米国の陪審制度について

飯田浩隆



はじめに

 「国民の司法参加」を論じる今期の論題では,陪審制度の導入の是非が主要なテーマになるものと思われます。しかし,陪審制度は日本に存在しないため,どのような制度なのか具体的にイメージしにくい方も多いのではないでしょうか。ここでは,米国の陪審制度はどのように運営されているのか,陪審裁判制度にはどのようなメリット,デメリットがあるのかについて簡単に紹介したいと思います。

1. 陪審制度とは

 陪審制度とは,一般国民から選ばれた陪審員が,訴訟の当事者の主張や証拠を検討して評決を下す制度です。日本も含めた世界の多くの国々では職業裁判官が判決を下す制度を採用しており,陪審裁判制度を採用しているのは,アメリカ,イギリスなど特定の国々に限られます。

 「難しい法律問題がからむ訴訟について,法律の素人である陪審員が判断できるのか」このような疑問をもたれる方も少なくないと思います。陪審制度では,法律問題の判断は裁判官が行い,事実の存否にかかわる問題のみ陪審員が判断します。当事者の主張と証拠調べがすべて終わると,裁判官は「陪審員への説示」を行い,その事件に適用する法律について説明します(陪審への説示 jury instruction)。例えば「A,B,CおよびDの事実について検察官が合理的な疑いを超えて立証できれば,犯罪が成立し,被告人は刑事責任を負う。」という説示が裁判官からなされた場合には,陪審員はA,B,C,Dの事実について必要な立証があったかどうか検討し,評決を下せばよいわけです。

 裁判官による説示を受けた後,陪審員は別室に入って評決について討議します。陪審員が評決を下すためには,陪審員全員の意見が一致しなければならないというのが一般的なようです。陪審員の間で意見が分かれたために評決が得られない場合は,裁判はやり直し(再審理 new trial)になります。

 

2. 陪審制の長所と短所

 陪審制度の長所として,世間を知らない職業裁判官よりも一般国民から選ばれた陪審員の方が常識的かつ健全な判断を行えるといわれます。また,陪審制度を支持する人は,国家と国民の間の訴訟において,公務員である裁判官が国家に偏った判断を下すリスクを減少できるというかもしれません。実際に,職業裁判官が国家に偏った判断を行うリスクがあるかどうかはさておき,一般国民の代表による陪審員の判断の方が,職業裁判官による判断より,公正中立さをアピールしやすい面はあると思います。

 陪審制度の短所として,陪審員は感情に流されやすく冷静な判断ができないと言われます。弁護士の中には,陪審員の感情にアピールして有利な評決を得ようとする者もいるようです。例えば,薬を飲んで障害を負った子供(の両親)が損害賠償を求めて製薬会社を訴えたとします。この場合,主な争点が因果関係の存否だとすると,製薬会社は専門家を証人に呼んで「わが社の薬が原告の子供の障害の原因ではない」と主張するでしょう。しかし,このような専門的な主張は難解で,陪審員にはなかなかアピールしません。これに対して,原告側の弁護士は,原告の子供の両親の証人尋問を訴訟の最後にもってきて,障害がいかに悲惨かを訴えます。そうすると,裁判終了時の陪審員の心証では,前日に聞いた難解な因果関係の議論よりも,直前に聞いた障害の悲惨さの方が印象がはるかに強いため,原告有利な評決をもらえる可能性が高いというわけです。実際にこのようなテクニックがどこまで有効かわかりませんが,職業裁判官を相手にするよりは成功の確率が高そうです。

 

3. 陪審制の短所を補う制度

 米国の裁判制度では,このような陪審制の短所を補うための制度をいくつか用意しています。ひとつは,証拠の採用に関して様々なルールを設け,陪審員に偏見を抱かせるおそれのある証拠は採用できないことになっています。例えば,伝聞証拠(hearsay)は,日本では刑事裁判のみ原則として禁止されますが,米国では民事裁判でも原則として認められません。また,例えば交通事故の訴訟で,被告の過失を立証しようとして「被告は過去にも多数交通違反を犯している」という証拠を持ち出すことはできません。陪審員に偏見を抱かせるおそれがあるからです。ちなみに,米国の訴訟ドラマで「異議あり(objection)」という言葉が飛び交うのは,一方の弁護士が自分に有利な証拠を陪審員に見せようとし,相手方の弁護士が裁判官に異議を申し立て,その証拠の採用を妨げようとしている場合が多いです。

