第二回JDA日本語ディベート大会決勝戦

論題:「日本政府は医療行為としての安楽死、あるいは脳死した提供者からの臓器移植を合法化すべきである」

「がんばろう神戸」vs.「慶応」

 

1996年3月23日

編集:安藤 温敏


はじめに

  1. 第二回JDA日本語ディベート大会は、神田外語大学(千葉市美浜区若葉)にて開催された。第一回大会と同様、「一般の部」(4チーム参加)と「トーナメントディベーターの部」(12チーム参加)に分かれ、肯定・否定一試合ずつ、計二試合を行った。「トーナメントディベーターの部」については、二試合の結果、上位二チームによる決勝戦が行われた。本トランスクリプトは、この決勝戦の内容を文章化したものである。

  2. 決勝戦の審査員は、井上奈良彦(九州大学)、臼井直人(ウェイン州立大学大学院)、小野剛(東京大学大学院)、瀬能和彦(都立王子工業高校)、古宅文衛(日本総研)の5名。結果は、5名全ての審査員が肯定側の「がんばろう神戸」チームに投票した。

  3. また、本決勝戦の4名のディベーターの中から、審査員の推薦によって、安井省侍郎氏(がんばろう神戸)がベスト・ディベーターに選出された。

  4. 本トランスクリプトは決勝戦の模様を収録したテープより編集された。明らかな間違いを除いて極力ディベーターのしゃべった内容をそのまま掲載している。

  5. 試合中提出された証拠資料に関しては出典が判明しているものに関しては、注釈に出典を掲載しているが、原典の確認等は行っていないので、万一、本トランスクリプトに掲載された証拠資料を使用する場合は、原典を参照していただきたい。


 決勝速記録

ディベーターの自己紹介

 

安井省侍郎 がんばろう神戸

第一立論を担当します安井と申します。92年神戸大学卒で、現在科学技術庁のほうに勤務しております。

今日は一般の方が大変多いと思いますので、できるだけわかりやすいゆっくりのスピーチを心がけますが、なにぶん時間が限られていますから、多少早くなるかも知れませんが、なるべく、頑張ってついていっていただきたいと思います。

フローシートっていいますけれども、紙にですね、議論を書き取っていただく方がですね、やはりいろいろとわかりやすいと思いますので、できるだけ、紙等に、メモで結構ですから、とる様にしていただければ、と思います。

 

飯田浩隆 がんばろう神戸

肯定側第二立論の飯田浩隆ともうします。現在日立製作所に勤務しています。

私は実は、この安井君に誘われまして、この大会にでる、ということを決めたのですが、まさかここまでくるとは思っておりませんでした。

社会人の方は皆そうだと思いますが、私は仕事で非常に忙しい中、なんとか、やっと大会まで間に合った、と。昨日も、深夜までやって朝の四時に全部完成した、といった次第であります。否定側の方は準備万端だと思いますが、どうぞ、お手柔らかにお願いします。みなさん、楽しんでいただけたら幸いです。

 

古川曜子 慶応

否定側の、第二スピーカーの、慶応大学の、今度3年になります古川曜子ともうします。

ここまでこれただけで、台に上っただけで緊張してしまって、安井さんや飯田さんというような、すばらしい方と対戦できることを、非常に光栄に思うのと共に、緊張が倍増してるんですが…、ベストを尽くしたいと思います。お願いいたします。

 

岡安裕正 慶応

否定側第一立論を担当します、慶應義塾大学、今度4年になります岡安裕正です。

そうですね…、準備はあまりできていなくて、ちょっと不利なんですけれども、まあできる限り頑張って、いい試合をみなさんに見ていただけたらと思っています。


肯定側第一立論 安井省侍郎 がんばろう神戸

 

それでは肯定側第一立論を行います。よろしいでしょうか。

我々肯定側は「日本政府は脳死した提供者の臓器移植を合法化すべきである」という立場から論じます。

 

まず、論点1において、脳死と臓器移植の現況につき説明します。

 

1 医学的に脳死は人の死と認められています。

 

秋山元教授は、脳死臨調の中間意見につき、91年にこう述べています。

「脳死をめぐる国民感情と社会的合意については、『本調査会においては、脳死を持って人の死とすることが、医学的に見て合理的な考え方であって、これをもって社会的、法的にも、人の死とすることが自然な考え方であって、これを否定すべき積極的な根拠も見いだし難く、また国際社会の認識とも一致する、というのがおおかたの意見であった』とした。」

(1 秋山あきお著「臓器移植をどう考えるか」講談社 51ページ)

 

2 脳死を人の死とすることは、社会的にも定着しつつあります。

 

秋山元教授は、91年にこう述べています。

「そして、脳死であることを告げられた少なくない数の家族が、積極的な医療の継続を望まず、そのことが必然的に心停止をもたらすことを承知で、人工呼吸の停止に同意している事実がある。この意味では、わが国においても、脳死を持って人の死とすることは、すでに定着しつつあるといって良い。」(2秋山あきお著「臓器移植をどう考えるか」講談社70ページ)

 

3 しかし、日本では脳死者からの移植、とりわけ肝臓移植は行われていません。

 

東大医学部脳死論争を考える会は91年にこう述べています。

「現在、日本で臓器移植といえば、必ずしも脳死を前提としない腎移植と生体部分肝移植に限られている。」

(3 東大医学部脳死論争を考える会編「解剖日本の脳死」筑摩書房1ページ)

 

4 その理由は、現行法制の下では、殺人罪で告訴される恐れがあることです。

 

東大医学部脳死論争を考える会は、91年にこう述べています。

「また、脳死者からの臓器移植が殺人に当たるかどうかはともかく、日本では告発される可能性があるという懸念から、脳死者からの臓器移植に踏み切れないでいる医者がいることも事実である。

(4 東大医学部脳死論争を考える会編「解剖日本の脳死」筑摩書房155ページ)

そこで我々は以下のプランを提案します。

1 日本政府は脳死を死と認め、脳死した提供者からの肝臓移植を合法化する法律を制定します。

2 脳死判定は厚生省研究班の判定基準に加えて、脳血流の停止の有無を確認し、かつ検査の記録を残します。

3 臓器の提供者は、生前に臓器の提供を承諾し、かつ2の手続きを経て、脳死が判定された者に限定します。

4 脳死の提供者からの肝臓移植には健康保険を適用します。

5 2から4に違反した脳死の判定、または臓器移植を行った医師については、刑事制裁を課します。

論点2において、肝臓病患者につき説明します。

 

1 現在、肝臓病で4万人以上の人が亡くなっています。

秋山元教授は91年にこう述べています。

「日本肝臓学会に属する肝移植適応研究会の久留米大学谷川久一教授によると、わが国で毎年二万人が肝癌で、同じく二万人が肝硬変で、三〇〇〇人が劇症肝炎で亡くなっている。」

(5 秋山あきお著「臓器移植をどう考えるか」 38-39ページ)

 

2 肝臓移植は脳死状態の提供者からしか行うことができません。

 

評論家の立花氏は88年にこう述べています。

「しかし、心臓とか肝臓の場合には、脳死の人からとった臓器でないと移植できないんです。こういう臓器は死後変化が急激に起こるから、普通に死んだ人の臓器では間に合わないんです。その点、脳死の人の臓器なら、死んだといっても、脳以外の臓器は生きた状態にあるから、移植に使えるわけです。」

(6 立花隆「脳死再論」中央公論社 51ページ)

 

3 生体肝移植は小児に限られ、大人に行うことはできません。

 

