1995年第一回JDA日本語ディベート大会

ExhibitionDebate

命題:日本の司法制度に陪審制を導入すべし

矢野善郎(*1) ― 北野宏明(*2)

1995年3月25日

(編集 安藤温敏・矢野善郎)


 

はじめに

 

 このトランスクリプトは,1995年度第一回日本語ディベート大会の決勝戦後に行われたExhibitionDebateの模様を音声テープとビデオから起こし収録したものである。試合中「引用」されたエビデンスの,判明している分に関しては出典を掲げておくが,exhibitionという性質上,元の出典から厳密に引用されている訳ではないことを付言しておく。


肯定側立論 矢野 善郎

 

Good evening ladies andgentlmen…あ,違いました,日本語でしたね。(笑)

 

日本は民主主義の社会。民主主義では行政と立法と司法がお互いを監視しなくては機能しません。これは,何て言いましたっけ?三権分立って奴ですよね。高校で習いましたか?習ってない人は中間テストで出るのでノート取っておいて下さいね。(笑)で,今回のディベートは,その中でも司法が,この行政をチェックしているかどうかを考えて見てみましょう。

 

日本の国家は強大な権力を持っています。建前上は,それは法律で制限されているんですが,それを動かす役人さんや政治家さんもやはり人間ですから,やり過ぎや,汚職なども実は起こってしまいます。それをチェックできるのは司法だけなのですが,残念ながら日本の司法は,その点で上手くいっていないと考えられます。大きく言って二つの問題があると思います。

 

現状の第一の問題は検察です。検察というのは,犯罪者を告発する役割があり,それを裁判所に送る役割があります。しかし,彼らは,1点目ですが,彼らは,国から給料をもらう,実は,サラリーマンなんですね。で,もちろん国という組織の一員なんです。

 

で,2番目に,これは司法に深く関わった,毎日新聞の高尾氏が言うことですが,政治家の指揮権というものがあって,その発動というのを恐れて,政治家の捜査には甘くなる面がある,ということが指摘されています。(*2)

 

その結果どうなるかというと,役人や政治家の汚職の追求は甘くなる,という現実が起こっています。実例としては,あのもうちょっと前になりますけど佐川急便事件というのがありましたよね。その,金丸信さんという政治家は,5億円の授受を行ったという事を自分で認めていますが,平成四年九月に,検察は略式起訴という形で決定し,裁判には持ち込みませんでした。その結果何で終わったかというと,20万円の罰金で,5億円の…おそらく賄賂性の高いものだったとしても,それが20万円の罰金で済んでしまった。つまり,政治家などが裁判で裁かれる前の段階で,検察がそれをシャットアウトしてしまう,というケースがあり得てしまう。

 

それにつけ加え,第二に,裁判に上がってからも,裁判官の問題があるんです。

 

日本の裁判官というのも検察同様,実は,サラリーマンなんです。これは,青木氏という,裁判官を,実は,辞任された弁護士の方がおっしゃってるんですが,彼らは官僚で,非民主主義的で,職業裁判官で,もう人形に過ぎない。こうまでおっしゃっています。(*3)

 

で,2点目に,裁判官も,あの裁判官というのはいわば一生を裁判所で過ごすわけですから,残念ながら,日常的な判断を持っている,日常的な感性を持っている人ばかりとは限らないんですね。これは非常に残念なことですが,例えばですね,厚木基地騒音第二次訴訟というのがあります。これは1992年12月に横浜地裁から判決が出ました。この判決はこういうものです。「80WECPNL以下の人は受忍限度内であるので,賠償責任を棄却」,何のことか良くわかりませんけれど,要するにですね,80WECPNLというのは,「キュイーン」という音の,ま,80倍くらいです。(笑)良く知りませんけど,それが耐えられる,我慢できる範囲内にある,こういうことを言ったわけですね。(*4)だから,いくら国がやっていようと「我慢しなさい!」こういうわけです。つまり,国は実際は間違いをしても,勝手に我慢できる範囲ということを規定してしまって,われわれの権利を守ってくれるということが,残念ながら保証されているわけじゃないんです。

 

こうした日本の司法の現状を考えて,私は,次の形で陪審制を導入する事を提案します。

 

A,これはアメリカの大陪審制というのを導入する。これはどういうことかというと,検察が,立件するのが正しいかどうかというのを,民間人がランダムに選ばれた民間人が判断する,という制度です。だから,こういう場合には,金丸さんの立件を見送ったのが正しいかどうかを判断する,というとこです。