 また,裁判官は陪審員の評決を制限することもできます。例えば,提出された証拠から勝敗が明らかなときは,裁判官は陪審員に対して評決を指示することができます(指示評決directed verdict)。また,裁判官は陪審員の決定した損害賠償額が過大であると思われるときはそれを減額することができますし,陪審員の評決が明らかに不合理なときは,評決を無視して判決を下すこともできます(評決無視判決 judg-ment non obstante verdicto)。しかし,これらの措置の発動は,あくまでごくごく例外的な場合に限られます。多くの裁判官は,陪審員の判断を尊重しない結果となることを好まないため,このような制度が陪審員の不合理な評決を完全に防止できるかどうかはわかりません。

 

4. 陪審員の熱意と能力

 「12人の怒れる男達」という映画をご存じでしょうか。ある暑い夏の日,刑事事件の陪審員達は裁判を終えて評決の討議に入ります。被告人が犯罪を犯したことは疑いがなさそうに見えるし,多くの陪審員は早く被告人有罪の評決を出して帰宅しようとします。しかし,一人の男が疑問を提示します。検察官の提示した証拠は十分か,合理的な疑いの余地があるのではないか。そんな男をはじめは冷ややかな目で見ていた他の陪審員も,ひとりまたひとりと説得され,ついには全員一致で無罪の評決を下すという映画です。

 この映画では陪審制は理想的に機能していますが,現実はどうでしょうか。私はサンフランシスコで陪審裁判を傍聴したことがあります。その裁判は,大手コンピュータ会社の労働問題に関する訴訟でしたが,陪審員は,みな熱心に証人尋問に聞き入っていました。しかし,その一方で,陪審員席を見ると「裁判の間は,ものを食べたり,本を読んだり,他の陪審員と話したりしないで下さい」との張り紙がありました。このような張り紙があるのは,裁判を真面目に聞かない陪審員も多数いることの証拠でしょう。陪審員は国民の義務として召集されるため,熱意に欠ける人がいるのはやむを得ないのかもしれません。

 また,特許訴訟や独禁法訴訟などの複雑な訴訟では,陪審員が適切に事案を理解できるのか不安がある場合も少なくありません。近時では,日本企業が米国で特許侵害で訴えられることもめずらしくありませんが,この場合,日本企業では「陪審員が事案を正しく理解してくれるだろうか」という点が大きな懸念であるという話を聞いたことがあります。このような不安を抱くのは,日本企業だけではないようです。マイクロソフト社は,司法省との独占禁止法訴訟において,陪審裁判ではなく,裁判官が事実認定を行う裁判を選択しました(これはベンチ・トライアルと呼ばれます。一定の条件を満たすとこのような方法も採択できるようです)。この訴訟を担当したワシントンDC連邦地裁のジャクソン判事は,マイクロソフト社に不利な事実認定を行ったため,マイクロソフト社は敗訴に追い込まれることになりました。にもかかわらず,マイクロソフト社の法務担当者は,マスコミのインタビューにおいて「陪審裁判を選択すべきだったとは思わない。独占禁止法のような複雑な訴訟に陪審制度は適していない。」と答えています。政策論としては,特許訴訟,独禁法訴訟,税法違反事件などの複雑な訴訟は,陪審裁判の対象外にする方がよいような気もします。

 

おわりに

 職業裁判官制度になれている私たちにとっては,陪審裁判制度を真に理解することは難しいかもしれません。私が米国のロー・スクールに留学しているときに聞いた限りでは,日本人,ヨーロッパ人の法律家は陪審裁判制度に否定的な意見を持つ人が多かったです。しかし米国では,陪審裁判制度を批判する意見もあるものの,この制度を支持する意見もなお根強いようです。サンフランシスコのある米国人弁護士は「私は法廷弁護士(trial lawyer)を30年やってきた。その経験から言えば,陪審員はほとんどの事件において合理的な判断を下していたと思う。」と述べていました。

 神ならぬひとが人を裁く制度である限り,職業裁判官制度も,陪審員制度も完璧な制度とはいえません。それぞれの制度の長所,短所を的確に理解し,日本の国情も踏まえた上で論じることが,よりよいディベートのために必要なのではないかと思います。活発な議論が交わされることを期待しています。      [J.D.A.理事 株式会社日立製作所勤務]



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