はじめに
一九九九年三月二七日、神田外語大学(千葉県千葉市美浜区)にて、第五回JDA春期ディベート大会が開催された。この大会では、参加者はA部門(一九九九年前期JDA推薦プロポジション使用、六チーム参加)とB部門(一九九九年第四回ディベート甲子園高校生の部論題使用、一四チーム参加)にわかれ、それぞれ二試合の予選を行ったあと、上位二チームによる決勝戦を行った。本トランスクリプトは、このうちB部門の決勝戦の模様を収録したものである。
B部門の論題は、「日本は、刑事裁判に陪審制を導入すべきである」。
決勝戦に残ったチームは、肯定側が辻井・川俣チーム(JBDF:辻井一、川俣洋史)、否定側が創価雄弁会C(創価高校:船木大、本村亮、松村洋、岡野菜耶)。
この試合の審査員は、瀬能和彦氏(都立八潮高校)、矢野善郎氏(東京大学)、篠智彰氏(東芝)、蓮見二郎氏(慶應義塾大学大学院)、古川曜子氏(富士総合研究所)の五名。このうち四名の審査員が肯定側に投票し、辻井・川俣チームが優勝した。また、審査員による投票の結果、この試合における最優秀ディベーターとして、川俣洋史氏が選出された。
トランスクリプトは、ビデオテープによる録画・録音をもとに、各ディベーターの喋った内容を、あきらかな間違いを除き極力そのまま記載している。なお、使用された証拠資料に関して、検証は一切行っていないので、ここから証拠資料を採取したい方は、ご自分で調査・確認の上、使用していただきたい。
肯定側立論 川俣 洋史(辻井・川俣チーム)
本日は、このような機会を与えていただきまして、本当にありがとうございました。JDA関係者の方々、それから、これをサポートしていただいた方々に本当に感謝いたします。
それでは、始めさせていただきます。
肯定側の立論。
我々肯定側は、日本は、刑事裁判に陪審制を導入すべきであると主張いたします。
現在、刑事事件においては、「疑わしきは被告人の利益に」という最も重要かつ基本的な原則がないがしろにされています。また一方では、国民の司法に対する関心の低さも指摘されています。これらの問題は、現在の裁判制度に根差すところが多いのです。
我々肯定側は、陪審制の導入で国民を刑事裁判に直接参加させることにより、この大切な司法の原則を守り、冤罪・誤判のない裁判制度と、人権が大切にされる社会を築くべきであると考えます。
肯定側のプランは、以下の通り、六つあります。
一.検察がおこなう起訴に対して陪審員を召喚する。
二.勤務規定による賃金保障の法制化と柔軟な参加日程選択制度を設立する。
三.陪審員に関する情報の秘匿規定と買収に対する厳罰規定を設ける。
四.証拠の事前開示により審理を集中化して、一日または一審理終了までのみの拘束とする。
五.裁判官による評決前説示を行います。
六.一二人全員一致による有罪・無罪の評決とします。
次に、このプランを採用することによって、二つの利益が生じます。
利益一、冤罪・誤審の防止です。
論点一は、現状、冤罪・誤審は多数発生しています。
現在の刑事裁判では、誤審事件が多発しているんですけれども、荒木伸怡(あらきのぶよし)立大教授、ジュリスト九九年、引用開始「無実の被告人を裁判所が有罪と認定してしまう誤りは、確定した死刑判決が再審により無罪とされたものだけでも、…[中略]…既に四件もある。死刑判決を下す際に裁判所は、とりわけ慎重に事実認定を行っているはずである。したがって、無期懲役などそれより軽い判決が確定した被告人の中には無実のものが多数含まれているはずであるし、死刑判決が確定している被告人の中にも、未だ何人もの無実の者が含まれているはずである。」引用終了。
論点の二として、原因がですね、現在の司法システムにある、ということです。