 

で,Bとして,以上のような刑事訴訟,これは国と自治体を相手にしたという事で,小陪審ということを導入したいと思います。これはどういうことかというと,国に対して損害賠償を起こした際には,その原告は,その小陪審制というのを採用できて,12人の民間人が,国が有罪かどうか,そして賠償責任があるかどうかというのをやるべき,そういう判断をすべきという制度を導入したい。こういう風に考えます。

 

その理由としましては,1番目。民間の私たちは,国から給料などもらっておりませんので,フェアなのです。

 

で,2番目には,民間の私たちには裁判官に対抗できる素晴らしい能力があります。それは何か,それは良識という奴です。それは,裁判官には,正直言って欠如していると思います。

 

つまり,私たちの社会を真の民主社会,三権分立がちゃんと機能するような社会にするために,私たちは,陪審制を導入し,行政をチェックするシステムを作らざるを得ないと思います。肯定側に一票をお願いします。


 

否定側による反対尋問 北野→矢野

 

 

北野:反対尋問を始めさせていただきます。まず…,肯定側,陪審員は給与をもらっていない,ということですね。これは…ということは,公務員は陪審員になれないということですか?

矢野:…そうですね,裁判によって…これは,細かいプロセスは先ほどは省きましたが,弁護士側が,この人は適切かどうかというのを判断する部分が,アメリカの大陪審制度にはあります。もしその人が国の中枢に深く関わるようでしたら,排除される,ということになると思います。

北野:ん?ちょっと待って下さい,肯定側の最初の問題分析から,国から給与をもらっている人間はいけないということですね?

矢野:国から給与をもらっていて,しかも,国に有利な判断をしそうな人が問題だと…

北野:OK。それならば,現在の検察または,裁判官は,国から給与をもらっていて,かつ,国に有利な判断をしそうだということを,立証なさったという事ですか?

矢野:そうですね。それは実際にそういうケースがあったということです…

北野:では,国に有利な判断というのは,どういう判断でしょうか?

矢野:ま,国に有利な判断というのを,実際にはですね…ここでは,事実というのを全部検討しておりませんから,ここの段階では…

北野:具体的な話をしたいんですが,80WECPNLが受忍限度というのは,常識を外れているという風に肯定側はおっしゃっていますが,何WECPNLならば常識的な判断なんでしょうか?

矢野:それは,私たちがいいたいのは,そういう風にシャクシキばって(ママ),裁判官というのは,そういう数字でやるわけです。ドクター北野も理系の方だから,そうなんでしょう…

北野:客観的な基準が必要になりますよね,裁判では。

矢野:そこは客観的と言われてるのは,なんで測れるかというと,私の考えでは,それは,私たち民衆が決めざるを得ない,ということを言いたいんです。そうした…

北野:あ,ということは法律ではない,ということですか?

矢野:いや,法律の中で裁判を行うわけですが,法律の中で裁判を行うにしても,その基準を決められるのは,役人や裁判官ではなくて,私たちだけだ,ということです。

北野:はい,次,ですね,国から給料をもらっていると,国寄り判断,という風なことですが,これはなんで国から給料をもらうといけないんでしょうか?

矢野:ま,国からもらうってことでですね…

北野:裁判の結果がどうなるかによって…

矢野:そう。

北野:給料の額が変わるということですか?

矢野:給料の額が変わる可能性がある。これはですね,実は,お笑いになっている方もいらっしゃいますけれども,実際に実例を私は知っておりまして,家永裁判の,教科書裁判で,地方裁で一回だけ有罪判決が出ましたときに,その裁判官は非常に優秀な方だったんですが「家裁送り」っていうのになりまして,その後一年でおやめになって,大東文化大学の総長にな轤黷ワした…(笑)

北野:良識を持っているかどうかを決めるという風に,陪審員の判定にするという風に,言ってますが,これは,誰が,この人は良識を持ってるか持ってないかというのを決めるのですか?

矢野:私が言いたいのは,良識を持っているか持っていないかっていうのは,その,裁判官っていうのは,もう,その,役所の中の人形,という形で組み込まれている。だからそれはわれわれは判断できない。しかし,ランダムに選ばれた人だったら…

北野:陪審員は,ランダムですか?

