第三回JDA日本語ディベート大会決勝戦

論題:「日本国は死刑を廃止すべきである」

JICAディベート研究会vs.山形大学

編集:安藤温敏

1997年3月22日


はじめに

 

  1. 第三回JDA日本語ディベート大会は、神田外語大学(千葉市美浜区若葉)にて開催された。前2回の大会と同様、「一般の部」(10チーム参加)と「トーナメントディベーターの部」(6チーム参加)に分かれ、肯定・否定一試合ずつ、計二試合を行った。「トーナメントディベーターの部」については、二試合の結果、上位二チームによる決勝戦が行われた。本トランスクリプトは、この決勝戦の内容を文章化したものである。

  2. 決勝戦の審査員は、飯田浩隆氏(日立製作所)、角松生史氏(九州大学)、佐藤義典氏(ワーナーランバート社)、瀬能和彦氏(都立王子工業高校)、篠智彰氏(東芝)、古宅文衛氏(日本総研)、安井省侍郎(科学技術庁)の7名であり、判定5対2で否定側の山形大学が優勝した。

  3. また、本決勝戦の4名のディベーターの中から、審査員の推薦によって、武田裕美氏(山形大学)が最優秀ディベーターに選出された。

  4. 本トランスクリプトは決勝戦の模様を収録したテープより編集された。明らかな間違いを除いて極力ディベーターのしゃべった内容をそのまま掲載している。

  5. また、臼井直人氏が試合中に観衆に対して行った、解説も併せて掲載している。

  6. 試合中提出された証拠資料に関しては出典が判明しているものに関しては、出典を掲載しているが、原典の確認等は行っていないので、万一、本トランスクリプトに掲載された証拠資料を使用する場合は、原典を参照していただきたい。

 

決勝速記録


はじめに:臼井直人

それでは、トーナメントディベーターの部の決勝戦を始めたいと思います。(拍手)肯定側がJICAディベート研究会、そして、否定側が山形大学チームです。論題は、「日本国は死刑を廃止すべきである」。
肯定側に立ったディベーターは、それを肯定する形で、基本的には、死刑を廃止するところから来るメリット─利益を主張するという形で、論題を肯定するスピーチをしていきます。それに対する否定側は、それを否定する、「死刑は続けるべきだ」という立場で、議論を展開していく、という形になります。
決勝戦のジャッジを発表いたします。まず、飯田浩隆さん、日立製作所の方です。九州大学、角松生史さん。ワーナーランバート社、佐藤義典さん。都立王子工業高校、瀬能和彦さん。東芝、篠智彰さん。日本総研、古宅文衛さん。そして最後に、科学技術庁、安井省侍郎さん。

この7人によって、ジャッジがなされます。

それでは、決勝戦を始めましょう。まずは、肯定側第一立論、6分間でお願いいたします。


肯定側第一立論:植嶋卓巳 JICAディベート研究会

それでは始めさせていただきます。

我々肯定側は、日本国は死刑を廃止すべきであると主張します。

まず、プランとして、我々は、現行日本国の刑法およびその他、死刑を法定している法律を改正し、死刑を刑罰体系から除去することを提案します。このプランを採用することにより、死刑制度の存在にともなう、次のような3つの間題を解決することができ、かつ、さらに、後ほど述べるように、付加的な三つのメリットを得ることができます。

まず、3つの問題点から見ていきます。

間題1:道徳律に反する。

第一は、倫理的な間題です。すなわち、死刑制度は、殺人を絶対的な悪とする道徳律に反し、かつ、残虐な刑罰を禁じた人類の普遍的規範にもとるものです。この問題には2つの側面があります。

間題1の1:殺人が絶対的な悪である以上、国家が殺人を犯すことは、許されません。もと最高裁判事の団藤氏は、1994年の著作「死刑廃止論第4版」において、次のように述べています。

(引用開始)「犯罪の事実面は不合埋の世界、不正の世界ですが、刑罰を科するという規範面は、合埋性の世界、正の世界でなくてはなりません。不正に対するに正をもってするのが刑罰でなければなりません。犯人が被害者を殺すのは不合理の世界であって、これと同じレベルで国が死刑によって犯人を殺すことを考えることは許されません。」(引用終わり)

我々は、この団藤教授の見解と意見を共有いたします。また、これは単なる観念論ではなく、国家が殺人を犯すということにより、現実に殺人を誘発するという現実の間題を引き起こしています。この点については、後に、問題の2を紹介するところで触れます。次の問題にうつります。

間題1の2:死刑は、肉体的にも精神的にも残虐な刑罰であります。

死刑の現場は、ここで具体的に描写するこことはあえて避けますが、極めて惨たらしく正視に耐えないものであり、しかも完全に絶命するまで10分以上もかかると言われています。死刑因の遣体を、国が遺族に見せたがらないといわれるのもむべなるかなと思われます。また、いかなる殺し方をするにせよ、処刑に至るまでの間の精神的苦痛は極限的なものであり、極めて非人道的であります。

以上の倫理的な理由、すなわち、死刑は国家による殺人であり、かつ極めて残虐な行為であることから、その存在はもはや許すべきでないと我々は主張します。

次の大きな論点に移ります。

問題2:犯罪抑止のために、有害無益である。

間題の第二は、死刑が、刑罰として、有害無益であるということです。要するに目的合理性がないということです。これには更に2つのサブの論点が存在します。

問題2の1:死刑には犯罪抑止力はない

これまで、死刑の犯罪抑止力を統計的に証明しようとする試みが多数なされてきていますが、いずれも証明するにいたっていません。カリフォルニア大学のアーチャー教授ほかは、1984年の著作「暴力と殺人の国際比較」(目本評論社、原著1984年)において、死刑廃止前後の殺人率の変化を国際的に比較する研究を行い、110の国々と44の主要都市における犯罪と暴力のパターンを1900〜1970年までにわたるデータ集に基づき分析を行いました。その結論として、次のように述べています。

(引用開始)「用いられる限りの証拠では、抑止効果はまったく存在しないということが示唆されている。そしてたしかに、死刑制度を正当化するような、その強さからも規模からも十分なものを示すほどの抑止効果は存在しないのだ。」(引用終わり)

なお、死刑の犯罪抑止力を考える場合、単純に、犯罪抑止力があるかないかだけを間う問い方は妥当ではありません。そうではなくて、死刑によらなければ、実現しえない程の抑止力があるのかということが本当に検討されるべき間題であり、もし死刑廃止に反対するのであれば、廃止反対論者は、その点を論証する義務があります。次の問題に移ります。

間題2の2:死刑は、犯罪を抑止しないばかりか、犯罪を誘発することがある。

明治大学法学部教授の菊田幸一氏は、その著書「いま、なぜ死刑廃止か」の中で、自殺を願望するものが人を殺すことによって死刑を願望するということがあり、死刑の存在が犯罪を誘発することがあると述べています。

また、死刑をおそれる余り、犯行の発覚を防ごうと第二第三の殺人をおかすこともあります。明大の菊田教授の同じ本によれば、ピストル連続射殺事件の永山則夫も、そのように述懐しているとのことです。

また、冒頭、国家が殺人を犯すことは道徳律を自ら破り、それをおとしめる行為だと述べましたが、これにより現実に、殺人が誘発されているということは、ラントールという人の、研究者の1980年における研究によって、実証されています。すなわち、先程紹介したカリフォルニア大学アーチャー教授の署書において、次のように紹介されています。

(引用開始)「ラントールは、また短期間におけるパターンを検証し、死刑執行が著しく多く行われた時期に続いて殺人率の増加が生じることを見いだしている。」(引用終わり)

間題2の3:死刑は、犯罪者に罪を償う機会を与えない。

死刑は、本人に罪を償う機会を与えないものであり、報復よりも教育と社会復帰を重視する現代の刑事司法制度の精神と相容れません。

以上3つの理由、すなわち、死刑には抑止力がないばかか犯罪すら誘発する効果があり、犯罪者から罪を償う機会すら奪うという意味で、死刑は刑罰として、目的合理性を欠き、有害無益であると主張します。

3番目の大きな間題に移ります。

間題3:死刑には刑罰として根本的欠陥がある。

間題3の1:誤判により処刑された場合、取り返しが付かない。

裁判を神ならぬ人間がおこなう以上、いかに注意深く審議したとしても、あやまちを絶無にすることは不可能でありますが、他方、間違いにより人を殺すことほど大きな不正義はありません。よしんば全く誤判の可能性がないとしても、次の問題が存在します。

