ディベートは本当のところどの程度普及しているのだろうか?授業でディベートをしたり、ディベートの研究をしたり、JDAのメーリングリストを読んだりと、どっぷりとディベートにつかっていると、ディベートはあたりまえのものと錯覚しているのではないだろうか?10数年前に自分が編集したこのニューズレターの創刊号(1986年12月20日発行)を読み返してみた。当時の松本茂理事長はこのように書いている。
ESSが主催するアメリカのNDTスタイルを踏襲するディベートは衰退しつつあると言わざるを得ないだろう。多くの大会で参加校の数が減り、存続の危機に瀕している大会もあると聞く。一方、パーラメンタリースタイルのディベートなど、多様化が進んでいる。学校の英語の授業で、ディベートが行われているのも増えているのではないだろうか。 日本語のディベートは、授業での実践、ディベート甲子園などの課外の大会参加、社会人の研修など、これも着実に普及しているようである。また、新たなメディアの出現によって電子メールなどコンピューターネットワークを用いたディベートも試みられている。大学の授業でディベートをする時、学生にディベートの経験を尋ねると、数年前まではESSのメンバー以外には皆無であったのが、最近は中高の授業で体験したという学生がクラスに数人いることも珍しくない。一方、相変わらず「リベート」とレポートなどに書く学生もいる。 JDA自身のことを考えても、会員の多様化は進んだが、会員数の増加は飛躍的とは言いがたい。役員も相変わらず設立当時の役員やESSのディベート出身者が中心である。その中で、独自大会の開催、セミナーの実施、メーリングリストやウェッブページの運営、研究大会の開催、と活動は多様化している。いったいディベートはどれほど普及したのだろうか?皆様の評価はいかがだろうか。 (いのうえ ならひこ 九州大学助教授) |
○巻頭言 | 会長 井上奈良彦 |
○特集
| 柿田秀樹(青山学院大学)、望月善次(岩手大学)、西部直樹(N&Sラーニング)、田村 洋一(ジェミニ・コンサルティング)
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○JDA活動報告 | 1999年9月に開催された大会の結果報告です。 |
10月に行われたディベートセミナーの講師である臼井直人氏(愛国学園大学講師)が所感を掲載しています。 | |
○JDAからのお知らせ | 2000年2月13日に開催されるディベート大会の実施要綱と申し込み用紙です。 |
九州大学でのディベート講義の紹介です。 | |
○編集後記 |
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○そろそろ忙しい年末を迎えますが、みなさんいかがおすごしでしょうか。いよいよ2000年、20世紀最後の年を迎えようとしています。 ○1000年のオーダーからみると、日本でのディベートの普及というのはなんと短いものかという気がします。もちろん、ディベート以外の討論教育は継続的になされてきたのでしょうが、この1000年間で日本での討論教育はどういう変遷をたどってきたのでしょうか。 ○さて、国会でも、従来の質問→答弁の一方通行をやめ、反論もできる形になり、週一度のクエスチョンタイムでは、首相と野党党首の討論がみられるようになってきました。政府委員制度が廃止され、従来の官僚答弁を脱却し、政治家同士の討論が期待されています。 ○これらは小さな変化のようですが、実際は大変大きな変化であろうと思います。従来、日本では、パブリックな場でのディベートで実際の意志決定がされないことが特徴でした。その象徴が国会だったわけです。その象徴がまがりなりにもディベートによる意志決定という改革への道を歩みだしたことは素晴らしいことだと思います。 ○行政職員の立場からクエスチョンタイムや、各委員会での大臣、政務次官の答弁を見ていると、これまでの官僚答弁と比較して、政党、又は政治家個人の主義や主張の違いというものがとても良く分かります。「政府」対「野党」というこれまでの構図から、「与党」対「野党」という構図になり、「政府」と「与党」の分離が進み、あくまで政治家集団である与党のコントロール下にある政府、という本来の議院内閣制の精神が明らかになってきた気がします。これにより、行政の責任が、「政府」という抽象的な存在から、「政治家個人」という具体的な存在にあることも明確になり、主権者である国民の意志も選挙を通じて反映しやすくなってくるでしょう。 ○国会の取組はこれからというところで、解決すべき課題も山積していますが、この動きが国会にとどまらず、地方議会、株主総会、役員会などにも広がり、地方公共団体や企業内部の意志決定や、責任の所在というものが明確になり、住民や株主、社員の意志が反映される行政や経営がなされるようになればよいのに、と期待する今日この頃です。(安井) |