矢野:はい。

北野:さきほどは,だけど,国に寄ってはいけないって…

矢野:でも,もともとは,ランダムに選んで…,もともとはランダムに選んで,その中で良識っていうのが発揮されるという事を言いたいわけで…

北野:その…

矢野:必ず発揮されるとは私は言っていない…

北野:ということは,これは陪審制で間違った判断を下すことがある,ということですね?

矢野:それは,あり得ます。ただ,それは国民が責任を持って判断出来るわけですから

北野:例えば?

矢野:一人の…

北野:例えば?

矢野:我…国民が…国民が,これが騒音の範囲内だと判断して,それだったら…

北野:不服であればどういう手続きが国民に残されていますか?

矢野:それはもう一回裁判を受けるなり,今の裁判システムとはほとんど変わりないと思います。

北野:ありがとうございました。


否定側立論 北野 宏明 

 

今日はこれ,ExhibitionMatchということで,事前の打ち合わせが普通あるはずなんですが,事前の打ち合わせ,実はこれ,なしで,ぶっつけ本番でやっておりますので,ちょっと辛いんですがね。では,否定側の立論を始めさせていただきます。

 

否定側の立論の基本的な論点は,肯定側の政策を採った場合には,誤審が増大する,そして,現状に大きな問題点はない,ということを基本的な論点にします。

 

そして,まず,肯定側の論拠を一つ一つチェックしていきたいと思います。

 

まず,第一に,彼ら…彼は,検察に問題があると言ってますね。そしてその第一として,国から給与をもらっているからいけない。しかしながら,国から給与をもらっている人間がいけないならば,例えば,警察官,その他いろいろの人々というのは,国から全員給与をもらっている訳ですね。その人が信頼できない,という風なことになってしまう訳です。これは,検察,裁判官だけの問題ではなく,すべての公務員が信頼できない,という風な事になってしまいまして,これでは国が機能しません。

 

そして,二番目に,国から給与をもらっている人が信頼できないという事の,具体的な証拠がなんら示されていない訳ですね。ディベートというのは,証拠に基づいて議論します。この段階では,肯定側から何の証拠も得ていません。ここで,彼がもし,「国から給与をもらっているからいけない」というならば,給与の額が,結果に変動するという,直接的な証明が…立件が必要になってきます。これは,本日のディベートで何も為されていません。そして二番目に,かれは,指揮権発動があると,だから甘くなる,と言っていますが,これに関しても,何の証拠もありません。

 

そして,佐川急便の問題ですが,やはり金丸さんは,起訴…略式起訴になりましたが,しかし,国民の反発が非常に大きく,最終的には立件になっていることは皆さんもご存じだと思います。ということは,国民の世論というものが現状でも働いている,ということです。

 

そして,法的にもこれは保証されています。まず二つの方法があります。第一に最高裁判所判事官は国民審査というのが選挙ごとにあるのは皆さんご存じです。最高裁判所の判事がおかしな判定を下した場合には,国民審査で罷免することが,われわれ権利として保証されています。これが何故いけない…働かないか,今日の肯定側は何も示していません。そして二番目に検察審査会というものがあります。これに関しては,元札幌高等裁判所所長の横川さんが,「選挙違反なんかで政治家のボスが警察の署長などを押さえて無傷でいるのに,民衆が強い不安を感じることがある。こんな事件を検察審査会が取り上げるわけですが,その結果起訴され有罪になったり,中には実刑を科されたものさえある。」という風に言っています。(*5)検察審査会が,不起訴になったものを起訴に持ち込むという権利がわれわれには確保されている訳ですね。現行法規で問題はないと思います。

 

二番目,次に,彼は裁判官はやはりサラリーマンだ。これは先ほどの議論と同じです。何故それがいけないのか全く証拠がありません。そして二番目に,日常感覚がないと,80WECPNLの実例が…厚木の実例がありますが,何故これがいけないかというのが証明されていません。

 

そして二番目に,こういう問題は客観基準が必要となりますから,彼は国民が判断すると言ってます。国民がどういう基準で,どの場合いけないかと判断するか。これに関してまったくの立証が為されていません。その時には,80WECPNLがいけないなら,じゃあ何WECPNLがいいのか,こういう議論が必要でありまして,これは,裁判官の日常的な判断の問題とは全く別の物であると,法体系のものである,と。これは司法でなく立法の問題であります。

 