間題3の2:死刑の運用は恣意的たらざるを得ず、不平等な刑罰である。

明大の菊田教授は、「いま、なぜ死刑廃止か」という著書において、次のとおり述べています。

(引用開始)「三井明・元裁判宮は、自らの経験として、『これはこの裁判官がやったから死刑になったが、他の裁判官がやったら死刑にならなかったのではないか』という死刑判決基準のばらつきがあったことを報告している。」(引用終わり)

死刑と無期懲役の間には、生きることを認められるか、殺されるかという実に大きな差があります。にもかかわらず、そのような大きな差のある二つの量刑をわかつ、明確な境界線がなく、被告の弁護士の能力や裁判宮の心証次第で量刑が決まるというのは、実に不合理といわざるを得ません。

以上の2つの埋由、すなわち、誤判が生じた場合取り返しがつかない刑罰であること、また無期懲役刑との間で恣意的な運用が不可避であるということから、刑罰として危険性、不平等性といった根本的欠陥があると主張します。

次に、我々のプランを採択することにより得られるメリットを整理します。

第一に、上に述べた…先に述べた三つの大きな問題がすべて解決されます。

第二に、それ以外に次のような追加的なメリットが得られます。

追加メリット1:死刑の廃止により、死刑を執行するという、非人問的この上ない仕事から刑務官を解放することができます。

追加メリット2:また、死刑の廃止により、死刑の執行によって発生する、死刑因の家族、友人の悲しみという新たな悲しみの発生を防ぐことができます。

追加メリット3:更に、死刑の廃止により、刑事司法制度が負担している膨大なコストを軽滅することができます。ひとたび死刑事件が提起されるや、その審議に慎重を期せんがために、膨大な労力と時間とコストがかけられているのが実情であり、それによって、裁判全体の迅連性と確実性が失われています。これは、見逃されがちではありますが、死刑制度によってもたらされている一つの大きな問題であり、これも、死刑廃止によって除去することができます。


反対尋問(加藤→植嶋)

(臼井)それでは、否定側より、反対尋問、3分間です。


加藤:それでは質問させていただきます。まず、3つの問題点があるということですが、その3つの問題点を説明してください。

植嶋:問題1はですね、道徳律に反するということです。問題2は…大きな問題ですね…

加藤:はい。

植嶋:…犯罪抑止のために、有害無益、すなわち、目的合理性がない、ということです。それから、3番目は、刑罰としての根本的な欠陥がある…危険性、不平等性、ということです。

加藤:では、1番目の道徳律に反するということですが、これは、どうして道徳律に反するのですか?

植嶋:殺人というのは、絶対的な悪である、ということは、ご承知の通りだと思いますが、それと同じレベルのことを、国家が行うということで、…と思います。

加藤:国家が、殺人を犯した人、つまり、犯罪者を殺すことがいけないのですか?

植嶋:言う通りです。

加藤:しかし、その…殺人を犯しているという…犯罪を犯しているんですよね、その人は、実際に。

植嶋:…どの人がですか?

加藤:死刑囚というのは、それだけの犯罪を犯したから死刑になるわけですよね?その人を、死刑に処するということが、道徳律に反するということですか?

植嶋:国家が行っている…要するに、殺人というのは絶対的な悪という風にいわれているわけですから、それを国家というものが行うことは、同じレベルに行うというので、…よくないことです。

加藤:それから、2番目ですけれども、目的合理性がない、ということですが、これは、具体的に目的合理性というのはどうして目的合理性がないんですか?

植嶋:要するに、死刑というのは、一定の抑止力があるから、あるいは、威嚇力があるから、ということで、その存在が支持されていると思いますけれども、我々は、その、死刑には犯罪抑止力がない、という点、それから、逆に、犯罪を誘発すらする可能性がある、それから、現在の刑法の目的である教育・教化といったことの機会を奪ってしまう、そして、罪を償う機会を奪ってしまう、という意味です。

加藤:それでは、死刑囚は、死刑にならないと…死刑になれば…死刑を執行されると、反省しない、ということですか?死刑を…反省しない、ということが問題なのですか?

植嶋:ちょっと質問の意味が良く分からないのですが。

加藤:教育的な意味がある、ということですけれども、これは、死刑が教育的な意味がない、ということなんですか?

植嶋:現在の刑法は、その…、被告あるいは犯罪者に対して、教育を行うことを、目的としていると称しています。従って、命を奪ってしまっては、その教育・教化の機会というのは全くなくなってしまう、ということになると…(時間です)

加藤:ありがとうございました。


コメント(臼井直人)

ディベートの議論というのは、比較…基本的に、ある一つのプラン─ここでは死刑廃止、ということなんですけれども、それから生ずるメリット、デメリットを比較することによって勝敗を決める、という風な原則になっています。

そして、今回の第一立論、肯定側の立論では、そのメリットはこの様なものがある、というのが、説明していました。大きく分けて三つ、そして付随する形で三つという風な形ででていたかと思います。

一つは、殺人というのが究極的に悪いものだ、例えば、国家は殺人を犯すべきではない、そして、プランを採って死刑をやめることができれば、そういう国家の殺人を防ぐことが出来る、そういう風なことですね。そしてまた、死刑というのは、非常に残虐であるので、それを、そういう、倫理的に悪い、ことというのを、止めることが出来る、そういう風なメリットを出しています。

二つ目に、本来、まあ、刑罰というのは、犯罪抑止、犯罪を止める役割がなければいけないんですけれども、それが、ない、そしてなおかつ、死刑というのは、逆に、犯罪を誘発してしまう恐れがある。自殺をしたい人が、なにかその…自殺が出来ないがために、死刑を…死刑相当刑を犯すことによって、犯罪を逆に増やしてしまう、と。まあ、実際そういうデータもある、という風なことを言っていましたね。死刑をやめれば、その様な意味での犯罪が、なくなる。

そして、三番目には、冤罪によって死刑になっていってしまった場合、それは取り返しがつかないことになってしまうということで、死刑をやめれば、仮に冤罪になったとしても、まあ、殺してしまってから、あとで、どうしようもなくなってしまう、そういう状態を防ぐことが出来る。

そして、追加メリットという風な形で、実際に死刑を執行を行う刑務官の心理的な負担、そして、死刑囚の家族の悲しみ、そして、死刑の裁判というのは、非常に審議に正確を期さなければいけないという、時間がかかるので、そのコストも倹約できるという、以上、大小含めて6つのメリットをもって、このプランを採り上げるんだ、という風なことを肯定側は言っていました。

その次に行われた反対尋問というのは、その肯定側の議論に関して、非常に論理的に、例えば、弱いところ、そういうところを、質問によってジャッジに説得していこう、という、そういうために行われる一種の質疑応答です。

例えば、否定側は、本当に国家…殺人というものが窮極的に悪であるならば、それを犯した犯罪者は一体どういう風なことになるのか、というところを突いてきているわけですね。肯定側はそれに対して、究極的な悪であるからこそ、国家が犯しては行けない、そういう風なところで議論がぶつかっている。じゃあ、今後のディベートで、その部分が一体どういう風になっていくのか、というのが、このディベートがだんだん面白くなっていくところの一つじゃないかと思われますね。大体こんなところで、フェアでしょうか?(笑)

今は、否定側、肯定側に両方共10分間、準備タイムが与えられています。そして準備タイムを終えまして、否定側の第一立論が、これから始まります。6分間です。


否定側第一立論:武田裕美 山形大学

先ず初めに、肯定側のプランから生じる弊害を一つと、その後に、肯定側が提示しましたプランの方について移っていきたいと思います。…その前に、ちょっとサンクスワードをやらせていただきます。

今回、私たちはこの様な大きな所に立ったのは初めてなのでとても緊張しているのですが、この様な素晴らしい機会を与えてくださったJDAの皆様に感謝したいと思います。ありがとうございます。(拍手)

よろしいでしょうか。

弊害:犯罪増加。

Aとして、人間は生命を本能的に欲している為、死刑には強い犯罪抑止効果があります。

朝日大学法学部教授、三原先生は90年にこうおっしゃっています。

「(小野清一郎博士の主張によると)人間は本能的に生を欲する。『一人の生命は全地球より重い』というのも、個人の生命欲のやるせなさから出てくる。そうである限り、死刑の存在は罪を犯そうとする者にとっては、大きな心理的抑制力をもつ。もしろん死刑を廃止したら翌日から凶悪な犯罪が続出するなどというものではない。長期にわたって、死刑の存在が人間の本能そのものを抑制する。社会的心理的なコンプレックスを形成するのである。」

