」とだけ教えられていました。でも上に書いたとおり
,DebateはResolutionに帰結する=Debateの中心はあくまでResolutionのはず。仮に「
plan focus」と書いたら「planを中心にDecisionを下すということになり,Resolutionよ
りもplanの方を中心にすえているんだから,Resolutionにはすでにplanほど意味はないと
いうことにならないか?するとTopicalityにはImpactがなくなり,topical counter-plan
を認めるということにならないか?」ときわめて単純に考えました。
 
 ここで,「plan focusの人にとって、Roundの中でResolutionにはどんな重要性がある
んだろう?」と考えました。
 plan focusと自称している方々のフィロソフィーを見ると,「ResolutionはAffとNegの
領域を分けるGuideline」以外なく,そのGuidelineの役割も2通り以外ありませんでした
。
 
 1.Check機能:planがTopical AreaかNon-Topical Areaから出ているものかを
   checkする機能しかない
 2.相互不可侵:AffはTopical Area,NegはNon-Topical Area内のことしかできない
   という規則
 
 結局こう書いていても,あくまでDebateの中心はResolutionであり,Affのplanにはな
らないと考えました。
 「ならなぜplan focusと書いてあるんだ?」という疑問が残り,私はplan focusが一体
どういうものなのか,定義がわからなくなりました。
 
 当時こういう話を何人かの先輩にしてみたら,阪大のS.Mさんが,「うんうん,現に君
のいうような理由でtopical counter-planを取る人はいるよ」といわれました。さすがに
TにImpactがないという話は聞いたことがないと言われましたが・・・。
 
 当時はきわめて単純化して考えてました。今は多少柔軟にplan focusというものを考え
ることが出来ますが、いまだにplan focusの正確な定義とそれぞれのジャッジが使うplan 
focusのコンテクストがわからないので,安直に使うのを避けるべく,「−focus」という
言葉はフィロソフィーには使ってません。
 皆様、plan focusの定義は何ですか?その方たちはRoundでのResolutionの重要性をど
うとらえてますか?上記以外の扱いをしている方がいれば教えて下さい。
 
 
 それから,最近は見なくなりましたが、たまにこういう方がいました。
 「Resolutional Policy Makerです」。
 これも何となく言いたいことはわかるのですが,正確な定義を知りません。彼らのスタ
ンスでは普通に言われるところのPolicy Makerとはどう違うのでしょうか?あと、これは
俗にいうplan focusとResolution focusのどちらと言えるのでしょうか?
 
 
 北大のN.Mさん、帰省した際泊めて頂きありがとうございました。機関紙を送ってこら
れるのを楽しみにしてます。
 
 

Date: Thu, 27 Nov 97 14:10:09 JST
Subject: [JDA :3410] Re: plan focus
 
I.K@阪大です.
 
 
>  1.plan focusの定義は何か?
>    plan focusのもとでのResolutionの役割は何か?
>  2.Resolutional Policy Makerとは何か?
>    それはいわゆるplan focusに基づくのか、Resolution focusなのか?
 
 
結局 plan focusとresolutional policy makerの定義は,
Y.Kさんがおっしゃっているように,
 
a) 帰納的推論=resolutional policy maker
b) ある解釈下での真=plan focus
 
ということではないでしょうか?
 
>ディベートの命題についてこのように考えると、ある解釈の下でその命題が正当化さ
>れれば十分であるということになります。(この解釈というのは、必ずしもプランを
>意味しませんが。)従って、counter-warrantというのは、全くお門違いな議論であ
>るということが分かります。それは、ディベート命題が論理的真理ではないというこ
>とを示すだけです。しかし、そもそも誰もそんなことを示そうとはしていないでしょ
>う(もし、命題の論理的真理性が示されなければならないのなら、counter-warrant
>を出すまでもなく、通常の仕方では命題は正当化されていないことになります。)
>
>
>ディベート命題が帰納的推論により正当化されているというcounter-warrantの前提
>はそもそも誤りです。ディベート命題の正当化は、むしろ、上記の「解釈の下での
>真」という考え方に基づいていると考えるべきでしょう(これだと問題なく、一つの
>解釈での真理により命題が正当化される。帰納的推論を使うというのは、そもそも無
>理があります。)
 
 
 
ここで 
少しわからないのですが, 「一つの解釈の下での真理」というのは
例えば 前期の 「現状の死刑を廃止する」との解釈のもとでの
絞首刑の廃止planに対して,counter warrantで死刑制度そのものを
廃止するというplanを出した場合を考えます.
両者は包含関係にあって, もちろん死刑制度そのものの廃止が
絞首刑の廃止を包むかたちになっています.
絞首刑のplanが肯定されたとして, はたして これは「ある解釈の
下でのその命題が正当化された状態」を示すのでしょうか?
 
 
よくわからないので教えて下さい.
 
 
I.K 出(Izuru de KOJIMA)
 

Date: Thu, 27 Nov 97 14:39:09 JST
Subject: [JDA :3411] Re: plan focus
 
JDA-mlの皆様
 
こんにちは。N.M@北大、です。現在仕事中ですが、気になったのでメール
します。Y.Kさん、K.Sさん私の誤りを御指摘下さいまして有難うございました。
 
 > むしろ、これに対して、単純にresolutional focus -> c.w. legitimateという旧態
 > 依然とした、しかも誤っている、図式を頂き、plan focusに与する人々の方がずっと
 > 問題があります(なーんも考えてないという点で)。
 > 
 > 一方で、かつてhypothesis-testingが一部で横行した時代と違って、resolutional 
 > focusの人は非常に健全になったと思います。N.Mさんの理解は非常にまともだと思
 > います。(typicalityの概念を除く)。
 
 実は、私が後輩にhypothesis-testingがjudging theoryとしてふさわしくないという
指導をしてきたため”ハイポ集団”北大からハイポは消えましたが、その代わりに、
何も考えていないplan focusが増えてきました。
 
> ディベート命題が帰納的推論により正当化されているというcounter-warrantの前提
 > はそもそも誤りです。ディベート命題の正当化は、むしろ、上記の「解釈の下での
 > 真」という考え方に基づいていると考えるべきでしょう(これだと問題なく、一つの
 > 解釈での真理により命題が正当化される。帰納的推論を使うというのは、そもそも無
 > 理があります。)
 
 私は帰納的モデルを信じていました。でも、上の文章で間違い、というかディベート
理論としては不適切であるということがよくわかりました(”受け身論争”の頃は
理解できませんでした)。
 
 > (N.Mさん)
 > > 以前、ディベート・フォーラムでY.Kさんが書いておられたと思いますが、
 > >肯定側がspecific policyではなく、movementとしてresolutionを支持するのなら
 > >ば否定側にcounterwarrantsを出す余地があるのではないでしょうか? この間、
 > >K.Sさんが”意味のあるcounterwarrantsも今回あり得る”と仰っていたのはこう
 > >いうことかな、と思いました。
 > 
 > そんなことは書いた覚えはないのですが(^^;)。伊豆田さんじゃないですか。
 > counter-warrantを出す余地は、どんな場合でもないと思います。上記のように、そ
 > れはお門違いか、無駄かどちらかです。
 
 すいません。家に帰って、確認したのですが、あくまで「肯定側が個別的なplanの
提出を伴わなくとも命題の正当性を論じることはでき得る」としか言っていませんで
した。ここで、一応確認したいのですが、counterwarrantsというのは、”肯定側が
示した条件と違った条件を否定側が示した上で、その条件において命題が否定される
ことを示す議論”という理解でいいですか? もし肯定側が一般的傾向を論じること
で肯定し、それに対し、否定側が同じく一般的傾向を論じることで否定するのは
counterwarrantsとは違うと考えていいですか?
 