秋山元教授は91年にこう述べています。

「生体部分間移植がカバーできるのは、小児の移植に限られる。先天性胆道閉鎖症の発症頻度は、年間にすると一五〇人を超えない。一方、大人では年間四万人以上が肝疾患で生命を失っている。その人びとは、一回は肝移植の適応を考慮する機会があったはずの人びとである。」

(7 秋山あきお「臓器移植をどう考えるか」 197ページ)

 

次に論点3において、我々の提案が肝臓病患者を救うことができることについて説明します。

 

1 臓器の提供を承諾する人は増加しつつあります。

 

藤田教授は91年にこう述べています。

「しかし、各種の世論調査の結果を見ると、自分が脳死と診断された場合、臓器を提供しても良い、移植手術も受けたい、という回答がしだいに多数派になりつつあります。とくに青少年層の間で、移植肯定派が確実に増えつつあります。」

(8藤田真一 東京大学脳死論争を考える会編著 筑摩書房「解剖日本の脳死」220ページ)

 

2 脳血流検査を行うことにより、脳死の判定は確実に行えます。

 

評論家の立花氏は88年にこう述べています。

「さきほど脳死判定の必要十分条件はないと述べましたが、機能チェック法に頼るかぎりはないが、そうでなければあるのです。脳血流停止がそれのわけです。脳血流が完全に止まれば、それは脳死の十分条件になるんです。脳血流が止まってなおかつ脳が生きているということはあり得ません。」

(9 立花隆 「脳死再論」中央公論社 40-41ページ)

 

脳血流検査は実施可能であり、実際にも行われています。

 

評論家の立花氏は88年にこう述べています。

「私が感心したのは、千葉県救急医療センターの判定基準である。ここでは、一回目の判定と二回目の判定の間に一二時間置くことにし、その際、必ず脳波の他に聴性脳幹反応と脳血管造影検査を行うことにしている。そして、その記録用紙や写真を患者の家族に見せることにしている。」

(10 立花隆「脳死再論」中央公論社 285-286ページ)

 

3 肝臓移植の生存率は80%に達しています。

 

石原日本民医連理事は92年にこう述べています。

「(肝臓移植の)生存率については、一九七〇年代では一年生存率三五%、五年生存率二五%しかなかったものの、一九八〇年代以降、急速に伸びて、今日、一年生存率は七〇〜八〇%、五年生存率でも六〇%〜七〇%にまで達しています。それも肝ガン患者など、もともと予後の困難な例が、全体の数字を押し下げているため、これらを除くと五年生存率でも八〇%を超えているといわれます。移植をしなければ短時日で死亡するという人々にとって、人工肝臓は未だ想像の段階でしかない今日、この数字は大変な数字と言えるかも知れません。

(11 石原廣二郎「脳死みえない死」同時代社 78ページ)

4 移植の際に用いる免疫抑制剤の副作用の問題は解決済みです。

 

秋山元教授は91年にこう述べています。

「血中濃度の測定が可能となった後は、使用量が適正化の方向に向かったが、現在では従来用いられてきたアザチオプリンなどの免疫抑制剤を同時に併用して、それぞれの薬剤の長所を活かしながらシクロスポリンの投与量を半分に減らす、多剤併用療法が一般的となった。このことにより、それまでのシクロスポリンの副作用の問題は臨床的には片づいたものといってよい。」

(12 秋山あきお「臓器移植をどう考えるか」講談社  34-35ページ)

 

5 免疫抑制剤投与に伴う感染症も、薬剤投与によって解決できます。

 

秋山元教授は91年にこう述べています。

「現在では、真菌に対してもウイルスに対しても、またエイズで有名なカリニ原虫に対しても有効な薬剤があり、感染症は臓器移植にとって常に潜在的なリスクではあるが、高い患者生存率に示されているように、移植を受けることをためらわせる要因ではない。」

(13 秋山あきお「臓器移植をどう考えるか」講談社 261ページ)

肝臓移植の実施により、多くの人の命を救うことができます。肯定側への投票をお願いします。


 

反対尋問 古川→安井

 

古川:では質問させていただきます。まず、論点2から入らせていただきます。

一枚目の証拠資料について、現状で4万人以上、肝臓移植手術が必要な人がいるということですね。で、これらの人々は、手術をしなければ、現状では死んでしまう、ということですか?

安井:そうです。

古川:で、そのような人に、手術以外は生きる術がないような人に、確かに、適切に手術が施される、という証明はどこにありますか?

安井:適切に手術…、つまり生存率の話ですか?

古川:はい、つまり手術以外に生きる…成功率の…

安井:生存率の話ですね?この「4万人以上」のカードはですね、死亡した人の数です。

古川:死亡した人の数…

安井:つまり、他の手段では助けることができないものです。

古川:じゃあ、今、現状において、手術が必要な人というのは、どこで…

安井:それは4万人です。つまり、この4万人を肝臓移植によって救うことができます。

古川:6万人?

安井:4万人です。4万3千人ですね。肝臓…

古川:現状での…?4万人はすでに死んでしまった人の数で…

安井:毎年です。

古川:毎年4万人。わかりました。

わかりました。じゃあ、現状において、年4万人ずつ、手術以外には生きる術のない人がいる、と。で、そのような人に、確かに手術が行われる。つまり、手術をしなくても生きられるような人というのは、まあ、いると思うんですが…

安井:いません。いまこれは、死亡のデータですからね。他の手段があれば、今生きているはずですから。

古川:わかりました。はい。

では、論点3で、4枚目の証拠資料ですが、これは、その…、これもまた、移植手術を…

安井:移植手術をした後にですね、5年間生存できることを5年生存率といいますが、この5年生存率が約80%に上るということをこのカードは述べています。

古川:どのような人に手術をしたのですか?

安井:どのような人…、肝臓疾患の人ですね。

古川:移植をしなければ死んだ人ですか?

安井:そうですね。まあ、いずれにしても移植の必要のある人ですね。必要なければ移植なんかしませんからね。

古川:必要がなければ移植はしない…

安井:当然ですね。

古川:そうですか…。では、次の証拠資料で、免疫抑制剤の話ですが、ここでの免疫抑制剤が、副作用を起こさないという原因は、二つ…

安井:これは、シクロスポリンとですね、アザチオプリンという、まあ複数の免疫抑制剤を…

古川:それを正しく、調合できる、医者ができる、ということですか?

安井:そうですね。臨床的に、すでに行われている…

古川:それは、また、少量で使うからこそ、副作用が起きない、ということで…

安井:違いますね。多剤を…、要するに、複数の免疫抑制剤を併用することによって防ぐことができる、ということです。量の問題ではありません。

古川:わかりました。ありがとうございました。


 

否定側第一立論 岡安裕正 慶応

 

はい。

緊張しちゃって。

前回は緊張してしまって、いわゆるサンクスワードを言えなかったんですね、なので、今回は、サンクスワードを、いいたいと思います。

まず、大会を開いてくださって、僕たちにこんなすばらしい経験をさせてくださった人たちに本当に感謝しています。それと…、僕たちに二回ボートしてくださったジャッジの方にもとても感謝してます。その次に、慶応ディベートスクワッドのみなさん、応援してくれたみなさんには、すごく感謝しています。やっぱり、がんばんなきゃいけないなあって思うんです。では、始めます。

まず、否定側の第一立論としては、まず、プランを採ることによって得られる不利益をまず述べて、その後に、肯定側の論点2、論点3と進んでいきたいと思います。あ、一つです。すいません。弊害は一つです。よろしいでしょうか。