そして,次に,彼らの政策を採ったときの問題点というもののが,大きくあります。これは誤審が増大する,ということです。これは予想不利益になります。

 

まず,いくつかの理由がありますが,第一の理由は,判断能力の欠如です。陪審員は基本的に素人であり,事実認定能力が裁判官より劣ると考えられます。筑紫女学園短期大学助教授の大久保哲さんは,「職業裁判官は,事実認定の訓練を受け,実務の中で事実認定の経験を積み,豊富な実務経験に基づいて,予断や偏見に左右されず,慎重でかつ適正に証拠価値を評価することができる。この点で,職業裁判官による事実認定の方が優れている,とされる。」(*6)

 

そして二番目に,法律知識の欠如の問題があります。戦前に行われていた陪審制度の傾向を分析した,学界雑誌の中で,当時の大阪地方裁判所検事の西堀さんは,「従前の裁判であれば殺人や殺人未遂を認定されたものが,未必の故意の概念を陪審員が受け容れないため,傷害致死や傷害として答申される例が多い・・・」(*7)と観察しています。これはどういうことかというと,法律の素人である陪審員が,重要な法律の概念を理解できないがために,不適切な法の適用が行われたということを意味している訳であります。

 

そして三番目に情報化社会の固有の問題として,メディアの価があります。東京大学の西部教授は…元東京大学の西部教授は,「ある問題が起こったときに,新聞・雑誌その他が実体的真実主義の思想に基づいでこいつは犯人に違いないというキャンペーンをはる。そのキャンペーンを読んだ陪審員たちは,やはりそうだろうという偏見をもって裁判所にくる。」「パブリック・オピニオンが・・・・法廷の場に土足で入ってくるという危険性があるやも知れぬという風に思います。」(*8)という風に書いています。つまり,陪審員がマスコミに影響されて予断を持って裁判に臨んでしまうということになります。

 

そして,さらに自信のない素人集団に特有の現象もあります。これは四番目の理由です。付和雷同です。香川大学法学部の庭山秀雄教授は,「全員一致の保証は過度に強調されてはならない。陪審員は単に投票されるのではなく,評議のさい意見を述べているからである。彼らは互いに説得することが許されているので,少数派が自説に固執しないなら,多数意見に圧倒さb驕Bかくして実際の評決はより知的なまたは説得力があるわずか数人の構成員による評決になりがちである。」ということは陪審員の数とか,そういうのは問題にならなくて,その中の何人かの意見に左右されてしまうということです。(*9)

 

さらに,最後に,法廷テクニック中心主義になります。これはアメリカで実際に起きています。ニューヨーク州弁護士の松本直樹氏は,「弁護士は,陪審員を説得するために演出をするのがつとめであり,陪審訴訟とは法廷を舞台としたショーである。・・・したがって,弁護士で勝負が決まる。弁護士料をケチってはいけない。」と言う風に書いています。(*10)

 

これらの原因によって陪審員の誤審が増大すると考えられます。法務省研究所の倉田さんは,「誠に残念ながら人間が作った制度に完全無欠なものはなく,陪審裁判も例外ではない。現在わが国の陪審裁判復活論の中には,冤罪をなくすためには陪審裁判を復活させるべきだ,という意見も多数あるが,この主張は前提において誤りがある。陪審裁判は日本の精密司法と比べてラフジャスティスであって,誤審の発生率は高い」と結論しています。(*11)この結果,被告及び原告の基本的人権,法的自由,正義,が侵害されるという基本的な問題が発生します。

 

そして,最後に,論題に戻りますが,議論の,指揮権に基づきまして,現在の検事総長は吉永さんという人で,この人は指揮権にはビクともしないということがこの本の中に書いてあります。(*12)現在の吉永さんはロッキード事件の田中氏を起訴し,そして,田中有罪を確定した,と。その後リクルート,その他色々の,燃糸工業事件などをやっている,と。こういう人が現在,検事…高等警察の検事総長に,なっているわけですね。現在日本の司法は完璧に変わっています。このような状況下において,なお,指揮権発動を恐れるというのは私には考えられません。しかしながら陪審員を導入することによって,先ほど述べた色々な理由によって,誤審というのが起こり得る。これは,起訴がされるべきものがされなくなるという問題もあるでしょうし,起訴された行政裁判において,間違った判断が為される,しかも,間違った法律解釈が為されると。これは日本の司法,しかも三権分立を根底ゥら狂わす危機的な問題です。故に私は,本日の肯定政策を採るべきではない,という立場に立つものです。


 

肯定側による反対尋問 矢野→北野

 

矢野:よろしいですか?