Bとして、死刑廃止によって犯罪が増加します。

筑波大学教授の小田先生は、94年にこうおっしゃっています。

「団藤重光氏が『死刑廃止論』で、『死刑に犯罪抑制力はない』と述べていることから、一見これは定説となっているように見えます。しかし、死刑の抑制力(デテラント・エフェクト)についての文献をみれば、必ずしもそうはいえないことがわかります。というのも、現在では、せいぜい死刑の犯罪抑制力について統計的に証明できるか、という問題をめぐって賛否の議論があるだけだからです。たとえば、アメリカの犯罪研究者であるS・スタックは、多くの社会科学者が主張する、死刑に犯罪抑制効果はないという考えに対立して、死刑執行が公表された場合、それは強い殺人抑制力を持つと論じました(一九八七年)彼によると、広く公表された死刑執行は、一九五〇年〜八〇年の間に少なくとも四八〇人の無辜の人命を救ったとされています。」

続いて、ケースの方に移りたいと思います。

まず、彼らは、死刑は国家による殺人、ということを申しました。しかしながら、最高裁判決によっては、死刑は合憲と下されています。

中央学院大学教授の重松さんは、95年にこうおっしゃっています。

「『憲法13条においては、すべての国民は個人として最大の尊重を必要とする旨を規定している。しかし同時に、同条に於いては、公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に関する国民の権利といえども、立法上制限乃至剥奪せられることを当然予想しているものと云わねばならぬ』、『死刑は窮極の刑罰であり、また冷厳な刑罰ではあるが、刑罰としての死刑そのものは、憲法36条のいわゆる残虐な刑罰にあたらない』」

ですから、死刑は国家の殺人とは言えないのです。

さらに、彼らは死刑に犯罪抑制力はないと言いましたが、これは弊害の方を適用してください。

さらに…続いて…彼らは、死刑の…贖罪の気持ちを無くすということを論じましたが、これはまず、死刑…その、贖罪の気持ちというのは、死刑だからこそもたらすのです。死刑があるからこそ、犯罪者は贖罪の気持ちを持っているのです。

ですから、2番目として、もし…これは反転です。プランの死刑廃止によって、死刑囚の贖罪の気持ちがなくなります。

産経新聞論説委員の飯田さんは、93年にこうおっしゃっています。

「法務省幹部からの電話は『最近死刑の執行がなく、外部から死刑がなくなるらしい、との情報を得た死刑囚から”自分たちは助かるらしいが…”と質問を受け刑務官が答えに窮している』との指摘である。心からの反省と自分が手にかけた被害者への贖罪の気持ちから明鏡止水の境地に達していた死刑囚も、生への気持ちがわいたとたん心の落ちつきを失い、贖罪の気持ちが薄れたようだ、との見解だ。」

さらに、彼らは、誤判の場合死刑だと困るということをおっしゃいましたけれども、現在日本では、誤判の可能性はほとんどゼロであります。

これは、帝京大学教授の藤永さんが96年にこうおっしゃっています。
「しかし、わが国の死刑制度の運用は、世界の存置国の中で最も明確な基準を有し、公正で慎重になされている。凶悪犯が増加しつつあるとの印象を免れない最近の犯罪情勢の中でも、死刑が言い渡される率は、通常の殺人罪では0.25パーセント(400人の殺人犯のうち1人だけ)、強盗殺人犯でも10パーセント(100人の強盗殺人犯のうち10人だけ)にとどまるなど、数の上だけでなく、事実を解明する証拠調べ手続においても、極めて慎重な審理がなされている。現在、誤判の可能性は限りなくゼロに近いといってよい。」

さらに、経験的に死刑に関して日本では誤判がありません。

弁護士の島田さんは93年にこうおっしゃっています。

「私は一審で死刑、二審で無罪になった被告人の弁護をしたことがあります。一審で死刑、二審で無期懲役になった人の弁護をしたこともありますが、死刑執行を受けた者で、誤判であったことが分かった例を私は未だかつて日本では聞かないのであります。」

ですから、3番目として、反転。死刑の存在が誤判を防いでいます。

一橋大学名誉教授の植松さんは、93年にこうおっしゃっています。

「有名な弁護士が『無期懲役は誤判の吹きだまりだ』と言ったことがあります。つまり、死刑にしようかどうかと考えたときに、(本当に有罪かどうか)心配になれば、無期懲役にする、というわけです。でも、それだけ死刑が慎重に行われている、ということも事実でしょう。誤判で無期懲役になっても大変なことです。無期でなくても、数年間刑務所に入れば、人生がまるで変わってしまいます。刑が重ければ、よけい誤判のないように努力しなければなりません。死刑には、それだけ誤判を少なくする努力を十分注いでいるということが言えるのではないでしょうか。」

ですから…彼らは次の点として、量刑不当…ということをおっしゃいましたが、そういうことはあり得ません。今…否定側が述べた上の議論を参照していただきたいのですが、死刑に関して日本はとても慎重な審理がされています。ですから、誤判や、そういう量刑不当というのはあり得ないのです。

さらに、彼らは死刑…追加メリットとして、死刑執行人を挙げましたが、これは死刑執行を断れば済むことです。これは死刑執行という職業ではないのですから、彼らが頼まれれば断れば済むことです。

さらに、犯罪者の家族と、犯罪者自身の悲しみということもおっしゃいましたけれども、犯罪者が犯罪を犯したからそういう悲しみが起きるのです。それは自業自得というものです。犯罪を犯さなければそういう悲しみは生まれないのです。ですからこれは自業自得と言えるでしょう。

さらにコストの軽減と言いましたが、これはさっぱり分かりません。彼らはコストと言いましたけれども、どういうコストがいったい生じているのでしょうか。それは彼らが証明しない限り、これは、メリットとは言えないのではないでしょうか。

続いて…すみません。問題1に戻ってください。

国家の…まず第1点として、これは…国家の殺人という点に関しては、これは団藤先生だけの意見です。

さらに、2番目として不合理といっているけれども、被害者がいるから犯人がいるわけであって、命をもって償うべき罪もあります。

そして3番目として、不合理というなら、抑止力がなくなって犯罪が増え、無辜の人々の人命が失われる方がよっぽど不合理です。

さらに、問題の2番目で…(時間です)


反対尋問(植嶋→武田)

(臼井)それでは、肯定側より反対尋問、3分間、お願いします。


植嶋:それでは反対尋問を、始めさせていただきます。否定側は、死刑に犯罪抑止力がある、ということを、いくつかの、小田先生の文献を使って紹介されていましたけれども、そのデータで使われている…紹介されているですね…根拠となる、考え方とか、議論というのは、あるのでしょうか。特に、スタックさんの480人について、実証的に説明できるような議論が存在しているのでしょうか。小田さんのおっしゃっている…書かれたものを引用されているだけですね。

武田:はい。でもこれは事実です。1950年から80年の間に480人の無辜の人命が助かった、というのは事実です。

植嶋:それと因果関係があるか、ということは、ちょっと分からないわけですね。わかりました。それでは次にですね、残虐である、ということを最初肯定側は相当強調したんですけれども、それに関連していくつか質問します。死刑の目的は凶悪犯罪の抑止にあると理解してよろしいですね。

武田:そうです。

植嶋:犯罪の抑止力の源泉というのは、潜在的犯罪者が抱くであろう、死の恐怖と理解してよろしいですね。

武田:死の恐怖…そうなりますね。

植嶋:で、ここで死刑の執行というのは今公開されていません。

武田:死刑の執行…公開…そうです。でも、新聞などで…

植嶋:いや、公開、ということです。

武田:公開、というのは、それは…

植嶋:執行現場の公開は、していませんね。

武田:執行現場…それはされてませんね。

植嶋:公開しないのはなぜですか。

武田:それは、私は分かりません。

植嶋:死の恐怖が、死刑の犯罪抑止力の源泉であるとすれば、当然、その執行を公開…

武田:しかし、その死刑が執行されたという…

植嶋:聞いてください。聞いてください。(笑)公開した方がいいに決まってますね。

武田:どうしてそう言えるんですか。(笑)

植嶋:じゃ、次の質問に移らせていただきます。

武田:はい。

植嶋:日本国憲法が、その第36条において残虐な刑罰を禁じている、というのは、おっしゃったとおりということですね。ところで、首を切るとかですね、腕を切り落とすとか、目ん玉をくり抜くとかですね、そういった、身体刑というのは、それは憲法が禁じている残虐な刑罰に該当しますね。36条が…

武田:なりません。

植嶋:なりませんか。

武田:はい。この最高裁判決を見ていただければ分かると思うんですけれども、死刑というのは日本国において…

植嶋:ごめんなさい。首を切るとか、腕を切り落とすとか…

武田:そうです。それは、日本の話ではないですね。

植嶋:というか、最高裁判決では、首を切るとか、そういったことは順次、残虐な刑罰として、無くしていかなければならない、ということをいっています。まあ、それは結構です。で、その、犯罪者の首を切り落としたりする刑があったとしましょう。で、…死刑というのは、その…腕を切り落としたり、…目をくり抜いたりするような、部分的な身体刑ですけれども、それが…

