国際会議のすすめ Tokyo, Budapest. 2000

矢野 善郎(J.D.A理事)

 


 2000年夏,東京。日本ディベート協会と東海大学教育開発研究所の共催で,第一回の議論学国際学術会議The 1st Tokyo Conference on Argumentation が開かれた(200087日〜9日)。知られている限りでは,これは日本で初めてのArgumentationについての国際会議である。第一回にもかかわらず,アメリカを筆頭にオランダ・ドイツなどから25人が海外から参加した。そして三日にわたり,のべ40人近くの報告者,100人ほどの参加者が,会場となった代々木オリンピックセンターの国際交流棟に集まり,「議論」をテーマとして,実に様々な確度から報告・討論を行った。

 ある学問分野にとって国際会議を開くことの最大の意味は,結局のところ,視野の閉鎖・狭窄に陥るのをふせぐ,ということにつきる。狭いコミュニティでの活動は,とかく限られた価値観(とりわけナショナリズム)への埋没や,人間関係上の配慮(例えば師匠弟子関係)が働く結果,議論は沈滞し・発想も組織も硬直化していく。日本という辺境の島国の学問にとって,こうした会議を主催することや,海外の会議に報告・参加することは,自らの視野を拡大していく上で不可欠とも言えるプロセスである。このことは「ディベート」や議論を扱うと自称している場合には,なおさらそうであろう。

 もちろん国際会議のもたらす,この視野の拡大という意味は,一方向的なものではない。今回の東京会議で,特に反響が大きかったのは,キー・ノートのスピーチにあたった桂紹隆先生(広島大学)の古代インドの論理学についての講演であった。会議では,そうした研究領域そのものの存在を聞くことすら初耳だという意見が,米国などのArgumentation研究者から聞かれた。桂先生のスピーチに象徴されるように,とりわけ東京会議のテーマである Beyond “East” and “West”,つまり「西洋的」と「東洋的」という単純なステレオタイプを,より客観的に・実証的に組み替えていくという問題領域にとっては,日本から積極的な発信を行う意義は大きい。その点で今回の東京会議は,関係者の身びいきを差し引いたとしても,初回としては大成功と言え,少なからぬ意味を持ったと思われる。

 もちろん次回以降に持ち越された宿題も忘れてはならない。個人的には,是非とも日本国内の報告者・参加者の充実も図るべきだと考えている。今回は端緒と言うことで,どうしても国内の参加者は,コネのある英語畑・言語畑の学者がほとんどとなってしまった。言うまでもなくArgumentationについての研究は,社会科学畑・法律畑の諸分野と接点を持つ,いや持つべきである。次回は物怖じすることなく,国内・国外の社会学・政治学の関係者,またロー・スクール構想などが問題とされている今日,法学の分野での関係者にも早期から呼びかけ,日本での研究者層も開拓していくことが肝要であろう。

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 さて時・所かわって,2000年秋,ハンガリー。首都であるプダペストでは,I.D.E.A (International Debate Education Association) という団体の主催で,「ディベート教育」という名称を掲げた国際会議が開かれた(2000106日〜8日)。「ディベート」そのものを銘打つ会議であり,しかもプダペスト開催,という二つの物珍しさも手伝ってか,日本から松本茂氏・青沼智氏・臼井直人氏そして私の四人(全員J.D.A.理事)が報告・参加した。

 この団体は,Open Society Instituteという米国の大富豪ジョージ・ソロスが全面的に資金提供している組織の下部団体であるらしい。比較的有名なのだがソロスは,東欧からの移民であり,しかも著名な哲学者カール・ポパーの弟子であると任じている(Open Societyという名称も,明らかに例のポパーの代表作の一つ Open Society and Its Enemies から取ったものであろう)。ソロスは旧共産圏における議論・討論教育の普及に莫大な寄付をしており,今回の学会もそうした経緯で東欧で開催されたらしい(会場となった施設も,なんとソロスが東欧革命後に作った大学であった!)。

 学会は三日間にわたって行われ,米国・英国・ロシア・東欧圏などより,のべ40人ほどによる報告が行われたほか,様々な国の学生ディベーターにより,いくつもの異なった形式による模範ディベートが行われた(Parliamentary Debateの形式が多かった。二人組が四チーム参加するWorld形式,詳細は理解していないが,三回立論のある「Karl Popper形式」と銘打たれているものもあった)。

 日本の四人は, “Debate as Teaching and Praxis: Japanese Experiences” というパネルで報告を行った。唯一のアジアからの報告という珍しさもあったのか,パネルは東欧圏やアメリカの参加者で,満室になるほどの大盛況であった。日本のディベート教育の受容と展開と,それの抱える問題について発信することで,特にこれからディベート教育を受容していくことになる旧共産圏からの参加者にとって,それなりに意味のあるパネルになったのではないかと思う。

 なおI.D.E.Aの学会は,今年はプラハで開催されるようである(余談だが,私は一人帰路にプラハに寄った。百塔の街プラハの秋の素晴らしさを,十分に伝える言葉を私は持たない)。是非とも御参加・御報告なさることをおすすめする (http://www.towson.edu/~broda/call.htm)

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 東京会議にしろ,ブダペスト会議にしろ,宿泊・学会会場が同一箇所であったのと,数十人の報告者という適度な人数であることも手伝って,どちらの場合も,他国からの参加者と一緒に観光に出かけたり,食事時にディベート談義を交わしたりと,時間をかけて対話することができた。

特に私の印象に残ったのは,限られた資金の中,ボランティアでルーマニアの高校でディベート活動を広めているとおっしゃっていたアッティラ先生(本業は,化学の先生)と,韓国から単身参加なさっていた許教授である。許教授は米国や日本の経験を今後の韓国のディベート教育の普及に役立てたいと熱心に語っていらっしゃった。特に英語を媒介にした日韓の大学生の交歓ディベートはどうかという許教授のご提案は,是非とも実現させたいと個人的には考えている。東京にしろプダペストにしろ,単なる一学問分野の国際会議といえ,国際交流の場面であることには違いないと実感させられる。

 

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