北野:はい。

矢野:私の議論に対しての反論に関して,まずお聞きしたいんですが,公務員の方は,給料をもらっていて…日本の公務員の方は信頼できる,ということですかね?

北野:基本的には信頼できると思います。

矢野:基本的には,ですよね。

北野:少なくとも信頼できないという証拠は今回の議論ででていないと思います。

矢野:じゃあ,完全無欠なんですか?

北野:いや,とは言っていませんが…

矢野:じゃあ,ミスを犯さない…

北野:犯すかも知れません。しかし,普通の人も犯すでしょうね。

矢野:ということは,ミスを犯すという可能性を考えた上で,裁判制度を作っていかなくちゃいけないということに関しては同意されるんですね?

北野:同意します。

矢野:はい,じゃあですね,それを行う際に,司法というのは,裁判を行う際には,政治と独立であるべきだと思いますか?

北野:思います。

矢野:それはあれですよね。昔モンテ・アルバンでしたっけ?(笑)ああ,モンテスキューですか,すみませんしょうもないボケをして。(笑)モンテスキューですが,三権分立の原則ですよね?

北野:そうです。

矢野:これは独立していなかったらチェックする機能はない。それに関しては同意されますか?

北野:そうですね。同意します。

矢野:ということは,国によって養われている,職業裁判官や,職業検察官という人々が,どういう意味で,その,行政から独立しているという保証があるのですか?

北野:えーと,まず,あのー,これは法的にチェック…拘束がかかってますね。その給与に関して。そしてその判断がおかしい場合には,われわれは国会議員を選挙によって,選ぶことによって…法律を変えることが出来ますし…

矢野:いや,私が話しているのは,裁判官や検察官です。

北野:その場合には,まず罷免権があります。そして,…

矢野:罷免権というのは何ですか?

北野:まず,最高裁判所判事に関しては,国民投票で罷免する権利をわれわれは有しています。

矢野:そうですね。

北野:それと,検察審査会があります。

矢野:その二点しかないわけですね?

北野:現状でそれ以上の問題はないと考えています。

矢野:ということは,その二点が上手く機能していないならば,民衆がやった方が独立性が確保されるという点に関しては,異議はないですね?

北野:異議はあります。

矢野:何故ですか?

北野:民衆…現状よりも民衆が,国から独立という…国から独立であるかどうか,また,マスコミから独立であるかというところが,保証されていません。

矢野:はい,ということは,少なくとも私の言っているような,政治のチェックという意味で,政治というものの独立ということに関しては,国から給料をもらっていない方がいいとお考えにならないんですか?

北野:えーと…

矢野:その一点だけです。

北野:まず,給与をもらっていてはいけないという保証…証拠がまだ出てないですね。

矢野:という…

北野:それが証明されなければその議論はできないと思います。

矢野:なるほど。そうおっしゃるわけですね。

北野:それと,今度は国の三権間の独立があっても,マスコミの影響が大きくなってはいけないということが考えられます。マスコミは第四の権力だと思います。

矢野:なるほど。じゃあですね,裁判官というのは,マスメディアを全然参照しないわけですね?

北野:いや,参照…判決に関しては参照していない…

矢野:判決に関しては参照してないんですか。じゃあ,判決に関して,という部分だけ,チェックする,ということは可能じゃないんですか?判決の部分を…

北野:彼らはプロですから,職業裁判官の場合は適切な判断が出来ると考えます。

矢野:要するに,民衆の行われている議論など無視するのが職業裁判官だと思われるわけですね?

北野:民衆b痰ネくて,一部のマスコミの誘導的な議論ですね。


 

肯定側第一反駁 矢野 善郎

 

はい,私の議論から,もういっぺんなぞってみましょう。

 

私の議論は,まず検察の所で問題がある,ということでした。この点で北野さんは,給与をもらっているというのが本当に悪いという証明があるか,ということを言いました。彼らは,概ね信頼すべき人物だ。しかし,そうでしょうか?確かに私は公務員のほとんどは信頼出来ると思いますが,汚職をする人は後を絶たないではないですか。そういった行政のチェックをしなきゃいけないという…機会は絶対必要なんです。それは裁判以外にはありません。しかし,その裁判を行っている検察というもののチェックは,どうやって出来るんでしょうか。そのシステムに関して,北野さんは,国民審査と検察審査というのを挙げられました。