下村幸夫(しもむらさちお)、元判事の、関西学院大学非常勤講師、「刑事司法を考える」九二年、引用開始「捜査が公判にとって代わり、自白調書や証人の検察官調書の偏重による日本型冤罪が続発している。いまや、この現実を、ある現職判事は、『我が国の刑事被告人は、裁判官による裁判を本当に受けているのか』と自ら問責し、在日二七年の外人ジャーナリストは、『検察官が事実上の裁判官である』と評している始末である。」引用終了。
つまり、検察が提出した証拠が、裁判において、そのまま無批判に採用されているのです。このような司法構造が冤罪や誤判を引き起こしているわけです。
論点三として、弊害の重大性。
冤罪・誤判は本来あってはならないことです。これは、人権保護の砦たる司法が自ら重大な人権侵害を行うことになるからです。
論点四として、利益一の発生過程です。
我々のプランを採択すれば、訴訟構造の変化をもたらし、誤判・冤罪が減少します。
証拠文献を引用します。大野達三、評論家、「日本の検察」九二年。「陪審制になれば、検察にどういう影響または変化が起こるのだろうか。まず検事は一二人の陪審員全員に、なぜ被告が有罪であるのかを信じ込ませるために、がっちりした証拠を揃えなければならない。…[中略]…陪審裁判の多くは、否認事件だから、警察段階での自白などは、裁判段階で否認されれば、恐らくあまり意味を持たなくなり、現在も日本で横行している『自白裁判』は影をひそめるであろう。警察も代用監獄と自白強制にしがみついているいまの捜査方法を改めざるを得なくなり、反対に有罪を立証する物的証拠やしっかりした『証言』や科学的捜査が発達せざるを得ないだろう。『疑わしきは被告人の利益に』の原則が次第にすべての諸制度に広がり、代用監獄は廃止されるだろう。冤罪事件は非常に少なくなるだろう。」…そうですね、そういうことです。
この様に、陪審制の裁判によって、陪審員という、中立な立場の人に判断させることによって、今までの構造を変える。そして、検察側の強引な捜査をなくす。これが、[冤罪・誤判の]減少につながるという訳です。
利益の二番目としては、国民の教育効果、引いては、人権も尊重される社会になります。
論点一の、重要性。
Ph.Dをお持ちの、千葉大学の黒沢さんは、九三年の毎日新聞で、引用開始「ここで考えるべきは国民の大多数が裁判や司法制度にあまりに無知で無関心なことでしょう。」引用終了。と、国民の司法に対する知識や関心のなさが問題であると指摘しています。三権分立の中央に国民がいる以上、国民が司法に関する教育を受けて、関心を高めることが、民主主義にとって大切なことは明らかです。
論点二、発生過程です。ポイントA、Bとあります。
ポイントA。陪審制を導入すれば、大勢の国民が法廷に足を運ぶことになります。
丸田教授の九〇年の著書「陪審裁判を考える」によれば、年間で一四万人の人が、陪審制度によって[裁判所に]足を運ぶことになる、という報告が試算されています。
ポイントB。これらの人々は、裁判に関わることで教育されて、人権に対する意識が高まります。
黒沢さん、先程の証拠資料と同じ。引用開始「どんな時に黙秘権があり、いつ弁護士と相談できるのでしょうか。こういう質問も陪審員として刑事裁判を経験した人なら簡単に答えられます。陪審裁判は犯罪人を裁き罰する司法制度であるだけでなく、一般国民を教育する機能ももつからです。…[中略]…このような学習で他者の権利と人権を尊重し自分の権利を守ることを具体的に学ぶわけです。陪審勤務には政治・社会問題の理解を助け…」[時間終了]
この様に、人権を守る、という考えが尊重されるということです。
以上です。どうもありがとうございました。
否定側質疑 本村→川俣
木村:では、質疑を始めさせていただきます。まずプランについて聞きたいのですけど、全員一致ですよね。全員一致しなかった場合はどうなるのですか?
川俣:特に述べなかったのですが、よく行われているパターンとしては、解散して、もう一回再陪審ということになります。
木村:もう一回再陪審、ということですね。わかりました。陪審員に払われるお金はどれくらいですか?