弊害その一。死の概念の拡大について。

A 現状において政府は、国費削減のために、植物状態の人間、身体障害者など、弱者を切り捨てる動機があります。横沢軍四郎さんは、「脳死」という本の中で、「わが国では、交通事故や脳血管障害などによって毎年数千人の人が、いわゆる『植物人間』になっているという。また自分の存在感すらもないような、重い精神障害者や老人性痴呆患者は、おそらくその何層倍もいるであろう。これらの障害者に使われている多額の国費を、少しでも削減したいというのが、真の本音なのではないだろうか。なぜなら、植物状態や重度の脳障害は『脳死状態』ときわめて類似しているからである。」(14「脳死」技術と人間 87ページ)と述べています。

B そして、「脳死」の導入は、弱者の切り捨てを正当化することになります。

作家の天笠さんは、91年に、

「これと同じ論理が様々な人たちに波及していくことは必至です。たとえば植物状態にある患者さんなどは、早く死んでもらいたい対象なわけです。ですから脳死が導入されますと、歯止めがとれて、植物状態の患者さんが真先に切り捨ての対象となります。もしそうなりますと、重度の精神障害者、老人性痴呆症患者等が次に切り捨ての対象となる、というように、対象は次々と広げられていくことになります。」(15DNA問題研究会「脳死・臓器移植を問う」技術と人間 215ページ)

で、C として、一度許可すると、切り捨ては歯止めが効かなくなり、多くの人が殺されてしまいます。

野中さんは、リポーターのひとは、94年に、

「恐ろしいことは、死の概念の枠をいったんゆるやかな方向に取りだすと、際限がなくなるということである。一九二〇年ドイツの精神病学者A.ホッヘはその著書『無価値生命の抹殺の解除について』の中で『治療の見込みのないもの』『生を訴える能力のないもの』『外からの刺激に反応を示さないもの』を『精神的死者』と断じた上で『精神的に死んでしまった者を処置することが、犯罪でも、非道徳的な行為でも、感覚的に残虐な行為でもなく、許し得る有益な行動であるとされるときがくるであろう』と述べ、ナチスの到来を“見事”に予言した。」(16「生命操作社会からの警告」31ページ)と述べています。

それで、論点の2番、肝臓病について。

1番目の資料を見て欲しいんですけれども、ここで述べているのは、4万人肝臓病で死んでいる、と。で、安井さんが(不明)答えてらっしゃったように、死んでいるのは4万人、でも、もっとその、死なないで、実際それを持ってらっしゃる患者さんの数は、もっとはるかに多い、ということが言えるでしょう。

で、問題は、その、本当に、死んでしまうような、緊急の事態を要するような患者さんに移植が行われているかどうかです。そこについて我々は、論点3で明らかにしたいと思います。

まず、論点3の一つ目。一つ目の、一番目のカードで、現在では臓器移植を希望する人が増えている、とあるんですけれども、これは、このような世論調査をやって、「あなたは臓器移植をやってもいいでか」と言って、「はい」と答えた人の数だと思うんですけれども、これは、本当に臓器移植を希望する…死んだときに臓器移植をする人の数とは一致しません。なぜならば、そのようなアンケートに答えることと、実際に提供することは違うからです。実際に、日本ではドナーはいません。これは、死体腎移植によって経験的に証明されています。

慶応大学医学部の近藤先生によりますと、

「日本での脳死ドナーの推定には死体腎ドナーの数が参考になる。…一九九〇年は一〇五人が死体腎ドナーとなった。脳死移植が開始されれば、この数が増えるだろうか。脳死移植の有用性がこれほど宣伝されたので、それに共感して臓器提供の医師を持つ人が増えるとも考えられる。しかしスイスでは、臓器提供のキャンペーンの結果、脳死ドナーは減少傾向となった。加えて、1それら死体腎ドナーは脳死状態を経過したものであっても、臨調の脳死判定基準を満たすとは限らない。2これまで家族の同意だけで死体から腎摘出できたのに、脳死者からの摘出は本人の事前意志を尊重しなければならなくなった。3死体からの摘出には同意する家族も、脳死状態からの摘出には抵抗するだろう。これらの事情からも、脳死ドナーは減ると考えるのが素直だろう。日本で脳死移植が始まった場合、脳死ドナーはおそらく年間数十人、悪くすると数人だろう。」(17慶応大学医学部講師 「科学朝日」92年6月号36ページ)、という風に述べています。

次なんですけども、4のカード…4番目のカードを見て欲しいんですけども「80%5年生存率」とあるんですけども、このカードで述べていることを見てください。「肝臓移植をした人が5年間生きた」、それだけの話じゃないですか。じゃ、その人たちはしなかったらどうなるんだろう。仮に、一人…、しなかったら1年しか生きられなかった人が5年生きられた、それはすごく価値のあることなんですけど、「受けた人がただ5年生きた」というんだったら、もとがわからないだけに、それがどれだけいいことなのか、判断することは不明です。

実際に、そういった、欧米で臓器移植を受けているような人は、1年以上…、1年も2年も生きられるような状態の良い患者さんなのです。

近藤先生は、

「一〜二カ月しかもちそうもないほど状態の悪い患者に移植すれば、たいてい失敗する。成績が不良なら、脳死移植に対する世間の支持を失う。そのため欧米でも、新たに移植を始める施設は、状態の良い患者を選んで移植を始めたりしている。昔から移植を手掛けている施設でも、選択基準を緩くしてきて、一年以上の生存が見込まれる患者も対象となっている。」(18慶応大学医学部講師「科学朝日」92年6月号 39ページ)と述べています。

よって、この、対照の…、対照試験を行わない限り、本当に臓器移植が有効な治療なのか、ということははっきりとはわからないと思います。これはただ、臓器移植をした人が長生きした、というだけの話です。

次なんですけど、免疫抑制剤の話なんですけれども、免疫抑制剤の副作用は、解消されたと思います。で、副作用が…、たとえばその、副作用が、その、高血圧や、動脈硬化や、痛みや苦しみだとしたら、主作用はなんでしょう。主作用は、臓器を拒絶しないために、免疫を抑制することです。免疫抑制剤の主作用は免疫抑制で、その副作用が(不明)です。で、このカードが述べているのは主作用ではなく、副作用が解消された、と言っているだけです。で、主作用である免疫抑制は残ります。

で、免疫抑制がおこると何が起こるかというと、これはエイズと同じ状態で、感染症を招くわけです。

で、これは渡部先生が…医学博士の渡部先生が94年に述べているところによりますと、

「拒絶反応を防ぐための強い免疫抑制剤の使用は、移植患者の抵抗力を落として七〇パーセントの症例に種々の感染症を起こし、また、その副作用として動脈硬化、高血圧、腎不全や各種のがんなどを高率に発生させる。」(19医学博士「日本の論点95」94ページ)、と。だから、副作用が解消されたとしても、この、主作用である免疫抑制による70%の患者には、感染症が起こってしまうわけですね。特に、この話は、日本で非常に起こりやすい話です。

近藤先生は、科学朝日92年6月号の中で、

「欧米では五種類以上の薬を処方すると犯罪的といわれるのに、日本の大学病院では、入院患者の四分の一が一〇種類以上の薬を処方されていたりする。抗生物質の乱用の結果、耐性菌の出現が大問題になっていて、感染症との戦いを強いられる移植を始めては危険である。」(20慶応大学医学部講師「科学朝日」92年6月号 41-42ページ)と述べています。

この耐性菌というのは、どういう菌かと言えば、薬が効かないから

「耐性」なわけです。よって、これらの菌が繁殖をすると言うことは大変危険だと言えます。実際彼らのカードで述べていることは、その…免疫抑制の副作用は防げるとしても、主作用は防げるとは言っていない…言っていませんので、これは確実に覚えて(不明)。

で、次のカードで感染症に問題がない、と言ってますけど、このカードでは当然、この耐性菌の話はしていません。なぜならば耐性菌というのは、薬が効かない菌のことだからです。


 

反対尋問 安井→岡安

安井:まず弊害から、質問させていただきます。基本的に弊害はですね、現在は弱者切り捨ての必要があると。肯定側のプランによってその歯止めがなくなってしまうということなんですが、現在ですね、政府が、弱者切り捨ての、そういう思想をもっているとしますね、まあおっしゃるとおりだと思うんですが…、なぜ現状で発生しないんですか?