 > III. Plan focusの内実
 > 
 > それでは、plan focusは、一体なぜ無害であったのか。それは、端的に、現在のディ
 > ベート理論の枠組みで、現在一般的な命題を正当化する場合に、実際に行われること
 > とplan focusがディベートのfocusとみなすこととが偶々一致していたからです。
 
 以前から不思議に思っていたのですが、counterplanのredundancyを認めないという
スタンスはplan focusに固執することから来ているように思うのですがどうでしょう
か?(勿論、countergoal-counterplanはmutually-exclusiveではなくてはならない
と思いますが) 
 

Date: Thu, 27 Nov 97 15:18:04 JST
Subject: [JDA :3413] Re: plan focus
 
JDA-mlの皆様
 
再び登場のN.Mです。林君、お久しぶり。例の件、もうちょっと待っててね。
 
<9711270510.AA08957@kitano.csl.sony.co.jp>の記事において
JST時間1997年11月27日(木)14時10分09秒頃、izuru@esstop.ess.sci.osaka-u.ac.jp
さんは書きました。
 
> 少しわからないのですが, 「一つの解釈の下での真理」というのは
 > 例えば 前期の 「現状の死刑を廃止する」との解釈のもとでの
 > 絞首刑の廃止planに対して,counter warrantで死刑制度そのものを
 > 廃止するというplanを出した場合を考えます.
 > 両者は包含関係にあって, もちろん死刑制度そのものの廃止が
 > 絞首刑の廃止を包むかたちになっています.
 > 絞首刑のplanが肯定されたとして, はたして これは「ある解釈の
 > 下でのその命題が正当化された状態」を示すのでしょうか?
 
 そのcounterwarrantsが、絞首刑をなくすことから望ましくない状況が生
まれていればいいのかも知れませんが、これはDAとして議論すべきだと思
います。絞首刑をなくすだけでは起こらない状況については肯定側の示し
た条件とは異なるのでとる余地はないのだと思います。
 
 
 
 

Date: Fri, 28 Nov 97 07:10:26 JST
Subject: [JDA :3420] theory/practice (plan focus, etc.)
 
当たり前のことかもしれないですけど、ディベート(のプレパレーション)はまず論
題(命題)のワーディングというか文法的構造をきちんと捉えるところから始めるべ
きだと思います。そしてその上で「この論題をjustifyするためにはどーゆことをす
ればよいのか」といったことを考えるようにすればよいのではないでしょうか。「ポ
リシーディベートだからストック・イシューを論じなければならない」とか「政策論
題だからプランを出さないといけない」といった形ではなく、K.S君が書いていたように
 
「どのようにresolutionをjustifyするかは、あるいはどーいった議論をイシューと
して論じるべきかは、<あくまでもプロポのwordingによる>」
 
のだと思います。
 
カウンターワラントにしてもカウンタープランにしても単に「既存の理論」を「ドグ
マ」として演繹的にapplyするのでなく、「論題のワーディングをちゃんと分析した
結果として出てきた否定側がロジカルにとり得るポジション」みたいな感じで考える
とよいのではないでしょうか。つまり、「理論」ではなく「論題(の分析)」を演繹
的な出発点と捉えたほうが、(ラウンド中の)「セオリー・ディベート」も建設的か
つ実践的になるのでは?
 
もちろん「既存の理論」が上に書いたようなことを考える・論じる際の「ガイド」と
なることは確かだと思いますけど。
 
S.A
 

Date: Fri, 28 Nov 97 09:55:05 JST
Subject: [JDA :3421] Re: plan focus
 
一夜明けると多くの関連responsesが出てきて少々驚きました。(今日当地は
Thanksgiving Dayです。)
 
まとめてコメントします。
 
I. Plan-focus, 'resolutional policy maker', topical counterplan
 
>結局 plan focusとresolutional policy makerの定義は,
>Y.Kさんがおっしゃっているように,
>a) 帰納的推論=resolutional policy maker
>b) ある解釈下での真=plan focus
>ということではないでしょうか?
 
ちょっと違います。
ここで又、歴史的な話をせざるを得ないのですが、plan-focusという概念は、
resolutional-focusの対概念として、前回書いたアメリカでのcounter-warrantを巡
る議論で登場したもので、
「1. ディベートでは、実質上肯定側が出したプランの是非が議論全体の帰趨を決す
る(一回のゲームの勝敗を決する)ものであり、
2. 命題は、プランの条件を規定するだけである。」という考えです。
この考えがディベートを規定する要素(命題、手続き的規則)からは導き出し難いこ
とは明白で(命題は、文言上プランの条件を規定するものとはなっていない)、これ
は維持し難いものに過ぎません。前回も触れたように、これは単にプラグマティック
な観点でのみ支持されているものです。この考えには、a), b)いずれも該当しません
(plan-focusは、主客転倒した立場です)。a), b)いずれも、resolutional focusを前
提しています。
この立場は、counter-warrantに対する直観的反発から出た非常に素朴な議論であ
り、さすがにこれだけではまずいと思われたのか、2.を補強する次のような議論もな
されました(これはpolicy making paradigmの登場でそれ以前から言われていたこと
でもあるが)。
「2'. 肯定側は命題を操作的に定義し(operationally define)、その場合肯定側は命
題と矛盾しない政策例の一つを選び出す。」
 
ところが、1.を前提とし、そして、2'を一定の仕方で解釈して、肯定側が選んだplan
と命題とはequivalentであるとすると、topical counterplanという概念が出てきま
す。実際、真面目にtopical counterplanの正当性を論じた人も(アメリカに)いた
ようです。しかし、plan focusを支持した、健全な常識人たちにはこれは受け入れ難
いようで、彼等はしばしば2'のポイントは2にあって、様々なプランは、命題により
分類されるのであるから、topical counterplanは正当でないと論じました。
その流れの一つと考えてよいのが、resolutional policy-makerという概念で、これ
は(私の知る限りでは)日本製の概念です。多分これは、counter-warrantについて
の諸論争や、policy-making, hypothesis-testing paradigmsのproponentsたちの諸
議論を後からまとめてみる機会に恵まれた日本のジャッジたちが考え出した折衷的立
場だと思います。誰が言い出したのかは忘れましたが、伊豆田さんあたりではないか
と思います。やがて、結構日本では広まったような気がします。具体的にこれがどう
いうものであるかは、結構曖昧なままに留まったような気がします。ポイントとして
は、counter-warrantとtopical counterplanとを両方排除できるように、ディベート
では命題を正当化しなければならないが、それにはその一つの解釈としてのプランを
通してでなければならない、ということを天下り的に規定したものであったのではな
いかと思います。これは外延的には「resolutional focus & 解釈の下での真」の考
えと一致しますが、命題がfocusであるかどうか、一つの解釈でなぜよいか、等々の
諸論点について余りすっきりとした説明を与えていなかったように思います。
 
(言うまでもないですが、topical counterplanは、'resolutional focus & 解釈の
下での真'の立場では、明らかにunacceptableです。)
 
 
II. Interpretation and Counterwarrants
 
>少しわからないのですが, 「一つの解釈の下での真理」というのは
>例えば 前期の 「現状の死刑を廃止する」との解釈のもとでの
>絞首刑の廃止planに対して,counter warrantで死刑制度そのものを
>廃止するというplanを出した場合を考えます.
>両者は包含関係にあって, もちろん死刑制度そのものの廃止が
>絞首刑の廃止を包むかたちになっています.
>絞首刑のplanが肯定されたとして, はたして これは「ある解釈の
>下でのその命題が正当化された状態」を示すのでしょうか?
 