 

国民審査とというのは裁判官に関しての話ですが,一応お答えしましょう。国民審査。私の記憶に間違いがなければですね,国民審査で辞められた裁判官は一人もいません。で,私の記憶は結構確かなんですが,今いる裁判官の名前は一人も挙げられません,残念ながら。そういう人が,国民の大勢ではないですか。そのような議論が本当に成り立つんですか。実質的には全然機能していません。

 

検察審査制度。ご存じですか?そんなもの。検察審査制度をご存じかも知れません。しかし,機能することもあれば,機能しないこともあるんです。今回の場合はあまりに反発が大きかったから機能したかも知れませんが,実際にはですね,この篠倉熊本大教授が問題とされているように,それには何の権限もなくて,勧告するという権限しかないんです。(*13)「ダメじゃないですかぁ」「はぁ,そうですか」で終わりである可能性もあるんです。そういった法的権限が何も保証されていないようなものに,われわれは頼っていいんですか?

 

それに比べて,陪審という民間人を入れれば,少なくとも国からは独立であり,良識を持っている人々になる可能性が高い。この点だけを私は問題にしています。その点で検察に関する議論は私たちの方が勝っているとしか言いようがありません。

 

で,裁判官に関してですが,北野さんは言いました。「客観判断が必要だ」。ところがですね,法律には,全てのことが書かれているわけじゃないんです。騒音はどこまでが耐えられるかという事は法律には実際には書いてありません。で,法律には書いてない部分を判断するのが,実は,裁判官なんです。今回の訴訟のケースでは,裁判官が勝手に80WECPNL,何ですかね,これは,これを引いたわけです。ところが,こんな基準が本当にいい基準かどうかは,誰もチェックできないわけです。裁判官一人が決めたんですよ。こんな事は,民主主義の原則からいったらおかしいに決まってます。これは,われわれが判断する以外にないんです。というのも,裁判官という人たちでも,結局は国から給料をもらっている人で,独立が保証されていません。独立している人もいるでしょう。しかし,保証されていないんです。

 

しかも,彼らは,篭の中に閉じこめられた,いわば良識のない人々なんです。…まあ,そう言い切ってしまうのも可哀想かもしれませんが,そういう人がいる,というのは,往々にして想像できます。彼らに責任を取らせるのは,ある意味では,むごいことでしょう。だから私たちが責任を取らなくちゃいけないんです,その判断に関しては。

 

それで,われわれが誤審をするか。そんなことを言われたらちょっと黙っていられませんね。後でもういっぺん反論しますけれど。むしろ私たちが言いたいのは,判断,法律の判断というのは,全てが決まっているわけじゃない。そういう決まっていない部分を判断するという事に関しては,裁判官などに比べて,国民の方がよっぽど良識の判断は優れている。そこの所を勘違いしないで下さい。

 

法の判断や,法律の知識はないかも知れない。ただ,その下の部分に関しての知識は,われわれの方があるんです。メディアの影響を無視しろとか言うことは,ある意味ではずれた議論です。裁判官はメディアすら見ないんですか。そんな良識のない人々に,裁判を任せておいていいんですか。私は任せたくはないから,陪審制をとる事を,強く主張させていただきます。


否定側反駁 北野 宏明

 

まず,このディベートで一番重要なことは,政策を選ぶことですね。肯定側か否定側の,現状がいいか。そして,その判断基準は,私は,主権在民,そして,司法,立法,行政の三権分立,これをいかに守るか,ということを価値判断基準にしていただきたいと思います。

 

そして,私はこれから,肯定側の政策ではこれが守れない,ということをご説明したいと思います。

 

まず,最初に,立証責任に関していきたいと思いますが,肯定側は,国から給与をもらっているといけない,そして,指揮権発動があるから甘くなる,という話をしていますが,具体的な証明があったでしょうか,このディベートの中で。ないと思います。どの事件が,指揮権発動で起訴できなくなったか。どの事件が,国から給与をもらっているがために,おかしな判断が出たか。この証明が為されたでしょうか。証明はありません,このディベートでは。ということはこれは立件されて…証明されていない,ということで考えます。でありますから,それに関して事実認識として事実がない,ということで考えないといけません。

 