川俣:日当程度、ということを…そうですね…そんなに高額なものではないですね。
木村:具体的にはどれくらいですか?
川俣:例えば、五〇〇〇円とか…
木村:五〇〇〇円。
川俣:五〇〇〇円とか一〇〇〇〇円…一〇〇〇〇円いくかどうか分かりませんが…まあ、リーズナブルな額ですね。
木村:はい、わかりました。では、利益一、二に入っていきたいと思います。利益一は冤罪・誤審の減少でよろしいですか。
川俣:はい。
木村:では、論点一で、冤罪が多発していると言っておられましたが、実際どれくらい起こっているのでしょうか。
川俣:証拠資料によりますと、明らかになっただけで、死刑判決を言い渡された人が無罪になった、という観点だけで四件ある、と。この資料ではですね、潜在的な…これは死刑判決なので、慎重にやっていたはずだ、と。そういうことを論拠に、水面下のもの[冤罪]はもっとたくさんあるぞ、ということを言っています。
木村:はい、わかりました。では、利益二の方に移りたいと思います。利益二は、教育効果がある、ということですか?
川俣:はい。
木村:では、今どれくらい教育がなされていない、というのが…具体的に、どれくらいの量…
川俣:教育というのは、あまり、量では測れないと思うのですけれども、現実としてはほとんどなされていないのが現状だというのが、我々の認識です。
木村:はい、わかりました。では、プラン導入でどれくらいの教育的効果が予想されるのですか?
川俣:それはですね、先程も申し上げましたように、一年間で一四万人、一〇年間にすると一四〇万人ということですね。
木村:はい、わかりました。利益一の論点四の所で、組織構造、というのについて言っておられましたが、この組織構造、というのは…
川俣:具体的にはですね、もうちょっと説明しますと、今は司法があまりに検察寄りになっている、と。裁判官があまり公正なものの見方ができていないんじゃないか、というのが根底にあります。[時間終了]
木村:はい、ありがとうございました。
否定側立論 船木 大(創価雄弁会C)
それでは、これから否定側の立論を始めさせていただきたいとおもいます。よろしくお願いいたします。
定義は肯定側に従って、プランは現状維持の立場をとります。
まず、肯定側のプランから発生するデメリットは二点あります。
デメリットの一点目は、「不公正な裁判になる」です。
ここで、「不公正」という言葉の定義を説明します。「不公正」とは、何もやっていない人が有罪の判決を受け、罪を犯した人が無罪の判決を受けてしまうということを指しています。
始めに、現状分析をしたいとおもいます。現状において、裁判は裁判官という法の専門家が判断を下しています。彼らは、日本の国家試験の中でも最難関といわれる司法試験に合格し、さらに司法研修期間を経ていますので、知識や経験が豊富にあります。そのために、レトリックに騙されることもなく、法にのみ従って、公正な判断をしています。
そこにプランが導入されると、市民が陪審員となります。そして、その市民が判決を下すことになります。
しかし、市民というのは公正な判断ができません。その理由を四点にわたって説明したいとおもいます。
まず一点目は、偏見がある、ということです。人というのは、育ってきた環境によって、偏見というものを形成していきます。
証拠資料を引用します。出典は、現代人文社刊九七年発行、新潟大学教授、鯰越溢弘[なまずごしいつひろ]著、「陪審制度をめぐる諸問題」よりです。
引用開始「個々の陪審員は、被告人の人種または社会的出自、容貌、態度から被告人に対する偏見をもつことがある。」引用終了。
二点目は、先入観をもっている、ということです。先入観というのは、メディアでも形成されていきます。メディアでは、しばしば行きすぎた、また、偏った情報を全国的に流しています。その報道というのは、間接的だとしても国民のほとんどが知るところになります。従って、陪審員の候補者は、だいたいの人が先入観をもっていると考えられます。
このように、陪審員は先入観をもっていることで、公正な判断ができないことになります。
三点目は、無知である、ということです。市民は法に関する知識がまったくありません。そのために、自分の感情をもとに判断しがちな上に、陪審員の評決には理由が付されていないので、公正な判断とは言えません。