武田:日本国において…

植嶋:仮に残虐であるとすればですね、身体全体を、なくしてしまう…死刑というのは、残虐だ、ということになりませんか。

武田:日本国において、それはされていませんよね。日本において、死刑というのは絞首刑ですから、そういう、その…

植嶋:ごめんなさい。私の質問の仕方が悪かったかも知れませんが…(すいません、時間です)
武田:ありがとうございました。


コメント(臼井直人)

盛り上がりましたね(笑)。まさにこれは、私が先ほど予選でみた、火花の散るような反対尋問の応酬でした。否定側が今第一立論でやったことは二つあります。

一つは、プランが採られた際に、不利益が出る、その不利益を最初に紹介しました。そして、その次に、肯定側がメリットとして出したものに対して、細かいところに関しての反論を加えていた…反駁を加えていった、という風なことが行われています。

その不利益の内容は、死刑が犯罪抑止に、今、効果的である、と。そしてそれがなくなってしまうと犯罪率が増えるのではないか、という風に言っていました。そして、この議論の面白いところは、肯定側が、第一立論で、死刑は犯罪抑止に効果的でない、という風な議論をしています。否定側が言っているのは、人間というのは、本能的に生命、生を重んずるものであるから、そういう風な死をもって償う、という風な法律に対して非常に恐怖感がある。ですから、抑止効果がある、という風に言っておりますね。

かたや肯定側の議論をみてみると、統計的にみて、死刑のある、ないに関わらず、殺人率があまり変わらなかった、という風な感じで、出しています。否定側のエビデンスの中には、その、統計に関して反論のようなことがいろいろ書いてありますね。特に、肯定側が使っている団藤さんという風なエビデンスに関して、それを真っ向から反対するような意見が出ています。

それでは果たして、本能、生に対する本能という部分が、強く押し出されるのか、もしくは、統計的な部分を使って、肯定側は抑止力がない、ということを押し切っていくのか、その辺が、まあ、これからのディベートのまた一つの争点として、なっていくんじゃないかな、という風に思います。そして、ディベートというのは、非常に、理由、ですね、理由付けの強さによって、その議論というのが強くなっていく、というように解釈されます。それはまあ、普通一般的に話していてもそうだと思うんですけれども、肯定側が…(肯定側準備出来ました)…ということで(笑)、(加藤(宏))すいません。(臼井)いえいえ、とんでもないです。肯定側第二立論、6分間でお願いいたします。


肯定側第二立論:加藤宏 JICAディベート研究会

私は、肯定側第一立論の順番に従って、ざっと議論をチェックしていって…順番でやりたいと思います。

それではまず、肯定側論点の1…問題1の1から行きます。国家の殺人…国家による殺人が悪であることをいっているのですが、これが、最高裁によって…失礼、残虐の方からですね、残虐であるということですね。否定側はこれが、最高裁がそういったから残虐でない、といいましたけれど…合憲である、残虐でない、といっておりますけれども、最高裁がそう言っているからといって、全てそれが正しいのであれば、ここでディベートする必然性はありません。

それから、実際に死刑は極めて残虐でございます。先ほどはちょっと細かいことは申しませんでしたけれども、所謂残虐さの一端を提示したいと思います。

村野薫さんという、フリーライターの編著「日本の死刑」1990年による記述です。以下内容です。ガタンと…首を絞められて落ちた訳ですね…

「落下した死刑囚はガクンと一度S字状に突っ伏すと、今度は縄がねじれるがままにギーギーと滑車をきしませて、きりきりまいし続けるそうだ。首回りの筋肉は広範囲にわたって断裂し肉片がそがれた状態。落下時の頚部にかかる力は相当なもので、喉頭軟骨・舌骨、ひどい場合は頚部脊椎の骨折をもたらす。そして吊り落とされてから烈しい痙攣が一分から一分半くらい『ウーウー』という呻き声とともに続く。」云々かんぬん。

ほとんどど聞くに耐えないということの様に思いますけれども、いかに残虐か、ということがこれで分かると思います。この点について、否定側は…有効な反論をされていないと思います。最高裁が許したからといって、これを許していいものでしょうか。皆さん、考えてください。

論点の2に行きます。犯罪の抑止力がない、ということですね。私どもは、アーチャー博士という方の、極めて広範なデータにわたる国際比較の研究に基づいて、犯罪の抑止力がない、と言うことを論証いたしました。これに対して、先方はスタックさんという方…アメリカでの証拠を挙げましたけれども、そのプロセス…どの様な形で480人という…データについて、説明がなされておりません。

犯罪の誘発ですね。論点の2の2に行きたいと思います。

1つエビデンスがあります。

「年報・死刑廃止96「オウムに死刑を」にどう応えるか」に、以下の様な記述があります。これは、ドロシア・モアフィールドさん、という方ですね。これは、自分の息子さんが殺されて、しかし、その後死刑廃止論者に転じられた方の証言です。以下引用です。

「カナダがが死刑を廃止した翌年の殺人の発生率は、過去15年間で最低になりました。それに反しルイジアナ州が8週間に8人の執行を行った夏、殺人の発生率が16%上がりました。」以下…引用終わります。

この様に、殺人が行われた結果…国家が暴力行為を行った結果、一般民衆による殺人が誘発されている、という例です。

それからもう一つ、死刑が犯罪を誘発するという例ですね。これは大宮母子殺人事件の佐川和男被告の手記です。

「死刑制度の存続を言う人たちの主張の一つに、『死刑制度がなければ、凶悪犯罪が増える』というのがあるよね。『死刑廃止国では凶悪犯罪が増加した』というデータはないのだけれど、ぼくはそういうことよりも、現実としてぼくたち死刑になるのが恐ろしくて殺す必要のなかった二人目の犠牲者を出していることを重要視したいんだよ。」(引用終り)

この様な証言で、実際に死刑を…つまり、逃れるために、目撃者を殺したりする犯罪者の心理が良く分かると思います。

さて、次にですね、論点3に行きます。誤判の話ですね。

否定側は、誤判は現在、ほとんど可能性がない、と言っていますけれども、このステートメントには、かなり疑問があります。

まず、皆さん、現実に誤判がなされていた、という事実をご確認ください。即ち1963年の、いわゆる吉田岩窟王事件、83年の免田事件、1984年の財田川事件、1984年の松山事件と、実際に死刑が確定して、それが実は誤りだった、ということが、実際に起こっています。かつて起こったことが、今後起こらないという保証はありません。

そして、それだけではなくてですね、実際にこの様な話があります。

菊田先生…明治大学、菊田先生の、「いま、なぜ死刑廃止か」の96ページにこの様な記述があります。加賀乙彦さん…これは、死刑囚のケアをしたお医者さんですけども、この様に述べています。

「加賀乙彦も、『なぜ、この人が死刑で、あの人が無期なのか分からなくなった。判決の基準があいまいなのだ。最後は裁判官の心の奥底から出てくる決断にかかっている。が、人間の命をそのような秘密につつまれた意思によって決めてよいものだろうか』と44名の死刑囚と51名の無期囚を比較したあとの感想を述べている。」(引用終り)

それでですね、先ほど否定側は、しっかりした証拠に基づいて審議をしているから、誤判の発生の可能性はない、なんて言いました。しかし、証拠そのものに問題があれば、いかに裁判官が慎重に審議したとしても、誤判の可能性は排除できません。

ちなみに、団藤元最高裁判事は、1995年の著書の中で、次の様に述べています。これは要旨ですけれども、すなわち、証拠そのものに、誤判の原因が潜んでいると、団藤先生は述べています。要旨はですね、

1)証拠は、刑事訴訟法によって、いろいろ制限を加えられていて、限られた証拠によってのみ判断することとしている。また、たまたま見つかった証拠だけがでてくる。また、捜査の段階でいろいろ無理が行われる可能性がある。2)自白の任意性については判断が難しい。3)自白以外の証拠についても信憑性に疑問がある場合がある。4)偽証の問題もある。5)血液型や指紋の鑑定なども、古い血痕がわずかにあるだけのような場合、判定が難しいことがある、うんぬんかんぬんですね。

従いまして、いかに慎重に、証拠に基づいて議論をしようとも、誤判の可能性は常に残るのです。そして、一生…誤判に基づいて死刑が執行されたあかつきにおいては、これは、取り返しのつかないことになります。これはとても許される話ではありません。

さて、次にですね、メリットの方に行きましょうか。

死刑執行人は、仕事を断ればいい…、それはそうかも知れませんが、誰かがやるわけですね。つまり、死刑がある以上、死刑執行人というのは必ずいるわけです。従って、ある人が断っても、次の人がそれを強いられる、ということで、この問題は結局残ると思います。