岡安:現状で発生しないのは、ですか?それは…

安井:死の概念は、なぜ今、変更されていないんですか?

岡安:死の概念が変更されていない理由ですか?それは変更されようとしているのではないでしょうか。脳死がコンセンサスになって…

安井:ということは、別にこのプランがなくてもこれは変更されますよね?

岡安:そうですね。ただ、その場合でも脳死が導入される、ということの、肯定側のプランの、問題…

安井:でも、これは別にプランを採らなくても変更されるんですよね?いずれね?

岡安:そうですね。プランを採らなくても、いずれ脳死の概念…

安井:それは別に、その、プランを採っても採らなくても全然関係ない話じゃないですか?

岡安:ただ…

安井:じゃ、論点を変えましょう。今現在、このようなことが起こっている、まあ、そのような弱者切り捨ての思想があるとして、

なぜ今現在、起きていないんですかね?それは、あなたの議論では経験的に否定されている、と思いませんか?

岡安:それはだから、そのような政策が…、モーティヴが…、あ、すいません、動機が…、動機付けがあって、そのような政策が行われようとしている、というのは、あると思います。

安井:あるけれども、今、行われていませんね?これからもずっと行われないかも知れませんね?

岡安:そうですね、ただ、脳死がコンセンサスである、という社会(不明)…

安井:じゃ、次に行きますが、あ、失礼しました。じゃ、脳死からの臓器移植って欧米でやられていますよね?欧米でこんなの起こってますか?

岡安:欧米の、その…、行政が、そのような動機を持っているかどうかは…

安井:日本政府と欧米の政府は、どう違うんですか?

岡安:日本政府は…、その…、弱者の看護による赤字に苦しんでいます。

安井:それはどこでも同じじゃないですかね?

岡安:そうですかね…

安井:ええ。アメリカは特にずっと多いと思いますね、日本より、ね。はい。じゃ、次行きましょう。次に、論点3ですが、ドナーは意志(?)が増えるという、ことを…、まあ、減る、ということをですね、おっしゃってますけども、仮にですね、あなたがおっしゃった、数十人、とおっしゃいますけども、数十人ドナーがいれば、移植はできますよね?岡安:はい、できますね?

安井:最低限それはできますよね。

岡安:はい、最低限。ま、多くても…

安井:それは、利益になりますよね?

岡安:はい、なります。多くて数十人、少なくて数人です。

安井:わかりました。次に、欧米では、一年も二年もいきられる人がなっているなどと言っていますが、日本でそうなるという保証は?

岡安:日本でそうなるという保証は、そこに書いてあるとおりだと思います。その…

安井:これ、欧米の話しかしてませんよね?日本でこうなるという…

岡安:欧米の例の…、カードを見ていただければわかるんですけれども、欧米の例は文の後半で、前半は、世論の合意を得たいがために、医者が、そういう風にやってしまう、ということですね。

安井:そうですね。

岡安:それはだから、日本のことを言ってるわけじゃないですか。

外国の本ではないですから。で、欧米で…、そういうことを述べた後に、欧米では実際そういう風になっている、ということを…

安井:全部がそうなるんですか?

岡安:そういう患者をを優先…

安井:全部がそうなるんですか?このカードは、全部の人が一年以上生存率の人しかやられないって言っていますか?

岡安:言ってません。

安井:言ってませんね。

岡安:ただ、覚えておいて欲しい…

安井:それとですね、感染症の話ですけれども、論点3の一番最後のカードは、これは…(時間切れ)、失礼しました。


 

肯定側第二立論 飯田浩隆 がんばろう神戸

 

はじめにですね、ここに立つに当たって、(不明)を始める前に、感謝の言葉を述べさせていただきます。

まず、否定側も述べられたように、この大会を主催して、私にここに立つ機会を与えてくださった委員の皆様、そして、ジャッジの皆様、そして、私に残業を切り上げて早く帰ることを許してくださった職場の上司、そしてなによりも、安井君の家で合宿をするときに、いろいろ手伝ってくれた安井君の奥さん、最後に、この大会に誘ってくれて、いろいろ(不明)くれた、パートナーの安井君に、感謝の言葉を捧げます。

では、不利益、そして、論点3、論点1、論点2の順で述べていきたい(?)と思います

まず不利益についてですけれども、第1に、この不利益は、我々の議論とは無関係です。否定側の議論は、脳死を死と認める考え方が弱者切り捨てを招く、というような形で主張しているのであって、脳死を法制化することにより、このような考え方が広がる、というような証明はありません。

第2番目としまして、脳死を死と認める考え方は、今でもあります。論点1の証拠を参照してください。脳死臨調の結論で、脳死は医学的社会的にも、死と認められている、と述べておりますし、それは、社会的にも定着しております。

第3番目に、にも関わらず、弊害は生じておりません。これは、この不利益が経験的に否定されていることを意味します。第4番目に、欧米のケースにおいても経験的に否定されています。欧米ではすでに脳死が導入されているにも関わらず、このようなことは起きておりません。

第5番目に、死の概念の拡大は、医学的根拠を持たず、意志の反対により実現しません。

秋山元教授は91年に次のように述べています。

「脳死の概念が定着したら、大脳の働きが十分でない人々にまで脳死の概念が際限なく拡張されて、社会的弱者から臓器が取られるようになるという杞憂は、現実とはなりえない。一部の倫理学者が、大脳の機能がなくなったら人の死としてもよいと主張したところで、脳死者と植物状態を厳しく区別している脳神経領域の専門医が、大脳の働きが不十分であることをもって人の死とすることに賛成するはずがない。」(21「臓器移植をどう考えるか」講談社 249-250ページ)

第6番目に、弱者切り捨ては、社会の反対により実現しません。

秋山元教授は、91年に次のように述べています。

「そして誰が見ても、生きていることを実感できる植物状態の人を死者扱いすることは、わが国の社会が許すはずはない。社会は良識ある多くの人びとで構成されている。法律家もいれば、社会学者もいる。しかもわが国は、従来からのものの考え方を変える際には、きわめて保守的な国民性を持っている。私にはこの心配は杞憂というよりは、為にする議論としか思えない」(22「臓器移植をどう考えるか」講談社 290ページ)

第7番目に、何人の弱者が、誰にどのような手段によって殺されるのか、証明がありません。よって、この不利益は成立しません。

第8番目に、肯定側のプランは、現状で切り捨てられている弱者を救うことができます。

秋山元教授は、91年に次のように述べています。

「脳死の概念が認められると、社会的弱者が臓器移植の標的にされるという危惧が主張されているが、社会の監視の厳しいわが国で、そのようなことが起こることはありえない。弱者という意味では、移植を必要とする患者さんは危惧の主張の中にでてくる社会的弱者より、さらに弱者であることを忘れてはならない。」(23「臓器移植をどう考えるか」講談社 262-263ページ)したがって、利益の方が上回ります。