続いて四点目ですが、四点目は、レトリックに騙されやすいということです。知識や経験の豊富な裁判官にくらべて、市民は偏見もあり、無知であり、経験もないので、簡単にレトリックに騙されてしまいます。
以上の四点の理由によって、陪審員は公正な判断ができないことになります。よって、裁判は不公正となってしまい、デメリットが発生します。
続いて、このデメリットの深刻性を説明します。
発生過程でも説明しました様に、市民による陪審員には公正な判断ができません。そのために、本当は罪を犯した人が無罪になり、また同時に、何もやっていない人が有罪になるということが生じます。
これは、無実であるはずの人間が、辛い服役を受け、有罪である人間は野放しにされるということです。
つまり、有罪の者が無罪となるということは、再犯を犯す可能性もあり、社会不安に陥ることも考えられます。
さらに逆の場合、無罪の人が有罪になってしまうというケースもあります。
自分の大切な人が無実の罪によって、何十年もとらわれの身となってしまったら、どうでしょうか。この時の家族や親族などの苦しみは、計り知れないものです。
さらに、その本人は、人生の長い期間を無駄にし、棒に振ってしまうことになるわけです。
このようなことが相次ぐことになれば、裁判不信に陥り、司法制度は壊滅的な状態になってしまいます。従って、このデメリットは大変深刻であると言えます。
続いて、デメリットの二つ目。それは、「コストがかかる」ということです。
まず、発生過程を説明します。現状では、裁判官の報酬というのは、当然決められており、毎月の給料がそれに当たります。
プランを導入すると、市民に報酬を支払い、陪審員をやってもらう事になります。当然、忙しい中、無理を言って陪審員を引き受けてもらうのですから、それなりの額の報酬を支払わなくては、市民は納得しません。しかし、一年間に刑事裁判は、最高裁判所の統計によると、約一六九万件行われています。そのうち、否認事件は、過去の統計から、一二パーセント位ですから、二〇万八千件となります。
つまり、肯定側でおっしゃっていたのは、一日五〇〇〇円位の報酬を支払う、とおっしゃっていましたので、任期の間、例えば、一週間の任期だったとしても、日当が一日五〇〇〇円ですから、七日で三五〇〇〇円、よって年間で八五一億七千六百万円必要となります。
一人の陪審員に支払う金額は、かなりのものになります。さらに、陪審員は、多数いますので、その倍が加算されることになります。
これは、現行の制度に、陪審制度が新たに加わるので、確実に発生する金額です。しかし、この大不況であるこの世の中のどこに、そんなお金があるのでしょうか。陪審制度擁護者の発言の中には、陪審員の給料は低くて当たり前とか、低くても当然の義務だから、参加しなければならないなどと、言っている人がいます。
しかし、陪審員になるのは国民です。そんなことを言っても、国民が納得をしなければ、意味がありません。ですから、陪審員の給与は高くなくてはならず、このデメリットは確実に発生します。
次に、深刻性を説明します。このデメリットが深刻なのは、いくらでも費用が増加するというこです。デメリット一でも触れたように、有罪の人が無罪の判決を受けることもあり、犯罪も増え、陪審裁判も増えます。
さらに、これは半永久的であり、私たちの世代では終わらないかも知れません。孫や、その次の世代にまでも不安を押しつけることにもなりかねません。
財政悪化したこの日本に、このようなお金のかかる制度を導入することは、大変深刻と言えます。
以上で否定側の立論を終わります。ありがとうございました。
肯定側質疑 川俣→船木
川俣:どうもありがとうございました。それではですね、確認をしていきたいのですけれども、デメリットの数は二つですね。
船木:はい。
川俣:一つ目は、不公正な裁判になってしまう、ということですね。
船木:はい、そういうことです。
川俣:第二番目がコストということですね。
船木:はい。
川俣:で、デメリット一の方の論点を確認していきたいのですけれども、一番目は偏見、ということですね。
船木:そうです。
川俣:二番目が先入観、ですね。
船木:はい。