そして次に,指揮権の問題ですが,私は現職の吉永さんに関しては,指揮権では挫けないということを先ほど引用いたしました。で,これに関してはなんら反駁はありませんから,現在の検察においては,指揮権の発動ではびくつかない,ということを主張したいと思います。

 

そして,三番目に,国民が裁判官の罷免をしていないとか,検察の…検察審査会が機能しないという話がありました。しかしながら,まず最初に,辞めていないということは,国民がこれをOKだと思ったわけですね。問題はないから,罷免されていないわけです。ここは主権在民です。それがいけないということならば,われわれの…われわれが自分で権利を放棄した,ということでありますから,これは,基本的にどのようなシステムを使っても機能しない,ということであります。われわれがちゃんとした判断を出来るということを前提にしています。だから,辞めていないということが悪いことではありません。われわれがOKだと思ったという事です。

 

そして,検察審査会が問題があるならば,これに法的拘束力を持たせればいい。現状の小幅修正で問題はありません。陪審制の必要性はまだ立証されていません。

 

そして,裁判官の問題ですが,二番目の方ですね。法のないところを判定するのが裁判所の務めだと言いましたね。これは重大な肯定側の政策の不備である,問題であります。なぜならば,法のないところ…司法は,法の解釈と適用をするところであって,法のないところを決めていくところではありません。これは立法の仕事であります。で,肯定側がやろうとしていることは,司法に立法権を持たせようということと同義であります。これは三権分立を根本から破壊します。要するに,法律に書いていない,だから判定できない,なら,裁判所が決めてやろう,ということです。これは,立法権に対する,行政権に関する司法の根本的な侵害でありまして,基本的な行政機構が根底から崩れます。

 

そして,良識なし,といっていますが,この判断基準ですね,なぜ良識がないと言えるか,これは,全く本日の証明は出ていません。80WECPNLがいけない。何故それがいけないのか,何ならいいのか,全くない,ということがありますね。でありますから,何の問題点も証明されていないんですね。しかしながら,その,立法権,主権在民,これがおびただしく侵害される可能性があります。

 

そして,もっと恐ろしいことは,誤審が多く出る,ということですね。

 

まず最初に,常識の問題がありますが,普通の人が常識を持てる,という風に彼は言うわけですね。陪審はだから大丈夫だと。ならば,教育された裁判官が何故持てないんでしょう。これに関する議論というのは全くありません。

 

そして彼は篭の鳥だと言いますが,本当にそうでしょうか。色々なキャリアパスが…弁護士であるとか,裁判官,というのにはあり得ると思います。その,司法試験の制度を変えるとか,そういう現状の改正で,それは実現可能であるわけですね。陪審制度までいく必要はない,ということが考えられます。そして,陪審制度の問題点というのは,法的知識がない,事実認識能力がない,そういう問題点が色々あるという事は,これは最初証明したとおりであります。これに関しては一切の反駁がありません。

 

そして二番目に,彼は,法的知識はちょっとないかも知れない,これは認めています。ところが,これが問題なんです。要するに,その,未必の故意…先ほども言った未必の故意というところが,概念がわからないがために間違った法律が適用されてしまう。また,今度はコーネル大学のクレモント&アイセンバーグ教授は,「懲罰賠償が不適切な場合にまでピューニティブ・ダメージを被告に課すと思われている。」この,陪審員の場合ですが,こういう,不適切な法律の適用が行われた事例が,陪審裁判ではある,という風に述べているわけですね,これはアメリカの実例ですが。

 

そして,マスメディアの影響。こういうことも,まだ排除されていません。そして,職業裁判官と,素人の裁判官,陪審が出た場合に,どちらがマスメディアの現状を認知して,それに気を使うか,これは一見明らかだと思います。で,これらの理由によって,基本的に現状の問題点は証明されていません。そして,誤審が起こる可能性がある。そして,もっと恐ろしいことは,主権在民の原則,そして,司法,立法,行政,この三権分立が,基本的に破壊されてしまう,これが肯定側の政策なんだということです。否定側への投票をお願いします。


肯定側第二反駁 矢野 善郎

 

北野さんは,主権在民と三権分立こそが,われわれのディベートの争点だといいました。これは,大いにうなずけます。なぜなら,私たち肯定側のプランによってこそ,この二つの点が実現されるからです。

 