次に、論点3に移ります。

まず、否定側は、脳死からの臓器移植に関して、ドナーがいない、ということを論じております。しかしながら、このケースはまず、死体からの移植のケースをさしたものでありまして、しかも、1990年の状況であります。

しかし、状況は変わりつつあります。我々のカードは、1991年の世論調査に基づき、次第に提供を承諾する人は、多数派になりつつあります。特に、若年層の間でこれが支持されている、と述べています。従いまして、我々の新しいアナリシスの方が優れております。

次に、本人が承諾することはないということを、このカードで述べておりますが、これも、状況は変わりつつあります。読売新聞社は、世論調査の分析の結果、こう述べています。「欧米では、元気なうちに(臓器提供の)意志表示をしておく運動が盛んで、わが国でも、この運動が広がりを見せる可能性がある。」(24「いのちの最先端・脳死と臓器移植」194ページ、( )内は引用者による)

従いまして、否定側の示した状況に比べて、変わりつつあります。

我々の新しい分析の方が優れております。

最後に、少なくともこの否定側のドナーがいない、という議論につきましては、この証拠自身においても、少なくとも数十人はいる、ということを述べておりますので、肯定側の利益を完全に否定する議論とはなりません。

次に、成功率の議論に移ります。

否定側は、5年生存率80%と述べているが、それは状態の良い患者のみを対象としている、ということを述べています。しかしながら、この議論は正確ではありません。

まず第一に、否定側の証拠においては、これは、肝臓移植をなんら示しているものではありません。そして、肝臓移植におきましては、論点3の4枚目の証拠を参照してください。こちらにおきましては、肝臓移植では、短期間で死ぬ、という人を対象にしていると、80%というような成功率は大変な数字である、と風に述べられています。この点につきまして、もう一枚補足したいと思います。

秋山[元]教授は、91年に次のように述べています。

「肝移植の場合は、透析というほかの生きる手段のある腎移植と異なり、移植しなければ必ず命を失う患者さんを対象としている。一〇〇%生きられるはずであった患者さんの二〇〜三〇%を移植で失うのではなく、数カ月以内に生命を失うことが予測されていた患者さんの七〇〜八〇%を救けることができるということである。」(25「臓器移植をどう考えるか」 37ページ)

このように、肝臓に特化した、我々の分析の方が優れております。我々の分析を採用してください。

次に、感染症の議論に移ります。

彼らは、臓器移植から感染症が(不明)し、またそれは耐性菌であって薬では治癒できない、と述べています。しかしながら、彼らの証拠では、抗生物質の乱用により、このような耐性菌が生じるというのであって…、という、特殊な傾向を述べているのであって、決して一般化できるものではありません。

第二に、先ほどの80%の成功、という議論を参照してください。

少なくとも、数カ月で命を失う患者が80%助かっているのであります。このこと自体が、否定側の議論を経験的に否定している、ということがいえます。

次に、論点1に移ります。

脳死は死であるということは、社会的にも認められているという、1枚目のカードを参照してください。そして、このことは、社会的にも定着しつつあります。この点は、否定側から何の反論もありません。

また、論点2を参照してください。現状においては、4万人の患者が、移植の機会なく死んでいるのであります。特に論点2の3枚目のカードにおいては、大人は生体肝移植の対象とならずに、4万人が命を失っている、と。その4万人というのは、一度は肝臓移植の機会を検討する…機会のあった人々である、ということを述べております。従いまして、これらの4万人という数字は、肝臓移植の対象となる数字を述べたものであって、我々のプランというのは、この4万人に対して生存のチャンスを与えるものであります。

以上です。


反対尋問 岡安→飯田

 

岡安:じゃあ、まず、肯定側の、論点の3つ目から行きたいと思います。論点の3つ目なんですけども、臓器移植を希望する人が増えている、というんですけれども、その…、実際150人しかいないではないか、と、それは90年であって、91年には変わっているという風に言っているんですけれども、91年にアンケートをとって、多数派になっているのにも関わらず、なぜ90年に150人しかいなかったんですか?

飯田:91年に状況が変わった、ということではなく、脳死を…提供を希望する人が、次第に増えている、(不明)というのが我々のカードです。

岡安:次第に増えつつある、と。はい、わかりました。それで、最近は自分が、嫌だ、というふうに言うけれども、自分も臓器移植を、提供する方向に変わりつつある、(不明)という話を…(不明)

飯田:はい、そうです。

岡安:わかりました。次、4番目なんですけれども、…すいません、5番目のカードで80%…4枚目でしたっけ?80%…、5年生存率の話です。についてなんですけれども、これは、短期間で死亡する人についてやっているから、すごい、いい数字なんだ、という風に言ってるんですけれども、この、移植をしなければ短時間で死亡する人にとって、この数字は大変な数字、っていうんですけれども、そういう人たちにとってみて、もし5年間は生きられるのであれば、それは魅力的な数字である、という意味ではないのでしょうか?これは、この文章から、肝臓移植が、そういう人たちに対して行われている、という証明はなるのでしょうか?

飯田:その点に関しては、第二立論で読んだ証拠を参照ください。

岡安:証拠資料を…

飯田:肝臓移植につきましては…、肝臓移植につきましては…、じゃ、後で見てください。

岡安:で、ですね、論点の、5番目なんですけれども、5番目の2番目、耐性菌の話なんですけれども、抗生物質に対して耐性菌が生まれてきた、と。それはだから例外的な話である、と、いう風に述べていらっしゃる…

飯田:抗生物質の乱用によって生まれてきた、というふうな、否定側の分析だと理解しております。

岡安:はい、わかりました。では、不利益の方、お願いします。不利益の最後の反論なんですけれども、これは、実は我々の議論を補助している、という風に言うんですけれども、これは要するに、つまりその、そういう人たちが殺されたとしても、殺されたことによって助かる人たちの方が大切だ、つまり、肯定側の利益の方が、不利益を上回っている、ということでしょうか?(時間切れ)

飯田:(不明)社会的弱者である、という風に述べています。

岡安:はい、わかりました。


 

否定側第二立論 古川曜子 慶応

 

論点3だけやります。よろしいですか?

では論点3。まず最初に、ドナーの数の話です。こちらが言ったのは、90年の段階で、150人しか死体腎ドナーがいない、と。で、肯定側の1枚目のカードが、91年だと、そこの1年の違いだとおっしゃいましたが、91年、増えつつある、その状況で150人しか名乗り出ていない。

これ、現状では、その、死体からとれる臓器は腎臓だけなので、死体腎ドナーの数を目安にして考えるわけですが、名乗り出ている死体腎ドナーが、この年に、増えつつあるこの年でも105人、105人しか出ていない。で、それを考え…プラン後どうなるかと考えると、死体からは取ってもいいだろう、と考える人は、まあ、いるでしょう。でも、プラン後は、脳死段階からの移植です。脳死段階…やっぱりそれは本当の死かどうか、普通の人にとってはわからないところです。その脳死段階からの摘出にはやはり、死体からは取ってもいいとしても、脳死段階からの摘出は躊躇する人も出てくるでしょう。という話が、私たちの1枚目のカードです。

で、これを考えて、結果として、結論として、数人しか出ない、数十人しか出ない、増えたとしても、まあ、数十人ですね、だということです。

で、これを考えて肯定側は話されたように、現状で4万人、毎年4万人肝臓移植を必要としてもできずに、死んでいる。4万人も感染している人がいるんです。でも、できるのは、ドナーは、50人…数十人しかいないので、4万人の中から何らかの方法で、その数十人のドナーと、その移植を受けられる数十人を選ばなきゃいけないわけです。