示します。それぞれの解釈は独立と考えます。
確かに、貴方の気持ちは分かります。まさにそれこそがcounterwarrantという(及び
resolutional DA等の同工異曲の)考え方の動機となったものだと思います。しかし
これはちょっとした混乱に基づいています。
 
上記で問題となっているのは、解釈で命題のそれぞれの項に割り当てられる対象の間
の関係で、これは解釈とは独立ですから、本来は、別の解釈を持ち出さなくても論じ
られるはずです。ところがそうではないのは、relevantだと思われている包含関係が
実はrelevantではないからです。
上記の場合、死刑と絞首刑との間の包含関係があるからと言って、
¬D「死刑制度の廃止」->¬D「絞首刑の廃止」
(D「P」は、Pが望ましい。¬は否定)
とはならないからです。これが言えるには、対偶の
D「絞首刑の廃止」->D「死刑制度の廃止」
が言える必要がありますが、これは包含関係からは導き出せません。
ですから、おっしゃっている要素は、counterwarrantという形でとりこむべきもので
もありません。
 
(「死刑の廃止」を絞首刑の廃止として解釈する場合には、死刑を存続させ絞首刑を
廃止するということが「死刑の廃止」が含意することだということを考慮すれば、解
釈の独立性は直観的に納得しやすいでしょう。)
 
 
>例えば、プロポが、All A should B.という場合に、肯定側は、そ
>のwordingにしたがって、全てのAがBすべきである、ということを
>証明しなければ、プロポを肯定したことにはなりません。逆に、こ
>ういうプロポの下では、否定側がAn A should not B.とか、Some A 
>should not B.とかいう例を示せば、肯定側が、これらを反証しな
>い限りは、プロポが否定されてしまいます。つまり、Bすべきでな
>いAもある、と証明することによって、「全てのAがBすべきである」
>というプロポを否定したわけですね。形から言えば、否定側が独自
>に提出した例(プラン)で、resolutionを否定しているので、今ま
>でに行われてきたカウンター・ワラントと同じになります。この否
>定側のresolutionの否定の仕方は、resolutionにallとかmostなど
>の単語が入っているときに有効に機能します。また、普通の(?)
>wordingのときには、機能しません。
>
 
ちょっとこれは注意書きが必要ですね。
このような議論は、解釈は同じなので、counter-warrantではないということを強調
した方がいいと思います。
さらに、形の上でも、そういう議論は、別に新たなプランを出さずに行われると思い
ます。
ディベートでは主語が量化されるということはないので(日本政府とかだから)、一
般に述語に含まれる対象が量化される場合しかないと思いますので、"J should do 
P with regard to all x."という例で考えます。ここでの反例としては、"J should 
not necessarily do P with regard to a."というものがあると思いますが、この場
合planをaに適用したらまずいという訳で、且つplanはaに適用されるはずになってい
ますから、単にDAとして論じられるのではないでしょうか。
 
>した。ここで、一応確認したいのですが、counterwarrantsというのは、”肯定側
>が示した条件と違った条件を否定側が示した上で、その条件において命題が否定され
>ることを示す議論”という理解でいいですか? もし肯定側が一般的傾向を論じること
>で肯定し、それに対し、否定側が同じく一般的傾向を論じることで否定するの
>counterwarrantsとは違うと考えていいですか?
 
両方ともそれでいいと思います。
 
 
> 以前から不思議に思っていたのですが、counterplanのredundancyを認めないとい
>うスタンスはplan focusに固執することから来ているように思うのですがどうでしょ
>うか?(勿論、countergoal-counterplanはmutually-exclusiveではなくてはな
>らないと思いますが) 
 
それは又別ではないでしょうか。plan focusでも、redundancyを認めることはできる
と思います。別のplanで同じ利益が得られれば、そのplanをとる必要はない、と議論
することは可能でしょうから。これは、counterplanの役割についての見方の問題だ
と思いますが。
 
Y.K
 

Date: Sat, 29 Nov 97 13:00:16 JST
Subject: [JDA :3426] PLAN,RES FOCUS
 
こんにちわ&初めまして。京都大学94年チーフのM.D(どい)と申す者です。私も、
以前からRES.と試合の勝敗との関係に興味があり、ここ何日間かのメール上のやりと
りを興味深く拝見させていただいておりました。特に、カウンターワラント(C-W)の
是非に関する部分は、大変面白く、Y.Kさんの書かれた、PLAN FOCUS VS RES. FOCUS
の記事は、大変勉強になりました。その記事の中での以下の部分に少し質問がござい
ますので、Y.Kさんに御回答願いたいと思います。
 
Y.Kさん
> はっきり言って、counter-warrantは、全く根拠のない概念です。それは、ディベー
> ト命題が帰納的に正当化されるという誤った前提にのみ基づくものです。
> ディベート命題が帰納的推論により正当化されているというcounter-warrantの前提
> はそもそも誤りです。ディベート命題の正当化は、むしろ、上記の「解釈の下での
> 真」という考え方に基づいていると考えるべきでしょう(これだと問題なく、一つの
> 解釈での真理により命題が正当化される。帰納的推論を使うというのは、そもそも無
> 理があります。)
 
私は、ディベートにおいて、*AFFが勝利するとき=RESが正当化されたとき、NEGが勝
利するとき=RESが非正当化されたとき*であると考えております。Y.Kさんが上で書
かれた、*一つの 解釈での真理により命題が正当化される*と言う部分なのですが、
確かに*RESの正当化*と言う観点から見ますとその通りだと思うのですが、*RESの非
正当化*と言う観点から見ますと*一つの解釈での偽により命題が非正当化される*(
これも*解釈の下での真*に従うものであると思うのですが)と言うことにもなるよう
な気がします。つまり、Y.Kさんは、*C-Wは、ディベート命題が帰納的に正当化され
るという誤った前提にのみ基づくものです。*とおっしゃっておられますが、帰納的
推論を離れたとしてもC-Wの概念は残るような気がすると言うことです。
 
ちなみに私は、フィロソフィーのINITIAL STANCEにおいてRES FOCUS(PM)をとってお
り、C-Wも勝敗の考慮に入れることとしております。勉強不足な私ですが、上記に対
する御回答、御意見をお待ちしております。
 
また、話題が変わりますが、近日のメールで、南山大学の林君のメールだったと記憶
していますが、*TOPのIMPACT*の有無に関するものがありましたが、この場合の*
IMPACT*とはどういう意味なんでしょうか?おそらく、いわゆる*TOPのPUNISHMENT*の
事だと推測するのですが、実は、私はこのPUNISHMENTの考え方を、どうも飲み込むこ
とはできません。大会規則で*AFFの提出するPOLICYは、RESの中のものでないといけ
ない*と明記されているのなら理解できますが、おそらくそのような記載はないので
はないでしょうか(あれば教えて下さい)。だとすると、AFFがNON-RESなPOLICYを提
出したところでAFF自身が不利になるだけ(NON-RES AREAを正当化する=RES AREA を
非正当化する助けになるため)であって、PUNISHする必要がない気がするのです。今
、日本でちょうど旬なサッカーに例えると、*相手のゴールにボールを入れないとい
けない*とルールの明記されていなければ、別に自分のゴールにボールを蹴り込んで
も(自殺点を入れる)自分のチームの戦況が不利になるだけであって、PUNISHされて
負けることはないはずです。私には、その考え方の方がしっくりと来るので、私のフ
ィロソフィーには、*TOPは、NEGのINDEPENDENT VOTING ISSUEではない*と書いてあり
ます。RES FOCUSの話とは別の話題になり、話を煩雑にする恐れがありますが、この*
TOPのPUNISHMENT*に関しても多くの方々の御意見をお聞かせ願いたいと思います。
 
