1.3 対立する論点からの議論はなぜ必要なの?

 

太郎君と次郎君のクラスのみんなが、雨で中止になってしまった遠足の日の日曜日、クラスみんなで何をしようかと相談しています。太郎君が、「今度新しいショッピングモールができたから、見に行こう」と提案しました。次郎君は、内心、「あそこのショッピングモールは屋外型だから、雨の日に行くのはいやだな」と思いましたが、とりあえず、「みんながよければ僕はそれでいいよ」と答えました。花子さんは、「あのショッピングモール、もう一度いったけど、大したことないよのね」と内心思いつつ、「太郎君と次郎君がいいならいってもいいわよ」といいました。それを聞いていたみんなは、「3人がそう言うなら、それでいいんじゃない」といいました。
でかけたクラスのみんなは、激しい雨にずぶぬれになり、おまけにショッピングモールも内容的にも価格的にも大したことがなく、がっかりして帰ってきました。帰ってきてから次郎君が、「実は、雨が降っているから行きたくなかったんだ」というと、花子さんも、「実はわたし一度行ったことがあって、たいしたことないからあまり行きたくなかったんだ」といいました。これを聞いて、太郎君は、「あれえ、僕は花子ちゃんが行きたがっていると思って提案したんだけど・・・」



(1) 対立する論点から議論する意義

 対立する主張を導入することで、はじめてその論題について多面的な検討が可能となり、適切な意志決定が可能となります。誰しも一度は上の例のような経験があるのではないでしょうか。友達への遠慮や配慮、思いやり、権威への追従、孤立化したくないという思いなどなど、様々な理由でこのような誰も喜ばない意志決定は発生します。もし、誰かが一人でも、「ショッピングモールに行くべきでない、なぜなら・・・」という主張を行っていれば、意志決定は大きく異なったでしょう。相対立する主張を比較検討する中で、それぞれのもつメリット、デメリット、あるいはその価値などが検討されていきます。これらの検討の結果は、意志決定を行う人に対して、重要な判断材料を提供することができ、それによって適切な意志決定が実現する可能性が高くなります。

(2) 公共的な意志決定での重要性

 意志決定者に判断材料をたくさん提示することは、議会等の公共的な意志決定では特に重要です。議論を実際行っている人以外に上下関係のない多数の関係者の利害が絡む話であり、論題についてより慎重な判断が求められます。このため、いきなり結論だけ示すのではなく、選択肢を示し、関係者に広く判断材料を提供する必要があるからです。

 このため、実社会で何かの検討を行う際に、だれも反対意見を述べない場合、誰かが、実際はその意見に賛成であっても検討のためにあえて反対の立場をとって議論をすることも時として必要な場合があります。



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