1.5 理性的な議論をするには?

 


太郎君と次郎君が、「○○中学校は、携帯電話の持ち込みを禁止すべきである」という議論をしているときに、エキサイトした太郎君は、「なんで何度いっても分からないんだ。君は頭悪いんじゃないか?」と次郎君を攻撃しました。次郎君は、「僕の頭が悪いか悪くないかということと、携帯電話の禁止とどういう関係があるんだい?」と冷静にたしなめました…

1) 議論内容と人格(発言者の属性)の分離

 ディベートで、正しい理性的な判断を行うためには、発言者の「人格」に対する議論(ad hominem)ではなく、「議論内容、論拠」に関する議論(argument)が行われることが重要です。発言者の社会的地位、年齢等の「属性」に頼った議論(例:「こどもが偉そうなことをいうな」、「大学教授がいっているからそうだろう」)や、上の例のように、発言者の議論の発言内容と無関係な発言者の「人格」に対する攻撃ではなく、あくまで「発言内容」によって判断します。「誰が」ではなく、「何を」議論したのかを問うのです。

 人格や属性に関する議論は、適切な結論を導き出すために全く役に立たないばかりか、感情的な対立を生み、合理的な判断ができなくなる原因にもなります。ディベートに限らず、どのような議論形態においても避けなければなりません。


太郎君と次郎君が、生徒会長の候補者の三郎君と花子さんのどちらに投票すべきかを議論していました。太郎君は、「花子さんの方がいいんじゃないかな。立候補理由もなかなかしっかりしていたし」といいましたが、次郎君は、「いや、女はだめだ。口ではかっこいいことをいうが、実際の実行力がない」と主張しました。太郎君が、「そんな、女はだめだなんて思い込みで決めたらだめだよ」とたしなめると、次郎君は、「君は僕のいうことが信じられないのか?君とはもう話をしたくない」と怒り出してしまいました・・・・

(2) 信念や思い込みによる事実誤認や偏向等の排除

 ディベートは、その前提条件として、主張が客観的な根拠によって組み立てられ、判断も論理的かつ客観的になされることが必要です。客観的な根拠や論理的な考え方によらない思いこみや信念は、事実認識を偏らせたり、それに対する反論に対して人格を否定されたと感じて感情的になったりして、適切な判断の障害となります。信念は、人格を構成する大事な要素であり、それを失う必要はありません。しかし、信念のある事柄だからといって事実をねじ曲げたり、偏ったものの見方をしてよいということにはなりません。

 公共的な問題に対しては、多数の不特定第三者が関係するわけですので、人格と議論の内容を分離し、客観的・論理的な根拠に基づいて議論を展開し、その根拠が覆されれば、主張を撤回する論理性、客観性をトレーニングしていかなければなりません。


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