そのときにどうするか。やはり医者は、4万人の中から選ぶとしたら、手術の成功率が高い人を選ぶでしょう。これは、我々の第一立論で述べた、二枚目の証拠資料ですが、世論の合意を得るために、手術を成…移植手術を成功させ、その生存率をよくするために、よい手術をするために、もともと状態の良い患者を選ぶ、と。手術をしなくても生きられるような人に、手術を適用して、まあ、5年生きたなり10年生きたなり、そういう長い年数を宣伝したいわけです。だけど、その人はもともと手術をしなくたって5年なり10年生きられた人だということです。その…それで彼らはその…これは欧米の話で日本には当てはまらない、と言いましたが、日本にも当てはまることを、今、証明します。

臨床心理学研究第28巻、91年によりますと、

「昨年2月16日に『脳死者からの肝臓移植を認める結論』を出した東大医科学研究所の倫理審査委員会は、その記者会見で<者昭適合医は座視して得られるわけではない。脳死者からの臓器移植が成功し、人名の救済例が増えることによってこそ築かれる>と強硬姿勢をあらわにしている。」(26第三号、55ページ)つまりこの、東大の、医科大学が、日本において、そういう手術の成功によって、社会的合意が得られる、と。もちろん…ですから、この話は日本に当てはまる。ですから、状態の良い患者を意図的に選ぶ、ということは日本でもあり得る、と、確かに言えます。そして、第二肯定立論で読まれた一枚のカード…、肝臓移植は数カ月しか生きられない人から…に…適用される、と読まれましたが、このカードをよく読んでみますと…もう一回読み直しますと、移植しなければ必ず命を失う患者さんを対象としている…必ず命を失う、と言っているだけで、それがいつ失うものなのか、ここ一ヶ月、ここ半年なり、そういう短い期間で、今適用しなければ死んでしまう人なのか、という証明はまったくありません。それが、我々のカードによって反論されているわけです。いまやらなくてもいいような…今やらなくても5年なり10年生きられるような人に適用してしまう。そこが問題なのです。それで、今必要な人が救われていない。それが不利益になるわけです。

そして、次に、感染症の話ですが、ここに、その…、感染症が本当に害だということを、もう一枚サポートして、証明します。あらいさんは、95年によりますと…、「漂流する現代医療」の中で、こう書いています。

「免疫能は外界の病原体の他、生体内で新規に生じた変性細胞や腫瘍細胞に対して、いずれもこれらを排除する方向に作動する。免疫能が崩壊していく過程で、あるいは崩壊した結果として病人は肺炎になり、悪性腫瘍になって死亡する。」(2794ページ)となっています。これは、免疫抑制剤を使用した人の70%が、これらの、肺炎なり悪性腫瘍なりの害を被って死んでしまうわけです。以上です。


反対尋問 飯田→古川

 

飯田:質問させていただいてよろしいでしょうか。まずですね、あなたの方としては、ドナーが少ない、と、従って、成功させられる患者が選ばれる、と、いう風に述べましたが、このことは、どのようになるんでしょう?これは、不利益として機能するんでしょう

か?

古川:そのことによって、その…本当に適切な人が…本当に手術を受けるべき人が、受けられない。そして、手術を…今、必要ないのに受けてしまった人が、免疫抑制剤によって感染症にかかり死んでしまう。かえって、死んでしまう、ということです。

飯田:まず、今必要ない人、とおっしゃいましたけど、その人については、手術を受けてよくなるのであれば、それは利益ですよね?3年以内に死ぬかも知れないけれども、手術を受けることによって10年生きられるようになる。これは利益ですよね?

古川:その、3年…手術をしないと何年生きられたはずの人が10年、さらに生きられるようになる。そこの年数が延びる、という証明がなされていないので…

飯田:状態の良い患者が移植を受けて健康になるということは、利益ですか?

古川:いえ、状態の良い患者というのは、手術を受ける必要がないので、かえって免疫抑制剤で死んでしまう、ということです。

飯田:なるほど。とすると、近い将来死ぬ、という患者が移植を受けるのであれば、それは利益ですよね?

古川:はい。今、手術以外では生きる術がないような人…

飯田:次に、副作用の議論に行きますけれども、まず、これは、状態の良い患者から…第一立論で、状態の良い患者のみ移植を受けるので、この80%という数字は信用ならない、と述べましたよね。

で、この状態の良い患者から移植を受けて感染症で死亡する、ということを述べましたよね。すると、感染症で死亡する人というのは、少なくとも20%しかいない、ということですか?80%は助かっている、という風に理解してよろしいんでしょうか。

古川:いや、80%という意味が、助かっている…その、助かっている、という意味が、もともと5年生きられる、手術がなくても5年生きられる人が、ただ、手術して、5年生きている、それだけならば、利益にはならない、ということです。

飯田:手術して5年生きられる人が手術を受けて…

古川:いや、手術を受けなくても5年生きられたはずの人が、手術をして、その人の生存率が5年だ、5年生きて何%だと言っても、手術の効果を示しているわけではない、という…

飯田:それはわかりました。その人は、現在副作用で死んでおりますか?

古川:副作用ではなくて、感染症で…

飯田:感染症で死んでおりますか?80%生きているわけですよね?

古川:はい。

飯田:わかりました。ありがとうございます。以上です。


否定側第一反駁 岡安裕正 慶応

 

すいません、はじめさせていただきます。論点の2つ目と論点の3つ目について、説明させていただきたいと思います。論点の2つ目から始めます。

論点の2つ目。最初のカードなんですけれども、肝臓疾患で4万人死んでいる、と。4万人死んでいる、ということは感染している人は、もっともっといるわけですね。で、感染している人はもっといる、で、そのうちの4万人が死んでいってしまう。で、どういう患者さんに、じゃ臓器移植が行われているのか。ここを我々は非常に重視して議論したいと思います。

もし、本当に死んで…やらなければ死んでしまうような患者さんに臓器移植が行われるのであれば意義があることでしょうけど、別に、やってもやらなくてもどうせ5年以上生きられるような患者さんに臓器移植を行って、で、5年以上生きた、と言っても何の意味もないわけです。

それについて、論点の3つ目で説明したいと思います。

論点の3つ目で、生存率の、問題の、この証拠資料なんですけれども、まず一つ目の、僕の第一立論でやった反駁を見てください。つまり、このカードは、5年間生きられた、ということを言っているだけであって、5年間生きられた、じゃ、生きる前の患者さんはどうだったのか、これを比較しなければ意味がない、という、僕のアナリシスはたぶん認められていると思うので、取ってください。で、じゃあ、それを吟味しましょう。この5年以上生きられている、という風に…まず最初の、第一立論で読まれたカードなんですけれども、このカードは、僕が言ったように、5年以上助かる、5年以上は80%以上生きている、10年以上は90%生きている、こんなすばらしい治療なんじゃないか、だから、これはすぐ死ぬ人にとってはうれしいな…、数カ月で死んでしまうような人にとっては、信じられないような数字である、というのは、そういう数字を聞くと、そういう治療がある、で、それは死んでしまう…数カ月で死んでしまうような患者さんにとってはすごく魅力的だ、っていうことを言っているだけであって、実際にそういう患者さんが欧米で治療を受けているということではないのです。で…とは言えないと思います。少なくとも、この証拠資料からはそれは導けないと思います。