 
M.D 誠(京都大学94年度チーフ)
 
 
 

Date: Sat, 29 Nov 97 16:21:59 JST
Subject: [JDA :3427] Re: PLAN,RES FOCUS
 
On Fri, Nov 28, 1997 11:00 PM, M.D 誠 
>Y.Kさん> はっきり言って、counter-warrantは、全く根拠のない概念です。それは
>、ディベー
>> ト命題が帰納的に正当化されるという誤った前提にのみ基づくものです。
>>
>> ディベート命題が帰納的推論により正当化されているというcounter-warrantの前
提
>> はそもそも誤りです。ディベート命題の正当化は、むしろ、上記の「解釈の下で
の
>> 真」という考え方に基づいていると考えるべきでしょう(これだと問題なく、一
つの
>> 解釈での真理により命題が正当化される。帰納的推論を使うというのは、そもそ
も無
>> 理があります。)
>
>私は、ディベートにおいて、*AFFが勝利するとき=RESが正当化されたとき、NEGが勝
>利するとき=RESが非正当化されたとき*であると考えております。Y.Kさんが上で書
>かれた、*一つの 解釈での真理により命題が正当化される*と言う部分なのですが、
>確かに*RESの正当化*と言う観点から見ますとその通りだと思うのですが、*RESの非
>正当化*と言う観点から見ますと*一つの解釈での偽により命題が非正当化される*(
>これも*解釈の下での真*に従うものであると思うのですが)と言うことにもなるよ
う
>な気がします。つまり、Y.Kさんは、*C-Wは、ディベート命題が帰納的に正当化さ
れ
>るという誤った前提にのみ基づくものです。*とおっしゃっておられますが、帰納的
>推論を離れたとしてもC-Wの概念は残るような気がすると言うことです。
>
 
それでは貴方に問いますが、命題が偽であることとはどういうことですか。二値論理
をとる限り、命題が偽であるとは、それが真でないことだと定義されると思います。
真でない場合は全て偽です。
そうすると、「一つの解釈の下で真であればよい」というのは、言い替えると、「他
は全て偽でも、一つの解釈の下で真であればよい」ということです。
一つの解釈の下での偽により命題が非正当化されるとすることは、言い替えると、命
題が正当化されるのは、あらゆる解釈の下で真である場合のみであるとすることにな
ります。
 
FTF...F = ある解釈の下で真 = 命題は真 <->「命題は真」でない=命題は偽=全ての
解釈の下で偽=FFF..F
 
TFT...T= ある解釈の下で偽 = 命題は偽 <->「命題は偽」でない=命題は真=全ての解
釈の下で真=TTT..T
 
二値論理を前提にする限り、C-Wは出てきません。
 
ひょっとして、貴方は、通常の否定の概念に加えて、強い否定というものを持ち込
み、三値又は四値で考えようとなさっているのでしょうか。しかし、そうすると、非
常に錯綜としてきます。先ず、強い否定により偽となる解釈と真となる解釈ががある
場合にどうするかという問題があります。さらに、ある解釈の下で真ということが証
明されなかった場合とある解釈の下で偽ということが証明されなかった場合をそれぞ
れどう扱うか、という問題もあります。
ディベートでは引き分けがなく、最終的に二値で判断が出されます。この慣行からし
て、二値論理をとって上記のように考えるのがよいかと思います。
 
 
>ちなみに私は、フィロソフィーのINITIAL STANCEにおいてRES FOCUS(PM)をとって
>お
>り、C-Wも勝敗の考慮に入れることとしております。勉強不足な私ですが、上記に対
>する御回答、御意見をお待ちしております。
 
そうすると、affのケースとnegのc-wとが出て、両方とも相手から反論されない場合
はどうなさるのですか。よくここで両方のimpactを比べるとかいうことを言う人がい
ますが、それは全く意味をなさないことです。問題は、(強い)真となる解釈と強い
偽となる解釈があるときに、どうするかということです。
 
 
 
>また、話題が変わりますが、近日のメールで、南山大学の林君のメールだったと記
憶
>していますが、*TOPのIMPACT*の有無に関するものがありましたが、この場合の*
>IMPACT*とはどういう意味なんでしょうか?おそらく、いわゆる*TOPの
>PUNISHMENT*の
>事だと推測するのですが、実は、私はこのPUNISHMENTの考え方を、どうも飲み込む
こ
>とはできません。大会規則で*AFFの提出するPOLICYは、RESの中のものでないといけ
>ない*と明記されているのなら理解できますが、おそらくそのような記載はないので
>はないでしょうか(あれば教えて下さい)。だとすると、AFFがNON-RESなPOLICYを
>提
>出したところでAFF自身が不利になるだけ(NON-RES AREAを正当化する=RES AREA
>を
>非正当化する助けになるため)であって、PUNISHする必要がない気がするのです。
今
>、日本でちょうど旬なサッカーに例えると、*相手のゴールにボールを入れないとい
>けない*とルールの明記されていなければ、別に自分のゴールにボールを蹴り込んで
>も(自殺点を入れる)自分のチームの戦況が不利になるだけであって、PUNISHされて
>負けることはないはずです。私には、その考え方の方がしっくりと来るので、私の
フ
>ィロソフィーには、*TOPは、NEGのINDEPENDENT VOTING ISSUEではない*と書いて
>あり
>ます。RES FOCUSの話とは別の話題になり、話を煩雑にする恐れがありますが、この
*
>TOPのPUNISHMENT*に関しても多くの方々の御意見をお聞かせ願いたいと思います。
 
普通そういうのは、punishmentとは言わないと思いますが(^^;)。
Affがnon-topicalなplanを出すとすると、affは命題について語っていないのですか
ら、どうやって、命題を正当化できるのでしょうか?
topicalityがvoterであるのは、別にpunishmentとしてではなく、単なるこういう論
理的な帰結です(non-topical planは、命題を正当化しない−ここでも、正当化でき
ない=「非正当化される」という二値論理が働いています)。
 
サッカーでも、自殺点<しか>入れていないなら、相手から点を入れられなくても、
負ける訳でしょう。
 
Y.K
 

Date: Mon, 1 Dec 97 11:41:05 JST
Subject: [JDA :3432] Re: PLAN,RES FOCUS
 
京都大学のM.Dです。Y.Kさん、御回答大変有り難うございました。
 
> M.D>私は、ディベートにおいて、*AFFが勝利するとき=RESが正当化されたとき、NEGが
>勝
> >利するとき=RESが非正当化されたとき*であると考えております。Y.Kさんが上で書
> >かれた、*一つの 解釈での真理により命題が正当化される*と言う部分なのですが、
> >確かに*RESの正当化*と言う観点から見ますとその通りだと思うのですが、*RESの非
> >正当化*と言う観点から見ますと*一つの解釈での偽により命題が非正当化される*(
> >これも*解釈の下での真*に従うものであると思うのですが)と言うことにもなるよ
> う
> >な気がします。つまり、Y.Kさんは、*C-Wは、ディベート命題が帰納的に正当化さ
> れ
> >るという誤った前提にのみ基づくものです。*とおっしゃっておられますが、帰納的
> >推論を離れたとしてもC-Wの概念は残るような気がすると言うことです。
> >
>
Y.Kさん> それでは貴方に問いますが、命題が偽であることとはどういうことですか
。二値論理
> をとる限り、命題が偽であるとは、それが真でないことだと定義されると思います。
> 真でない場合は全て偽です。
 