家族の悲しみ…、自業自得だと言いますが、確かに、殺人者本人は自業自得かも知れません。しかし、殺人者の…死刑にされる家族の…家族に罪があるんでしょうか。どうしてその家族が、その悲しみを負わなければいけないのでしょうか。この点は一切説明されていません。

そして、最後に、コストの問題についてですけれども、私どもは、中央学院大学法学部教授の辻本先生を引用したいと思います。以下引用です。

「死刑事件は、裁判所の資源を最大限に用いて、判決確定後にさまざまな種類の訴訟の種を発芽させる原因となる。弁護人はその依頼人を助けるために、あらゆる、そしてすべての種類の手段を尽くそうと努力し、それに巻き込まれる裁判官はそれらに細心の注意を払うであろう。そして裁判の遅延が許容され、抑止という刑罰の…」(時間です)


反対尋問(武田→加藤)

武田:それでは質問させていただきます。まず、誤判についてなんですけれども、肯定側の方では、誤判が以前起きたことがある、ということをおっしゃいましたよね。

加藤:はい。

武田:誤判は起きているんですよね。でも、それは、誤判だったということが分かったんですよね。
加藤:そうです。

武田:わかりました。さらに、証拠そのものにも、誤判の可能性がある、ということをおっしゃいましたよね。

加藤:はい。

武田:それは、検察側で、証拠を、何らかの…何らかの手を加えて、証拠を偽造している、ということですか。

加藤:そういうこともあるかも知れませんし、悪意がなくても…

武田:それによって…

加藤:悪意がなくても、たまたま見つかった証拠だけで物事を判断するということに、そもそも限界がある、ということを、立論のカードで、主張したわけです。

武田:一つ確認したいんですけれども、この誤判、という問題については、肯定側のプランを採ったあとに、どうなるのでしょうか。これも、この…誤判ということも解決されると見ていいんですか。

加藤:いえ、誤判そのものは、危険性は引き続き残りますけれども、例えば、他の刑における誤判と、死刑における誤判の、シリアスネスというんですかね、それが…

武田:それでは、死刑に関する誤判…誤判が起きたときに、死刑に関しては、処刑されてしまうから、ひどい、ということだけが、解決される、ということで、誤判そのものは残る、ということですよね。

加藤:誤判そのものの可能性は残ると思います。

武田:はい。それでは、次に、犯罪者が…犯罪者とその家族の悲しみについてですけれども、家族に罪はあるのか、とおっしゃってましたよね。

加藤:はい。

武田:と、いうことは、つまり、犯罪者の方の悲しみは認めた、というか、悲しみがないことは自業自得ということは、認めた、ということですか。

加藤:いえ、私どもは、犯罪者の命であれ、絶つべきではない、と主張していますから、そういうことにはなりません。

武田:はい、分かりました。じゃ、続いて…すいません、また誤判の方なんですけれども、菊田先生のエビデンスを読まれましたよね。これは…この中身というのは、加賀さんという方が、この…死刑囚と、無期懲役…無期囚を比べたときに、どうしてこの人が無期なのか分からないと感じただけですよね。

加藤:だけ、といわれても、それは困りますけど、感じたんですね。(笑)

武田:はい、わかりました。じゃ、続いて、問題1の、国家の殺人についてなんですけれども、死刑は残虐ということを主張されていますけれども、ここで読んだエビデンスというのは、その…死刑の現場の話ですか。

加藤:死刑の現場の話です。それで、先ほど第一立論でも言いましたけれども、肉体的な残虐性だけでなくて、それを…死刑を待つ間の精神的な苦痛も大きいと…

武田:はい、分かりました。続いて、死刑が、逆に犯罪を増加させるということに関して…(時間です)ありがとうございました。


コメント(臼井直人)

さあ、肯定側第二立論が終わりました。そろそろ、争点というものがいくつか出てまいります。一つの争点というのは、死刑というのは本当に国家の殺人なのか、もしくは公共の福祉を守るための手段であるのか。死刑というのは、残虐であるのか、とか。最高裁の裁判…判定では、それは残虐ではない、しかし、実際に行われている姿を描写してみると、非常に残虐である、という風なことを言っていますね。そして、死刑に犯罪抑止効果があるか否か、肯定側は実際に死刑が行われているときに犯罪が増えている、という風なデータを出していますし、そして、否定側は、第二立論で、きっと、この問題に関してかなり多くの議論、時間を割くんじゃないでしょうか。

そして、もう一つテーマとなっているのは、果たして冤罪の確率というのは、死刑裁判において、非常に高いのか否か、ということですね。否定側の方は、死刑自体、非常に、なるのが少ない、400人に一人くらいである、と、そして、なおかつ、死刑の時こそ非常に慎重に判定する結果、そういう風な、…万全を期してやっているはずだ、と。

しかし、肯定側が、自分のエビデンスとして出しているのは、免田、財田川、色んな事件に見られる様に、非常に、そういうものがある、そして、死刑で、非常に、一生懸命考えなければなければならないほど、だんだんと込み入ったことまで考えなければならなくなってしまう、と。そうすると、判定基準がだんだん曖昧になってしまって、誤判の可能性が出てくる。そしてまた、自白、それから指紋を採るというのがありますね。プロセスの段階で、いろいろ、そういうものがあるんじゃないか、と。

そして、冤罪が少しでもあるとすると、やっぱりこれは、取り返しのつかないことになったらまずいんじゃないか、と、いう風な議論を展開しているということですね。これからのディベート、その、国家の犯罪である、とか、抑止、そして冤罪ですね、このあたりを中心に、議論が展開されていく筈になる、と思います。それでは否定側の第二立論、6分間です。


否定側第二立論:加藤奈緒 山形大学

それでは、肯定側の問題点の2。それから、その次に弊害を述べたいと思います。よろしいでしょうか。

まず、肯定側の主張している問題点の2についてですけれども、これ、抑止力がない、といっています。そして、そのエビデンスを引用しまして、抑止効果は存在しないのだ、十分な証拠というのは…十分な証拠がない、とおっしゃっていますが、十分な証拠というのは、何をもって十分な証拠とするのかが、全然示されておりません。そして、否定側は、死刑に関して、十分な証拠を持っています。まず、死刑に関しては、直接的、科学的証明は不要です。何故ならば、それは法的確信にまで高められているからです。

帝京大学教授、藤永先生96年によりますと、

「死刑を含む刑罰に犯罪抑止効果があるということは、人類が社会を形成した太古から現在に至るまで信じられ続け、それは法的確信にまで高められているといってよく、科学的証明などを要しないものである。」

とおっしゃっています。

しかも、科学的にも証明があり、一人の死刑執行によって、六、七人の殺人が減少することが明らかになっています。

明治大学教授、菊田先生94年によりますと、

「このセリンの研究に対し一九七五年にアイザック・エーリッヒが反論した。かれの研究は(一九七五年と一九七七年に発表されているが、一九七五年の論文では、合衆国における死刑執行と殺人率に基づき、一九三三年から一九六九年にいたる合衆国全域の資料を取り上げ、変数として殺人事件の逮捕率、逮捕された容疑者に対する有罪宣告の確率、雇用機会率一四歳以上二五歳未満の人口率、失業率、個人所得などから)死刑執行の可能性が一%変化することによって、期待される殺人率の変化の百分率を示すことができるとした。その結果一人の死刑執行により、六、七件の殺人が減少するというのである。」

つまり、こういった、詳しい…本当に緻密な、科学的研究に基づいて、一件の死刑執行によって六、七人の殺人が減少することが明らかになっているのです。これは、科学的証明とは…いえると思います。

続いて、問題の2に…問題の2の2についてですけれども、肯定側は、死刑の存在において、第二、第三の犯罪をくり返すと言っていますけれども、そして、永山則夫被告の例を挙げていますけれども、これはまず、この人だけです。

そして、実際にこう言った例が…実際にこういった例が起きていません。それは、まず、科学的根拠もありません。そして、なぜそういった実際に例が起きていないかというと、日本は殺人…日本の警察は優秀で、検挙率が高いので、犯罪を重ねる前に逮捕することができるからです。

犯罪白書96年によりますと、

「平成7年における殺人の発生率(認知件数の人口10万人当たりの比率をいう。以下同じ。)は1.0であり、検挙率は、96.5%となっている。欧米諸国と比べると、発生率は極めて低く、逆に高い検挙率を示している。」

とおっしゃって…という風になっています。つまり、ですから、実例が、ないのです。第二、第三の犯罪というのは、第一回目の犯罪が行われたら、第二、第三の犯罪というのは、警察の…日本の警察は優秀なので、すぐ検挙してしまいます。だから、第二、第三の犯罪は実際には起こっていないのです。