川俣:三番目が、無知である、と。
船木:そうです。
川俣:四番目が、レトリックに騙されてしまう、と。
船木:はい。
川俣:で、このうちですね、一は、証拠資料を使って証明されていたような気がするのですが、二、三、四については、いかがでしょうか。
船木:二、三、四に対しては、証拠資料はありませんけれども、これは現実に…特に二番目のメディアについては、現実にメディアは過激な報道…
川俣:よく知られている、ということですね。
船木:そうです。
川俣:わかりました。それではですね、次に、コストの方にいってみたいのですけれども…デメリット二の方ですね。こちらの方は、私なんかのプランではですね、まず最初に、一日一審理という風に言ったんですけど…例えば、アメリカの統計によりますと、一審理だいたい一日で終わってるんですね。平均しても一点何日か、二点何日。とすると、この一週間というのはちょっととり過ぎですね。
船木:私たちは、一応一週間で[計算を]やってますけど…
川俣:ということは、ちなみにですね、確認しておきたいんですけれども、トータルでいくら、という計算なんでしょうか。
船木:例えば、[一審理が]一週間で[計算を]やったとして、年間で、八五一億七千…
川俣:八五一億ですか。
船木:はい。
川俣:とすると、我々のプランだと、少なくともこの何分の一かになる、ということはよろしいでしょうか。我々のプランの場合、ということで…
船木:一日一審理だった場合には、少なくなると思います。
川俣:そういうことですね。どうもありがとうございました。それからですね、偏見という話を…ごめんなさい、もう一回デメリット一の方に戻るんですが、偏見とか先入観とか無知とか、そういう話なんですけれども、我々のプランにちょっと注目していただきたいんですが、プランの五番目に評決前の説示がある、ということは認識してらっしゃいますでしょうか。
船木:説示がある、ということですね、プランの中に。それは分かっています。
川俣:はい、分かりました。そうすると、裁判官の役割…これが、その、偏見とか先入観を取り除ける、という可能性については、どうお考えでしょうか。
船木:我々は、この証拠資料で引用しましたように、先入観ですとか、偏見というのは、やはりその人々の環境ですとか、暮らしている…生育歴によっても違いますので…
川俣:なるほど、わかりました。矯正することはできない、というお考えですね。ただし、その議論を支える証拠資料はない、ということで、そういう理解でよろしいですね。
船木:そうです。証拠資料はありません。
川俣:はい、わかりました。以上で結構です。どうもありがとうございました。
船木:どうもありがとうございました。
否定側第一反駁 本村 亮(創価雄弁会C)
それでは、否定側第一反駁を始めたいと思います。よろしくお願いします。
まず、プランの方から。質疑で、全員一致である、ということで、一致しなかった場合には、再度審理が行われると言っておられました。これによって、第三のデメリットが発生してしまいます。それは、裁判が長期化してしまう、ということです。
さらに裁判が長期化してしまうことによって、さらに費用がかかります。よって、デメリット二につながってしまいます。
よって、これからデメリット二が補強されました。
では、利益一の方から行きたいと思います。
利益一の論点一で、現在、証拠資料の中で[再審無罪事件が]四件と言っておられました。この中で、疑わしい人は無罪になっていると言っておられました。ということは、「疑わしきは罰せず」なのですから、これは、無罪になっているので、逆にいいのです。証拠資料の中では、疑わしい人は無罪になっている、と言っておられましたので、これは、結局無罪になっているということでいい、ということです。
ここで考えていかなければいけないのは、利益一と私たちのデメリット一は対立しています。そこで考えていかなければいけないのは、裁判官と陪審員のどっちが判断が正しいか、ということです。そこで、私たちは裁判官の方が正しい、ということを証明します。
まずですね、立論でも述べましたように、陪審員というのは無知なのです。法律的知識は全くありません。ということはですよ、殺意の認定、などといった、法律的知識が必要なものなどは、判断が困難になります。