 
まず、少し説明を加えさせていただきますと、私は、ディベートにおいてある命題の
真偽を検討する際、必ずその命題(RES)と異なる排反な命題(以下COUNTER-RESとしま
す)を想定し、その両者の間での比較を行うことにより、RESの真偽を考察することと
しております(そうしないと真偽の決定が不可能になると私は考えております)。私
の言うCOUNTER-RESとは、具体的には、RESの*SHOULD*を*SHOULD NOT*に変えたもので
す。RESが偽であるという事は、Y.KさんのおっしゃられるようにRESが真ではないと
いう定義になると思います。そして、少なくともそのひとつの場合に、COUNTER-RES
が真であると言う場合が存在すると考えております。そういう意味で先に、*一つの
解釈での偽により命題が非正当化される(これも*解釈の下での真*に従うものである
と思うのですが)*と書かせていただきました。要するに、COUNTER-RESの中に
RESOLUTIONAL ACTIONに比べBENEFITIALな(PMの場合)ACTIONが一つでも存在すれば*
解釈の下での真*の考え方に従うと、COUNTER-RESが真である、つまりRESが偽になる
と私は考えていると言うことです。この場合は、NEGはC-Wを提出しINHERENCYの部分
でRESOLUTIONAL ACTIONを示し、SOLVENCYの部分でCOUNTER-RESOLUTIONAL ACTIONを示
すことでRESは偽になってしまうことになるのではないかと考え、また、更にこの場
合に別の種類のACTIONについては、RESが真になったとすると、AFF, NEGどちらの勝
ちになるのか分からなくなるのではないかという疑問がわいてきた為に前回御質問さ
せていただいたわけです。
 
> そうすると、「一つの解釈の下で真であればよい」というのは、言い替えると、「他
> は全て偽でも、一つの解釈の下で真であればよい」ということです。
> 一つの解釈の下での偽により命題が非正当化されるとすることは、言い替えると、命
> 題が正当化されるのは、あらゆる解釈の下で真である場合のみであるとすることにな
> ります。
>
> FTF...F = ある解釈の下で真 = 命題は真 <->「命題は真」でない=命題は偽=全ての
> 解釈の下で偽=FFF..F
>
> TFT...T= ある解釈の下で偽 = 命題は偽 <->「命題は偽」でない=命題は真=全ての解
> 釈の下で真=TTT..T
>
おっしゃられるとおりであると思います。上で示しましたように、私は、この考えを
RESだけではなくCOUNTER-RESにも当てはめられるのではないかと考えていると言うこ
とです。
 
>
> ひょっとして、貴方は、通常の否定の概念に加えて、強い否定というものを持ち込
> み、三値又は四値で考えようとなさっているのでしょうか。しかし、そうすると、非
> 常に錯綜としてきます。先ず、強い否定により偽となる解釈と真となる解釈ががある
> 場合にどうするかという問題があります。さらに、ある解釈の下で真ということが証
> 明されなかった場合とある解釈の下で偽ということが証明されなかった場合をそれぞ
> れどう扱うか、という問題もあります。
> ディベートでは引き分けがなく、最終的に二値で判断が出されます。この慣行からし
> て、二値論理をとって上記のように考えるのがよいかと思います。
>
>
> M.D>ちなみに私は、フィロソフィーのINITIAL STANCEにおいてRES FOCUS(PM)をとって
> >おり、
> そうすると、affのケースとnegのc-wとが出て、両方とも相手から反論されない場合
> はどうなさるのですか。よくここで両方のimpactを比べるとかいうことを言う人がい
> ますが、それは全く意味をなさないことです。問題は、(強い)真となる解釈と強い
> 偽となる解釈があるときに、どうするかということです。
 
私には、これまでY.Kさんのおっしゃられる*解釈の下での真理*と言う考え方がなか
ったため、これまでは、Y.Kさんに無意味であるとご指摘されました方法(AFFのCASE
とNEGのCASEの比較)によりDECISIONを下してきました。これからは、正直言います
と、どうするのか分からなくなっております。
 
お忙しいところ申し訳ございませんが、御指摘・御意見をおまちしております。
 
 
 
 
 

Date: Mon, 1 Dec 97 12:12:45 JST
Subject: [JDA :3433] NAFAT WEST

Date: Mon, 1 Dec 97 13:07:09 JST
Subject: [JDA :3434] Re: PLAN,RES FOCUS
 
京都大学のM.D様
 
Y.Kさんとのやりとりに第三者が横槍を入れるようで大変恐縮ですが・・・
 
>まず、少し説明を加えさせていただきますと、私は、ディベートにおいてある命題の
>真偽を検討する際、必ずその命題(RES)と異なる排反な命題(以下COUNTER-RESとしま
>す)を想定し、その両者の間での比較を行うことにより、RESの真偽を考察することと
>しております(そうしないと真偽の決定が不可能になると私は考えております)。
 
1)このCOUNTER-RESというのはいったいどこからくるのでしょうか?
2)なぜCOUNTER-RESがないと「(RESの)真偽の決定が不可能になる」のでしょうか?
 
私
>の言うCOUNTERRESとは、具体的には、RESの*SHOULD*を*SHOULD NOT*に変えたもので
>す。RESが偽であるという事は、Y.KさんのおっしゃられるようにRESが真ではないと
>いう定義になると思います。そして、少なくともそのひとつの場合に、COUNTER-RES
>が真であると言う場合が存在すると考えております。
 
1)*SHOULD NOT*という意外にも否定側が勝つ(命題が正当化されない)可能性はな
いのでしょうか?たとえば、「肯定側が単にshouldを正当化できなかった」場合とか
はどうなんでしょう。「<肯定側に投票できないから>否定側に投票した」といった
形のディシジョンもあり得るのではないかと思うのですが。
2)否定側はこのSHOULD NOTを「<積極的>に証明する義務=<いわゆる>burden o
f proof」を負っているのでしょうか?burden of rejoinderみたいな考え方ではだめ
なのでしょうか?
 
よろしくお願いします。
 
 

Date: Mon, 1 Dec 97 15:35:59 JST
Subject: [JDA :3436] Re: PLAN,RES FOCUS
 
On Sun, Nov 30, 1997 9:41 PM, M.D 誠 
 wrote:
>まず、少し説明を加えさせていただきますと、私は、ディベートにおいてある命題
の
>真偽を検討する際、必ずその命題(RES)と異なる排反な命題(以下COUNTER-RESとしま
>す)を想定し、その両者の間での比較を行うことにより、RESの真偽を考察すること
と
>しております(そうしないと真偽の決定が不可能になると私は考えております)。
私
>の言うCOUNTER-RESとは、具体的には、RESの*SHOULD*を*SHOULD NOT*に変え
>たもので
>す。RESが偽であるという事は、Y.KさんのおっしゃられるようにRESが真ではない
と
>いう定義になると思います。そして、少なくともそのひとつの場合に、COUNTER-RES
>が真であると言う場合が存在すると考えております。そういう意味で先に、*一つの
 