で、もう一枚カードを読んだんですけれども、これは単に巧みな言葉のレトリックです。これも、実際本当に必要な患者さんに肝移植が受けられている証明にはなっていないのです。これを読んでみましょう。「肝移植の場合は、透析という他に生きる手段がある腎移植違い、移植しなければ必ず命を失う患者さんを対象としている…」そうですね、命を失う患者さんを対象としているのはたぶん事実です。だけども、命を失う患者さんが、本当に5年以上生きられない患者さんなのか、長い経過をたどって死ぬ患者さんだっていらっしゃるわけです。長い闘病をする人だってそれは何人でもいるでしょう。そういう人たちを対象にしていないかどうかはわかりません。どういう人たちを対象にしているか、という証明がないのです。

で、次、なんですけれども、たぶんこの部分を肯定側は最後に伸ばしてくると思うんですけれども、ここも吟味しましょう。

「100%生きる…」この後こう続けるんですね、「移植しなければ必ず命を失う患者さんを対象としている。100%生きられるはずであった患者さんの20%から30%を移植で失うのでなく、数カ月以内に生命を失うことが予測されていた患者さんの70から80%を助けることができる…」と。確かに助けることはできるでしょう。だけども、実際にアメリカでそのようなことが行われているか。要するに、やれば助けることはできます。それは我々も認めています。実際に、そういった本当に数カ月以内で命を失うことが予測されていた患者さんに対して移植が行われるのかどうか、そこが…私が問題にしたのはそこなんです。

確かに、やれば助かるのは我々も否定していません…あ、否定してるんですね…否定しています。この…否定してるんですけれども…、ただ、その、それは、やれば助かる…アメリカでは、やれば助かっています。少なくともアメリカでは助かっている。日本では否定してます。アメリカでやれば助かっているのは認めますけれども、それは実際アメリカでやられているかどうか、というのはわからないわけです。

だから、否定側の最初の反論を伸ばしてください。否定側の反論の言っているところは、社会の合意を得るために、意図的にそうやって何年も生きられるような患者さんを選んで治療を行っている、と。だから、結局、その5年以上生きられるという証拠資料をもってしたって、アメリカにとったって現状で見た場合、きっとアメリカでもそういった患者を選んでやっているわけでなので、で、結局5年以上何人…5年以上90%だか80%だかって騒いでいるわけです。だから、これはアメリカでは(不明)少なくとも、2つ目なんですけど、アメリカで、もし、アメリカではちゃんとやられていたとしても、日本ではちゃんとやられる保証はありません。日本では、移植の合意を得るために、絶対成功させなければいけない、と、東大医科研の倫理委員長は述べているわけです。ですから、アメリカでそうだとしても、日本でちゃんとした医療が行われるという証明は全くありません。

次に感染症の話なんですけども、最初にやっぱり免疫が…最初の話で、免疫が抑制されて、感染症は70%の患者さんに今起こって、危険な状態である、ということは認められました。次に、耐性菌ができて…、耐性菌が部分的な問題だ、と言っていますが、これは、耐性菌が、今病院で大問題になっている、だから、今移植を認めることは危険だ、とまで、慶応大学の先生が述べているわけです。これは、(時間切れ)病院の現状を(不明)先生は述べているので、これは非常に危険だと思います。


肯定側第一反駁 安井省侍郎 がんばろう神戸

 

弊害…失礼。論点1、論点2、論点3、と行きます。よろしいですか。

まず、論点1ですが、彼らは完全に認めていますから、医学的に脳死は人の死であって、そして、現状では脳死移植は行われていなくて、それで、アファのプランによってそれが完全に行われるようになる、と行うことは完全に認めております。

次に、論点2ですが、彼らは4万人以上死亡している、ということは認めておりまして、従って、少なくとも、現時点で4万人の方がなくなっているということは、そのうちの幾人かは、少なくとも、助けることができるということは何ら否定していないということを、よく覚えておいてください。

論点3。

まず、ドナーの話ですが、彼らはですね、大きな…我々のカードの大きな誤解をしておりまして、彼らは90年と91年の違いが云々かんぬんとおっしゃってますが、確かに91年は105人だったのでしょう。ただ、我々のカードが言っているのは、今後、将来増え続けると言ってるんですね。従って、今はもう96年ですから、105人よりはるかに増えているんでしょうね。で、これからもどんどんどんどん増え続けるんです。

従って、これから10年20年にたてば、ものすごい数になるわけですね。この観点に関しては、彼らは全く反論しておりません。よろしいですか。我々が今しゃべっているのは現状のことでなくて、将来のことです。よろしいですか。

次に、しかも彼らは、脳死ではこれを躊躇…脳死では…、すいません、脳死からの摘出に関しては躊躇すると、いうようなカードで述べておりますけれども、論点1、論点1の2枚目のカードで見ていただければわかりますように、すでに、脳死宣告を受けるとですね、レスピレーターの停止にほとんどの家族は同意してるんですね。ということは、もう脳死ということは死であるということは、みんな認めているわけです。従って、別にそういうところに躊躇はないわけですね。ということを参考にしてください。

次に行きます。

次に、生存率。生存率の話でございますが、まず基本的にですね、

1年か5年か云々かんぬんと、時期の話をしてますが、あまり意味がないんですね。我々が今言っているのは、放っておけば必ず死ぬ人なんですよ。それを、移植によって、少なくとも助けることができる、ということなんです。それは、一番のポイントです。よろしいですか。彼らは、5年以上…我々が言っているのは5年生存率が80%ですね、よろしいですね…、で、彼らは…、たとえば、アファのプランを…、失礼、肯定側というのは、医者というのは、5年以上生きるひとを選ぶはずだ、と言っていますが、彼らのカードを見てください。1年以上生存…原則としては、従来はやっていないけれども、1年以上生存率は…、1年以上生きる人も対象としている、と言ってるだけですね。1年だけですね。5年生きるなんか、一言もありません。従って、我々のカードは5年生存率です。ちなみにですね、これは5年間経ったらすぐ死ぬわけではありません。5年間生き続けるひとです。ちなみに医学的常識では、5年間生きる人は完治と呼びます。5年生きる人は10年生きるだろう、そういうことですね。次に、彼らは、耐性菌…。耐性…、それとですね、失礼しました。

あと、東大のカードですね、これを言ってるんですが、これは、社会的合意を得るためにやる、と言ってるですが、これは、カードは明らかに「人命の救済をすることによって社会的合意が得られる」と言ってるんですね。で、否定側の言っているとおりですね、5年以上生きる人に移植をしても、人命の救済には何らならないわけであって、当然のことながら、東大の人はこんなことはしないでしょうね。次行きます。

次に行きますが、次に、肝移植…失礼しました。次に、耐性菌の話ですね。このカードはですね、確かに危険と言っています。でも、できない、とは言っていません。これはポイントなんですね。我々のカードをちゃんと見ていただくとわかるんですが、高い生存率が示すように有効な薬剤がある、と。有効な薬剤があることは何ら否定されていませんね。確かに耐性菌があって一部できないものもあるのかも知れません。でも、ほとんどのものは直るわけですね。そして、それが八割という高い生存率で示されているわけです。彼らのアナリシスというのは、まあ、確かに危険ではあるかもしれませんが、

我々の解決性をですね、何ら否定できるものではない、そういうことであることを、ご了解いただきたい、そう思います。以上です。


否定側第二反駁 古川曜子 慶応

 