また、説示などで、その場で状況証拠などで判断しなければいけない、と言っておられました。ということは、その場の状況証拠で、レトリックを使って、上手い表現をされてしまったら、それは逆に公正な裁判ではなくなってしまいます。よって、これは逆にデメリットが発生してしまいます。
また、三点目。陪審員たちというのは、それぞれの事情があります。ということは、それぞれの事情があるので、早く裁判を終わらせようとします。ということは、乱雑になってしまい、公正な裁判でなくなってしまいます。
また、陪審員というのは、日頃から論理的な考え方をしていません。ということは、その場に行ってからすぐに論理的な考え方をしろ、と言ってもできません。よって、公正な裁判ではなくなってしまいます。
ということは、陪審員は、裁判官よりも公正な裁判ができない、ということです。
利益二に移りたいと思います。
利益二というのはそもそも、現状で教育的効果がない、というのが…何が深刻なのか、ということがわかりません。そもそも、証拠資料の中で一四万人と言っておられました。これは、非常に少ない数です。これだけ[陪審員に]なったとしても、まったく教育的効果は得られません。そもそも、教育的効果は無理です。何故かといいますと、さっきも言いましたように、国民は無知なのです。ですから、その場に行ったって、そんなに効果はありません。よって、教育的効果はあがりません。
プラン導入によって、どれくらい教育的効果が上がるか、ということも全く分かりません。よって、問題は、発生もしないし、そんなに重要でもありません。
プランの中で、拘束される、と言ってました、拘束される、ということは…[時間終了]
ありがとうございました。
肯定側第一反駁 辻井 一(辻井・川俣チーム) では、肯定側の第一反駁を行います。
肯定側といたしましては、誤審が増加しない、ということに対して、二つ述べました。一つは、裁判の構造そのものが冤罪を防ぐ。これは先程第一立論で言った、大野達三の証拠を引用しました。
そして二つ目は、否定側の、誤審が増える、ということに対しての反駁になるかと思うのですが、まず、事実認定の能力に関してですね、陪審制の優れている、様々な要因があります。
まずそのうちの一つ、一般人の方が、事実認定能力が高い。
松永光信、弁護士、「陪審裁判第一二号『陪審制度の存在価値とその代償』」一九九六年。引用開始「法曹関係者には、『裁判官は多くの事件の処理を経験しているので、事実認定は、素人より的確である』という人もいる。とんでもない思いあがりである。司法習修を終え、任官し、裁判に関与させるのは非常に危険である。彼らは社会経験が浅いし、法律以外の分野ではズブの素人である。それは、あたかも、まだ『ヒヨコ』の医者に、人体実験を繰り返させて、医療技術を磨かせようとするようなものである。考えるだけでぞっとする話である。」
また、もう一つ、同じく、大野達三、評論家、「日本の検察」一九九二年一一月。引用開始「法律には素人でも、事実を認定する能力というものは法律学ではないのだから、裁判官と私でも、私と読者でもそう差があるとは思えない。むしろ予断をいだきがちな裁判官の方がミスを犯しやすい。」
これは、さきほど否定側からあったようにですね、法律論議ではなくて、事実の認定能力でありますので、法律を知っているか知っていないか、ということに関しては関係ない、という風に主張します。
また、裁判官は組織に縛られ、良心に基づいた判断ができません。職業裁判官であるがゆえの制限があります。
大阪弁護士会監修「陪審制度」一九八九年。弁護士…菅さんですね…引用開始「裁判官が…[中略]…、あえて政府や支配層の人たちに逆らうような判決を出すことができるのでしょうか。…[中略]…裁判官というものが素人に比べて、本当の意味で情勢に流され難く、独立性を持った判断を下せる環境が保障されているのかは非常に疑問だと思います。むしろ、自分の仕事や出世などが全く関わっていない陪審員の方が、自由に、自分の良心にしたがって結論を出せるという立場にあるということも言えると思うんです。」引用終り。
それから、判断の正確さは、評議の相乗効果から。評議による相乗効果というのは、職業裁判官の判断よりも優れております。