「排反な命題(具体的には、RESの*SHOULD*を*SHOULD NOT*に変えたもの)」という
のは、まさに私が強い否定と書いたものによる概念であって、これを考えるならば、
「偽である」を「真でない」として定義しているのではなくなるはずです。
ということは貴方は、「偽」を二重に定義して、強い否定による偽(「背反な命題」
が真である)と弱い否定による偽(命題が真でない)とを設定しているのです。ここ
から混乱が生じているのだと思います。ちなみになぜこのずれが生じるかというと、
resの通常の否定は(真でない場合)、shouldをshould notに置き換えた命題ではな
いからです(Propositionが、Pとしたら、その否定は、"It is not the case that 
P."です。)。
 
 
>解釈での偽により命題が非正当化される(これも*解釈の下での真*に従うものであ
る
>と思うのですが)*と書かせていただきました。要するに、COUNTER-RESの中に
>RESOLUTIONAL ACTIONに比べBENEFITIALな(PMの場合)ACTIONが一つでも存在す
>れば*
>解釈の下での真*の考え方に従うと、COUNTER-RESが真である、つまりRESが偽になる
>と私は考えていると言うことです。この場合は、NEGはC-Wを提出しINHERENCYの部分
 
counter-resが真であれば、ある解釈の下で命題は偽となるのは当然です。しかし、
このことは、その命題がある別の解釈の下で真となることを全然妨げないのです。
(逆もまた然りです。)
つまり、我々は、命題が真となる解釈が見つかるかどうか、これだけを求めているの
であり、偽となる解釈が他にあってもそれは関係ないのです。
 
 
>> そうすると、「一つの解釈の下で真であればよい」というのは、言い替えると、
「他
>> は全て偽でも、一つの解釈の下で真であればよい」ということです。
>> 一つの解釈の下での偽により命題が非正当化されるとすることは、言い替える
と、命
>> 題が正当化されるのは、あらゆる解釈の下で真である場合のみであるとすること
にな
>> ります。
>>
>> FTF...F = ある解釈の下で真 = 命題は真 <->「命題は真」でない=命題は偽=全て
の
>> 解釈の下で偽=FFF..F
>>
>> TFT...T= ある解釈の下で偽 = 命題は偽 <->「命題は偽」でない=命題は真=全て
の解
>> 釈の下で真=TTT..T
>>
>おっしゃられるとおりであると思います。上で示しましたように、私は、この考え
を
>RESだけではなくCOUNTER-RESにも当てはめられるのではないかと考えていると言う
こ
>とです。
>
 
counter-resには、その考えは当てはめる訳にはいきません。そんなことをしたらど
ういう含意があるかは、貴方が引用なさった部分(の一番最後)で説明してありま
す。
 
 
どうもいま一つ誤解があるようなので、はっきりさせると、命題の解釈により、命題
には真理値が対応します(真か偽、1か0、etc.)。真理値は、それぞれの解釈に独立
に対応するのであり、真理値の違う二つの解釈を比べてもそれぞれの真理値の付与に
とっては何の意味もありません。
 
真理値の諸解釈での分布には、三種類あります。
 
全ての解釈で真
全ての解釈で偽
真となる解釈も偽となる解釈もある
 
最初の場合、命題は論理的に真であり、二番目の場合論理的に偽です。
ディベートでは、命題が単に真であればよいので、二番目以外かどうかを見る訳で
す。
つまり少なくとも一つ真である解釈があればよく、その時、最初の場合でなければ、
当然他に偽となる解釈はあるわけです。
 
 
他に偽となる解釈があると喚いても、何も得られません。それをrelevantにするに
は、ある解釈の下で真となる以上のことが示される必要があると示さなければなりま
せん。
そこを何とかこじつけようとして、命題のそれぞれの解釈を、元の命題とは独立した
命題群であるかのようなすり替えをして、帰納的推論の類推を適用した、
counter-warrantが出てきたのです。
 
 
Y.K
 

Date: Mon, 1 Dec 97 20:22:37 JST
Reply-To: jda-ml@csl.sony.co.jp
 
こんにちわ。京都大学のM.Dです。
 
> M.D>まず、少し説明を加えさせていただきますと、私は、ディベートにおいてある命
>題の
> >真偽を検討する際、必ずその命題(RES)と異なる排反な命題(以下COUNTER-RESとしま
> >す)を想定し、その両者の間での比較を行うことにより、RESの真偽を考察することと
> >しております(そうしないと真偽の決定が不可能になると私は考えております)。
>
S.Aさん> 1)このCOUNTER-RESというのはいったいどこからくるのでしょうか?
 
RESの様に黒板に書かれているわけではありませんので どこから、とははっきりと
お答えしにくい面があるのですが、RESと逆のことを述べているAREAなので、RESから
という答えになると思います。
 
> 2)なぜCOUNTER-RESがないと「(RESの)真偽の決定が不可能になる」のでしょうか?
 
私がイメージしているのは、NET BENEFITを基準としたPMの場合なのですが、(ある
一つの解釈の下で)RESが真であるというには、RESがNET BENEFITIALでなくてはなり
ませんよねえ。その場合、何かと比較を行っているからNET BENEFITIALであるといえ
るわけであると考えます。そして、その*何か*がCOUNTER-RESだということなのです
。ですから、比較対象として、COUNTER-RESが存在しないとRESの真偽が決定できない
のではないかという意味なのです。
 
M.D> 私
> >の言うCOUNTERRESとは、具体的には、RESの*SHOULD*を*SHOULD NOT*に変えたもので
> >す。RESが偽であるという事は、Y.KさんのおっしゃられるようにRESが真ではないと
> >いう定義になると思います。そして、少なくともそのひとつの場合に、COUNTER-RES
> >が真であると言う場合が存在すると考えております。
>
S.Aさん> 1)*SHOULD NOT*という意外にも否定側が勝つ(命題が正当化されない)
可能性はな
> いのでしょうか?たとえば、「肯定側が単にshouldを正当化できなかった」場合とか
> はどうなんでしょう。「<肯定側に投票できないから>否定側に投票した」といった
> 形のディシジョンもあり得るのではないかと思うのですが。
 
*肯定側がshouldを正当化できなかった*というのは、私は、*否定側がshould notを
肯定した。=shouldを否定した*ということと同値であると考えております。従って、
SHOULD NOTを肯定する以外の方法でNEGが勝つ可能性はないと考えます。理由は、RES
とCOUNTER-RESが互いに排反であり、RESとCOUNTER-RES両者の比較をNET BENEFITの観
点から行うからです。NET BENEFITにおいて両者の差がない場合は、議論の内容から
だけでは勝敗が着かないことになります(T.Oさんへの回答をご覧下さい)。ただ、
S.Aさんのおっしゃる*単に*という言葉にはどういう意味を含ませておられるのか私
には分かりませんので、これでご質問のお答えになっているかどうか定かではありま
せんが・・。
 
> 2)否定側はこのSHOULD NOTを「<積極的>に証明する義務=<いわゆる>burden o
> f proof」を負っているのでしょうか?burden of rejoinderみたいな考え方ではだめ
> なのでしょうか?
 