続いて否定…続いて弊害に移りますけれども…

まず、私たちの第一立論の…第一立論のAのカード、「人間は生命を本能的に欲しているため、死刑には強い抑止効果がある」という、この議論については、すでに、第二立論で認められています。これはその通りで、人間は…人間は固有に、もちろん、生に対して強い執着心を持つために、無期懲役には持たない…それよりももっと強い、大きな心理的抑制力を持つわけです。それが、そのまま抑止につながる訳です。そして、否定側というのは、全く潜在的犯罪者というものの存在を無視していますが、潜在的犯罪者というのは、死刑によって未然に…未然にその犯罪を妨げられている人で、その存在は、明らかにいます。

創価大学法学部教授、三原先生80年によりますと、

「次に滝川幸辰博士は威嚇力を理由とする死刑存置論者の主張を次のように説明している。『(…)犯罪学者が犯罪人について犯罪行為の時に、刑罰のことを念頭に浮かべたかどうかを問うてみて、仮に念頭に浮かべた場合があまり多くなかったとしても、それを理由としてその刑罰の罪抑止力を低く評価することはできない。なぜならば、真に有効にその抑止力が作用した場合には、その者は犯罪者となることがなく、従って犯罪学者の面接研究の対象ともならないからである。』とする。」

しかも、この潜在的犯罪者という存在は…その存在がいて、潜在的犯罪者が犯罪を未然にとどまったということは、すでに日本で経験的に証明されています。

筑波大学教授、小田先生95年によりますと、

「しかし、児童に対する営利誘拐殺人が、近年、極めて少ない件数に抑制されているのは、一連の事件が起きた昭和30〜50年代を通じて、『これだけは例外なく死刑になる』ということが『相場』になっているからではないだろうか。確かに死刑が全ての犯罪を抑制することはできないが、それが絶対に行われないという見通しは、その犯罪に対する『歯止め』の1つを失わせるのではないだろうか。」

と、このように述べています。

それから次に、わたしたちの第一立論のBについてですけれども、この480人という数について、肯定側は疑問を示しましたけれども、これは、アメリカの犯罪研究者である、S・スタック氏によって、客観的に、科学的に統計を出したもので、非常に…非常に信頼性の高いものです。

しかも、わたしたちの問題の2の2で読みましたカードを参照してください。1件の殺人…1件の死刑執行によって、6から7件の殺人が防げるという…これは、具体的に、非常に緻密な科学的調査に基づいて発表されています。

それから…それからですね、イタリアでも経験的に、死刑廃止後、犯罪が増えています。

小田先生94年によると、

「一時期イタリアでは、マフィアにより、裁判官や警察官、知事や犯罪学者までが次々と殺される…」(時間です)


反対尋問(加藤(宏)→加藤(奈))

加藤(宏):はい、それではお願いします。まずですね、藤永先生のカードを使って、抑止力というのは法的確信であって、証明を要しない、とおっしゃいましたね。で、他方ですね、エーリッヒとか、スタックとか、色々引いて、証明なされようとしているんですけれど、証明を要しないとおっしゃるのか、証明はやっぱり必要とおっしゃるのか、どっちなんでしょうか。

加藤(奈):本当は証明は別に…そんなにする必要がないくらい、絶対的なものなのですけれども、肯定側がそうおっしゃるので、敢えて証明しました。

加藤(宏):ありがとうございました。(笑)それではですね、全人類が法的確信という風なことを、藤永先生がおっしゃっている、といわれましたね。ただ、実際に死刑を存置しているのは、全人類共通なんですか。

加藤(奈):いえ、日本です。

加藤(宏):ですから、世界の中に、死刑を廃止した国がいっぱいあるわけですよね。それは認められますか。

加藤(奈):はい。

加藤(宏):であるとすれば、それが、全人類の共通の確信であると断ずる理由はどこにあるのですか。

加藤(奈):しかしですね、実際に、日本以外の国で…日本以外の国で死刑を廃止した国が、殺人がその後増えたりして、色々問題が起きています。

加藤(宏):いや、法的確信であるという、断ずる理由がどこにあるかがお聞きしたかったんですけどね。藤永先生を、そのまま信じられているわけですけれども、それは、藤永先生の…個人の確信じゃないんですか。そうではないんですか。

加藤(奈):藤永先生個人の確信ということも、もちろんあると思うんですけれども、今まで実際に死刑を存続してきた、という事実は、実際に…その事実自体が、死刑に抑止力があるということを意味しているとも言われると思います。

加藤(宏):わかりました。ありがとうございました。筑波大学の小田先生のカードを度々引いておられますけれども、小田先生のご専門って何ですか。

加藤(奈):小田先生は、精神医学の先生です。

加藤(宏):精神医学。犯罪学のご専門なんですか。

加藤(奈):犯罪学も専攻されてらっしゃいます。

加藤(宏):ああ、そうですか。ありがとうございました。それからですね、菊田先生の中で、エーリッヒのことを紹介されている部分を、カードで読まれましたですね。ただ…確かにそれはあるんですけれども、そのすぐ後に、菊田先生の本文のなかで、エーリッヒ自身も、この研究の成果が、死刑存置論の根拠とならないことを認めている、という記述があるということをご存じですか。

加藤(奈):それは肯定側の…

加藤(宏):はい、分かりました。これはこちらでご紹介することにしましょう。そうですね…これくらいにしておきます。ありがとうございました。

加藤(奈):ありがとうございました。


否定側第一反駁:武田裕美 山形大学

(臼井)それでは、否定側の第一反駁、4分間です。

まず…ケースだけなんですけれども、特に、最初に問題3の誤判の所を追いまして、続いて、不合理な殺人の方に移りたいと思います。よろしいでしょうか。

まず、誤判についてですけれども、まず、大前提として、死刑の判決…死刑が言い渡される率っていうのは、本当にめずらしいことです。わたしたちが藤永先生のエビデンスで証明したように、通常の殺人罪では、0.25パーセント、400人の殺人犯のうち1人だけ、強盗殺人犯の10パーセント、100人の強盗殺人犯のうちに10人だけという、極めて低い数字になっております。

さらにですね…さらに、肯定側は、実際4件の死刑誤判事件が起きているといいましたけれども、これはつまり、再審で見つかったわけですよね。見つかったならば問題はないんじゃないでしょうか。たとえ誤判があったとしても、再審制度が救うならば、それはそれでいいと思います。ですから、わたしたちが島田先生のエビデンスで言ったように、経験的に、死刑に関して、日本では誤判がないのです。再審制度が、たとえ誤判があったとしても、救っているわけですから、日本では、死刑に関する誤判というのは、ないといっても言い過ぎではありません。

さらに、彼らは、菊田先生のエビデンスを読みましたけれども、これは単なる…ただ単に、加賀さんという人が死刑囚と無期囚を比べた際に、何か…どうしてこの人が無期なのか分からない、という感想を述べただけのエビデンスです。ですから…だからといって、その…このエビデンスに、死刑に関する誤判という…誤判のリスクというのはあるということは証明されたとは言えないでしょう。

さらに、彼らは証拠そのものにも誤判を生む原因があると言いましたけれども、わたしたちの、藤永先生のエビデンスを引っぱって欲しいんですけれども、これでは、事実を解明する証拠調べ手続きにおいても、極めて慎重な審理がなされていると言っています。検察側も、この…証拠に関しては、極めて慎重に動いているわけですから、そんな…証拠を偽造するようなことはあり得ないでしょう。ですから、日本では、誤判の可能性というのはほとんどないのです。

さらに、わたしたちの反転のカードを引っぱって欲しいんですけれども、植松先生がおっしゃるように、死刑には、誤判を防ぐ力というのがありまして、というのも、死刑というのは最高刑ですから、そういう恐ろしい刑が、安易に執行されてはならないわけですから、裁判官も非常に慎重に審理するでしょうし、検察官も非常に慎重に証拠調べをするでしょう。ですから、逆に、肯定側のプランをとった後は、このような最高刑がなくなる訳ですから、誤判が生まれる可能性も生まれるでしょう。

さらに、続いて、不合理な殺人の方に移って欲しいんですけれども、彼らは、最高裁が正しければいいのか、とおっしゃいましたけれども、最高裁は、色々な方面から法律を判断しているのですから、この、最高裁が合憲判決を出したということは、考慮に入れるべきでしょう。