高内寿夫、白鴎大学法学部助教授、法学博士、白鴎学報「事実認定の構造論から見る陪審制と職業裁判官制」一九九六年九月。引用開始「陪審制であれば、各陪審員は、評議の場において、それぞれの意見をぶつけ合って、お互いの誤解・偏見を是正してゆく…[中略]…陪審の評議の場合、さまざまな生い立ちを持つ者たちの集まりであるので、それぞれの者の偏見を是正することができるのに対して、裁判官の場合、基本的に同質の生活体験を持つ者の集まりであるから、陪審の評議に期待するものを求め難い。また、合議体の裁判官の中にはその経験年数などに基づく階層があり、合議が十分に成立するか疑問であるという指摘もある。また、そもそも、単独審の場合は、こうした機会は与えられていない。」引用終り。
それから、国民の存在が司法を活性化させます。
渡辺保夫、北海道大学法学部教授、「無罪の発見」一九九二年。「陪審制の採用は国民の司法への関心を高める…[中略]…必ず裁判のマンネリズムを防止するであろう。裁判官も常にフレッシュな民衆の感覚に刺激を受け、人権感覚の弛緩が防止されるだろう。そして、裁判所は民衆をその内部に吸収することによって、真の権威と信頼を確保するであろう。このような環境的変化は、誤判の防止に永続的なプラス要因として作用するように思われる。」
また、さきほどですね、偏見、ということが否定側から出されておりましたけれど、これは、裁判官の説示により、陪審の公平性が保てます。
棚瀬孝雄、京都大学教授、判例タイムズ「刑事裁判と事実認定」一九八六年。引用開始「専ら責問権という当事者の能動性に依拠しつつ、当事者間の公正な競争を維持するのが訴訟指揮の役割であり、陪審制の下では、それは別に裁判官に委ねられているために、陪審制は純粋に受動的な裁定者にとどまることができるのである。」
このようにですね、裁判官の説示により、陪審の公平性は保てます。
さらに、裁判のコストですけれども、コストは下がります。
大阪弁護士会監修、[時間終了]「陪審制度」一九八九年…
否定側第二反駁 松村 洋(創価雄弁会C) これから、否定側第二反駁を始めます。
まず、肯定側のメリットを見て下さい。メリットの二点目を見て下さい。二点目で、教育効果があがる、と言っていました。しかし、教育効果があがると言っていますが、これがどう国民にとって良いのか、どう国にとって良いのか、とか、そういう…プラン導入によって、どうなるのか、ということが言われていません。
また、民主主義は大切だと言ってますが、どう民主主義は大切なのか、それが述べられていません。したがって、これは重要性がさっぱり分かりません。それに、本当に教育効果があるのかの立証もなされていません。
次に、肯定側のメリットの一点目に移ります。
肯定側は、第一反駁で、陪審員は大丈夫だ、ということを言っていました。しかしですね、陪審員というのは、レトリックに騙されたり、とか、偏見に流されたりとか、そういうことがあるんです。陪審員というのは市民です。市民はだれも、騙されようと思って騙されるわけではないんです。自分がこの人を有罪に陥れようと思ったり、自分で騙されようと思って騙されているわけではなくて、騙されていることに気づかないんです。ですから、さきほど自分の良心に基づいて判断すると言っていましたが、確かに自分の良心に基づいているんですけど、それが騙されている、という記憶がないんです。
それに、偏見というものは、生まれながらにして持っているものなのです。偏見だと気づかない間に偏見を持っているものなのです。証拠資料でいろいろ述べられていますが、それは「専門家がそういっている」というだけです。専門家は、専門家でありますが、市民の心が分かるのか、よく分かりません。
陪審員というのは…、ですから、偏見を持っていたり、先入観に流されたり…、しかもレトリックによって、証拠などを…レトリックで巧妙に騙される可能性もあるのです。ですから、陪審員に公正な判断はできません。
それに比べて、裁判官というのは、非常に公正です。なぜなら、否定側立論の現状分析でも述べましたが、裁判官というのは、偏見を確かに持っていますが、法の知識は十分にあるのです。それに対して陪審員というのは、法の知識はまったく無いのです。だから、レトリックなどに騙されやすいのですが、裁判官というのは、経験があります。ですから、経験によって、裁判官というのは、レトリックを回避することができます。ですから、裁判官というのは、非常に公正です。