上記のような考えを持っていますので*<積極的>に証明する義務*をNEGが持ってい
ると言えると思います。*burden of rejoinder*については、よくは分かりませんが
、rejoinすることにより、COUNTER-RESを肯定するように働きかけていると捉えれば*
burden  of proof*と同じと捉えられる気がします。
 
これからもいろんな御指摘をお待ちしております。
 
M.D
 
 
 
Y.Kさんへ
度々すみません。京都大学のM.Dです。
 
Y.Kさん> 「排反な命題(具体的には、RESの*SHOULD*を*SHOULD NOT*に変えたもの
)」という
> のは、まさに私が強い否定と書いたものによる概念であって、これを考えるならば、
> 「偽である」を「真でない」として定義しているのではなくなるはずです。
> ということは貴方は、「偽」を二重に定義して、強い否定による偽(「背反な命題」
> が真である)と弱い否定による偽(命題が真でない)とを設定しているのです。ここ
> から混乱が生じているのだと思います。ちなみになぜこのずれが生じるかというと、
> resの通常の否定は(真でない場合)、shouldをshould notに置き換えた命題ではな
> いからです(Propositionが、Pとしたら、その否定は、"It is not the case that
> P."です。)。
 
いっきに文章のやりとりをすると私の頭が着いていけなくなりそうなので、少しお手
数を増やすようですが、こまめに質問させてもらいたいと思います。どうも申し訳あ
りません!
RESを事象Pとすると、Y.Kさんのおっしゃる"It is not the case that  P."という
文章から私は、事象Pの余事象(P バー)の印象を受けますが、その解釈で合ってるで
しょうか?もしそうなら、その場合の全事象とは何を指すのでしょうか?
 
>M.D >解釈での偽により命題が非正当化される(これも*解釈の下での真*に従うもので
>あ
> る
> >と思うのですが)*と書かせていただきました。要するに、COUNTER-RESの中に
> >RESOLUTIONAL ACTIONに比べBENEFITIALな(PMの場合)ACTIONが一つでも存在す
> >れば*解釈の下での真*の考え方に従うと、COUNTER-RESが真である、つまりRESが偽に
>なる
> >と私は考えていると言うことです。
 
Y.Kさん> counter-resが真であれば、ある解釈の下で命題は偽となるのは当然です
。しかし、
> このことは、その命題がある別の解釈の下で真となることを全然妨げないのです。
> (逆もまた然りです。)
> つまり、我々は、命題が真となる解釈が見つかるかどうか、これだけを求めているの
> であり、偽となる解釈が他にあってもそれは関係ないのです。
 
> M.D>私は、この考え
>> をRESだけではなくCOUNTER-RESにも当てはめられるのではないかと考えていると言う
>>こ
> >とです。
 
Y.Kさん> counter-resには、その考えは当てはめる訳にはいきません。そんなこと
をしたらど
> ういう含意があるかは、貴方が引用なさった部分(の一番最後)で説明してありま
> す。
 
申し訳ございません!どの部分なのか良く分かりませんでした。できればもう一度ご
説明願えないでしょうか?
 
 
Y.Kさん> どうもいま一つ誤解があるようなので、はっきりさせると、命題の解釈に
より、命題
> には真理値が対応します(真か偽、1か0、etc.)。真理値は、それぞれの解釈に独立
> に対応するのであり、真理値の違う二つの解釈を比べてもそれぞれの真理値の付与に
> とっては何の意味もありません。
>
> 真理値の諸解釈での分布には、三種類あります。
>
> 全ての解釈で真
> 全ての解釈で偽
> 真となる解釈も偽となる解釈もある
>
> 最初の場合、命題は論理的に真であり、二番目の場合論理的に偽です。
> ディベートでは、命題が単に真であればよいので、二番目以外かどうかを見る訳で
> す。
> つまり少なくとも一つ真である解釈があればよく、その時、最初の場合でなければ、
> 当然他に偽となる解釈はあるわけです。
>
>
> 他に偽となる解釈があると喚いても、何も得られません。それをrelevantにするに
> は、ある解釈の下で真となる以上のことが示される必要があると示さなければなりま
> せん。
> そこを何とかこじつけようとして、命題のそれぞれの解釈を、元の命題とは独立した
> 命題群であるかのようなすり替えをして、帰納的推論の類推を適用した、
> counter-warrantが出てきたのです。
>
>
> (やはり、ディベートは、コミュニケーション教育よりも、非形式的論理学教育の一
> 環として位置付けられるべきだとの感を深くしました。)
>
ご丁寧な説明有り難うございます!Y.Kさんにとっては全然歯ごたえのない議論かも
しれませんが、勉強不足の私にはものすごく新鮮で有用な議論なので、ご面倒でもこ
の議論にお付き合い下さい。よろしくおねがいします。
 
 
 
 
 

Date: Tue, 2 Dec 97 01:01:31 JST
Subject: [JDA :3441] Re: PLAN,RES FOCUS
 
T.Oです。
 
結局のところ、M.Dさんの議論の難点は、
 
 1) rez と coutnter-rez (Y.Kさんのいう「強い否定」)が網羅的でないことを認め
    ること
 2)「肯定側が should を正当化できなかったことと、否定側が should not を肯定
    したが同値である」というように二律排反(Aでなければ not A)を前提とするこ
    と
 
が、全く整合しない点にあると思います。
 
一方、coutnter-rez を議論の評価基準に使ってみようというアイデア自体は、即座
に否定する気にはなれません。M.Dさんとは全く違う方法で活用できるかもしれない
(できないかもしれない)。
 
>> Regarding [JDA :3439] Re: Matomete Send [PLAINTEXT(UNIX FROM)] (1/1) (Japan DebateAssociation ML); "M.D 誠" adds:
 
ど> 私がイメージしているのは、NET BENEFITを基準としたPMの場合なのですが、
ど> (ある一つの解釈の下で)RESが真であるというには、RESがNET BENEFITIALでな
ど> くてはなりませんよねえ。その場合、何かと比較を行っているからNET
ど> BENEFITIALであるといえるわけであると考えます。そして、その*何か*が
ど> COUNTER-RESだということなのです。ですから、比較対象として、COUNTER-RESが
ど> 存在しないとRESの真偽が決定できないのではないかという意味なのです。
 
この場合、counter-rez (やそれの解釈)がない場合、肯定側のケースの net-benefit 
すらはかることができない、ということを含意していると思います
肯定側がケースとその AD を出して、否定側は T を出しただけ、かつ その T が全
て捨てられたという場合を考えましょう。
試合が終わったときに、現状維持政策とケースを比較してケースの net-benefit を
はかることができない、という意味になってしまいます(counter-rez は提出されて
いないから)。
 
ここで現状との比較を認めるなら、counter-rez は現状維持政策を含むのであるから、
その表現は should not ではなく need not to であり、non-topical area 全体に広
がる。
 
素直にここは「現状との比較」として should 様相の rez を捉えればいいのではな
いでしょうか? 
 
T.O
 

Date: Tue, 2 Dec 97 01:03:50 JST
Subject: [JDA :3442] Should I answer this?
 