さらに、彼らは死刑は残虐ということをおっしゃいましたけれども、これは、死刑の…処刑の現場を描写しているエビデンスを読みましたけれども、確かに、ちょっとは…ひどい現場ですけれども、そういうような、ひどいことをされるようなことを、その…さんざん犯罪者はしたわけですから、それは自業自得です。もしもそのように処刑されたくないならば、殺人など犯さなければいいわけでありまして、何の罪もない被害者から人生を全うして自己表現を図ろうとする機会を奪ってしまうというような、そういう、ひどい犯罪行為を行ったわけですから、命をもって償うべきでしょう。

さらに、もし不合理と言うのならば、わたしたちの不利益で出したように、無辜の人が死ぬ方がよっぽど不合理です。

さらに、追加メリットの方に移っていただきたいのですけれども、死刑執行人は誰かがやるわけ、といったわけですけれども、引き受ける人は、納得して引き受けるわけですから、問題はありません。

さらに、犯罪者とその家族の悲しみですけれども、犯罪者にとっては、先ほど申しましたように自業自得ですし、家族に関しても、そのような犯罪者を生み出すような家庭を育んだんですから、それはしょうがないです。(笑)これは自業自得と言えるでしょう。(時間です)


コメント(臼井直人)

通常、この様な形で行われるディベートというのは、一応原則がございまして、肯定側のように、ある現状の、ある状況を変えよう、という風にする人が、最初に話し始めて、一番最後に話し終わる、というのがディベートの原則、という風になっています。そういった関係で、否定側の第二立論が終わった次は、肯定側第一反駁ではなく、すぐに、否定側第一反駁、という風な形で、二回続けて話をします。

そして、普通よく行われるのは、そう風な形で、第二立論では、否定側自身が出した、プランからのデメリットですね、今回の場合は抑止効果の所に話をフォーカスさせて時間を使う。そして、第一反駁の方では、肯定側の出してきた議論に対して、直接反駁を行って行く、と、そういう風なスピーチを行うことになっています。

これから先に、非常に、話の内容に触れることというのは、だんだんと、私の判断が伴ってきますので、あまり、避けた方がいいとは思うんですけれども、一応、どんな形でやっていたかというと、とにかく、否定側にとっては、そういう風な形で、抑止効果がある、ということを強力に押せば押すほど、それを採った後の犯罪が増えるんじゃないか、と、そういう風な、リスクが高いように、ジャッジにとっては思える訳ですね。その辺にフォーカスして、抑止はある、ということを、いろんな方面から、証明していたと思います。

一つは、まず、死刑というのは、昔からやっている、ということは、我々には法的確信がある、だから…という風なことですね、そして、二つ目には、科学的にもそれは証明されている。データを二つだしていましたけれども、一つはアメリカの調査によって色々な、人口であるとか、犯罪検挙率であるとか、色々なものを示した結果、一人死刑になると、それが6、7人の殺人を防ぐ、そういう効果がある。そしてまた、第一立論の方では、480人の命を救ったことがある、そういう風な、統計的な結果が得られているというようなことを出していますね。

そして、死刑にはなおかつ潜在的な抑止がある、ことに、犯罪者自身が犯罪を犯すときに刑罰を思い浮かべなくても、実際に我々…まあ、我々のように、犯罪を犯さない人というのは、やっぱりいるわけですね。そういう人っていうのは、やっぱり潜在的に死刑はやっぱり怖いという風に思っているから、そこで、やらない、っていう風な、そういうところがあるんですね。そういう風な抑止効果というのはあるはずだ、という様なことをいっています。

そういう風な形で一応三項目ですね、我々の歴史的経験・法的確信、科学的データ、潜在的抑止、そういう風な形で三つの形から、抑止の部分を固めていっている、そういう風なスピーチをしています。さあ、このディベートは果たしてどういう風になって行くんでしょうか。いままで私が一生懸命まとめてみたんですけれども、ここから先はですね、是非皆さん方のスピーチの内容を聞いて、そして判断を下して行くとまた、ディベートが面白く楽しめるんじゃないかな、と思います。


肯定側第一反駁:植嶋卓巳 JICAディベート研究会

(臼井)それでは肯定側の第一反駁です。

肯定側の第一反駁を始めます。

まず、我々は…目的合理性がない、という問題についてお話しします。まずですね、犯罪抑止効果について、エーリッヒの論文を先ほど引用されていましたけれども、わたしたちは、その、引用された後にですね、こういう文章が続いていることをご紹介いたします。

「もっとも、エーリッヒはこの研究で、死刑存置を主張したのではなく、明確な根拠を提供したとも考えていない。むしろ、雇用の増加といった、他の要素が、死刑の執行より大きな犯罪抑止力を有する、と述べている」(引用終り)

すなわち、エーリッヒ自身もですね、現在、彼の、科学的な分析によって、死刑の効果が必ずしも絶対だということを言っているわけではありません。従って、エビデンスとしての価値はないと思います。

続きまして、我々は、まず先ほど問題点として、残虐である、ということを申しあげました。で、その残虐性の中にはですね、肉体刑であると同時に、精神刑でもある、ということを申し上げたのですけれども、若干、事情をエビデンスに基づいてお話しします。

田丸美寿々さんの1994年に書いた、「死刑の現在」という著書の中から引用します。

(引用開始)「死刑囚は、毎朝、今日殺されるかもしれないという不安とともに目を覚まし、執行を宣言される時間が近づくと、恐怖に震えるという。そして、その恐怖は、真犯人だろうが、たとえ冤罪であろうが、変わらないのだ。34年6ヶ月という気の遠くなるような長い闘争の末、1983年7月、死刑確定者で初めて再審無罪となった元死刑囚の免田栄さんは、その恐怖を次のように語る。『役人2、3人が、足をそろえて来るでしょうが。その音は、最初は風が吹くような、さわさわ、としてですね、次第に靴の音に変わって来ますから、自分の独居の前に止まるか、独居の前を通るか、その瞬間ですよ。自分の独居の前を通ったらホッとしますけど、靴が近づいてくるまでの瞬間というもの、表現できません。体、ぎゅっと締まってしまってですね。』」(引用終り)

いわゆる、精神的にも、極めて残酷な…残虐な刑罰である、ということが分かります。

続きまして、誤判の件ですけども、一つ…いわゆる表に出ない冤罪のケースというのが非常に多い、ということを…エビデンスを紹介します。

小田中聡樹さんという、東北大学法学部教授の、「冤罪はこうしてつくられる」1993年の著作の中から紹介します。

(引用開始)「かつて日弁連では、1981年に誤判原因に関するアンケートをおこない、同年9月の第24回日弁連人権擁護委員会で発表したが、この調査は、冤罪=誤判の暗数に関する興味深いデータを提供している。全国の弁護士1万千680名に対して行われたアンケートに対し、683名が、自分の担当した刑事事件弁護の経験で誤判又は誤起訴と思われる事件があったと回答しているのである。その数は、1270件に上っている。」

と。すなわち、

「この調査によれば、1270件のうち、728件が第一審又は上級審で誤判・誤起訴を是正され、7件が再審で是正されているが、その一方で、有罪判決が確定したけれども誤判であると思われる事件(有罪確定事件)が435件ある。ということは、再審無罪事件7に対して、冤罪=誤判の暗数が435もあるということである。」(引用終り)

続きましてですね…いわゆる…恣意性が非常に高い、ということにつきまして、永山被告…永山則夫連続殺人事件ですね…一審、二審、三審と、量刑が変わった訳ですけれども、この点に関しまして、一つご紹介します。

最高裁の決定はですね、罪質の重さとか、一般擁護の見地と…主として罪刑の均衡の見地を強調し、第一審の判決を支持したのに対しまして、第二審は、犯行の重さについてはこれを認めつつも、情状面に重点をおいて、無期懲役を選択しました。このように、個別的情状面のいずれに重点を置くかにより、死刑と無期が分かれる。これは、永山裁判のですね、事情を説明したところでございます。すなわち、死刑選択の基準というのは、どの点に情状…を置くか、ということによって、かなり変わってくる、と、いわゆる死刑と…(時間です)


コメント(臼井直人)

さあ、これで肯定側の第一反駁まで終わりました。そして、ディベートは、あと一回ずつ、第二反駁という風な形で、肯定側、否定側に話をするチャンスが残されています。もう皆様お気付きのように、非常に、このディベートのジャッジのノートの上には様々な情報が入り乱れております。私も取ろうとしたんですけれども、非常に入り乱れています。この、入り乱れたところを、争点に沿って、話をまとめていって、そして、プランを採った後に、果たしてメリットが大きいのか、デメリットが大きいのか、という、一番最後のポイントを、肯定側、否定側の最後のスピーカーがジャッジに対して訴えかけていく、と、そういう風なスピーチがこれから行われるはずです。否定側の最後の反駁、第二反駁です。4分間です。