まず,彼は言いました。「検察のデータの捏造の証明がない。」これに関しては,一件だけでも十分ですよね。汚職はこれだけ起こっている。そして,汚職の中でも,少なくとも悪質な一件が検察によって見送りにされた,この事実は見過ごしに出来ませんよね。北野さんも否定は出来ないでしょう。すなわち,検察も国におもねった判決をする可能性があるんです。それをチェックするシステムは今の所ありません。もちろん,今国民審査だのなんだのというのを挙げましたが,われわれ知っていません,もちろん。そしてわれわれに利用できるような親切なシステムじゃありません。あれは,信用できる裁判官にマルをつけろという問題ではなくて,信用できない人にマルをつけろ,ということですよね。われわれは,信用できる人にマルをつけろということだったら,全員にマルをつけるという保証は全くないんです。今はそういうことによって偶然助けられているだけなんです。で,もちろん,法的なものをつけ加えると,検察立法審査ということをつけ加える,それは陪審制と全く同じじゃないですか。だからこそ,陪審制を導入しろって言っているわけです。だから,国民が判断するようなシステムが必要だ。もちろんこれは北野さんがお認めになっているようなものです。それだけのことをして,主権在民が実現されるんです。

 

で,裁判の,今までは検察の話ですよね,裁判においてはどうか。裁判において,裁判官がミスをする可能性が示されていないと言いました。しかしですね,この基地訴訟という事に関して一件を取り上げてみましょう。これに関して,私が言っているのはこういうことです。法律には,どこまでが騒音だということは書いていない。どこまで法律を書いたとしても,書かれていない部分というのは必ず出てきます。殺人罪が悪いとしか,法律は書いていません。もちろん三丁目の何々さん,北野殺しを行った犯人は有罪であるというところまで裁判…法律の文章に書いてあbナしょうか?そんなことは書いてないんです。書いてあるところを決めることが必要になって来るんです。それは立法権とは全く関係ありません。それは専門用語で言えば,私専門ですがね,法創造と法解釈といいます。その二つをごっちゃにした意見でしかないんです。

 

その法解釈,解釈する部分に関して,裁判官のような人々に任せていいのか。これです。裁判官の言うことには,人々は勝手に80以下は耐えられる,こう言います。そんなことは国民に照らし合わせてみないと分からないじゃないですか。本当に耐えられるんですか。それを一人に任せていいんですか。その一人というのも,裁判所という篭の中で一生育つような人間に任せていいのか。

 

それに対して,彼は言いました。「われわれは法律の知識はない。」確かに法律の知識は,裁判所に入る前はないでしょう。しかし,入った後は,嫌というほど説明されるんです。それでもちろんわれわれは,法律というのを聞いた後判断するぐらいの能力を,もちろん持っております。確かに私たちはマスメディアの影響も受けるでしょう。しかし,マスメディアの影響を鵜呑みにする人間だとばっかり思われたら私も心外です。そんなのはどちらかというなら,マスメディアさえ気にしないような裁判官に裁判を任せる方が,よっぽど危険ではありませんか。

 

だから,私たちは行政の行き過ぎをチェックする,この一点だけでも,司法の,陪審制を導入すべきなんです。それだけが,北野さんがおっしゃったように,主権在民と三権分立というのを,唯一保証できる方法なんです。肯定側に一票お願いします。(拍手)


 

(*1)やの よしろう:東京大学助手 日本ディベート協会(JDA)理事

(*2)きたの ひろあき:ソニー(株)勤務 日本ディベート協会(JDA)理事

(*2)高尾義彦,『裏から見た東京地検特捜部』,エール出版,1993,pp.33--36

(*3)青木 英五郎,『朝日ジャーナル』,1980.12.19,p.94--95

(*4)朝日新聞,92.12.21夕刊,p.2

(*5)横川敏雄,『自由と正義』 Vol.35--13, 1984, p.44--64

(*6)『刑法雑誌』 Vol. 32--4, 1991, p.536

(*7)林正宏,『法学セミナー』 No.440, 1991, p.8

(*8)西部邁,『自由と正義』 Vol.35--13, 1984, p.44--64

(*9)『自由と正義』 Vol 35-13, 1984, p.26

(*10)『パテント』 Vol.45-4, 1992,p.35

(*11)『判例タイムス』 No.801, 1993, p.4

(*12)高尾義彦,『裏から見た東京地検特捜部』,エール出版,1993,pp.33--36

(*13)篠倉満,『自由と正義』,1979年10月号,P.17



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