>*肯定側がshouldを正当化できなかった*というのは、私は、*否定側がshould notを
>肯定した。=shouldを否定した*ということと同値であると考えております。従って、
>SHOULD NOTを肯定する以外の方法でNEGが勝つ可能性はないと考えます。理由は、RES
 
既に複数の方々が指摘されていますが、この点に誤りがあるようです。「Shouldを正
当化していない」と「Should notを肯定した」とは同値ではありません。後者は前者
の十分条件ではあるが、必要条件ではないのです。
 
たとえば "You should participate in this debate." という命題の否定側に立った
場合、"You should not participate." と立論しなくても、"Your participation is 
optional; you may if you like, but don't have to."と言えれば充分です。参加す
べきでないという「強い否定」がなくても、 どちらでも構わない(should が証明さ
れていない)ことを示すだけで否定側の勝利となります。
 
否定側が "should not"を立証する責任(burden of proof)を負っていないというの
はそういうことです。論題をめぐる競技ディベートの基本的な了解事項でもあります
から、よく理解しておいた方が良いでしょう。
 
Y.T
 
 

Date: Tue, 2 Dec 97 11:26:53 JST
Subject: [JDA :3445] Re: Proposition, truth, interpretation
 
私の以前の説明が不親切だったのか、抽象的だったのか、前二回に書いたことは、あ
まりM.Dさんには理解されなかったようです([JDA: 3439]から見た限り)。その
間、T.OさんとY.Tさんとが、結果的に、前に私の書いたことをM.Dさんの用語に即
して親切に説明してくれました。
 
[JDA: 3439]及び両氏のそれに対するコメントを読んで気がついたのですが、私が考
えていた以上に基本的なレベルでの誤解がM.Dさんにはあったようです。
 
最初私は、M.Dさんは「別の解釈の下での偽」について誤解しているだけだと思って
いましたが、それだけではなかったようです。
 
 
1. 命題の否定
このレベルでの誤解は、否定命題がどういうものであるかについてです。
"X should Y"(P)の否定(not P)は、"It is not the case that X should Y."であ
り、"X should not Y."ではありません。(正確に言うと、"X need not Y."も違う。
"It is not the case that X should Y." <-> "X need not Y."
が成り立つかどうかは、shouldの意味に依存する。)
 
"X should not Y."を否定命題として考えることは、「強い否定」だけを否定と考え
ることで、これは古典的二値論理を前提すると、N.Mさんも指摘したように、affに
有利にこそなれ、negには有利にはなりません。(古典的二値論理では、排中律が成
り立つから、否定でないのは、肯定。よって、強い否定だけが「否定」だと、肯定の
範囲が広がる。Affは、negのCWをrefuteすれば、自分のケースを出さなくても勝てる
ことになる。)
 
因に、shouldの入っていない命題Pに対して、shouldを加えたものを、□Pで表わし、
notを〜で表わすと、
 
〜□Pが□Pの否定で、
shouldをshould notに変えた命題は、□〜Pです。
 
 
2. 命題と事象、命題の真理
 
命題と事象とを混同してはいけません。命題は、ディベートの対象となるような、文
です。事象は、世の中に実在するような出来事です。行為もまた、命題とは別のもの
です。
命題が行為の評価を含むときに、行為の帰結を考えますが、命題の真偽は、それを考
慮して与えられるにせよ、厳密に行為や事象とは区別して考えなければなりません。
ある命題のある解釈の下でのそれを具体化したプランを評価する場合に、
counter-resが必要というのは、行為の帰結の評価の際に考えることを考慮してのこ
とでしょうが、行為した状況と非行為の状況とは、元々の命題とはまた別のものであ
り、この辺を混同してはいけません。プランの評価を行う時にはもう既に命題の解釈
は終わっている訳ですから。次元の違う話をごちゃまぜにしてはいけません。
 
どうも、M.Dさんは、行為を帰結により評価する際の手続きを、命題を解釈により評
価する場合に無理に当てはめているとしかいえません。木によって魚を求むが如しで
すね。
 
行為(プラン)を評価する際に、不行為の場合も含めて、他の状況との比較がない
と、それが困難であるのは理解可能です。(しかし、それは帰結で評価しているだけ
だからですが)それを命題の真偽の決定の手続きに適用しようと言うのは理解不能で
す。
 
 
次元が違うことに加えて、命題の真偽の決定は、そういう行為の評価のような場合と
異なります。命題の真偽は、語弊がありますが、単純に言えば、意味と対象(状況)
との比較で決まるものであり、状況間の比較により決定される行為の評価とは異なり
ます。
 
例えば、「雪が白い。」という文は、雪が白い場合且つその場合にのみ真です。「雪
が白くない。」という文と比べる必要は全くありません。
 
 
さらに、そもそも、命題の示す行為についてのM.Dさんの言うような比較を行う場合
には、解釈が定まっている必要があります。
いや、行為の当為を述べる命題だからこそ、他の背反する行為についての命題と比較
する必要があり、その一つに行為せざるべしという命題がある。多分、こういう風に
考えたのでしょうが、この場合には、この二つの命題での行為は_一致していないと
_話になりません。つまり、元のディベート命題の解釈は同じでないと、だめだとい
うことです。
 
 
3. 命題と解釈
 
これについては、さんざん書きました。
 
>一つの解釈の下での偽により命題が非正当化されるとすることは、言い替えると、
命
>題が正当化されるのは、あらゆる解釈の下で真である場合のみであるとすることに
な
>ります。
>
>FTF...F = ある解釈の下で真 = 命題は真 <->「命題は真」でない=命題は偽=全ての
>解釈の下で偽=FFF..F
>
>TFT...T= ある解釈の下で偽 = 命題は偽 <->「命題は偽」でない=命題は真=全ての
解
>釈の下で真=TTT..T
>
 
これがポイント。
 
 
Y.K
 

Date: Tue, 2 Dec 97 18:35:32 JST
Subject: [JDA :3446] Re: Proposition, truth, interpretation
 
京都大学のM.Dです。
いろんな方々から御意見を頂き有り難うございました。非常に参考になりました。特
に下のY.Kさんの書かれたものに納得できましたのでそれを引用させていただきます
。
 
> 2. 命題と事象、命題の真理
>
> 命題と事象とを混同してはいけません。命題は、ディベートの対象となるような、文
> です。事象は、世の中に実在するような出来事です。行為もまた、命題とは別のもの
> です。
> 命題が行為の評価を含むときに、行為の帰結を考えますが、命題の真偽は、それを考
> 慮して与えられるにせよ、厳密に行為や事象とは区別して考えなければなりません。
> ある命題のある解釈の下でのそれを具体化したプランを評価する場合に、
> counter-resが必要というのは、行為の帰結の評価の際に考えることを考慮してのこ
> とでしょうが、行為した状況と非行為の状況とは、元々の命題とはまた別のものであ
> り、この辺を混同してはいけません。プランの評価を行う時にはもう既に命題の解釈
> は終わっている訳ですから。次元の違う話をごちゃまぜにしてはいけません。
>
> どうも、M.Dさんは、行為を帰結により評価する際の手続きを、命題を解釈により評
> 価する場合に無理に当てはめているとしかいえません。木によって魚を求むが如しで
> すね。
 
確かにおっしゃるとおりだと思いました。私は、行為とその行為の帰結の両者を混同
して一つの事象として捉えていました。
 
>
> 次元が違うことに加えて、命題の真偽の決定は、そういう行為の評価のような場合と
> 異なります。命題の真偽は、語弊がありますが、単純に言えば、意味と対象(状況)
> との比較で決まるものであり、状況間の比較により決定される行為の評価とは異なり
> ます。
 
私の言っていたRESとCOUNTER-RESの比較というのは状況間の比較のことであり、解釈
の下での真理という考えを用いる真偽決定法は、意味と状況の比較であるという意味
だと理解しますが、確かにそうだと思います。
 
 
大変勉強になりました。しかし、やはりまだ煮えきらない感がないといえばウソにな
りますので、今までのやりとりを再度じっくりと検討してみたいと思います。それで
も未だ疑問が残るようでしたら再びこのmlに投稿させていただきたいと思います。(
かおるさんの言うようにプリントアウトをしてみます。)そのときはまたよろしくお
願いします。
今回は文章が大量になると思い引用を控えさせていただきましたが、N.Mさん、T.O
さん、Y.Tさん、S.Aさん、貴重な御意見大変参考になりました。またこれからも色
々教えて下さい。
 
 

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