否定側第二反駁:加藤奈緒 山形大学

それでは、最初に、問題の3から行きます。問題の3、上へ行って、問題の2、そして弊害、最後に問題の1に行きたいと思います。よろしいでしょうか。

問題の3についてですが、この論点ではまず、誤審…誤審のことを肯定側は取り上げていますが、ここで確認しておかなくてはならないのは、肯定側が取り上げていることというのは、誤審というものではなくて、誤った執行ということです。誤った…誤審だけ…誤審ではなくて、誤った執行が問題だと言っているのです。そして、誤った執行というのはないのです。今までに実際に日本でそういうことは起こっていません。というのはなぜかというと、日本のシステムは極めて慎重であって、司法…司法が…司法制度が非常に…死刑に関しては厳しいため、誤った執行というのはあり得ないんですね。ですからないんです。これは、誤判は…そして、肯定側は一枚エビデンスを提供しましたけれども、これは、誤った起訴とか、誤判があると言っていますが、誤った執行…起訴であって、誤って殺されてしまっている訳ではありません。したがって、肯定側の重要性が…重要性を誤った死刑執行とするならば、この重要性はないことになります。

それから、わたしたちの提出している反転についてですけれども、これは、これは完全に認められています。死刑に誤判を防ぐ役割があるんです…あの、働きがあるんですね。これはなぜかというと、誤判…このエビデンスの中で、「無期懲役は誤判の吹きだまり」と言っているように、実際、裁判官とか、司法関係者の気がゆるんで、死刑がないことによってそれが…その気がゆるんで、無期懲役というひどい冤罪が起こり得る可能性が、非常に高い訳です。もちろん、無期懲役でもひどい冤罪です。この反転のインパクト…重要性は非常に重大だと考えられます。

それから次に、問題2についてですけれども、まずこれについては、わたしたちの科学的根拠は不要である、という議論がもう既に認められています。そして、科学的…科学的証明について、エーリッヒは明確な根拠ではないと、自ら否定している、ということを言いましたけれども、明確な根拠でなくても、こういった、緻密な調査によって、こういう一件一件の死刑執行によって、6〜7人の殺人が減少する、という、具体的な数字が出ているという事実には変わりありません。この点を重視してください。

それから…問題…それからですね、問題の2の2ですけれども、これについて…この議論について、わたしたちの議論は完全に認められています。日本の検察は優秀で検挙率が高いので、第二第三の犯罪というのはあり得ません。

それから、弊害についてですけれども、弊害で、肯定側は完全に潜在的犯罪者の存在を無視しているんですね。この点を重視してください。潜在的犯罪者というのは確実にいるんですね。そして、今現状では、死刑があるために、固有に、その人…その潜在的犯罪者というのは抑えられています。というのは、もう日本で既に昭和30年から50年の間にかけて、営利誘拐殺人の件でもう既に証明されています。営利誘拐殺人というのは何かというと、これだけは確実に死刑になるから、これが…この事件が非常に少なかったわけですね。というのは、つまり死刑が…死刑が執行されるという恐れから、この罪だけは避けようとしたわけです。という点で、既に抑止が働いてた…働いていたと言うことができます。

それから…ですので、わたしたちの第一立論のAとBをそのまま伸ばしてください。人間は生命を本能的に欲しているという点で、抑止力があるのです。はい。

そして、その結果480人の…30年で480人ですとか、一件の死刑執行で6、7人の殺人が減少するという数字…具体的数字がはじき出されてくる訳です。

その次に、問題の1についてですけれども、これは完全に、道徳律に反するという、非常に曖昧なことを言っているわけですね、肯定側は。どういった道徳律に反するのかが、良く分かりません。そして、不合理だと言うならば、わたしたちの弊害の方がよっぽど不合理です。わたしたちの弊害の重要性というのは、無辜の命の…無辜の人々の命が失われるということです。こちら(時間です)の方がよっぽど不合理です。


コメント(臼井直人)

これで否定側のスピーチが終わりました。一番最後に述べていたことですね。この、抑止力がなくなって、無実の人が殺されてしまう、そういうことの方が、死刑そのものの残虐性そのものよりも、ひどいものである、ということで、死刑というのは存続されるべきである、という風なまとめ方をしていたんじゃないか、という風に思います。4分間です。


肯定側第二反駁:加藤宏 JICAディベート研究会

最初に、肯定側の論点の…肯定側論点の2の1、抑止をやります。それから、誤判、論点のラージ3ですね、誤判、それから、恣意性、これについて述べたいと思います。最後に全体をサポートしていきたいと思います。

それでは、肯定側から最後の弁論をさせていただきます。

まず、抑止力についてですけれども、先ほど否定側はですね、科学的証明は必要ないんだ、という否定側の主張を我々が受け入れた、とおっしゃいましたけども、それは事実に反します。冒頭から我々は、この、アーチャーという方の科学的な研究を引いて、統計的な証明行為によって、死刑の抑止効果がない、ということを論証した訳ですから、そもそも我々が、その様なことを考えるはずがないではありませんか。(笑)

それからですね、エーリッヒについて、…やりましたけれども、これはやはりですね、主張されたご本人が、そもそもこの結論が、死刑存置の根拠にはならない、という風に言っている、ということを菊田先生が紹介していることを私言いましたですね。従ってこれをもって、死刑存置をジャスティファイするような、十分な科学的証明がなされているとは、当然思われない訳でございます。

従いまして、我々は、死刑の抑止…犯罪抑止力はない、という風に主張いたします。

さて、次にですね、冤罪についてですけれども、まず、誤った執行がなされなければいいんだ、という話ですけれども、ちょっと待ってください。先ほど私のパートナーは、死刑囚が、毎日いかに死刑におびえて、極限的な精神状態の毎日を過ごしているか、というカードを読みました。すなわち、仮に殺されないとしても、冤罪によって、殺されるかも知れないという苦しみを、毎朝毎朝死刑囚たちは味わっているわけです。これが不正義と言わずしてなんでありましょうか。従いまして、実際に…我々そもそも冤罪で処刑された人があると…可能性があると主張していますし、よしんばこれまでなかったとしても、この様な形で…冤罪を…受けてですね、毎日極限的な、精神的な苦しみを味わっている死刑囚の方はいらっしゃる可能性がある、ということは申し上げられると思います。

それからですね、犯罪…死刑の判断は非常に客観的に行われている、という話ですけども、先ほど、永山則夫さんのケースを引いて、死刑と無期の分かれ道がですね、はなはだ恣意的である、ということを引きましたけれども、もう一つエビデンスを読みたいと思います。

これは、「『オウムに死刑を』にどう応えるか」という本に書いてある話ですけれども、第二東京弁護士会の小川原先生がこの様に述べています。すなわち、第二東京弁護士会は…ですね、刑法改正対策特別委員会で、「死刑判決と量刑基準の考察」というものを発表したのですけれども、その結論部分でこの様に述べています。最近…以下引用です。

「最近の死刑判決事件一覧表記載の七八件の事件のうち、第一審の判決しか受けていない一九名を除けば、少なくとも第一審と控訴審の二つ以上の判決を受けた七〇名のうち、一五名もの者が第一審と控訴審で異なる判断を受けたということになる。これらを概観すると、審級により死刑と無期懲役の判断が分かれたケースにおいては次のように言うことが出来る。つまり、死刑を選択する判決は結果の重大性など犯行の客観的側面を重視する。他方、無期懲役を選択する判決は、被告人の生育歴や矯正可能性など主観的側面を重視する。」

仮に、事実認定において同じであっても、それをどう評価するかということについては、恣意性は残る訳です。それによって生きるか死ぬかが決まるというのは、極めて不合理と言わなければなりません。

それから、家族の悲しみは…メリットの方に行きます。家族の悲しみ、これは仕方がない。そうでしょうか。これは、皆さん、よくご判断いただきたいと思います。

さて、以下、これから、全体の議論を総括したいと思いますけれども、まず我々は、最初に、死刑が極めて残虐である、ということを主張いたしました。これに対して否定側は、最高裁がそう言ったからいい、あるいは、極悪なことをやったからいい、と言いますけれども、それは、倫理的に間違っていると、我々は主張しているわけです。そして、抑止論については、我々はこれから、統計的に証明されていない以上、死刑を存置する必要…必然性はないと主張しております。

それから、誤判の可能性、あるいは、恣意的な判断の可能性というのは、今申し述べた通りです。

それから、メリット、執行人。これ、確かに、まあ、人を殺すのが趣味の人が死刑執行人になるかも知れませんけども、家族の悲しみ、それから、コストについては残ります。

以上を持ちまして(時間です)、私どもは、死刑の廃止に支持をいただくようお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)

(臼井)どうもありがとうございました。両チームのご健闘に、もう一回大きな拍手をお願いいたします。(大きな拍手)

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