ですから、裁判官が公正なので、わざわざ不公正な陪審制度を導入して、国を乱すようなことをすることはないと否定側は主張いたします。
さきほどから証拠資料を何度か、陪審員が悪い、ということに関して述べられていましたが、これは、やはり、一専門家の…専門家は専門家で、ちょっとしたプライドがあったりとか、いろいろあって、市民が希望している事はなかなか分からないのです。ですから、専門家の意見は信用できません[時間終了]。以上で否定側第二反駁を終わります。ありがとうございました。
肯定側第二反駁 川俣 洋史(辻井・川俣チーム) それでは始めたいと思います。
このディベートにおける価値基準、もっとも大事なこと、それは、公平な判断というのは、どちらの方ができるのだろうか。陪審なのか、裁判官なのか。この価値観がもっとも大事です。それに比べて、コストとか、長期化という問題は、とるに足らないことです。少しでもいい判断ができるのであれば、こんなもの[コスト・時間を]かけましょう。そういう観点でお聞き下さい。
それでは、どちらが、という話。比較に入りますが、我々はですね、大きく分けると三つの根拠で、いろいろ論証してきました。最初はですね、立論のところで言いましたように、構造に関する問題です。裁判官に代えて、陪審を導入することによって、科学捜査が促進されたり、あるいはですね、強引な取り調べがなくなったりする、と。そういう構造の問題が一点。
それから二点目は、第一反駁の所で述べましたように、素人そのものの能力の高さ。これが二点目。これも、証拠により裏付けされております。
それから、三点目は、同じく第一反駁のところなのですけれども、素人が仮に偏見を持っていたとしても、陪審という、一二人が意見をぶつけ合う、という構造の中で、偏見を取り除ける、ということなのですね。おまけに、裁判官は説示という重要な役割を、このプランでは果たしております。それによって、否定側が言うところの偏見、先入観、無知、レトリックに騙される、こういうところが、注意深く取り除かれる、こういうシステムを築いている、というのが我々のプランなのです。
したがって、デメリット一が起こるか、それともメリット一が起こるか、という、この観点で見たときに、我々のメリットが残り、従って、デメリットは全く起こらない、と言わざるを得ません。
そして、最初にコストも見ておきますけれども、多分とるに足らないと言ったのですけれども、いろんな要因があるのですけど、例えば、裁判官って、今合議で三人でやっているのですけれども、陪審制では、一人なんですね。すると、二人分浮く、ということになります。そうすると、[陪審員に支払う分のお金と]相殺分が出てきます。こういうことが常識で考えられますし、例えば、長期化、ということでちょっと疑わしいのはですね、陪審って、一日で終わってしまうんです、大抵の場合。そうすると、今までですと五年六年、ひどいのになると一〇年を越えていたのが、一日二日で終わる、ということなのに、どうして長期化なのか、ちょっと常識で考えて納得がいかないところがあります。
それから、我々の最後のメリット二について述べたいと思うのですけれども、教育されて人権意識があがる、ということを立証しましたけれども、これがですね、そのこと自体もいいと思うのですけれども、これがですね、司法に対する監視の目を光らせることになる、と、我々国民が。そうすると、結局我々のメリットの一をサポートする、つまり、何か変なことを検察とか警察がやらないか、裁判官が変な判断をしないか、という監視の目…この関心の高さが、監視の目になって、メリット一をサポートしている、という構造になっています。
従って、全体を見回してみると、メリット一というのは確実に発生する。それに比べると、デメリット二とかいうのは、少しは起こるかも知れないけれども、このメリット一に比べれば、大したことはない、ということになります。
したがって、肯定側に一票入れていただくようお願いいたします。ありがとうございました。[拍手]