論点3だけ、します。よろしいですか。

ではまず、論点は2つ、大きく2つあります。まず1つ目について話します。

これは、論点3の、彼らの4枚目の話、アメリカで80%以上の人が5年生存した、この話の、証明要件について。つまり、手術によって5年生きられたのか、手術の効果を彼らはちゃんと証明しているかどうか、ここが一番問題です。で、これは我々が再三言ってきたとおり、医者というのは…手術の成功率を上げる、と。その、5年生きた手術のせいで、おかげで、5年生きた、10年生きたと宣伝したいために、状態の良い患者を選ぶ、ここは認められました。

で、肯定側は、その、80%手術のおかげで生きた、などと言っていますが、手術のおかげで、という部分が、全く証明されていない、ここが一番の問題です。

ですから、ここを証明しない限り、手術…臓器移植を合法化して、その手術を行う…肝臓移植の手術を行うおかげで、生きられなかった人が…手術なしでは生きられなかったはずの人が、何年増しで生きられるようになった、とは言えません。つまり、利益の証明がなされてません。ここが、一つ目の大きなポイントです。

で、2つ目ですが、…では、彼らのアメリカのケース、この、4番目の証拠資料の、80%生きた、という…5年以上生きたというカードが正しかったとしましょう。アメリカではそうだった。でも、それが果たして日本には当てはまるでしょうか。日本における分析が、彼らによっては全くなされていません。我々の方だけが、日本で実際どうなるか、ということを証明しています。第一立論の終わりの方の話です。耐性菌の話です。日本では…、アメリカではたとえ成功したとしても、日本では、抗生物質を乱用するという、日本の…医療界の、傾向によって…、抗生物質の乱用によって…、強い…菌が、たくさんできてしまう…耐性菌がたくさんできてしまうことによって、感染症にかかってしまう、ということです。

これは、日本での唯一のアナリシス…分析、このラウンドでの唯一の分析となります。これは、我々の根拠です。で、これは、私が第二立論のところで読みましたとおり、免疫抑制剤を使った患者は、70%が死ぬ、と。その…主作用の、肺炎なり、悪腫瘍なり何なりの、感染症で、70%が死ぬ、ということを、証明し、これは、完全に認められました。

ですから、まとめますと、まず一点目として、否定側は、手術の効

果を証明していない、ですから、利益が出るとは言えない。そして二つ目は、手術をすることによって、かえって手術の必要がなかった人、手術をしなくても5年生きられたはずの人に、手術を無理矢理施して、それによって、術後必要な免疫抑制剤というものを加え、かえって免疫抑制剤の主作用の感染症で、死んでしまう、と。ここが彼らのプランを採ることによる弊害となるわけです。

以上の二点から、肯定側の政策を採るべきではないと主張します。


肯定側第二反駁 飯田浩隆 がんばろう神戸

 

論点3について、議論いたします。すいません、論点3、論点1、論点2、と議論します。

まず否定側の議論ですけれども、否定側の議論というのをまとめますと、現在ドナーが少ない、従って、状態の良い患者のみが選ばれる、その状態のよい患者というのは、副作用で死んでしまう、というような形で述べております。この点について、反論いたします。

まず、第一番目に、現在ドナーが増え続けている、という我々の議論を参照してください。たとえ現在では少ないかも知れませんが…移植を承諾する人は、次第に多数派になりつつあります。このことは、将来において、臓器不足は解消される、ということです。これは何を意味するかといいますと、否定側の議論というのは、少なくとも、一時的な弊害にすぎない、ということです。

否定側の議論というのは、臓器不足を前提として、はじめて成り立つ議論ですから、将来において臓器不足が解消されれば、この弊害というのは生じないわけです。

従いまして、長期的な観点で見ますと、肯定側のプラン、というのは、長期的な観点で、毎年多くの患者を救うことができます。否定側の弊害というのは、一時的なものにすぎません。まず、この一点におきまして、肯定側の利益は、否定側の不利益を上回っている、ということが言えます。

次に、各論に入りますけれども、まず否定側は、状態の良い患者のみが選ばれる、と述べました。それは本当でしょうか。否定側は、カードの細かい文言について、逐一検討していますが、大きな点で見ますと、彼らの議論…証拠というのは、まず、肝臓移植そのものについて述べていない、ということを、もう一度思い出してください。我々の肝臓…肝臓移植というのは、余命少ないもののみを対象としている、という議論は、肝臓移植について特定して述べているのであって、彼らの一般的な、臓器移植について述べている議論よりも、明らかに優れています。議論の細かい点ではなく、まず、この、大局的な点において、我々の議論が優れている、ということを、もう一度ご確認ください。

では、仮に、否定側の議論に従ったとして、少なくとも、否定側の議論に従ったとしても、少なくとも、彼らの証拠で言っているのは、状態の良い患者…一年以上生存する患者も、対象に加えられる、と述べているだけでありまして、決して全ての、状態の良い患者が、移植者の全てを占める、と述べているわけではありません。

このことから、少なくとも、余命の短い患者にあっても対象に加えられるわけです。仮に、余命の長い患者であっても対象に加えられたとしても、それは全てではない、このようなことが言えると思います。

では、果たしてこのような議論が日本に当てはまるでしょうか。否定側の述べているカードというのは、単に東大の教授が言っている、というだけでありまして、日本の全てがこのようなことを行うとは言っていません。少なくともこのようなことが仮に起きたとしましても、それは局地的な例であると言えます。以上をまとめますと、まず、そもそもこれは肝臓移植を対象にして

いませんので、議論の対象として、我々の分析が優れておりますし、仮にこれが成立したとしても、そのような状態の良い患者も対象に加えられる、と、それだけであります。従いまして、予想される不利益というのは、非常に小さいものである、ということがご理解いただけると思います。

では、果たして、このような患者が、感染症で死ぬ、ということによって、現状より悪くなるのでしょうか。細かく見てみましょう。

まず、余命生存率が、仮に一ヶ月の患者がいたとしまして、この患者については、80%以上が5年以上生きる、ということは明らかに利益である、ということはおわかりいただけると思います。

次に、では、余命3年の患者がいたとしましょう。この患者についても、80%は臓器移植により5年以上生きられる、ということになりますので、なんら不利益は生じておりません。仮に状態の良い患者であっても、臓器移植というのは(不明)なのです。この点につきましては否定側は、全く反対する証拠を出しておりません。

我々の余命(?)生存率は5年以上であり、5年生きられる、ということは医学的に見て完治するのだ、と、このような議論に…を、もう一度参照してください。

では、次に、副作用そのものの問題ですけれども、まず、日本においては抗生物質は乱用されている、と述べています。しかし、これは日本の全てのケースについて言っているわけではなく、単に一(不明)にすぎません。また、このカードも、特に臓器移植一般について述べているわけではなく、肝臓…肝臓移植に特定しているわけではありません。こと肝臓移植に関しましては、患者の5年生存率は80%ある、この事実こそが、このような感染症がはびこって患者が死んでいる、という否定側の単なる理論に基づいた議論を否定するものであります。

我々の肝臓移植に限定した議論の方が優れている、ということが言えると思います。

以上をまとめますと、まず、否定側の議論が仮に成立したとしても、せいぜい一時的な不利益にすぎない、ということをご理解ください。また、そのような議論というのはそもそも肝臓移植を対象にしていませんので成立しませんし、仮に成立したとしても、それは不利益とはなりません。少なくとも、多くの患者がより長く生きられる、という点において、肝臓移植は優れておりますし、この点において、肯定側のプランを採るべきだ、と、私は思います。

肯定側への投票をお願いします。(拍手)

 



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